「あの、深谷先輩! いきなり教室に来ちゃってすみません! 今お時間いいですかっ?」

クラス内が一瞬ざわつく。
休み時間、俺はなぜか顔も名前も一致しない一年の女子から呼び出されている。
いや、みんな頼むから勘違いしないでくれ。
後輩女子に呼び出される先輩男子なんて、こんな少女漫画にありがちな展開=告白という妄想が膨らんでもおかしくない。だがそれは断じてない。
女子たちは俺に興味があるのではなく、俺に聞きたいことはただ一つだけ。

「あの、伊澄くんのことについてなんですけど! どうやったら先輩みたいに伊澄くんが自分から会いに来てくれるのかなぁって」

これで何件目だ?
最近やたらと苦労するのが、学年問わず女子から呼び出されること。
ーーで、聞かれる内容はすべて伊澄のことについて。
どうやったら伊澄とお近づきになれるかとか、伊澄の理想の彼女はどんなタイプとか……。
伊澄の連絡頻度が遅くて脈ナシかどうかわからなくてどうしたらいいか……など謎の悩み相談まで。

「わたしから何度か連絡してるんですけど、未読無視のことが多くて、既読ついたらいいほうなんです! 返信も気まぐれで伊澄くんのほうから送ってくれることなんかないんです!」

気がついたら俺は菅生伊澄の恋愛相談窓口になっていた。





「よっ、相談窓口お疲れ〜」
「透馬……お前バカにしてるだろ」
「いやー、にしてもお前目当てに多数の女子が来るなんてな。モテ期じゃん!」
「俺目当てじゃなくて伊澄目当てだからな。わかってるくせにからかうなよ……」

ようやく相談から解放されて教室に戻ってきたところ。
自分の席に着き、机にペシャンと潰れ込む。
話を聞いているだけで正直すごく疲れる……。

「なんでみんな伊澄に直接聞かないんだ……」
「真生くんは女心をわかってないねー」
「そういうお前はわかるのか」
「あの菅生伊澄が心を開いてる相手が特定できたら、まずはそこに攻め込むんだよ!」
「心を開いてるかどうかはわからないだろ」
「いーや、あの懐き具合は異常じゃね?」

何気なくスマホに手を伸ばすと、メッセージが一件。

【今度放課後どっか行きません?】

「ほーら、また王子からのお誘いじゃん」
「勝手に見るな」

今まで俺から伊澄に連絡をしたことは一度もない。
連絡をくれるのはいつも伊澄からだ。

「お前ほんとすげーな。ビジュ最強イケメンからアピールされるって」
「俺だって不思議で仕方ないよ」





放課後、今日は保健委員の集まりがあるため指定された教室へ向かう。
委員会は基本ペアで参加だけど、俺のペアの子は部活の強化練習期間中で委員会に参加できないらしい。

「ねぇ、伊澄くん話聞いてる〜?」
「……ん」

伊澄も保健委員だったのか。
ペアと思われる女子が伊澄の隣に座っている。
相変わらず伊澄の人気はすごいな。

「あ、真生先輩だ。こっち空いてますよ」

そう言いながら手招きしている伊澄。
空いてる席も少ないし、伊澄の後ろに座ることにした。

「ね、これ見て。新しく駅の近くにカフェがオープンするんだって!」
「へぇ」
「新作のコスメも欲しいんだけどね、リップどの色にしようか迷ってるの」
「ふーん」
「今度一緒に行かないっ? わたしに似合う色選んでほしいなぁ」
「んー、予定空いてたらね」
「またそうやってはぐらかす!」

目の前で繰り広げられる会話を聞く限り、伊澄があまり興味ないのが相槌から伝わってくる。
俺と話してるときとだいぶ態度が違くないか……?
俺のときはいつも伊澄が話題を振ってくれるし、俺が返しやすいように話してもくれる。

「あの、伊澄くんこんな態度なんですけど、どう思います〜?」

伊澄と話していた女子がいきなり後ろを向いて、俺に会話を振ってきた。
いや、なんで俺に聞いてきた?
まさかこっちに飛び火してくるとは思っていなかった。

「伊澄くんと仲良い先輩ですよねっ?」
「あ、いや、仲良いっていうか……」

俺と伊澄って友だち……ではないよな。
同じ学校の先輩と後輩?

「ってか、先輩の顔あんまりよく見えないですよね〜? いつもマスクしてるし、風邪予防とかですか?」
「いや……これは……」
「顔隠れてるのもったいないし、取っちゃえばよくないですかぁ?」

ま、まずい。こういうときなんて返したらーー。

「……おい、真生先輩に触んな」
「え〜、別にマスク取るくらいいいじゃんーー」
「触んなって言ってんの」

こんな伊澄の声、初めて聞いた。
本気で圧を感じるほどの低く冷たい声。

「……あんま悪ノリすんなよ」

相手の女子もさすがにまずいと思ったのか、少し不貞腐れた顔で黙り込んでしまった。
そのまま委員会が始まり、一時間くらいで終了した。
帰ろうとしたら伊澄と目が合った。

「真生先輩、一緒に帰りましょ」

声のトーンも表情も、いつもの伊澄だ。

「さっき隣で話してた女子はいい、のか?」
「え、話してたやつなんかいました?」
「カフェとかコスメがどうとか」
「あー、まったく記憶にないっすね」

そ、そんなに?

「俺が興味あんの真生先輩だけだし」

コイツはまたさらっととんでもないことを……。
聞いてる俺のほうがなんで恥ずかしくなるんだよ……!

「あ、真生先輩なんで逃げるんすか」
「は、早く帰りたいだけだ!」
「じゃあ、俺と一緒に帰りましょ」

伊澄の言動にいちいち振り回されながらも、気づけば俺の日常に伊澄がいないのは想像できなくなっていた。





「なんで彼女にしてくれないの……!」

中庭に響き渡る女子の声。
何かあったのかと思いその場を見れば、泣きながら相手に訴えかけている女子がひとり。
相手の男は……伊澄か。
見るからに修羅場なのがわかる。

「いつもわたしばっかり気持ち伝えてるのに、伊澄は全然応えてくれないじゃん!」
「だから俺本命作る気ないって言ってんじゃん」
「だったら思わせぶりな態度取らないでよ!」
「取ってないし。そっちが勘違いしてるんじゃねーの?」

伊澄の態度に納得いかないのか、相手の女子はさらにヒートアップ。

「ほんっと最低……! このクズ男‼︎」

あ、危ない……!
とっさに身体が飛び出して、その数秒後バシンッと高い音が響き、直後に頬に痛みが走った。
あ……しまった。とっさにこの場に飛び出てしまったこと、しかも思いっきり殴られて結構痛い……。

「は? アンタ誰⁉︎」
「いや、俺はその……伊澄が危ないと思った、から」
「はぁ⁉︎ なに意味わかんないこと言ってんの⁉︎」

ま、まずい。俺が飛び出したことで状況悪化してないか?

「さ、さっきの発言……、伊澄は最低じゃないし、クズでもないから。それは撤回してほしい」

少なくとも俺が知ってる伊澄はそんなやつじゃない。
伊澄を侮辱されたことが、俺の中で何か引っかかっているんだと思う。

「アンタどの立場で口出してーー」
「……先輩、いこ」
伊澄が強引に俺の手をつかんで歩き始める。

「お、おい伊澄。さっきの子はいいのか」
「あんなやつどうだっていい。それより真生先輩を傷つけたことが許せない」

いつも落ち着いてる伊澄が少し取り乱してるように感じた。





あれから伊澄に連れられ保健室へ。
養護教諭の先生は不在。
俺は椅子に腰掛け、伊澄が救急箱を持ってこちらにやってきた。

「……マスク、取っても大丈夫ですか?」
「あっ、あぁ大丈夫」

伊澄の綺麗な指先がゆっくり近づいてくる。
マスクの紐に指をかけると、わずかに俺の耳に触れた。
少し冷たい指先……けど、触れられたその部分だけが異常に熱く感じた。

「……赤くなってる」
「そんなに痛くないし平気だから……な?」

伊澄の目や表情、全てが俺を心配してるのがすごく伝わってくる。

「なんで俺のこと庇ったんですか」

優しい手つきで、そっと俺の頬に触れる。
その瞬間、胸のあたりがピリッとした。
同時に異常に胸のあたりがざわついて、顔のあたりがグンッと熱を持ち始める感覚。

「伊澄が危ないと思った……から」

考える余裕なんかないくらい、とっさに守りたいと思ったんだ。

「伊澄が傷つくのが嫌だった」
「……俺だって同じ。真生先輩に傷ついてほしくない」

頬の熱は引くことを知らずに、どんどん熱を帯びていく。

「こんなにしたやつ殺したくなる……」
「言葉はちゃんと選ばなきゃダメだからな」

冷静を装うのがこれほど難しいと思ったのは、今日が初めてかもしれない。

「前もこうやって庇ってくれましたね」
「……え?」
「これ二回目ですよ。そのときも真生先輩は俺を守ってくれたから」

伊澄が中三で、俺が高一のときの出来事。
公園で伊澄と女子が言い合いになったとき、そこに割って入った俺が女子に引っ叩かれた……らしい。
俺は当時のことをあまり詳しくは覚えていないけど。

「……俺のこと覚えてないですか」

内側で沸々と湧きあがる感情の正体なんか、わかるわけない。

「その日からずっと真生先輩だけを想ってました」

こんなのぜんぶ、伊澄のせいだーー。