言の葉の泡

2025-12-20
『罪な男』

そんなに勘違いさせるのなら
付き合ってくれればいいのに。

罪な男だった。

付き合っているわけではないのに
まるで付き合っているかのような
雰囲気を漂わせるのが凄く上手い。

つい先日のこと。

その人と2人きりでご飯に行った。
私が以前、好きだと言った場所に。

予約をしてくれていて
何もかもがスムーズに
流れゆくから身を任せ。

「ここ、私好きなんですよ」と言った。
「知ってる、前言ってたよね」と男性。

当たり前のようにソファ席を譲られ
注文もしてくれるから気も楽になり。

飲む気なんてなかったのに
調子に乗ってお酒を飲んだ。

弱いくせに、麦酒なんて頼んで。
男性も同じものを頼んでくれた。

「君だけに飲ませるわけにはいかないからね」
そんな台詞さえも甘くて好きになってしまう。

注文していた唐揚げが届いた。
香ばしい匂いがぷんぷんする。

「お先にどうぞ」と言われ
私は唐揚げをお皿に移した。

そしてガブッと頬張り
中から溢れ出る肉汁を
これでもかと喉に通す。

揚げたてだった。

「熱っ」と小声で言った私に対し
「大丈夫?」と言いながらも笑う。

目尻に皺ができるほど笑う人だった。
思わず、見惚れてしまいそうになる。

お皿を机に置いて
麦酒を口に含んだ。

「大丈夫です!」と男性に言って
「食べてみてください」と勧める。

「どれどれ」と言いながら
男性は唐揚げを皿に移して
「ガブ」という音を立てて
唐揚げを一気に口に入れた。

「絶対に熱いですよ」と私は言ったけれど
「そんな熱くないよ」と熱そうに言う男性。

可笑しくって笑ってしまった。
男性はすぐに麦酒を口に含み。

冷えた麦酒で口内の熱を冷ました。
さっきの私と同じみたいで嬉しい。

「君が好きって言ってたお店だったから」
「俺も密かにワクワクしていたけれどさ」
「こんなに美味しいなら好きになるわな」
「俺もこのお店好きになった、両思いだ」

返す言葉が見つからなかった。
嬉しいには変わりないのだが。

「両思いってことは?」と期待してしまう。
きっと私と男性の間には齟齬が生じている。

罪な男だよ、本当に。
付き合ってないのに。

お会計のとき「ここは出すからさ」と言われ
「後でアイスでも買ってよ」と男性は言った。

きっと奢り奢られ論争のことなど
気にもしていないような素振りで。

お店を出て、アイスを買おうかと
「コンビニ行きますか」と聞くが
「明日早いから今日はごめん」と
男性は言って駅のほうへと走った。

置いてけぼりの私はコンビニに行き
いつもは買わない高いアイスを買い
誰もいない公園の隅にあるベンチに
腰を下ろしてアイスを掬って食べた。

勿論、美味しかったのだけれど
味も忘れるほど私は泣いていた。

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