──翌日、体育館。


ボールの音と掛け声が反響して、床に反射する光が目にまぶしい。

汗とスポーツドリンクの匂いが混ざり合い、息を吸い込むだけで喉の奥が熱くなる。

ここにいると、体まで
練習に巻き込まれていくような気がした。

私はその空気に慣れたふりをしながら、
いつものようにタオルを並べ、水の準備をしていた。


「おはよ、翠ちゃん」


振り返ると、同じクラスでバスケ部1年の
大和友哉(やまとともや)が立っていた。


大和くんは、入部したばかりなのに、もうベンチ入りしている。

練習中の声も大きくて、先輩たちに混じっても堂々とプレーしている姿を、私は何度も見てきた。

そんな彼が、にかっと笑う顔は、体育館の光を跳ね返すように明るい。


「え?……あ、おはよう、大和くん」


昨日までは「長谷川さん」だったのに。

たった一言の違いなのに、胸の奥がふっと熱を帯びる。

呼び方が変わっただけで、こんなにも落ち着かなくなるなんて。

その変化を意識した瞬間、視線のやり場を失って、思わずタオルを握り直した。





──練習中。


タオルを運ぼうとしたら、大和くんがひょいっと持ち上げた。


「お、重そうだな。俺が持ってくわ」

「え、でも、これは私の役目だから」

「いいって。男の仕事でしょ、こういうの」


あっけらかんとした調子で言って、軽々と運んでいく。

その背中は頼もしいというより、
自由でのびのびしていて、思わず見とれてしまった。


「……ありがとう」


小さく礼を言うと、大和くんは「どういたしまして〜」と、軽口めかして笑った。

どうしてこんなに自然に笑えるんだろう。

私にはできないことだから、余計にまぶしく見える。

ほんの少し羨ましさすら混じって、胸の奥にもやが広がっていった。





──休憩時間。


水を配ろうとしたら、大和くんが先に差し出してきた。


「ほら、これ翠ちゃんのだろ。特別サービス」

「え、ありがとう……」

「お、照れてる? 俺、優しすぎるからな」

「ふふっ……変なの」


冗談っぽい空気。

けれど、その明るさが、体育館の熱気を少し和らげていた。

笑って返したつもりなのに、声がわずかに震えていた。

鼓動が速くなるのを抑えきれず、ペットボトルを握る手に余計な力がこもる。

ほんの些細なやりとりなのに、心が落ち着かない。

気づけば、隣にいる大和くんの存在が、やけに大きく感じられていた。





──そのとき。


コートの端にいる、結城先輩の視線に気づいた。

無言のまま、こちらを見ている。

視線が絡みそうになった一瞬、時間が止まったように感じた。

慌てて目をそらしたのに、頬の熱は下がらない。

胸の奥がじわりと熱を帯び、指先まで痺れるようだった。


(どうして……こんなに意識してるの?)


大和くんと笑い合っていたことなんて、もう頭から消えていた。

残っているのは、結城先輩の静かな眼差しだけ。

ただ見られただけなのに、心臓が痛いほど鳴っている。


(気のせい? でも、今の視線は――)


ほんの一瞬の出来事なのに、胸の奥に波紋が広がっていく。

そのざわめきの理由を、自分でもまだ言葉にできなかった。