夜と朝の間。
 まだ外が夢の底に沈んでいる時間。
 燈はベランダの窓から見える風景をぼんやり眺めた。夜露が草木を濡らし、遠くの屋根の上に残った月の光が、ゆっくりと形を失っていく。

 その静けさが好きだった。
 人の声も車の音もなく、ただ時間の足音だけが聞こえるようなひととき。
 こうして時折、夜と朝の間で息をしているのを感じながら、一日の始まりを待つ。

 lumièreの名が少しずつ、人から人へ伝わっていくにつれて、燈の心にも緩やかな波のような変化が訪れていた。

 誰かの痛みに耳を澄ますことに慣れていく程、自分の中に沈めてきた言葉にならない痛みが、不意に水面へ浮かび上がってくる夜がある。

 あの頃、自分もまた行き場のない迷子だった。

 母を亡くし、父とはうまく言葉を交わせず、夜になると布団の中で一人、ランプの明かりだけを頼りに本を開いていた。

 燈を導いてくれたのは、紙の向こうから届いた、音のない「声」だった。

『上手くいかない夜も、ちゃんと朝に繋がっていますよ』

 そんな風な一文が、何度も燈の胸の中を灯して、眠れない夜を照らしてくれた。

 今その「声」を、今度は自分の手から手へと渡していくことが、燈の役目になったのだ。

 燈は外気を深く吸い込む。冷たさの底に、微かな春の匂いが混じっている。

 淡い朝の光が、窓に触れて柔らか跳ね返り、足元に影を落としていく。

 不思議だと、胸の内でそっと呟く。

 こんなに小さな店なのに、色んな想いを抱えた人が沢山訪れてくれた。

 笑って帰っていった人。行き先を見失い、立ち止まる理由を探していた人。上手く泣くことさえ忘れてしまっていた人。

 あの人達みたいに、私もちゃんと向き合わないといけない。

 燈はスマホの画面を開く。打っては消し、言葉の温度を指先で測った。

『今日、閉店後のお店で待ってる』

 送信ボタンを押すと、小さく息を吐き出した。