燈の言葉は細かな雨粒が土に染み込んでいくみたいに、静かに胸の奥へと染みていった。女性はそっと手の甲で涙を拭い、濡れたままの笑みを少しだけ照れくさそうに浮かべる。
「……ありがとうございます。もう一度、家族と話し合ってみたいと思います」
「はい。悩んだときは、またいつでもいらしてください」
燈がそう答えると、女性は小さく頭を下げふと足元に視線を落とした。テーブルの下では、白猫のステラが丸くなってこちらを見上げている。琥珀色の瞳と目が合うと、ステラは一度ゆっくりと瞬きをしてまるで「大丈夫」と告げるみたいに、控えめに小さく鳴いた。
女性はその仕草に微笑みを返し、買い物袋の持ち手を握り直す。
扉のベルが澄んだ音を立てて鳴る。開かれた扉の向こうには、雨が止んで濡れた路地が伸びていた。雲間から覗く薄い光が、アスファルトに残った水滴をかすかに光らせている。
女性の背中が角を曲がって見えなくなるまで見送ると、燈はそっと視線を外から手元へ戻した。さっき読んでいた絵本の表紙をなぞると、彼女と一緒に見た一文が心の中でゆっくりと蘇った。
その横でステラが丸くなり、心地良さそうに喉を鳴らす。ごろごろという低い音が小さな店の中にひそやかな安堵のように広がっていく。
「ねえ、ステラ」
燈はしゃがんで毛並みを撫でる指先にそっと力を込めて囁いた。
「誰も傷つかない世界があったらいいのにね」
ステラは返事の代わりに目を細め、大きな欠伸をひとつこぼして前足を燈の腕に伸ばした。ふわりと開いた口元は言葉にならない。それでもと大丈夫だよと告げているようで、燈は小さく笑う。
窓の外では、雨上がりの空がゆっくりと明るさを取り戻しつつあった。店の中には誰かの明日がほんの少し軽くなればいいという、燈の静かな祈りだけが柔らかく残っていた。
