あなたの詩がパン屋のレシートに浮かび上がる

 そら豆を敷き詰めたら 地面が空になった
 ひつじはひつじ雲になり そのまま君と眠った

 ハムチーズパンオニオンときのこのパニーニ、それからカフェオレ。それだけ買って支払いを済ませると、レシートのいちばん最後に、こんな文章が浮かび上がっていた。

 詩、だろうか。

 家と駅の間にある小さなパン屋。昔からやっているようで、私がこの街に越してきたときには、すでに古ぼけた様子だった。
 毎朝ここでパンをひとつかふたつ、それとコーヒーかカフェオレを買って会社へ行く。
 でも、こんな文章がレシートに印字されたことはない、とおもう。

「あの」

「どうしましたか?」

 わたしはレジを打ってくれた女性に、レシートを見せる。

「この文章って、詩ですか? 前からこんな感じでしたっけ?」

「……?」

 女性はレシートを見ながら、首をかしげる。

「文章、というのは……? 何も書いてないですけれど……」

「えっ」

 もう一度レシートを見る。たしかに、書いてある。文字の大きさもほかの印字と変わらないので、ここだけ見えないということはないだろう。
 どういうことだろう。
 店主が店の奥から、揚げたてのカレーパンを持って店へ出てくる。香ばしいカレーの匂いが店に漂いだす。

「ごめんなさい、なんでもないです。ありがとうございました」

 私はあわててレシートをかばんにしまい、店を出た。



 ***

 彼がいなくなって、もう半年。
 彼は詩人だった。
「詩を書きに行く」と言い残して、そのまま消息を絶った。

 彼は揚げたてのカレーパンが好きだった

 ***

 翌日も、また同じパン屋へ行った。
 レーズンパンとキーマカレーパンとコーヒーを持ってレジに向かう。昨日のことが頭をよぎる。
 店員の女性は、昨日の私のことを覚えていないのか、いつも通りにレジを打ってくれる。
 支払いを済ませて、パンとレシートを受け取る。すぐに店を出て、入り口から少し離れたところで、軽く深呼吸してからレシートを見る。

 海の底に住んでいるから月を知らない
 月を知らないのに月に帰りたくなる

 やっぱり。これは、彼の詩だ。
 理由を言葉にすることはできないけれど、私にはわかる。いなくなってしまった、彼の詩だ。

 彼はどこに行ってしまったんだろう。
 どうして、彼の言葉がレシートに浮かび上がるんだろう。
 どうして、この詩は私にしか見えないんだろう。

 ***

 玉子とポテトサラダのサンドイッチと、カフェオレを買う。
 レシートには、また彼の詩が印字されている。

 森を越えたところに、木がいっぽん生えていて
 どこまでが森なのか きみとそんな話がしたい

 レシートのなかの文字は、やけにくっきりしていて、それなのに彼のことを思い出すとぼんやりしていた。

 彼の言葉は届くのに、どうして私の言葉は彼に届けられないんだろう。

 ***

 次の日は祝日だった。
 寝坊をしてしまい、いつもパン屋に行く時間にはまだ布団の中にいた。

 布団から出ないまま、ぐうっと体を伸ばす。
 晩秋らしい冷たい空気が、体の中に染み込んでくる。

 身体を起こそうか、もう少し布団の中でゴロゴロしようかと寝返りを打つと、枕元に一枚のレシートが置いてあった。

 そこには、やっぱり彼からの言葉が印字されていた。

 詩を書いているぼくを
 見ている君に
 恋しているぼくが
 好きなパンを買う君に
 触れられないぼくを
 忘れてください

 パンの香りだけが残る

 彼はきっと、手の届かないどこかへ行ってしまったんだな、と不思議と理解していた。
 タイムマシンに乗ってしまったのか、異界に迷い込んでしまったのか、並行世界に行ってしまったのか、なんか、そういう、なにか。
 私は彼のことを忘れなければいけないんだろう。
 勝手に忘れてしまうんだろう。

 四枚のレシートを取り出して、並べてみる。
 感熱紙に印字された詩は、そのうち消えてしまうだろう。
 言葉が消えたら、彼のことも忘れてしまうのだろうか。

 レシートを裏返すと、引き出しから油性ペンを取り出して、太く、黒く、文字を書いた。

 来週からかぼちゃカレーパンだよ

 さあ、着替えてパン屋に行こう。