雨の日だった。
 契約を済ませたばかりの、がらんとした空き店舗の鍵を受け取って、燈は一人で路地裏を歩いていた。傘の布地を叩く雨粒の音が、やけに大きく聞こえる。
 決意と、不安と、嬉しさと、どうしようもない心細さが胸の中で混ざり合っていた。

 ——本当に、一人でやっていけるのかな。

 本屋で雇われながら働き続けた数年。
 自分のお店をいつか持ちたいと願って走り続けて、ようやく叶おうとしている。なのに、家までの帰り道はずっと心細かった。

「......大丈夫。なんとかなる」

 そう口に出してみても、雨音にかき消されてしまう。言葉の軽さを自分で確かめてしまったような気がして、ふと歩みを止めて立ち止まる。

 その時だった。どこかで微かに鳴き声がした。
 最初は風の音かと思った。雨がどこかのトタンを叩いて変な響きになっているのだと考えた。
 けれど、耳を澄ませば登ますほど、その声は確かに猫の鳴き声に聞こえた。

 燈は傘を少し傾けて、路地の奥を見渡した。
 人の気配はない。閉まったシャッター、閉業しているお店の軒下に積まれた段ボール。

 嫌な予感ぎして声のするほうへ歩み寄ると、一つの段ボールの陰で、何かが小さく震えていた。
 白い毛玉。
 生きている、と思った。幸い雨に濡れておらず、綺麗な毛並みをしている。誰が、どうして。

 近付いてしゃがみ込むと、琥珀色の瞳がこちらを睨んだ。小さい体で必死に警戒しているのだと分かる。