お祭りの翌朝、陽だまり亭に向かうために朝早く起きると、お母さんが朝食の用意をしてくれていた。
私の好きなスクランブルエッグ。お姉ちゃんはあんまり好きじゃないから、家では食べたことがないかも。昔家族で行った旅行先のホテルで食べたのだ。美味しかった。
「おはよう望、今日もお出かけ?」
「うん、家にいると邪魔になっちゃいけないし。それに私がいると助かるっていってくれる人たちがいるから」
「そう。ねぇ望」
「なぁに?」
朝ご飯を食べながらお母さんの方へ顔を向けると、お母さんは少し寂しそうな顔をしていた。
「ううん、なんでもないの、いってらっしゃい、気を付けて」
「うん、ご馳走様。美味しかったよ」
支度を整えて、家を飛び出す。住宅街を抜けて入り込んだ森の中は昨夜の賑わいを少しも残していない。いつものようにひっそりと、穏やかな空気が流れている。
「おはようムーン」
社ではムーンが木漏れ日の中で転がっていた。眠そうにしている。私は昨日の夢のような出来事をムーンに話してみることにした。
「昨日はね、最高の夜だったんだけど、実は夢だったんじゃないかなって思うの。家に帰る前、魔法が解けるみたいに服装が戻ってたんだ。浴衣、スミレさんに返さなきゃいけなのに、やっぱり夢だったのかな?」
浴衣をスミレさんに返さなくてはいけないことを思い出した私は少し慌てたけれど、夢だったとしたらそもそも浴衣自体存在しないのだ。
私があたふたしていると、ムーンはすっと体を起こして森の奥へ優雅に歩いていく。途中私を振り返った。
「ついて来いっていってる?」
私はムーンの後を追いかけるように森の奥へと歩みを進めた。
ムーンは軽やかにお店に入ってしまう。そういえば、前もムーンはお店の窓から中に入り込んだはずなのに、陽だまり亭の中にはいなかった。気まぐれだから、違う窓から外に出て行ってしまったのかも。
「おはようございます!」
お店の扉を開けても、ムーンの姿はなかった。代わりにマスターと小麦君が笑顔で迎えてくれる。
「おはよう望! 昨日は楽しかったね」
「よかった、夢じゃないかって思ったの。気が付いたら浴衣を着替えてたから」
「浴衣ならお店にあるよ。スミレさんに返さないといけないだろう?」
「良かった無くしてたらどうしようかと思った」
浴衣がちゃんとあったことと、昨日のことが夢ではなかったことに安堵して、私はカフェの制服に着替える。
一月しか働けない私のために、マスターと小麦君が用意してくれたのだ。また夏休みが終わってしまうのがとても寂しい。二学期が始まってからも時々お店にお客としてきたいな。冬休みにもまた働かせてもらおう。なんてことを考える。
夏休みが半分過ぎて、日に日にお店に通える日が少なくなっていくことが悲しくてたまらなかった。
私の居場所はここなのだと思う。このお店が、私が一番私らしくいられるん場所なのだ。
「望、金魚の水槽どこに置こうか?」
「わぁ可愛い水槽! カウンターの端っこがいいんじゃないかな? ここなら下に落ちないし」
丸っこい水槽を私と小麦君はカウンターの端に置く。
「あぁ、いいね。癒される」
マスターも優雅に泳ぐ可愛らしい金魚を見ながら目を細めた。
「今日は一年で一番お店が混む時期なんだ。二人とも、今日はよろしく頼むよ」
「はい!」
小麦君と声を合わせて頷きあう。マスターがそういったそばからお店の扉が開いてたくさんのお客さんが入ってきた。
常連さんだけじゃなくて、一見さんもたくさん。今日は店内だけじゃなくて、外にも席を出しているのですごく忙しくなりそうだ。
「おはよう。望ちゃん、昨日は楽しかった?」
「あ、スミレさん! 浴衣ありがとうございました! あとでお返しします」
「今日じゃなくて大丈夫よ。今日は里帰りの人が多くて忙しいでしょう?」
スミレさんはいつもの席に座ってコーヒーをオーダーした。今日も旦那さんを待っているらしい。スミレさんの旦那さん、会ったことないけれどどんな人だろう。きっとスミレさんとお似合いの、ロマンスグレーの素敵なおじさまだと思う。
「望、外の席にカプチーノサーブして! それから満月シフォン切り分けてくれる」
「はい!」
「望ちゃん、こっちも運んであげて」
「店員さん、お会計お願い」
お店の外に行列ができてる。いったいどこからこんなにお客さんが来てるんだろう。同じ町の人かなって思うんだけど、見たことのある人は一人もいない。
「忙しかった……」
「なー! 大変だった」
閉店後、思わずカウンターの椅子に座りこむ。足がくたくただ。
疲れたけど、とても楽しかった。
「お疲れ様、望ちゃん、小麦君、アイスコーヒー淹れたよ。特別にアイスクリームものせてあげよう」
「わぁ! ありがとうございます、マスター!」
小麦君と私の前に、アイスコーヒーが置かれる。その上にポコンと丸く掬い取られたアイスがのる。
「お月様みたい! 満月アイスコーヒー、なんてどうですか?」
トロリと溶けたアイスクリームが、夜空に浮かぶ満月みたいだ。
「それいいな! メニューに加えようぜマスター」
「それなら期間限定メニューにしようかなぁ」
マスターの声に、小麦君がパチンと指を鳴らす。
「望、メニュー表一緒に作ろう。イラスト描いたりしてさ。望、絵描くの好きだろう?」
「それ楽しそう! イラスト描くの大好きだよ。だけど……いいんですか?」
私は視線を小麦君からマスターに移す。マスターは頷いた。
「いいよいいよ、そういうの大歓迎だ。でも今日はもう遅いから、アイスコーヒーを飲んだらお帰り。作業は明日からね」
「じゃぁ明日マーカーとか色々持ってきます!」
あっという間に帰る時間が来る。もっともっとここにいたいと思ってしまう。私の居場所はきっとここなのだ。家には帰りたくない。
「望、森のはずれまで送るよ」
「小麦君も帰らなきゃいけないでしょう?」
「俺は男だから一人でも大丈夫。送りたいんだ、望のこと」
そういわれたら断るのも忍びない。それに、私ももう少し小麦君と一緒にいたいと思うから。
帰り支度を終えて二人で森の小道を歩いていく。日暮れの森の中は少しずつ暗がりが増えるのでちょっと心細い。家に帰らなきゃいけないと思うと足取りも重くなる。だから余計に隣を歩く小麦君の存在がとても頼もしかった。
「望、俺はさ、もっともっと自分の気持ちを表に出していいと思うんだ。望の抱えている思いをさ。家族に必要以上に遠慮しなくていいんじゃないかなって思う」
突然小麦君がそんなことを話始めた。どうして、小麦君には伝わってしまうのだろう。私の言葉にできない気持ちが。
「遠慮してない……っていいたいけど、ちょっと遠慮してるかも。特にお姉ちゃんとか、怖くって。ううん、お姉ちゃんが怖いんじゃなくて、お姉ちゃんと喧嘩したら家の中で一人になる気がして。お姉ちゃんの悲しい気持ちとか、悔しい気持ちとかもちょっとわかるし」
「姉ちゃんの気持ちも大事だけど、望の気持ちも大事だ。もしもそれでもうまくいかなかったら、逃げたっていい。俺が森の向こうへ連れて行ってやるから」
「森の向こう?」
「そう、俺の住んでる町があるから。陽だまり亭で働きながらさ、一緒に暮らそう。そうしていつか二人の店を開くんだ」
小麦君の優しさが、心にじんわりと広がる。私は嬉しくなって笑顔になる。鼻の奥が、ツンとしていたい。
「私たち子供だよ」
「森の向こうなら大丈夫さ」
「なにそれ、でも、ありがとう。ちょっと元気でた。逃げる場所があるって思えるだけで心が軽くなるかも」
「約束だ望、自分を殺さないって」
小麦君の小指に自分の指を絡める。昨日もしたおまじない。もうすぐ森のはずれが来る。でも大丈夫だ、小麦君のおかげで心が軽くなったから。
「まぁ明日」
「またな」
手を振る私に、小麦君も片手をあげて応えてくれる。空にうっすらと浮かんでいた月が輝き始めた。満月を過ぎた月が、家路につく私を守るように照らしてくれる。
私の好きなスクランブルエッグ。お姉ちゃんはあんまり好きじゃないから、家では食べたことがないかも。昔家族で行った旅行先のホテルで食べたのだ。美味しかった。
「おはよう望、今日もお出かけ?」
「うん、家にいると邪魔になっちゃいけないし。それに私がいると助かるっていってくれる人たちがいるから」
「そう。ねぇ望」
「なぁに?」
朝ご飯を食べながらお母さんの方へ顔を向けると、お母さんは少し寂しそうな顔をしていた。
「ううん、なんでもないの、いってらっしゃい、気を付けて」
「うん、ご馳走様。美味しかったよ」
支度を整えて、家を飛び出す。住宅街を抜けて入り込んだ森の中は昨夜の賑わいを少しも残していない。いつものようにひっそりと、穏やかな空気が流れている。
「おはようムーン」
社ではムーンが木漏れ日の中で転がっていた。眠そうにしている。私は昨日の夢のような出来事をムーンに話してみることにした。
「昨日はね、最高の夜だったんだけど、実は夢だったんじゃないかなって思うの。家に帰る前、魔法が解けるみたいに服装が戻ってたんだ。浴衣、スミレさんに返さなきゃいけなのに、やっぱり夢だったのかな?」
浴衣をスミレさんに返さなくてはいけないことを思い出した私は少し慌てたけれど、夢だったとしたらそもそも浴衣自体存在しないのだ。
私があたふたしていると、ムーンはすっと体を起こして森の奥へ優雅に歩いていく。途中私を振り返った。
「ついて来いっていってる?」
私はムーンの後を追いかけるように森の奥へと歩みを進めた。
ムーンは軽やかにお店に入ってしまう。そういえば、前もムーンはお店の窓から中に入り込んだはずなのに、陽だまり亭の中にはいなかった。気まぐれだから、違う窓から外に出て行ってしまったのかも。
「おはようございます!」
お店の扉を開けても、ムーンの姿はなかった。代わりにマスターと小麦君が笑顔で迎えてくれる。
「おはよう望! 昨日は楽しかったね」
「よかった、夢じゃないかって思ったの。気が付いたら浴衣を着替えてたから」
「浴衣ならお店にあるよ。スミレさんに返さないといけないだろう?」
「良かった無くしてたらどうしようかと思った」
浴衣がちゃんとあったことと、昨日のことが夢ではなかったことに安堵して、私はカフェの制服に着替える。
一月しか働けない私のために、マスターと小麦君が用意してくれたのだ。また夏休みが終わってしまうのがとても寂しい。二学期が始まってからも時々お店にお客としてきたいな。冬休みにもまた働かせてもらおう。なんてことを考える。
夏休みが半分過ぎて、日に日にお店に通える日が少なくなっていくことが悲しくてたまらなかった。
私の居場所はここなのだと思う。このお店が、私が一番私らしくいられるん場所なのだ。
「望、金魚の水槽どこに置こうか?」
「わぁ可愛い水槽! カウンターの端っこがいいんじゃないかな? ここなら下に落ちないし」
丸っこい水槽を私と小麦君はカウンターの端に置く。
「あぁ、いいね。癒される」
マスターも優雅に泳ぐ可愛らしい金魚を見ながら目を細めた。
「今日は一年で一番お店が混む時期なんだ。二人とも、今日はよろしく頼むよ」
「はい!」
小麦君と声を合わせて頷きあう。マスターがそういったそばからお店の扉が開いてたくさんのお客さんが入ってきた。
常連さんだけじゃなくて、一見さんもたくさん。今日は店内だけじゃなくて、外にも席を出しているのですごく忙しくなりそうだ。
「おはよう。望ちゃん、昨日は楽しかった?」
「あ、スミレさん! 浴衣ありがとうございました! あとでお返しします」
「今日じゃなくて大丈夫よ。今日は里帰りの人が多くて忙しいでしょう?」
スミレさんはいつもの席に座ってコーヒーをオーダーした。今日も旦那さんを待っているらしい。スミレさんの旦那さん、会ったことないけれどどんな人だろう。きっとスミレさんとお似合いの、ロマンスグレーの素敵なおじさまだと思う。
「望、外の席にカプチーノサーブして! それから満月シフォン切り分けてくれる」
「はい!」
「望ちゃん、こっちも運んであげて」
「店員さん、お会計お願い」
お店の外に行列ができてる。いったいどこからこんなにお客さんが来てるんだろう。同じ町の人かなって思うんだけど、見たことのある人は一人もいない。
「忙しかった……」
「なー! 大変だった」
閉店後、思わずカウンターの椅子に座りこむ。足がくたくただ。
疲れたけど、とても楽しかった。
「お疲れ様、望ちゃん、小麦君、アイスコーヒー淹れたよ。特別にアイスクリームものせてあげよう」
「わぁ! ありがとうございます、マスター!」
小麦君と私の前に、アイスコーヒーが置かれる。その上にポコンと丸く掬い取られたアイスがのる。
「お月様みたい! 満月アイスコーヒー、なんてどうですか?」
トロリと溶けたアイスクリームが、夜空に浮かぶ満月みたいだ。
「それいいな! メニューに加えようぜマスター」
「それなら期間限定メニューにしようかなぁ」
マスターの声に、小麦君がパチンと指を鳴らす。
「望、メニュー表一緒に作ろう。イラスト描いたりしてさ。望、絵描くの好きだろう?」
「それ楽しそう! イラスト描くの大好きだよ。だけど……いいんですか?」
私は視線を小麦君からマスターに移す。マスターは頷いた。
「いいよいいよ、そういうの大歓迎だ。でも今日はもう遅いから、アイスコーヒーを飲んだらお帰り。作業は明日からね」
「じゃぁ明日マーカーとか色々持ってきます!」
あっという間に帰る時間が来る。もっともっとここにいたいと思ってしまう。私の居場所はきっとここなのだ。家には帰りたくない。
「望、森のはずれまで送るよ」
「小麦君も帰らなきゃいけないでしょう?」
「俺は男だから一人でも大丈夫。送りたいんだ、望のこと」
そういわれたら断るのも忍びない。それに、私ももう少し小麦君と一緒にいたいと思うから。
帰り支度を終えて二人で森の小道を歩いていく。日暮れの森の中は少しずつ暗がりが増えるのでちょっと心細い。家に帰らなきゃいけないと思うと足取りも重くなる。だから余計に隣を歩く小麦君の存在がとても頼もしかった。
「望、俺はさ、もっともっと自分の気持ちを表に出していいと思うんだ。望の抱えている思いをさ。家族に必要以上に遠慮しなくていいんじゃないかなって思う」
突然小麦君がそんなことを話始めた。どうして、小麦君には伝わってしまうのだろう。私の言葉にできない気持ちが。
「遠慮してない……っていいたいけど、ちょっと遠慮してるかも。特にお姉ちゃんとか、怖くって。ううん、お姉ちゃんが怖いんじゃなくて、お姉ちゃんと喧嘩したら家の中で一人になる気がして。お姉ちゃんの悲しい気持ちとか、悔しい気持ちとかもちょっとわかるし」
「姉ちゃんの気持ちも大事だけど、望の気持ちも大事だ。もしもそれでもうまくいかなかったら、逃げたっていい。俺が森の向こうへ連れて行ってやるから」
「森の向こう?」
「そう、俺の住んでる町があるから。陽だまり亭で働きながらさ、一緒に暮らそう。そうしていつか二人の店を開くんだ」
小麦君の優しさが、心にじんわりと広がる。私は嬉しくなって笑顔になる。鼻の奥が、ツンとしていたい。
「私たち子供だよ」
「森の向こうなら大丈夫さ」
「なにそれ、でも、ありがとう。ちょっと元気でた。逃げる場所があるって思えるだけで心が軽くなるかも」
「約束だ望、自分を殺さないって」
小麦君の小指に自分の指を絡める。昨日もしたおまじない。もうすぐ森のはずれが来る。でも大丈夫だ、小麦君のおかげで心が軽くなったから。
「まぁ明日」
「またな」
手を振る私に、小麦君も片手をあげて応えてくれる。空にうっすらと浮かんでいた月が輝き始めた。満月を過ぎた月が、家路につく私を守るように照らしてくれる。



