──四月も半ばを過ぎて。


授業やクラスの雰囲気にも少しずつ慣れてきた。

それでも「遅れないように」と、プリントを胸に抱えた足取りは、どこか急いてしまう。


──移動教室の廊下。


チャイムが鳴り終わったばかりで、生徒たちの足音と声が入り混じっている。

その中で、抱えていたプリントの束から、一枚がひらりと落ちた。


「あっ……!」


しゃがもうとした瞬間、横から伸びた手が先に拾う。


「ドジだな、翠ちゃん」


振り返れば、大和くんがにかっと笑って立っていた。


「……ありがとう」


少し気恥ずかしくなりながらも受け取る。

大和くんはそのまま当然のように隣に並んで歩いていく。


「次の教室、こっちだろ? 一緒に行こう?」

「う、うん……」


何でもないやり取りなのに、肩が自然に軽くなった。

でも、その距離感の近さに、少しだけ落ち着かなくなる。


──その時。


別の校舎の窓からこちらを眺めていた煌大の視線が、ふと止まった。

片手で鞄を持ちながら寄りかかる姿は、いつも通りの余裕に見える。

けれど、その瞳の奥ではわずかな揺らぎが生まれていた。

翠は気づかない。

ただプリントを胸に抱きしめ、何も知らないまま歩き続ける。

その一瞬の違和感だけが、空気の隙間に取り残されていた。





──昼休み。食堂横の自販機。


財布をガサガサ探すけれど、小銭がなかなか見つからない。

スマホ決済もまだ登録してなくて、焦っていると――


「ほら、俺が出しとくって」


大和くんが自分のスマホをかざして、ピッと音が鳴った。


「えっ!? だ、だめだよ!」


慌てて止めようとする私に、大和くんは得意げに笑う。


「じゃあ次、なんか奢って。約束な?」

「も〜、ほんと調子いいんだから」


笑いながら返す私。

胸の奥が少しあたたかくなる。

そのやり取りを、後ろから明るい声が遮った。


「相変わらず仲いいね、二人」


振り返れば、美月先輩と、その隣に結城先輩。


「えっ!? そ、そんなことないです!」


慌てて否定する私の横で、大和くんはにやっと笑って、


「そうなんです、めちゃ仲良いんです、俺たち」


結城先輩は何も言わず、表情を変えなかった。

けれど、その瞳の奥ではわずかな揺らぎが生まれていた。

翠は気づかない。

ただ胸の奥に、説明できないざわめきだけを残していた。





──放課後の帰り道。


校門を出ると、自然に大和くんが隣に並んだ。


「翠ちゃんみっけ~! 一緒に帰ろ!」

「うん、いいけど……」

「やっぱ翠ちゃんといると落ち着くわ」


あまりに自然に言うから、思わず吹き出した。


「なにそれ〜。冗談でしょ?」

「本気だって」


真剣な瞳。

私は笑いながら受け流すしかなかった。

胸の奥に小さな違和感を残したまま。


──その時。


前方から自転車を押しながら歩いてくる結城先輩の姿。

ちらりとこちらを見て、低い声で言った。


「……大和、マネージャー困らせんなよ」

「え、困らせてませんよ!な、翠ちゃん?」

「えっ!? べ、別に……」


しどろもどろに答える私。

守られたような気がして、でも胸は落ち着かない。


大和くんは得意げに笑うけど、結城先輩は片眉を上げてにやりと笑った。


「そうか。ならいいけどな」


いつもの余裕をまとった声音。

けれどその奥に、ほんの少し違う色が混じっている気がした。


──その直後。


「煌大〜! あ、やっぱりいた!」


軽やかな声が響く。

振り向けば、美月先輩が駆け寄ってくる。


「一緒に帰ろ」


美月先輩が、当然のように結城先輩の隣に並ぶ。

結城先輩は一瞬こちらを見てから、何でもないように「行くか」とだけ言って歩き出した。

その横顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

けれどその理由を、自分でもうまく言葉にできなかった。