◇◇

 
「マジで席当てるとは思わなかったな……アイツ」

 次の日の放課後。
 今日は漫研の活動は休みだけど再来月出す部誌に載せる短編を仕上げてしまおうと、訪れた視聴覚室にて俺は一人ぼやく。
 昨日映画を観る前に『先輩の隣の席のチケットを手に入れてみせます!』なんて息巻いていた後生掛(ごしょがけ)はなんと本当に、通路側に席を取った俺の唯一あった隣の席をゲットしてしまったのだ。
 ──あいつの俺への執着心はどこから来るんだ?
 ──あんな毎日アホみたいに先輩先輩って追いかけられたらさぁ……。
 ノートPCにペンタブを接続しながら、横に置いたバッグに付いた──映画館の売店でいつの間にか後生掛が買ってくれていたキーホルダーをちらりと見る(余談だけどアイツとお揃いらしい)。

 ──いよいよ本当に好きになっちゃうじゃんか……!

 中学生の頃から自分の恋愛対象が同性だという自覚があった俺は、初めて後生掛がオープンスクールに現れた時まず日常ではお目にかかれないような容姿に密かに胸を高鳴らせ、アイツが漫画・アニメ研究部に入部届を持ってきたのと同時に『今日から指宿(いぶすき)先輩のためにこの頭脳を使います!!』と宣言した時は少女漫画の世界に迷い込んでしまったようだと息が止まった。
 ──毎日あんな風に口説かれ続けて(なび)かないわけがない……!
 ──あと趣味も合うしアイツが割と自由だからこっちも気遣わなくて済むし、単純に一緒にいてすごく楽しい!
 次アイツに『告白したいので旧校舎裏に来てください』なんて言われたら、ふたつ返事で了承してしまう自信がある。
 だけどなぜ後生掛があそこまで俺に執着してるのかだけがどうしても分からない。本人が言うには去年参加したオープンスクールで俺が何かしたらしいけど、それらしい出来事はこの視聴覚室でアイツと再会してから半年経っても思い出せなかった。
 ──これだけ考えても思い出せないってことは、人違いだったとか?いや、後生掛に限ってそれはないよな。
 ──あとは何かの冗談か、俺をからかってるだけ……とか。あー、アイツが人を弄ぶような奴じゃないって分かってるのに疑ってしまう自分が嫌だ……!
 まずは後生掛は本当に俺のことが好きなんだと思える自信が欲しい。幸いあともう少しだけ待ったら、俺には“配信デビューした漫画家”っていう肩書きがつく。
 漫画が無事に配信されて良い評価が付けばそれが自信になって、後生掛の申し出を何の疑いもなく受け入れられる……はず。

 ──次呼び出されて、本当にそれが告白だとしたら、俺の返事は──……。

 「──……電話……?」
 と、制服のポケットに入れていた俺のスマホが音を立てて着信を報せてくれる。手に取って画面を見ると、来週読み切りを出すところの担当編集さんからだった。
「はい、指宿です。──……え?」
 電話に出るなり捲し立てるように喋り出す相手に困惑しながらも、かろうじて聞き取れた内容に目を見開く。

「俺の漫画が……配信出来ない……?」
 
 
◇◇
 
 
 ──結論から言うと、来週出るはずだった俺のデビュー作は配信中止になった。

 俺が商業デビューするきっかけになった漫画について【盗作なのでは?】と編集部の公式SNSやホームページの連絡フォームを通じて問い合わせが来たそうだ。その主張のどれもが根拠に欠けるものであったものの一人の人間がイタズラでやったにしてはアカウントやメールアドレスに不審な点はない上に数も多く、事実確認が出来るまでひとまず配信は保留と決まったらしい。……『心当たりがあるなら早めに教えてね』とは、これまで二人三脚で準備してきた担当編集さんの言葉だ。
 ──俺は盗作なんて絶対してない。配信一週間前っていうタイミング的にも、きっと誰か──俺の漫画家デビューを良く思っていない奴が悪意を持ってやったことだ。
 ──でも編集部の人が調べた感じ届いたメッセージには不審な点はないって言うし、それをどうやって証明すれば良いか、少なくとも俺には検討がつかない。
 「イブせんぱーい」
 それまで窓から入ってくる自然光を照明の代わりにしていたけど、日が落ちて薄暗くなっていた視聴覚室の電気のスイッチを押しながら後生掛が入ってくる。
 ──今日は部活ないっていうのに、また俺を追いかけて来たな。
「聞いてくださいよ。今さっき学校に犯罪予告のメールが届いたらしくて、送り主を突き止めてくれって先生たちに囲まれて撒くの大変だったんで──先輩?」
 そちらを向かずにスマホを握りしめたままの俺を不審に思ったのか、やや早足で近づいて来る音がする。

「何かあったんですか」

 俯く俺に自分の影を落とし、いつになく静かなトーンで問いかける後生掛の顔を見ないのも悪いだろうと、重い頭を動かして振り向く。
 ──いま後生掛に相談すれば、いつもの推理で俺を助けてくれる?
 いや、盗作疑惑を吹っかけて配信を中止にさせてしまうくらいの相手を下手に探ろうとしたら、俺だけならともかく後生掛も危ない目に合わせてしまうかもしれない。デビューが決まるまで特に誇れるところがなかった俺を、あんなに慕ってくれたコイツを巻き込んだらダメだ。
「……配信の話、ナシになってさ」
 ──とはいえ、『なんでもない』って言っても信じてもらえるわけないよな……。
 俺が落ち込んでいるのは明らかみたいなので漫画の配信が中止になったことだけ──昨日高梨が言っていた“手のひらで前髪を抑える癖”に気をつけながら──話すと、後生掛は「はぁ?」と形の良い眉を寄せる。
「どうしてそんな……配信一週間前でそんなことありえるんですか?」
「向こうのスケジュールの都合だって。困るよなぁ、もう校長とか学校の奴みんな知ってるのに」
「……あの先輩、詳しく話してくれれば力にな──」
「入りまーす。……あ、やっぱりいた。後生掛くん、先生たちが探してたよ」
 何かを言いかけた後生掛を遮るように視聴覚室のドアを開けたのは高梨だ。今日はもう帰ったと思ったけど、漫研の後輩の後生掛が逃げたと聞いて探しに来たのだろうか。
「高梨先輩……俺今それどころじゃ」
「僕もちょっと事情を聞いたけど……学校が脅されてるってことは、生徒の指宿くんも危ないってことでしょ?早く解決した方が彼も安心出来ると思うな」
「うっ、それはそう、ですけど。……待っててくださいイブ先輩っ、秒で片付けて戻って来るんで!あと高梨先輩、今だけ俺のイブ先輩をお願いしますっ」
 だから、誰がお前のだ。そう突っ込む気力はなく、いそいそとドアを開けて出て行く背中をただ見送る。
「指宿くんのとこ行こうとしたらたまたま担任に会って『後生掛を連れてきてくれ!』って頼まれちゃって」
「俺の……?」
 ドアが完全に閉まるところを確認してから、高梨が苦笑いを浮かべながら俺の方を見る。てっきり帰ろうとしてるところを捕まったものと思ってたけど、そういうわけではなかったらしい。
「俺に用があったってことか?」
「……これ見てほしいんだけど」
 肯定する代わりに高梨が差し出してきたのは自分のスマホだ。画面に映し出されているのは、俺のSNSの商業デビューを報せる投稿に付いた【この人、盗作でデビュー勝ち取ったらしい】という引用だった。
「これ……!」
「帰る前にスマホ見てたら流れてきた。指宿くんSNSあんまり見ないって言ってたから早く知らせた方が良いと思って」
 つい数時間前に書かれたらしいそれに思わず息を飲む。SNSでも俺の盗作疑惑がじわじわ広がって来てるとさっきの編集さんとの電話で聞いたけど、もう高梨の目に触れたのか。
「じ、実は……」
「待って」
 隠すわけにもいかないだろうとデビュー作の配信が保留になったことを話そうとしたところで、高梨がしぃ、と人差し指を口元に当てる。
視聴覚室(ここ)だと誰かが入ってくるかも。どこか人気(ひとけ)のないところに場所を変えない?……旧校舎とか良いと思うんだけど」
「旧校舎?」
「話の内容によっては先生たちにも相談しなきゃかもだし、学校にはいた方が良いかなって。……ひとりで悩んでたら心細いでしょ?僕、指宿くんの力になりたいんだ」
「高梨……」 
 旧校舎と聞いて少し怖気付くけど、今はお化けが怖いとか言ってる場合じゃないし……高梨が一緒なら大丈夫だろう。そう結論付けた俺は頷いて、目の前の親友に付いて行くことにした。

 
◇◇

 
 旧校舎とはその名前からも分かる通り、今は使われていない古い校舎だ。
 後生掛のおばあちゃんが学生だった頃からあるらしいけど伝統を保存するためとかで取り壊しまでは決まっていなくて、主に昼食や一部の部活の集まりとか──今みたいに他人に聞かれたくない話をする時に利用されている。
「ほんとにごめん高梨。変なことに巻き込んじゃって……」
 高梨に連れられそれまでいた視聴覚室のある新校舎の非常階段を降りながら、俺は謝罪の言葉を口にする。
「気にしないで。困った時はお互い様でしょ?」
「そうは言うけど、高梨が困ったとこなんて見たことないし」

「……困ってるよ、今」

「え?……うわっ!?」
 この階段をあと数段降りれば旧校舎はすぐそこだ。なぜか途中で止まった高梨を追い越す形になり振り返ろうと──したところで、背中に走った衝撃の少し後で俺の身体は地面に放り出された。誰かが思い切り蹴り飛ばしたのだ。……誰か、なんて今俺の後ろには一人しかいない。
「高梨……?」
 地面に擦って鈍く痛む両膝を無視して振り返ると、やはりというべきか高梨が立っている。特に不審な様子はないと思いきや、さっきまで俺の背中があった辺りまで上がった片足を元の位置に戻すのが見えてしまった。

 ──高梨が俺を蹴飛ばしたんだ。それは分かったけど理解が出来ない。
 ──なんで?数少ない俺の友達がどうしてこんなことを。

「僕が欲しかったものを君がぜーんぶ持って行って、すっごく困ってる」
「欲しかったもの……?」
 見た目も性格も成績も俺よりずっと良くて、漫画だって確かな実力を持ってる高梨から、俺が持って行けるものなんて──……いや、ひとつだけ思い当たることがある。
「もしかして……商業デビューのことか……?」
「っ、あはははははは!!」
 恐る恐る答えた瞬間、壊れたように笑い出しながら残りの階段を駆け下りて来る高梨にビクッ、と肩が跳ねる。
 ──怖い。
 ──コイツは、俺が知ってる高梨じゃない。
「そんなに考え込まないと分からない?後生掛くんが放っておけないのも分かるなぁ。君たちを離しておいて良かった、彼がここを嗅ぎ付ける前に本題に入ろうか」
「本題?──まさか、俺の盗作疑惑を広めたのは……!」
「僕だけじゃない。一緒に頑張ってくれたみんなのおかげ」
 立ち上がるタイミングを見失った俺の近くをゆっくりと回りながら、高梨は衝撃の事実を告げる。校内で“爽やかイケメン”と評される見た目も相まって台詞だけなら青春漫画のワンシーンみたいだけど、いつもは人の良さを表すように控えめに輝く瞳が今はどこまでも虚ろで、暗い。
 ──宣伝してくれるって言ったのも、力になりたいって言うのも、全部俺を(おとしい)れるための嘘だったのか。
「僕の方が画力高いしストーリーもしっかり練れてるはずなのに。それを差し置いて君が商業デビューなんて、どう考えてもおかしいよね?だから本来は誰が先に世に出るべきか教えてあげようと思って。しかも漫研の部長まで任されて、鼻高々になってる頃でしょ?……調子に乗るな!どれもこれも運が良かっただけでお前の実力じゃない!!」
「……っ」
 途中から唾を撒き散らしながら叫び出した高梨の様相は、『いつか合同でサイン会しよう』と言い合った時とは随分違っていた。
「落ち着け高梨っ、こんなことしても大人がちゃんと調べれば分かることだ!今俺の盗作疑惑を訂正してくれれば大事にはしないから──」
「この期に及んで上から目線?余裕なところ悪いけど、これについては色んな方面に強い“大人”たちも手伝ってくれてるから簡単には覆らないよ。今は盗作元の捏造や、君のサブアドレスを使った裏アカウントの設定なんかをやってくれてる」
「なっ……」
「もう二度と僕より前に行かないように、漫画家としての指宿くんを徹底的に潰す。でもそれだけじゃ足りない、これから先も君を見る度に嫉妬と焦燥に駆られるなんて耐えられない。──だからこの学校からも消えてもらうね」
 俺の前で足を止めた高梨が片手を上げたのを合図にすぐそこの旧校舎の影から出てきたのは、見覚えはあるけど関わったことはない三人の男子生徒たち。
「ちょっ……離せ!」
「安心して?“それっぽい”写真が撮れたら解放してあげるから」
 二人が両サイドからがっちり肩を組むことで俺を拘束し、残りの一人はニヤニヤしながら開封済みの煙草の箱と酒缶を持ってくる。高梨の発言も合わせて考えればコイツらが何をする気なのかが分かってしまって、さあっ、と顔から血の気が引いていく。
「“漫画家デビューが中止になった高校生が自暴自棄になり通ってる学校で飲酒・喫煙”。……そんな写真がネットで炎上したら、君は退学させられるだろうね」
「やめてくれ……頼む、高梨……」
「さぁ早く済ませよう。顔と、後ろの新校舎がはっきり写るように撮って。……あーあと、“彼”って結構有名人じゃない?可愛い後輩がネットで大炎上してるのを見たくないなら、大人しくしてた方が良いかもね」
「……っ」
「お、いい感じに力が抜けた」
 弱々しく懇願する俺を無視してスマホのカメラを構えた男子に指示を出しているかと思えば、頭ごとこちらに振って(わら)う高梨。
 ──もう駄目だ。
 ──漫画家デビューなんて、身の丈に合わない話に手を伸ばさなければ良かった?
 ──俺はただ、胸を張って“アイツ”の隣にいたかっただけなのに。
 俺にだけ頼られたいと、そのためになるべく傍に居たいと──端正な顔を情けなく歪めながら言っていた“アイツ”。煙草と酒を前に、ガラの悪い男たちと肩を組んだ今の俺を見たら何て言うか。地面に視線を落とし、そんなことを考えた──……その時だった。


「──詰めが甘いなぁ、高梨先輩は」


 俺と高梨もここに来る時に使った、新校舎の脇に張り出した非常階段。その一番上から聞き覚えのあり過ぎる……だけど今ここにはいないはずの男の声が降ってくる。
「この俺がイブ先輩から目を離すと本気で思ったんですか?」
「……後生掛……?」
 ぱっと顔を上げ消え入りそうな声で呼んだ俺に、場違いにも程がある柔らかな微笑みで応えたのは──間違いなく後生掛だった。