2話「氷の鬼」

○雪影の屋敷・雪影の執務室
襖を開いて目を見張ったまま固まる蓮華と、部屋の真ん中で頭を抑えながら蓮華を睨む雪影。
蓮華は自分が転生していることも忘れ、雪影に近づいていく。
蓮華「雪影…何故ここにいる。逃げろといったはずなのに」
雪影「白々しい…貴様ら湊本が、我ら妖怪を帝都に縛り付けているからだろう」
蓮華「…なんだと?」
雪影「はっ、知らなかったとはな」
帝都の四方にある鳥居の絵。それぞれの前に、陰陽師の格好をした男が立っている。
雪影「貴様らが帝都に結界を張ったせいで、我らはここから出られない。もっとも『人間を愛する』という忌々しい術の影響で、困っている者はほぼいないが」
雪影は顔を伏せて言葉を続ける。
雪影「…確かに俺は一度、仲間を逃がすために帝都から逃げた。だが結局、ここに戻ってきた。帝都に残る妖怪たちも、多くいたからな」
雪影は異切を見つめて呟く。
雪影「すべては…煉華様の頼み事を守るためだ」
1話冒頭、200年前に蓮華が雪影に「妖怪たちを頼む」と言ったシーンを回想。
蓮華「そうか…お前はあれを、ずっと守ってくれていたのだな」
涙を流す蓮華。その姿を、訝しげに見つめる雪影。
雪影「貴様…さっきからなにを言っている」
蓮華「…あ」
ようやく自分が『煉華』ではなく『蓮華』だったことを思い出し、慌てる蓮華。
蓮華(誤魔化すか? だが、うまい言い訳は見つからないし…)
蓮華「実は…私は『煉華』なんだ。どうも人間に生まれ変わったようでな」
雪影「…は? 湊本家の小娘が煉華様を騙ると…?」
怒りを煮えたぎらせる雪影に、蓮華は眉間に皺を寄せる。
蓮華(やはりこうなるよな。どうすれば信じてもらえるか…あっ)
床の間に飾ってあった異切に目を付け、近づく蓮華。
雪影が立ち上がり、蓮華を止めようと手を伸ばす。
雪影「それに触れるな! そもそも異切は、煉華様にしか抜けない刀で…」
蓮華は構わず異切を手に取り、その柄を握る。
蓮華(…久しぶりの感覚だ)
蓮華が鞘から異切を抜く。透き通るような刀身が、蓮華と雪影の前に晒された。
雪影は大きく目を見開き、蓮華を見ている。
雪影「異切が、抜けた…? なら…本当に、煉華様なのですか…?」
蓮華は異切を鞘にしまい、雪影をまっすぐ見つめて微笑む。
蓮華「ああ。200年、心配をかけたな」
雪影「煉華様…煉華様…っ!」
雪影は涙を浮かべながら、震える手を蓮華に伸ばす。
だが直後、彼は蓮華の体を床に押し倒した。驚く蓮華の襟首を握り、雪影は叫ぶ。
雪影「どうして死んでしまわれたのですか! どうしてお供させてくださらなかったのですか! 俺はあなたのいない狂った世界で、ずっと一人で…!」
ぽたぽたと、雪影の涙が蓮華の頬に落ちてくる。彼の痛みを思い知った蓮華は、そっと目を閉じた。
蓮華「…すまない。あのとき狙われていたのは、私だった。私を討ち取れば、湊本は止まると思ったから」
蓮華は雪影の涙を拭い、微笑む。
蓮華「お前たちには、生きていて欲しかったんだ」
雪影「それは、俺だって同じでした」
雪影は怒ったような顔を見せた後、再び大粒の涙を流す。
雪影「でも…また会えて、よかった…っ」
蓮華の肩口に顔を埋める雪影。その背中を、蓮華はなだめるように軽く叩く。
蓮華「…妖怪たちを守ってくれてありがとう、雪影」
おもむろに顔を上げ、微笑みながら雪影が口を開く。
雪影「戻られたからには、異切はお返しします。それから…あなたの力も」
雪影が蓮華の唇に口付けを落とす。雪影の体から力が立ち上り、蓮華の中へ入っていった。
蓮華の左手の甲に、つぼみ状態の彼岸花の文様が浮かび上がる。
唇を話した後、雪影は蓮華を解放する。起き上がった蓮華は文様が現れた自分の左手の甲を見る。
蓮華(花の蕾の文様…湊本分家の異能か。無能だったのは、前世で力を渡していたからだったんだな。だが…)
蓮華は力を確かめるために、手の平を閉じたり開いたりする。
蓮華(さすがに鬼の怪力は戻らないか…まあ、異切があれば十分だ)
蓮華は横に落ちていた異切を掴みながら顔を上げ、雪影の顔色が悪いことに気がついた。
蓮華「雪影? 大丈夫か――」
そのとき廊下からバタバタと駆け足が聞こえ、鬼の夏羽(なつは)が執務室に飛び込んで来た。
夏羽「お話し中、失礼します! 雪影様、北七通りで『錯乱病(さくらんびょう)』の報告が!」
その言葉を聞き、一転して真剣な表情で夏羽の方を向く雪影と蓮華。

○北七通り・茶屋の前
茶屋や万屋などの商店が建ち並ぶ繁華街。茶屋の料理人の格好をした妖狐の男(清彦(きよひこ))が、両手で頭を抑え、体から黒い霊力を立ち上らせて取り乱している。通行人の妖怪や人間たちはみな、恐ろしげな顔で遠巻きに彼の様子を見ている。
清彦「うう…あああ…。違う、私が愛しているのは違うのに…!」
駆けつけた蓮華・雪影・夏羽は、清彦の様子を見て深刻な顔をする。
雪影「これは…かなりまずいな」
苦しむ清彦の姿を映しながら、
N〈『錯乱病』――精神が錯乱し、力を暴走させてしまう妖怪の病で、ここ最近患者が急増している〉〈その原因は湊本家の術の影響。無理やり作られた愛情が、本来の心と噛み合わず、拒絶反応を起こすのだ〉
帝都の秘密を知る人々。湊本家の本家・分家の人間(代表して永勝・薫子・桃花)、かつての煉華の仲間(代表して雪影)、葛葉家(代表して京弥)の顔をそれぞれ映す。
N〈しかし術の存在は、大衆に隠されている。知っているのはまつりごとを行う中央の人々、術をかけた湊本家、かつて私と共に戦った妖怪たち、そして錯乱病の対処に携わる葛葉家だけだ〉〈故にこの病も、巷では原因不明とされている〉
蓮華は持って来た異切の柄を握り、刀を抜く姿勢を取る。
蓮華「だが、これならまだ引き戻せる」
完全に正気を失った清彦が、蓮華たちに向けて飛びかかってくる。
清彦「ああああああああ!!」
蓮華(まずは傷つけないよう、動きを止めなければ)
蓮華「雪影、術を使え!」
雪影が右手をあげ、氷の力を使おうとする。だが一瞬空気が冷たくなった程度で、それ以上はなにも起こらなかった。
蓮華「雪影!?」
雪影「くそ…やっぱりか」
悔しげな顔をする雪影。そこに清彦の狐火が降り注ぐ。
蓮華は舌打ちをしながら異切を抜き、狐火を切り裂く。異切に触れた狐火は、全て消えていった。
蓮華(異切は相手を切らず、異能や術だけを切る妖刀。こいつがあれば…!)
蓮華は異切を構え、清彦から放たれる狐火を切りながら彼に近づく。
そして清彦の腹に拳を入れた。殴られた清彦は気を失い、どさりと倒れる。

   ×××

しばらく後。辺りには普段と同じような活気が戻っている。
正気に戻った清彦を、薬師でもある夏羽に任せている雪影。
一通り指示を出した後で戻ってきた雪影を見上げ、蓮華は、
蓮華「…さっきのは、説明してもらうからな」
雪影「……はい」
気まずそうに目をそらしながら頷く雪影。

○雪影の屋敷・縁側(夜)
庭に面する縁側に、蓮華と雪影が並んで座っている。
蓮華「力が、戻っていないだと?」
顔をしかめる蓮華に、雪影は頷く。
雪影「200年前の戦いの後遺症のようでして。今までは煉華様にお借りした力を使ってなんとかしてきましたが、今日あなたにお返ししましたから」
蓮華「なら、返さなくてもよかったのに」
雪影「いえ、そういうわけにはまいりません」
蓮華「はぁ…律儀なところは相変わらずだな」
雪影「性分ですので」
雪影はため息をつく蓮華の右手をとり、
雪影「それに煉華様が戻られた今、もはや俺は必要ありません」
手の甲に軽く口付ける。
雪影「――今、帝都の術は弱まっています。錯乱病が増えているのもその影響。そのため湊本本家は、半年後に術の張り替えの儀式を行う予定です」「今の当主は才能もなく、俺が煉華様の側近だったことも知らずに女を送りつけてくる阿呆です。儀式に乗じて術の発動場所を知るのも容易いでしょう」
蓮華「…何が言いたい」
雪影「煉華様。あなたが術を壊して妖怪を解放し、再び彼らを導くのです。元々は俺がやろうと計画していましたが、今はあなたにこそ相応しい」
不敵な笑みを浮かべる雪影に、目を見張る蓮華。
蓮華(妖怪たちの解放…ずっと望んでいたことだ。だが…)
蓮華は彼岸花のつぼみの文様が浮かんでいる左手を見て、悔しげな顔をする。
桃花と母親の顔の絵と、2話序盤、雪影に力を戻されても怪力は戻っていなかった時の絵を描く。(自分が湊本であり、桃花の代わりとしてこの場にいること、鬼の怪力も失っている事実を思い出している)
蓮華「…協力はしよう。ただし条件が二つある」
雪影「なんなりと」
蓮華「一つは実家に資金援助を。忘れているだろうが、お前の婚約者になるのは『湊本桃花』という名の娘だっただろう」
雪影「ああ…そういえばそうでした。その名が今世でのあなたの名前ですか?」
蓮華「いや。それは妹の名で、私は『蓮華』だ。妹は病弱な上に恋人もいるから、私が代わりになってな」
雪影「まさか、煉華様を身代わりに…?」
怒りを滲ませる雪影に、蓮華はため息をつく。
蓮華「落ち着け、私は自ら進んでここにきたんだ。妹の体に大事があってはいけないだろう」
雪影「なるほど、さすがは煉華様。昔と変わらずお優しい」
ころっと笑顔になる雪影に、蓮華は呆れながら、
蓮華「とにかく。湊本分家は父を亡くしてから困窮している。生活費と妹の薬を買うために、金が必要なんだ」
雪影「わかりました。煉華様が思われる方のためなら、いくらでも金を出しましょう」
蓮華「…ありがとう」
蓮華がほっと息をつく横で、雪影は首をかしげる。
雪影「で、もう一つの条件は」
蓮華「それは…」
蓮華は雪影をまっすぐ見上げて、
蓮華「計画を主導し、妖怪を導く役目を、雪影――お前が負うことだ」
雪影「は…?」
雪影は困惑しながら蓮華に問う。
雪影「何故ですか。煉華様以上に、頭に相応しい者はいないのに」
蓮華「私は『湊本蓮華』であって、『紅蓮の鬼姫・煉華』ではない」
蓮華の言葉の意味を理解し、衝撃を受ける雪影。蓮華は彼岸花の文様のある手の甲を眺めながら、悔しげに、
蓮華「人間の――それも帝都へ術をかけた湊本の血筋に生まれた私は、妖怪たちを導くに相応しくない。…悔しいが、な」
蓮華は顔をあげ、雪影を奮い立たせるよう笑みを浮かべる。
蓮華「だから雪影、お前がやるんだ。私はそれを手伝おう」
雪影「で、ですが…俺には無理です」
雪影は戸惑いながら首を振る。
雪影「力を失った俺では、術の破壊はおろか、湊本と戦うことも…」
蓮華「それについては心配いらない」
蓮華はふっと笑って立ち上がり、自分の唇を噛んで傷つけ、たらりと流れた血を親指で拭う。
そして訳がわからないという顔をしている雪影の唇へ、紅のように自分の血を塗る。
唇についた血を、反射的に舌で舐める雪影を見て、蓮華は満足げに笑った。
蓮華「これで――契約成立だ」
蓮華の左手の甲にある彼岸花のつぼみの文様が、ぼうっと赤く輝いた。