魔女の呪文

父と母はあからさまに胸を撫でおろした。僕はその後も学校に通い続け、2年後、家族揃って日本へ戻った。そして、僕に妹が出来た。あれほどまでにののしり合っていた夫婦にどうしたら子供が出来るのか。僕の人生における最大の謎は解けぬままだ。大学を出て、職を得て、恋人と暮らし始めて、僕は息のつける場所を見つけた。随分時間がかかったものだと思う。左手を洋服で隠しがちな癖は未だに抜けない。時々、晴れた休日、恋人とベランダでピクニックをする。


甘い物が苦手な恋人はバナナブレッドなんて作らない。今、ベランダで飲むのはコーラではなく、もっぱらホットコーヒーだ。


「多生はとても幸運だね」
「うん?」


イギリスでの一連の出来事を話し終えた後、恋人が膝にかけたブランケットを引き寄せて言った。


「私も会いたかった。その魔女に。そしてあなたにしたみたいに私にも呪文を唱えて欲しかった」