中学3年生の秋といえば、高校の進学先を決める時期だ。
ほとんどの同級生はどこに行くかを決めていた。
決めていないのは、僕だけだった。
この西黒沢地区には、あたりまえだけど高校なんてない。
いちばん近くて、車で1時間半の場所にある普通科の高校。それ以外となると、市の中心部まで行かなければならない。
だから、同級生のほとんどが実家を出て、ひとり暮らしを始めるらしい。
西黒沢から、出て行く覚悟を決める。
そんな大事な時期に差し掛かっているのに、僕はまったく結論を出すことができなかった。
「……クロは、どこから来たん? 僕たちが卒業したら、クロはどこに行くん?」
放課後の教室。僕はクロを自分の机に座らせて、お話をしていた。
机の上で丸くなっていたクロが、ゆっくりと尻尾を揺らした。
窓の外では、風が校庭の砂をさらっていく。
クロはもちろん答えない。ただ、そこにいるだけだった。
ある日突然現れた黒猫は、ご飯にありつけなかったのか、かなりやせ細っていた。逃げる様子はなくて、いつまでも3年1組の教室に居座る。
困り果てた坂本先生は他の先生に相談をして、猫を飼っている人から餌をすこしだけ分けてもらうことにした。
黒猫がやってきて2日後。ようやく用意できた餌を差し出すと、ものすごい勢いで平らげた。ゴロゴロと喉を鳴らして、坂本先生に擦り寄る。野良だったとは思えないくらい、人懐っこかった。
坂本先生がクラスで飼うと決め、教頭先生や校長先生に相談した。すると、逃げない限りは飼い続けてもいいと許可を出してくれたらしい。
その翌日の学活で、動物を飼うことの責務と気を付けることなどを勉強した。教卓の上であくびをする呑気な黒猫とは裏腹に、僕たち3年1組は真剣だった。
誰もが〝命を守る〟覚悟を決めた瞬間だった。
「クロは黒猫だからクロって名前やけど、気に入ってる?」
「んにゃーん」
「そうなん」
クロがなんて言っているのかわからないけれど、なんとなく会話ができているような気がして、思わず口角が上がる。
頬杖をついて、窓の外を見た。
みんなでサッカーをしたグラウンドは、怖いくらい静まり返っていた。
街灯もすこししかないこの場所では、陽が落ちると途端に真っ暗闇になる。最初は怖かったけれど、慣れればなんてことはない。
視線を戻して、ゆらゆらと揺れるクロの尻尾を眺める。すると、教室の扉がゆっくりと開く音がした。
「和政、帰らんの?」
「坂本先生」
先生の方に向かって軽く一礼すると、微笑みながら中に入ってきた。
木の床がギシギシと音を立てる。
いつか抜けるかもしれない。なんて笑いながら、みんなでわざとジャンプをした床だけど、あたりまえだがそう簡単に抜けることはない。
「ねぇ先生」
「ん?」
「僕は、西黒沢から出たくないんよ。でも、親に送迎をしてもらうのも難しそう。高校行くには、学校の近くでひとり暮らししないといけん。それがイヤ」
ずっと胸の内に抱えていた、素直な気持ちだった。
僕はクロの背中を優しく撫でながら、軽く目を伏せる。
すると先生は僕の隣に座って、同じようにクロに触れた。ふたりで、クロを撫でる。居心地のいい時間だった。
「和政も知っとると思うけど、今年度で西黒沢中学校は廃校になる。今の1、2年生は、違う中学校にバス通学をすることになるんよ」
「……」
もちろん知っていた。
僕たち10人が、西黒沢中学校にとって〝最後の〟卒業生となる。
周辺にある中学校6校が統合して1校になる。それこそ、車で1時間半かかる場所にある高校と隣接しているのだ。
この統合は小学校も同時に行われるらしい。
西黒沢の子供たちは、すこし離れた場所に行ってしまう。避けては通れない現実だった。
「少子化が激しいから、学校を統合するって話になるのは仕方ないんよね。この西黒沢地区も〝限界集落〟って呼ばれとるけど、やっぱみんな、大きくなったら都会に行くもんじゃん。都会の便利さ知ったら、田舎には帰って来んのよ」
「……」
坂本先生の言うことは事実だった。
進学を機に西黒沢を離れたかつての先輩たちは、誰ひとりとしてここに戻ってきていない。
長期休みを利用して、実家に帰ってくる人もいた。そのたびに顔を合わせて、近況報告をしたり、都会の話を聞いたりもした。
どの話も新鮮で面白かった。
でもみんな口を揃えて『都会に住むと、西黒沢にはもう戻れない』と笑うんだ。
都会はすこし歩くだけで電車に乗れるし、コンビニだってある。
人はそれを『便利』『生活がしやすい』と言って、比較で西黒沢を『空気が綺麗』『静かで穏やか』『でも生活するには不便』だと言う。
だからこそ、余計に悔しかった。
生まれ育った西黒沢を悪く言われるなんて耐えられない。
たしかに田舎だ。電車なんてないし、路線バスも1日に多くて3本しか通らない。
コンビニどころか、商店すらも近くにはない。
でも僕がなぜ西黒沢に残りたいのか。その明確な理由はわからなかった。
ただ、頑なに都会には住みたくなかった。
「ねぇ先生。小中学校のバスに、高校生は乗れんの?」
「んー、乗れんの。市と県で管轄が違うから」
「……同じ場所行くのに。ホント、大人の世界って縦割り」
「耳が痛いねぇ」
大人しく机の上に座ったままのクロを、優しく撫でる。
心地良さそうに目を細めると、喉をゴロゴロと鳴らし始めた。
教室の時計が、コツンと小さな音を立てる。
時間は、ゆっくりと確実に進んでいた。



