「ステラ」

 燈が呼びかけるよりほんの少し早く、ステラはテーブルの下から顔を出していた。
 棚と棚の間を、いつもの静かな足取りで進んでいく。

 棚の隙間に入り込みステラが触れたのは、生き方についての雑多なエッセイ集だった。

「ありがとう、ステラ」

 燈は柔らかい背中を撫でながら本をそっと抜き取り、女性の前に戻った。

 ページを捲る。
 紙とインクの匂いが、ふわりと立ちのぼる。指先が目に見えない何かを辿っていくように、短い鳴き声と共に紙の重さが自然に止まった所で、ふと目に入った一文があった。

「みんなが選んでいる道は安心ではあっても、あなたの幸せとは限らない」

 彼女の喉がこくりと小さく鳴った。

「この著者は、結婚も出産もしなかった人です。周りからは普通じゃないと言われたそうです。でも彼女にとっては自分の時間と心を大事にすることが、一番のの幸せだったそうです」

 ページを軽く叩きながら続ける。

「ここにはこうも書いてあります。人はよく、「普通の幸せ」という言葉を使う。でも本当は、普通の中に自分を押し込めて安心したいだけの時もある。本当に温かい幸せは、人の数だけ形が違うのに」

 彼女は小さく息を吐いた。

「……形が違う」

 その言葉をまるで初めて味わうみたいにゆっくりと繰り返す。

「お母様は、多分お母様自身にとっての幸せを、あなたにも願っているんだと思います。世間が言う普通もいけないものではありません。ただ——」

 燈は言葉を選ぶ。

「それがあなたにとっての当たり前とは限らない、というだけです」

 彼女はゆっくりと視線を落とした。
 視界に入った文字を、もう一度確かめるようにページを覗き込む。