少女はそっと手を伸ばし、ステラの頭を撫でた。柔らかな毛並みの下で小さな体温が脈打っている。その温度に触れた指先から、少しずつ胸の痛みが解けていくような気がした。

「不思議です。さっきよりほんの少しだけ、自分の事を許せる気がしました」
「良かったです」

 燈は柔らかく返す。

「ここを出て行くとき、足取りがほんの少しでも軽くなっていたら嬉しいです。それが私達の仕事ですから」

 ステラに視線を向けると、丁寧に前足の毛繕いをしていた。

「でも、どうして猫ちゃんはこの本を選んだんでしょう」

 燈は首を傾げて小さく笑う。

「私にもステラの行動の原理はよく分からないんですが、目に見えない何かを感じ取っているのかもしれません」

 ステラは本の匂いをよく知っている。
 紙に染みこんだインク、前の持ち主の生活の匂い、長い時間眠っていた本の隙間の湿り気。
 もしかしたらステラは、「この本は誰かに沢山感動を与えた」「この本は何度も読み返された」「この本はまだ誰にも触れられていない」なんてことまで、鼻先で分かるのかもしれない。
 そうやって人の想いと本の繋がりを感じとっていたとしたら、どんなに素敵だろうと思う。

 少女は名残惜しそうに本の表紙を撫でた。

「この本、購入する事って……」
「もちろん、買わなくても構いませんよ。ここで読んでいくだけでも」
「いえ、ちゃんとお金を払いたいです。どんな物語なのか気になってきたので、家でゆっくり読みたいです」

 分かりました、と燈は小さく頷いた。

 レジに向かう少女の後ろ姿は、店に入ってきたときより、すこしだけ背筋が伸びているように見えた。

 会計を終えた後、少女は扉の前で振り返る。

「あの、また来てもいいですか」
「ええ。いつでも」

 燈はふっと笑った。
 お礼を言った少女の声が、小さく店にこぼれた。

 カラン。

 ベルが鳴り、扉が閉まる。
 外の空気が少し入り込んできて、本棚が僅かに軋んだ。その気配が収まる頃には、店内にはまた静けさが戻っていた。