Excalibur

 ホーホー。鳥の鳴き声が薄暗い森林一帯に反響している。梟だろう。
 寒暖差が大きな山の気温は肌寒い。辺りは薄っすらと積雪がみえる。
「あのぉ、……この場所って?」
「標高二千M。高山原の山麓だ」
「……え? さっき御巣鷹って」
「通称だ。コテージまで登るぞ」
 ザッ――。真っ暗な山中を、山道を伝って真っ直ぐ登ってゆく直人。
 整備された登山用の山道とみえ、障害物も少なく比較的登りやすい。
「ちょっと。待ってってばぁっ」
 ぐんぐん遠ざかる直人から離されない様、ディアナが後を追い縋る。



 山腹付近に清閑と佇むコテージ迄の登攀時間は一時間余りを要した。
 獣道の様な鬱蒼とした道を突っ切る場面もあり、容易ではなかった。
「へぇ。遅れず登って来るとはな。やるじゃないか」
「あのぉ~。服が結構汚れちゃったんですけどぉ~」
「井戸水で洗えばいいだろ。薪ボイラーがあるから」
 かなりの登攀だったにも関わらず、ディアナは息をきらしていない。
 地底人と異なる特徴だが、数万年の時を経て進化した可能性もある。
「まき、……ボイラーって?」
「薪をくべて沸かす汽缶だよ」
「……はぁ。そーなんだ……」
 意味が理解らなかったか、ディアナが眉間に皺を寄せて顔を顰めた。
「電源は、家庭用発電機、……とか?」
「違う。ボイラー発電(汽力発電)だ」
 このコテージは別荘に該当する。特別な客をもてなす時の為の仮寓。
 御巣鷹山の住居、――重症時用の療養地――。とはまた別途の邸宅。



「……寒くはなかったのか?」
「ん? 別に。動いてたから」
「あ、そ。……なら良かった」
 過酷な登攀で息をきらす事もなく、夜の山道でくしゃみ一つもない。
 助けた時も涼しい顔をしていたし、繊細な様で図太い性格だと解る。
「とりあえず、中に入ろうか」
「ん。そだね。お邪魔します」
 ウッドデッキを数段登り、木製のドアを開け、パチッと電気を灯す。
 チカ、チカ、パッ――。
 吹き抜けの室内灯が点灯し、鬱然たる山腹を仄かな橙色の灯で彩る。



「お邪魔しま……っ?」
 玄関先に駆け上がると、ディアナは驚いた顔をして室内を見渡した。
「えっ? 部屋の中がなんか暖かいんだけど。何でなの?」
「……温水式床暖房だ。床下にパイプを敷設しているのさ」
 床上で暖められた室内の空気が、吹き抜けの上層まで満たしてゆく。
 暖かいのは当然だ。排気口を造り、自然の換気システムを再現した。
「風呂に入りたいんだろ? 食事の支度をするからどうぞ」
「え? いいの? てゆーかぁ、お風呂とか沸かせるの?」
「薪ボイラーがあるつッただろ。早くしろ。明朝になるぞ」
「ぁ、……ぅん。先に入らせて貰うわね。ありがとう……」
 眼線で促した着替え室へと姿を隠すディアナを尻目に料理を始める。
 ジャー……――。
 フードを脱いで流し台に立つと、直人は床下から野菜を取り出した。
 基礎打ちの吹き抜け構造を利用した天然の冷蔵庫兼食料貯蔵庫――。
「……」
 風呂場から上機嫌なハミングが聞こえる。ディアナはご機嫌な様だ。
 が、――聞いた事のない民謡めいた歌詞に、開いた口が塞がらない。
「……しかし、妙だな」
 独り言ちる直人。ディアナに関して、腑に落ちない点が幾つもある。
 並外れた体力、低温下での機動性。何れも地底人の特徴とは反する。
 先ずあの人を喰ったかの様な青味がかった瞳には、見覚えがあった。
「……何処かで……」
 眼色というよりは、眼の奥に篭められた顕在意識、要は、人格――。
「……チッ」
 解らない。どうにも思い出せない。本当に初対面なのかもしれない。
 解らない、という事は、負ける可能性に繋がる懸念材料と同意――。
「……くッ」
 トッ、トッ、ダン――ッ。
 ナイフがうっかり左指を掠めてしまう。滲む血を眺めながら愚痴る。
「……馬鹿だな……俺は……」
 油剤と薬草を指に巻き止血を図る。薪ストーブで煮込み鍋の続きだ。



 ファァ――……。
 良い匂いが漂ってきた。山の薬草と調味料が絶妙な香りを醸成する。
「……」
 薪ストーブで暖を取りながら、暫しの郷愁に耽る直人。過去が蘇る。
 蘇ったのは凄惨な過去ではなかった。満ち足りた楓との一時だった。
「……あぁ。だったな……」
 直人の眺める景色が、数年前、――モノトーンのセピア色に変わる。



 パチッ、パチッ――……。
 薪ストーブが置かれたシックな家屋で、楓と未来を語り合っていた。
 決して高価でもない古風なソファに横並びに座し、薪の灯を眺める。
「お兄様はさ、将来、何になりたいの?」
「んー? 考えた事もないよ。そんな事」
 愛想笑いで誤魔化す直人。当時は将来の事など考えた事もなかった。
「……」
 訪れる静謐が、厳かな悠久の一時を包み込む。楓が、そっと呟いた。
「私はねぇ……」
「……ん。何?」
 ふと横を見ると、眼を楽しそうに輝かせながら、楓が微笑っていた。
「海外旅行とか行ってみたいなぁ。グアムとか行ってみたい」
「海外? そんな所に行って何するの? 金もかかるだろ?」
 味気ない直人の言葉に、むくれた楓がぷっくりと両頬を膨らませる。
「もぉ。そんなんじゃなくってぇ。私が言いたいのはねー?」
「…………ぇ?」
 意外な一言に眼を丸くする直人。硬直したまま暫し絶句してしまう。

「だから、グアムに行きたいのっ」
「…………あ、…………あぁ……」
 旅行とはいっても楓が言っているのは、まるで別物だ。目的が違う。
 その場は笑って誤魔化したが、年端もいかない妹の戯言だったろう。
 だが、――正直、満更でもなかった。妹の姿を微笑ましいと思えた。
「……チッ」
 パチ、パチッ――……。
 薪ストーブの火花が弾けて虚空に散る。楓との過去も、弾け散った。



 ガタン――ッ。
 背後でドアが開く音がした。ペタペタと濡れた足音が近づいて来る。
「あーっ。いーお湯だったぁーっ」
「――ッ!?」
 振り返るや否や息を呑む直人。風呂から出たディアナは裸体だった。
 湯気のあがる身体。両手に絞った下着と青凛の学生服を持っている。
「ねぇ。そこで乾かしていーい?」
「……ぇ、……ぁ……」
 ディアナの姿に、楓の幻影がダブった。言葉に詰まり黙り込む直人。
「……ッ、くッ、……」
 突如、現れた楓の幻影を前に、かける言葉が無い。眼を逸らす直人。
 甘い郷愁が、絶望に変わる。――無念、ただその一言しかなかった。