「先生、クロがおらんっ!!」
冬休みが明けてすこし経った1月下旬のこと。
私立高校に進学する人は受験を終え、僕を含め、公立高校に進学する人は勉強に追われていたときだった。
いつもなら教卓の上で丸くなっているはずのクロ。その姿が見えなかった。
坂本先生は「え?」と小さく声を発して、朝の会もそっちのけでクロを探し始めた。
どこにもいなかった。
ストーブの音だけが、教室に響いていた。
「——最初は教室で飼っていたけれど、途中からうちに連れて帰るようになっとった。教室は誰もいなくて寂しいし、何より寒い。今朝だって、餌をしっかり食べて、一緒に学校まで来たんよ」
6時間目の学活は、ひどく重たい空気に包まれていた。
悲しそうな坂本先生は、教卓に両手をついて頭を下げる。小さく発せられた言葉は、ひどく震えていた。
教卓には、クロの姿がない。
クロが使っていたクッションだけが、静かに置かれていた。
「先生、クロどこ行ったん?」
春太が声を上げれば、釣られるように健作も声を上げる。
「卒業式、一緒に出れるんじゃないの!?」
みんなが騒いでいた。
明菜をはじめとする女子たちは、みんな泣いていた。
窓の外では、相変わらず雪が降っている。
白い景色だけが、何も変わらないままだった。
◇
それからもクロは姿を現さなかった。
公立高校の受験も終わり、全員の進学先が決まった。
僕は市の中心部にある工業高校に進むことにした。
この春から、全員が西黒沢を離れる。
春なんて、来なければいいのにとずっと思っていた。それでも無情に、春はやってくる。
3月中旬。桜が咲くにはまだ早い時期に、僕たちの卒業式と、終業式、西黒沢中学校の閉校式がすべて同時に行われた。
卒業生10人と、1・2年生、先生たち、保護者、近所の人たち。
中学校の体育館がいっぱいになるくらい、たくさんの人が集まった。
みんな泣いていた。
近所の人が呟いていた「これでまた、西黒沢が静かになってしまう」という一言。
僕はその言葉が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
すべての式を終えたあと、僕たちは教室に戻った。
涙目のみんなと最後の時間を過ごす。
坂本先生は誰よりも泣いていた。そして教卓に置かれたままのクッションに手を触れ、震える声で言葉を告げた。
「クロはどこかで元気にしている。君たちと過ごした時間のこと、忘れてないはず。だから君たちも、先生もそう。みんな、クロのこと忘れんようにしようや。みんな、覚えとこうな」
すすり泣く声が響く。
誰もがクロと過ごした日々を思い出しているのだと思った。
僕もそのひとりだった。
クロのおかげで、進学先を決める決断ができた。
クロがいたから、これから先も、頑張って進むことができる。
「……それなのに僕、ありがとうもまたねも、何も言えてない」
クロが急にいなくなったから。
僕たちの目の前から、消えてしまったから。
クロは僕たちをたくさん助けてくれたのに、そのお礼も言えないままだ。
「……クロ」
白い景色は、いつの間にか薄れていた。
雪の代わりに、柔らかい光が降り注いでいる。
卒業は、終わりじゃない。
きっと、続いていく。
僕は、歩いていく。
クロと西黒沢で過ごした短い日々を、ちゃんと胸にしまったまま。



