週が始まった月曜日の朝。
俺、深谷(ふかや)真生(まお)は通勤通学でごった返す満員電車の中にいる。
毎朝のこの光景も、高校二年の今となっては慣れてきたものだ。
リュックを前に抱えながら、必死に吊り革を握りしめる。
この状況で人に埋もれることはないが、俺は男子高校生の平均身長よりは若干低めだし、体型もガッチリしてるというよりかは細身で貧弱だ。
おまけに両親から譲り受けたこの顔立ち……ぱっちりした丸い目、瞬きするたびに大きく揺れる長いまつ毛、白すぎる肌に加えて丸顔で童顔ときた。

幼いころから女の子に間違われるのは日常茶飯事。
小学生のときモデルにスカウトされたかと思えば、それは女子小学生が活躍する雑誌のモデルだったり。
もちろん、きちんと説明してこの話は断った。

中学のときは文化祭の演劇で男女逆転ロミジュリで主役に抜擢。ジュリエット役になりきった俺の写真をクラスメイトがSNSにアップするとなぜかプチバズり。

『激カワすぎ‼︎ この顔に生まれたかったぁ‼︎』
『現代のジュリエット美しすぎ』
『何食べたらこんな可愛くなれんの⁉︎』

あまりに投稿が拡散されたので、写真は削除してもらった。
こういった自分の過去をあげ始めるとキリがない。

さすがに高校生にもなればそういったことも減るだろうという俺の期待は見事に砕け散った。
つい最近も駅前でコンカフェのアルバイトにスカウトされたくらいだ。

ふと顔を上げると、電車の窓にうっすら自分の顔が映る。俺の顔の半分を覆っているマスク。
可愛いだの童顔だの……そういった言葉は耳にタコができるほど聞いてきた。

自分の顔が嫌い……とまではいかないが、正直この可愛らしい顔立ちは自信を持って好きとは言えない。
だからこうしてマスクで顔を隠すようになった。
今となってはマスクが俺の顔の一部であると言ってもいいくらいだ。
それにもともと引っ込み思案な性格もあって、人と話すのもあまり得意じゃない。
慣れてない人と話すときは目線がどうしても下に落ちてしまうのが俺の悪い癖だ。

もう少し自分に自信が持ちたい……そう思いながらも、なかなか行動に移せず今に至るという感じだ。

そんなことを考えていると電車内はさらに人が増え、混雑具合がピークを迎えていた。

「もう少し中まで詰めてくださーい!」
「扉が閉まりません! ご協力お願いしまーす!」

駅員さんの必死な声が聞こえるが、これ以上はもう無理だろ……圧迫されそう。
なんとか電車の扉は閉まり駅を出た……のはよかったんだが。
俺の身体が反射的にビクッと反応した。

あぁ、またか……。

背後から誰かの手が俺の身体に触れているのがわかる。
これだけ人がいれば偶然手が触れることだってあるだろう。だけど、この手つきはどう考えたって明らかに故意的だ。
少し後ろに目線を向ければ、五十代くらいのサラリーマン風のおじさんが立っていた。

はぁ……いい年したおじさんが痴漢かよ……。

逃げようにも人が多すぎて身動きが取れないし、相手もそれに気づいている。
電車内でこういったことをされたのは初めてではない。
ってか、確実に俺のこと男だと思ってないだろ。
俺の耳元で微かに吐息のようなものが聞こえてゾッとする。

最悪だ……早く最寄り駅に到着してくれ。

あまりことを荒立てたくもないし、あと二駅でこの地獄から解放される。
後少しの我慢だと思い、深く息を吐いた時だった。

何気なく隣に目を向けると、俺と同じ男子高校生が立っていたことに気づいた。

うわ、めちゃくちゃビジュいいな。
ん? ってか、さっきから隣にこんなイケメンいたっけ?
横顔綺麗すぎないか?

スマホに夢中になってるみたいだけど、スマホの画面をなぞる指先だって細くて、爪の形だって整っていてーー。

あ、やば。目が合った。少し重ためな前髪から見える澄んだ瞳が俺をバッチリとらえた。
自分の今の置かれている状況を忘れてしまうほど、隣にいる男子高校生に見惚れていた俺って一体……。

すると、さっきまでスマホをなぞっていた指が俺の手にチョンッと軽く触れてきた。
そしてそのままスマホの画面を俺に見せてきた。

【だいじょぶそ? 後ろのやつ捕まえる?】

もしかして俺が困っているのに気づいてくれた……のか?
俺が首を横に振ると、彼はスマホに【了解】の二文字を入力した。

今まで周りの誰も気づくことなんかなかったし、こんなふうにさりげなく助けようとしてくれたのも彼が初めてだ。
少しでも気にかけてくれたその気持ちだけでも俺にとってはすごく嬉しいーー。

「いてっ……‼︎」

ん? なんだ今の声? 俺の背後から聞こえたけど。
その直後、俺の身体に触れていた手が離れていったのがわかる。

「あぁ、すみませーん。間違えて足踏んじゃいましたー」

も、ものすごい棒読み……。
さっき俺を気にかけてくれた彼が、どうやら撃退してくれたみたいだ。

「おっさんもいい歳した大人なんだからさー。あんま外れたことしないほうがいいんじゃない?」

「……‼︎」

タイミングよく電車が駅に到着し扉が開いた瞬間、サラリーマンは逃げるように電車から降りていった。

その次の駅で俺も満員電車から無事に脱出。
そして、同じ駅でさっき痴漢を撃退してくれた彼の姿があったことに気がついた。
それに制服を見て確信した。

「あ、あの。さっきは助けてくれてありがとう。同じ学校……だったんだな」

しかもネクタイの色を見ると青色……つまり俺のひとつ下の学年だ。

ここでも俺の悪い癖が発動。
初めて話す相手の目を見るなんて無理な俺の目線は地面を見つめたまま。
と、とりあえずきちんとお礼を伝えられたし、あとは軽く頭下げてこの場を立ち去ればーー。

「まつ毛なっが」
「っ⁉︎ うわっ、な、なんだ急に!」

俺の視界にとんでもないビジュアルが映り込んできた。
正確に言うと、下を向いてる俺の顔を覗き込むように相手が見てきた。

「目もめっちゃきれい」
「ちょっ、近い……近すぎるだろ!」

距離感を測るって概念ないのか……⁉︎
ってか、お前のほうがビジュ爆発しすぎだろ……。
ほんとに高校生か……?

「なんで目合わせてくれないんすか」

お前こそ、なんで初対面なのにこんなグイグイ迫ってくるんだよ……! 距離感バグってないか⁉︎
もうこれ以上は俺が耐えられない。

「と、とにかく! 助けてくれてありがとな!」

ぺこっと頭を下げてダッシュでその場をあとにした。





「はぁ……なんか感じ悪かったかな俺……」

今更になって今朝の出来事を振り返ると、お礼だけ言ってその場から逃げるってあんまりいい印象ないよな。

「別にいいんじゃね? 毎日顔合わせるわけじゃねーし」

昼休み、幼なじみでクラスメイトの朝永(あさなが)透馬(とうま)に今朝あった出来事を話しながら反省。
透馬は俺の数少ない友達で、最も信頼していて、なんでも相談できる大切な存在だ。

「後輩なんだろ? だったら会うことだってねーじゃん」

そんな気にすることないだろと軽く流しながら、購買でゲットしてきたコロッケパンに夢中の透馬。

「けど同じ学校だから校舎内で会うことだってーー」

「「「きゃー‼︎」」」

俺の語尾がかき消されるほど、何倍も大きくて高い女子たちの声が教室中に響き渡る。

な、なんだいったい?

教室の入り口のほうに女子たちが集まっている。その中心にいる人物がーー。

「あれ菅生(すごう)伊澄(いすみ)くんじゃん‼︎」
「伊澄くんがなんでうちのクラスに⁉︎」
「顔面強すぎてまぶしすぎる〜!」

いま女子たちの騒ぎの中心になっているのは、今朝の電車で俺を助けてくれた後輩だ。

な、なぜ俺のクラスに?

「おっ、あのイケメンたしか天才的にビジュがいいって有名な後輩くんじゃね?」
「透馬、お前知り合いなのか?」
「知り合いっていうか、あの後輩くんうちの学校じゃめちゃくちゃ有名だぞ?」
「そ、そうなのか」
「あのルックスで芸能関係の仕事もしてねーし、SNSとかも一切やってないらしいんだよな。SNSで活動したら一気に万バズでインフルエンサーとかになれるだろうに」

たしかに初めて見たとき、顔めちゃくちゃいいなとは思ったけど。まさか、校内でそんな有名なやつだったとは。
まあたしかにあれだけ顔が良ければ女子たちが放っておくわけもないか。

「さっき話してた助けてくれた後輩、多分アイツだ……」
「え、そうなん? すげーな、痴漢撃退までするって中身もイケメンじゃん」

菅生伊澄……だっけか?
まさかそんな人気者に助けてもらったとは。俺とは住む世界がまったく違うんだな。
現に今も女子たちが群がって、後輩ひとりを囲んでいる。
少し離れた位置からその様子を見ていると、偶然なのか菅生伊澄と目が合った。

ん? いま俺のほう見た? いや、さすがにたまたまだよなーー。

「あ、いた」

直後そんな声が聞こえて、菅生伊澄が教室内に入って来た。
しかも俺と透馬がいる席のほうに来てないか⁉︎
騒ぎの中心にいる人物が自分の目の前にやってきたことに驚きが隠せない。

え、まさか透馬と知り合いか?
そんな意味を込めて透馬を見ると、どうやらそれが伝わったらしく。

「いや、俺じゃねーよ⁉︎ どう考えてもお前に用あるんだろ!」
「俺だって話しかけられる理由ないーー」

「真生せーんぱい」

っ⁉︎ い、今コイツ俺のこと呼んだ⁉︎
後輩から真生先輩だなんて初めて呼ばれたことへの戸惑いと、こんな人気者に話しかけられたことへの動揺が止まらない。

「朝の電車ぶりっすね。あのあと先輩が逃げちゃったから」

片方の口角を上げて笑う表情ですらオーラすごいな……。
イケメンはどんな顔をしても整っているし、これなら女子たちが騒ぐのもわからなくもない。
……って、またしても俺は関係ないことを考えてしまった。

「な、なんでここにいるんだ?」

菅生伊澄の顔を直視して話すなど耐性のない俺ができるわけもなく、俺の目線は不自然にも机を見ている。
ダメだ、無愛想すぎる……。
けど、こんなハイスペイケメンと対等に話せるスキル、残念ながら俺は持ち合わせていない。

「んー、先輩の落とし物を届けに来たんすよ」

そう言って、俺の学生証をスッと渡してきた。
あぁ、今朝慌てていたからそのときに落としたに違いない。それを届けに来てくれたってことか。

「わざわざ届けに来てくれてありがーー」

受け取ろうとしたら、なぜかひょいっとかわされてしまった。
な、なぜ返してくれないんだ?

「真生先輩。今から俺の言うこと聞いてくれません?」
「は、は……?」

言葉の意味は理解できたが、唐突すぎて頭の中で処理が追いつかない。
それに、なんで俺の名前知ってーーあぁ、学生証を見たからか……と自己完結。

「これ届けに来たお礼ってことで。じゃあ、真生先輩借りまーす」
透馬に対してそう告げると、俺はなぜか教室から屋上へと連行された。

そしてなぜか菅生伊澄と一緒にお昼を食べるという謎すぎる展開へ進んでいる。

「これコンビニ限定のスイーツあったんすよ」

袋の中からいくつかスイーツが出てきた。

「こ、このプリン……!」

しまった、思わず反応してしまった。
どこのコンビニを探しても見つからなかったミルクプリンに真っ白のホイップクリームが盛られている限定商品。

「真生先輩これ好きなんすか?」
「いや、好きってわけじゃ……」
「いやいや、今のリアクション的に絶対好きじゃん」
「その、甘いもの好きっていうと引かれる……かと思って」
「なんで? 俺もめっちゃ甘党ですよ」
「そ、そうなのか」
「真生先輩との共通点うれし」

なんて言いながら、ホイップたっぷりのロールケーキを頬張っている。

「あ、そうだ。俺のことは伊澄って呼んでください」
「いきなり呼び捨てはハードル高くないか……?」
「えー、じゃあ俺と付き合ってください」
「つ、付き合……はっ⁉︎」
「ふっ、冗談っすよ」
「冗談キツすぎるだろ……」
「あ、でも半分くらい本気かも」

イケメンというのは考えがまったく読めないな。
というより俺きちんと会話のキャッチボール的なのはできているんだろうか?

「あと、もういっこ。スマホ貸してください」

言われるがままスマホを渡すと、勝手に操作を始めて一分足らずで俺の元へ戻ってきた。

「俺の連絡先登録しといたんで」

特に何も設定してない初期のままのアイコン。
自分の友だちリストの中に伊澄の名前があることに違和感しかない。

「スマホロックかかってないとか危なすぎっすよ」
「誰も俺のスマホの中なんか興味ない、だろ」
「俺めーっちゃ興味ありますよ」

伊澄の綺麗すぎる顔がドアップで視界に飛び込んできた。
揺れることなく真っ直ぐ俺を見つめる瞳は、とても心臓に悪い。
俺たち今日初めて出会って話したんだぞ……?
いきなり距離感バグるのは勘弁してほしい。
けど、伊澄はそんなの気にするそぶりもなく、お構いなしに俺との距離を詰めてくる。

「まあ、興味あんのは真生先輩だけですけど」





翌朝ーー。
いつもと変わらない時間に家を出て駅に向かうと偶然なのかホームに伊澄がいた。
立ち姿ですら様になってるな……。
スマホをいじりながら音楽を聴いてるのが見てわかる。
声かけるべき……だろうか。
挨拶くらいはしたほうがいいか……悩む。
自分から声をかけるのは苦手だし、伊澄は俺のこと気づいてないだろうから、いっそこのまま俺も気づかなかったことにしてーー。

「なんで声かけてくれないんすか」
「うわっ!」

気づいたら伊澄が隣にいた。
俺の顔をまじまじと見つめながら……いや正確に言うと覗き込んできてる。

「絶対俺のこと気づいてましたよね」
「音楽聴いてたし、スマホに夢中になってたから……その、声かけるか迷っただけだ!」
「もっと気軽に声かけてくれたら嬉しいのに」
「邪魔、かと思ったから」
「いや、真生先輩が邪魔とかありえなくない? むしろもっと攻めてきてほしいんすけど」

お前は少し……いや、だいぶグイグイ来すぎなような気がするが。

「お、音楽……どういうの好き、なんだ?」
「リスト送ります?」
「少し気になっただけだから、別にそこまでしなくてもーー」
「真生先輩には俺の好きなものも知ってほしいんで」

伊澄のコミュ力の高さには驚かされることばかりだ。
それに、昨日の今日で伊澄に対しての自分の順応力の高さに驚いている。





「お前らできてたのか」
「いや、朝一緒に来ただけだろ! 駅でたまたま会っただけだよ」

クラスに着いて早々、透馬が拍手をしながら俺の席にやってきた。
どうやら俺と伊澄が登校してきたのを見ていたらしい。

「あの菅生伊澄が自分から追いかけていくなんてなー。女子が知ったら嫉妬の嵐なんじゃね?」
「どうして嵐が来るんだよ」

「そもそもさ、菅生伊澄って男は自分から連絡先を聞くことも教えることもないんだよ。あとはさ、女の子みーんなに優しいけど、誰ひとり本命にはなれない。まったく罪な男だよなー」
「お前やけに詳しいな」
「まあな。つーか、菅生伊澄はそれくらい噂が流れてる有名人なんだよ!」

だとしたら、そんなやつがなぜ俺に絡んでくるのか謎でしかない。

「お前に特別な何かがあるのかもしれないな!」

いや、さすがにそれはない……だろ。





「えー、では次のページの一行目の文章を和訳すると……」

四限目、英語の授業中。
この時間帯の授業は早く昼休みが来ないかとかそんなことばかり考えているせいで、内容はほとんど聞き流している。
俺の席はラッキーなことに窓側の一番後ろだ。
ここの席は窓の外を眺めていても先生に気づかれることはあまりない。
授業が退屈になるといつも窓からグラウンドを見ている。

グラウンドではちょうどサッカーの授業が行われていた。
その様子をぼうっと眺めていると、一際存在感があるやつを発見。
あれは伊澄……か?
少し離れた俺の位置からでも認識できるって存在感すごいな。
それにしても学校指定のジャージすらうまく着こなす伊澄はモデルみたいだ。
俺が着るとオーバーサイズ感があってうまく着られたためしがないし。
……なんて感心していると、伊澄の目線がこっちに向いてるような気がした。

ん? これは俺のほう見てる……のか?
いや、偶然こっちを見てるだけかもしれないし。
すると、伊澄がこちらに向かって手をひらひら〜と振ってるのがわかる。
しかも体育の授業中だっていうのに、ジャージからスマホを取り出して器用にいじってるし。
少しして俺の机の中に入っているスマホがわずかに振動した。伊澄からのメッセージだ。

【あんま俺に夢中になってると先生に怒られますよ】

「な……そんな夢中になってない!」

あぁ、しまった、なんて失態をおかしたんだ俺は。

「深谷くん、どうかしましたか?」
「い、いえ。何もないです」

クラスメイトたちの視線痛すぎるだろ。
物理的に食らっていると錯覚するくらいだ。
恥ずかしすぎて死ねる……。
まだマスクで顔が隠れてるだけマシ……か。

再び目線を伊澄に戻すとなんとも楽しそうに笑っている。
突如として嵐のように現れた菅生伊澄に振り回される俺の日常、これから一体どうなるんだ……?