──放課後の体育館。



練習が終わり、片付けの音が少しずつ静まっていく。

私はタオルを畳みながら、じんじんと痛む指先をそっとかばった。

さっきボールかごを運ぶときにぶつけてしまったのだ。

赤く腫れてはいないけれど、力を入れると鋭く痛む。

大したことはない、
そう自分に言い聞かせながら、何でもないふりをして手を動かす。


(これくらい平気。……私がやらなきゃ)


周りに心配されるのが嫌で、強がって動き続けた。

けれど今日は一日中、部内の視線や噂も気になって仕方がなくて、胸の奥はざわついたままだった。


(迷惑をかけたくない。だから、平気な顔をしていなきゃ……)


「長谷川、ちょっと」


不意に名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
振り返れば結城先輩。

タオルを肩にかけ、汗のにじむ額を軽く拭いながら立っている。

言われるまま廊下に出ると、夕暮れの光が窓から差し込んでいた。

静かな空気の中で、彼が低い声を落とす。


「さっき無理してただろ。……顔に出てる」

「え? だ、大丈夫ですから!」


慌てて笑顔を作る。けれど次の瞬間、腕を軽く掴まれた。

近すぎる距離で視線が絡む。呼吸が止まり、胸の奥で鼓動だけが暴れる。


「それに、手。かばってただろ」


視線は私の右手に向けられていた。思わず指先をぎゅっと握りしめる。見抜かれていたことに、心臓が跳ねる。


「……無理すんなよ」


結城先輩はほんの一瞬だけ、口元を緩めた。普段の余裕ある笑みとは違う。

柔らかく、愛おしそうに見える眼差し。


「困ったときは、俺にだけ言えよ」


短い言葉なのに、胸に深く突き刺さった。
そっと離れた腕の感触と、残された熱が消えない。


(な、なに言って……。どうして私に……)

(心臓が……壊れそう……)


結城先輩はにやりと笑い、振り返らずに歩き去っていった。

その背中を追うことさえできず、私は体の奥で鳴りやまない鼓動に立ち尽くした。







──少しあと。水飲み場。


練習後の小休憩で、同じタイミングで煌大と大和が並んだ。

蛇口から冷たい水をすくい上げながら、大和がふっと口を開く。


「結城さんって、いつも余裕ありますよね」


煌大は横目でちらりと見て、わずかに笑った。


「お前みたいに真っ直ぐなやつには敵わねぇけどな」

「……でも、翠ちゃんだけは譲れないっす」


まっすぐに放たれた声。冗談めかす気配は一切なかった。

煌大もわずかに口元を上げる。


「だろうな。俺も同じだ」


静かなやり取りだった。
けれど、その場に落ちた火種は小さくなく、確かに熱を帯びていた。

二人の視線が交錯する。互いに引くつもりがないことだけが、はっきりと伝わっていた。


──その気配を、私はまだ知らない。

けれど、二人の胸の奥に宿った決意は、もう後戻りできないほど強くなっていた。





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