次に目を覚ましたときには空は明るくなっていた。起き上がろうとするがうまく体に力が入らない。おそらく現在も熱があるのだろうが、それが熱いのか寒いのかすらわからない状態が今も続いているため熱の有無を自身で判断することができない。僕はそんな状態ながら体を引きずりながらベッドの近くまで移動し、ベッドに背中を預けるようにして地面に座り込んだ。浅い呼吸を何度も繰り返しながら自身の状況を客観的に把握するために体を見る。
(見える範囲で炎症が起きたり、腫れたりしてる箇所はない…。なら単純に風邪かな?)
ふと自身が先程まで倒れていたところに視線を向けると灰色のカーペットは濃いグレーに変色していた。かなりの量の汗を掻いたらしい。頭痛もひどく、現在も意識が朦朧としていることから風邪で確定だろう。体を休め、水分を摂取し、薬を飲めば治るはずだ。そうと決まればと僕は重い体を起こし、机の上にあるポカリを何口か含む。それだけでだいぶ身体が楽になった。それでも服が汗を吸っており気持ちの悪さと頭痛は緩和されない。呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がると、昨日のままであったロンTにカーディガン。その上に羽織っていたダッフルコートを脱ぎ捨てると、クローゼットから白のロンTを取り出すと、汗も拭かずにそれを着る。本当はお風呂に入ったり、汗を拭きたいのだが自分の部屋にはタオルはないし、それ以前に冬である現在の季節で上半身裸は寒い以外のなにものでもない。そのため汗を気にせず服を着ることにしたのだ。
しかしこれでは熱も下がらないし、頭痛も良くならない。一度部屋を出てリビングにある冷蔵庫の中に入っている薬を飲むのが一番だろう。一度立った今、再度座り直してしまうともう一度立ち上がるのは困難だろう。そう考えた僕は片足を動かすのに数秒ほどかかりつつも部屋の扉の鍵を開け、ゆっくりとリビングへと向かう。冷蔵庫から解熱剤と頭痛薬を取り出し、蛇口をひねりコップに水を貯め、薬と一緒に飲み干す。
「酵汰?だ、大丈夫?」
「え?…お母さん?」
弱々しい声で返事をした僕はゆっくりと振り返ると、ちょうど一階から上がってきた母親が目に入る。母親は少し早歩きで僕に近づくと頬に触れ体温を確認する。
「だいぶ高いわね。とりあえず冷却シート貼っておきなさい。あとでポカリとか追加で買ってくるわね。」
「うん。ありがとう。」
「うん。どういたしまして。」
「…ごめん。移したらまずいから部屋に戻るね。」
「…移らないわよ。酵汰はここ最近ずっと張り詰めてたでしょ?きっと昨日ソレが解けたのね。酵汰それは風邪じゃないよ。ストレスとかそういう精神的なものだと思うわよ。ずっと何かに耐えてきたのね。今は休むことに専念しなさい。」
お母さんはそういいながら、リビング横にある三段ボックスから体温計を取り出し僕に預けると冷蔵庫の野菜室に入れてあった冷却シートを取り出しフィルムを剥がして僕の額に貼り付ける。額がどんどん冷たくなっていくのを感じ、それに若干の気持ちよさを覚えたところで僕は壁に手を付きながらよたよたと自分の部屋に戻る。
体調不良の原因が風邪ではなく、精神的なものであることをお母さんから聞いてなんとなく楽になった気がすると感じながら、僕はベッドに座り体温計を脇に挟む。数十秒後ピピッと体温計が鳴ったのを確認してから抜き取り表示されている数字を確認する。
「38度8分…。うわぁ、見なきゃよかった。」
体温が高いことはわかってはいたが、いざ自分の熱が何度なのかを知ってしまうと途端に身体がしんどくなってくるのは僕だけだろうか。僕は額を抑えながらベッドに後ろから倒れ込む。その時何か揺れている感じがした。目眩なのか地震なのかわからなかったが、それが地面からの振動であることがわかった。しんどいため顔だけ動かして床を見る。そこにあったのは僕が使っているショルダーバッグだ。
「…スマホ?」
普段からスマホを見る習慣が無いため、どこにしまったかすら忘れていたが、昨日桜花くんと小林くんのデートについていくのにスマホをショルダーバッグの中に入れたのは覚えている。立ち上がる気力も無い僕は転がりながらベッドから落ち、ショルダーバッグからスマホを取り出して通知を確認する。通知は桜花くん。そして小林くんからもきていた。
「小林くん?なんで?」
僕はそう呟きながらまずは小林くんからのLINEを確認する。
—学校休むって聞いた
—大丈夫か?
—ポカリとか欲しいやつあったら部活終わりになるけど、持っていくから
—何かあれば連絡してくれ!
—それと体調が良くなったらでいいから、金城のLINEも返信してやってくれ
—朝からありえんくらい不機嫌でクラスの雰囲気が最悪だ
—無理にとは言わないけど…
—とりあえず、早く元気になれよ!
僕はそのLINEに疑問を感じた。なぜ桜花くんが不機嫌なのかと。桜花くんは昨日小林くんに思いを伝え無事付き合えたはずだ。そのため不機嫌になる要素が見つからない。しかもクラス全体の雰囲気が悪くなるほど不機嫌。よっぽどだろう。それに小林くんの「無理にとは言わないが桜花くんに返信してくれ」というのに違和感を覚える。桜花くんに返信するのに無理をしたことがないと言えば嘘になるが、それは僕しか知らない僕だけの感情だ。小林くんが知っているわけがない。
「うっ…」
スマホの画面を見すぎたのだろうか。それとも小林くんからのLINEに頭を使ったからだろうか。頭痛と目眩が再発し、僕はスマホを放り投げベッドへと這いつくばりながら移動する。目を瞑るも目眩のせいでまぶたを閉じても視界が揺らいでいる気がする。
「きっつ…」
僕はそう口から言葉がこぼれ落ちた。
■ ■ ■ ■ ■
熱が下がったのは木曜日だった。ストレス性の発熱というのはなかなかに治りが遅いのだと初めて知った。しかし熱が下がったのはいいのだが、頭痛と吐き気はなかなか治まらない。そのため僕は今でもベッドの上で生活を送っているが、正直暇である。いつもなら好きな読書をして過ごすところなのだが、頭痛がひどく集中して本を読むことができない。さらにスマホほどではないが、それでも読み続けていると目眩も起きる。そのため今は静かに過ごすしかないのだ。
「もう夜かぁ…。眠くはないけど、寝るしかないよね。」
僕は窓から見える夜空をベッドの上から眺めながらそんなことを呟き、布団に潜った。眠くはなかったが布団に潜り目を瞑ると頭痛や目眩が緩和され、徐々に意識が遠のいていった。
次に目を覚ましたときには窓から陽の光が差し込んでおり朝が来たことがわかった。僕は時間を確認しようと壁掛け時計を確認しようとするが、寝起きで目が開かないため、枕のそばに置いていたスマホに手を伸ばし時間を確認する。
「よかった。酵汰の待ち受け俺なんだ。」
その声に寝起きですぐには開かないはずの目が見開いた。自分の部屋から聞こえるはずのない声に驚いたのだ。その声は僕の好きな声で、少し低めの声色に優しさの詰まった温かい音を響かせる。僕はゆっくりと声のする方向を向いた。そこには僕を見つめる桜花くんが当然のように居た。
「お、桜花くん…?」
「うん。おはよ。酵汰。」
「なんで…いるの?」
「俺が酵汰に会いたかったから。」
「どういう…。」
「俺の好きな人は、小林じゃないよ。」
「え?」
「酵汰が一人で俺が小林のこと好きって勘違いしてるんだよ。本当はすぐに撤回するつもりだったんだけど、酵汰と接点欲しくてなかなか言い出せなかった。」
どういうことだろうか。桜花くんが何を言っているのかすぐに理解が追いつかない。それはきっと寝起きだからとかいるはずのない桜花くんが僕の部屋にいるからとかそんな理由ではない。いやそれも理由の一つかもしれないが、それはほんの少しの要素でしたなかった。『俺の好きな人は、小林じゃないよ。』この言葉が引っかかって、何も理解ができない。
桜花くんの好きな人が小林くんじゃないというのはどういうことだろうか?小林くんと僕が話しているだけで不機嫌になっていたし、スマホの待ち受けを好きな人にするっていうお呪いを桜花くんと小林くんとのツーショットで実行していたはずだ。その待ち受けを僕に見られたとき明らかに桜花くんは動揺していた。つまり桜花くんの好きな人は小林くんであっているはずだ。
「な、なんで嘘つくの…?」
「嘘じゃないよ。」
「それが嘘じゃん!」
「なら俺が一度でも小林のことが好きって言ったか?」
それを聞いて僕は桜花くんとの会話を振り返る。たしかに桜花くんの口から小林くんのことが好きだとは聞いた事がない。しかしそれはわざわざ口にしなかっただけで、桜花くんとのデートの練習相手として僕を誘ったし、そもそも小林くんのことが好きじゃないのであれば、僕がスマホの待ち受けを見て、手伝いを申し出たタイミングで僕に勘違いだと言えばいいだけの話だ。それをしなかったと言うことは桜花くんは小林くんのことが好きだということだ。
「言ってない…けど。それならデートの練習とか全部無意味じゃん。なんのために…。」
「酵汰のさ、スマホの待ち受け俺だったけど。それってそういうことでいいの?」
僕の言葉を遮るように桜花くんは僕に質問をした。その質問に時間が止まる。そう言えばスマホの待ち受けを桜花くんに見られたのだ。先日のデートでボロネーゼを頬張る桜花くんの写真を。
動悸がする。下がったはずの熱がある感覚がする。呼吸が浅くなる。
桜花くんに知られてしまったのだ。もう本当に終わりだ。いやこれはチャンスなのかもしれない。どうせなら気持ちを伝えておけばよかったと後悔していたのだ。僕は覚悟を決めなければいけないらしい。
「好きになって…ごめんなさい。」
「…。」
僕はベッドの上で正座をして、桜花くんに向き合った。
「最初は一目惚れでした。入学式で桜のコサージュを受け取って大きく口を開けて笑う桜花くんに目を奪われました。僕は初めて友達になりたい人ができたと感じたんだ。クラス発表で自分の名前より先に桜花くんがどこのクラスなのかを確認したよ。結局1年では同じクラスになれなかったし、一度も話す機会はなかったけど、2年になって同じクラスになれて本当に嬉しかった。初めてうちのパン屋で話したときなんてもう嬉しすぎて色々気が動転してたと思う。そのせいで教室でパン渡したとき、変なこと言ってごめん。それから桜花くんのスマホを見ることがあって、桜花くんが小林くんが好きだってわかって、もともと付き合いたいだなんてそんなおこがましいことは思っていなかったけど、少しでも桜花くんの役に立てるならと思って、小林くんと付き合えるようにいろんなことをするつもりだった。でもやっぱり好きな人が…好きな人が別の誰かを好きになるのはいいけど、やっぱりしんどいものがあるというか…。ごめん。好きになってごめんなさい。」
「そっか。酵汰はそんなに前から俺のこと好きだったんだ。本当に嬉しい。酵汰は今でも俺のこと好きでいてくれてる?嫌ってない?」
「…僕が桜花くんを嫌いになることはないです。」
僕のその発言に桜花くんは心底安心したような表情を見せた。その後自身のポケットからスマホを取り出すと桜花くんは待ち受け画像を僕に見せてきた。
「これが俺の待ち受け。よく見て。」
「…桜花くんと小林くんが肩組んでるツーショットだよね?」
そう僕が言うと桜花くんは笑いながら「ここ見て」とスマホの画面を指さした。僕は桜花くんが指さした画面を目を凝らして見た。そこにはグランドで肩を組む桜花くんと小林くんの背景に映り込む花壇に水やりをしている小さな僕の姿があった。
「え?」
「酵汰を騙すようなことしてごめん。少しでも酵汰と話す時間を増やしたくて、酵汰が勘違いしているってわかっててもなかなか言い出せなかった。確かに俺はあのおまじないをしてたよ。でもそれはさっきもいった通り俺の好きな人は小林じゃない。俺の好きな人は久遠酵汰だ。いっぱい泣かせてごめん。話しててもしかして酵汰も俺のことが好きなんじゃないかって思い始めて、それを確かめたくて…。」
「し、信じられない。だって小林くんともう付き合って、」
「だから付き合ってないって。俺が好きなのは酵汰だよ。」
「…い、いつから僕のこと…」
「酵汰のことを知ったのは1年の後半くらいからだったよ。妖精の噂を聞いたんだ。」
「妖精?」
「酵汰は本人だから知らないだろうけど、母さんが放置しているはずの花壇の花がきれいに育つって言ってて、それは妖精のおかげだって言うんだ。その妖精を確かめるために実は俺、何度かあの花壇に行ったことがあったんだ。そしたらほぼ毎日酵汰がいてさ。花に水やりしてるの何回も見てるんだよね。」
桜花くんが何度もあの花壇に足を運んでいたなんてまったく知らなかった。そもそも僕は桜花くんが帰るのを確認してから花壇に向かうようにしていたはずだ。それなのにもかかわらず、桜花くんはいつ花壇に来ていたのだろうか。
「実は酵汰のことストーカーしたことあるんだよね?」
「はい?」
その突然の桜花くんからの告白に僕の脳のキャパシティーは限界を迎えていた。
「俺がパン屋に来たことあっただろ?あのときは偶然を装ったけど、あれ偶然じゃないんだ。何度か酵汰の後をつけて帰ったことがあってね。その時に酵汰の家がパン屋なの知って、その翌日買いに行った。あ、でもストーカーしたかったわけじゃなくて、俺の家がたまたま酵汰の帰り道にあったってだけだから!」
「え?あ?え?」
「でも、その後くらいから花壇に行く時間ずらしたでしょ?前より遅くなった。俺のこと避けてるんだろうなって思った。その時にわかった。『あぁ俺は酵汰のことが好きなんだって。』避けられるのが嫌だった。俺以外のやつと仲良くするの見たくないと思った。たぶん無意識に目で追ってたんだと思う。花に水を上げる酵汰に一目惚れしたんだ。」
「…」
「酵汰。俺と付き合ってください。」
そう言うと桜花くんは僕に手を伸ばした。
(見える範囲で炎症が起きたり、腫れたりしてる箇所はない…。なら単純に風邪かな?)
ふと自身が先程まで倒れていたところに視線を向けると灰色のカーペットは濃いグレーに変色していた。かなりの量の汗を掻いたらしい。頭痛もひどく、現在も意識が朦朧としていることから風邪で確定だろう。体を休め、水分を摂取し、薬を飲めば治るはずだ。そうと決まればと僕は重い体を起こし、机の上にあるポカリを何口か含む。それだけでだいぶ身体が楽になった。それでも服が汗を吸っており気持ちの悪さと頭痛は緩和されない。呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がると、昨日のままであったロンTにカーディガン。その上に羽織っていたダッフルコートを脱ぎ捨てると、クローゼットから白のロンTを取り出すと、汗も拭かずにそれを着る。本当はお風呂に入ったり、汗を拭きたいのだが自分の部屋にはタオルはないし、それ以前に冬である現在の季節で上半身裸は寒い以外のなにものでもない。そのため汗を気にせず服を着ることにしたのだ。
しかしこれでは熱も下がらないし、頭痛も良くならない。一度部屋を出てリビングにある冷蔵庫の中に入っている薬を飲むのが一番だろう。一度立った今、再度座り直してしまうともう一度立ち上がるのは困難だろう。そう考えた僕は片足を動かすのに数秒ほどかかりつつも部屋の扉の鍵を開け、ゆっくりとリビングへと向かう。冷蔵庫から解熱剤と頭痛薬を取り出し、蛇口をひねりコップに水を貯め、薬と一緒に飲み干す。
「酵汰?だ、大丈夫?」
「え?…お母さん?」
弱々しい声で返事をした僕はゆっくりと振り返ると、ちょうど一階から上がってきた母親が目に入る。母親は少し早歩きで僕に近づくと頬に触れ体温を確認する。
「だいぶ高いわね。とりあえず冷却シート貼っておきなさい。あとでポカリとか追加で買ってくるわね。」
「うん。ありがとう。」
「うん。どういたしまして。」
「…ごめん。移したらまずいから部屋に戻るね。」
「…移らないわよ。酵汰はここ最近ずっと張り詰めてたでしょ?きっと昨日ソレが解けたのね。酵汰それは風邪じゃないよ。ストレスとかそういう精神的なものだと思うわよ。ずっと何かに耐えてきたのね。今は休むことに専念しなさい。」
お母さんはそういいながら、リビング横にある三段ボックスから体温計を取り出し僕に預けると冷蔵庫の野菜室に入れてあった冷却シートを取り出しフィルムを剥がして僕の額に貼り付ける。額がどんどん冷たくなっていくのを感じ、それに若干の気持ちよさを覚えたところで僕は壁に手を付きながらよたよたと自分の部屋に戻る。
体調不良の原因が風邪ではなく、精神的なものであることをお母さんから聞いてなんとなく楽になった気がすると感じながら、僕はベッドに座り体温計を脇に挟む。数十秒後ピピッと体温計が鳴ったのを確認してから抜き取り表示されている数字を確認する。
「38度8分…。うわぁ、見なきゃよかった。」
体温が高いことはわかってはいたが、いざ自分の熱が何度なのかを知ってしまうと途端に身体がしんどくなってくるのは僕だけだろうか。僕は額を抑えながらベッドに後ろから倒れ込む。その時何か揺れている感じがした。目眩なのか地震なのかわからなかったが、それが地面からの振動であることがわかった。しんどいため顔だけ動かして床を見る。そこにあったのは僕が使っているショルダーバッグだ。
「…スマホ?」
普段からスマホを見る習慣が無いため、どこにしまったかすら忘れていたが、昨日桜花くんと小林くんのデートについていくのにスマホをショルダーバッグの中に入れたのは覚えている。立ち上がる気力も無い僕は転がりながらベッドから落ち、ショルダーバッグからスマホを取り出して通知を確認する。通知は桜花くん。そして小林くんからもきていた。
「小林くん?なんで?」
僕はそう呟きながらまずは小林くんからのLINEを確認する。
—学校休むって聞いた
—大丈夫か?
—ポカリとか欲しいやつあったら部活終わりになるけど、持っていくから
—何かあれば連絡してくれ!
—それと体調が良くなったらでいいから、金城のLINEも返信してやってくれ
—朝からありえんくらい不機嫌でクラスの雰囲気が最悪だ
—無理にとは言わないけど…
—とりあえず、早く元気になれよ!
僕はそのLINEに疑問を感じた。なぜ桜花くんが不機嫌なのかと。桜花くんは昨日小林くんに思いを伝え無事付き合えたはずだ。そのため不機嫌になる要素が見つからない。しかもクラス全体の雰囲気が悪くなるほど不機嫌。よっぽどだろう。それに小林くんの「無理にとは言わないが桜花くんに返信してくれ」というのに違和感を覚える。桜花くんに返信するのに無理をしたことがないと言えば嘘になるが、それは僕しか知らない僕だけの感情だ。小林くんが知っているわけがない。
「うっ…」
スマホの画面を見すぎたのだろうか。それとも小林くんからのLINEに頭を使ったからだろうか。頭痛と目眩が再発し、僕はスマホを放り投げベッドへと這いつくばりながら移動する。目を瞑るも目眩のせいでまぶたを閉じても視界が揺らいでいる気がする。
「きっつ…」
僕はそう口から言葉がこぼれ落ちた。
■ ■ ■ ■ ■
熱が下がったのは木曜日だった。ストレス性の発熱というのはなかなかに治りが遅いのだと初めて知った。しかし熱が下がったのはいいのだが、頭痛と吐き気はなかなか治まらない。そのため僕は今でもベッドの上で生活を送っているが、正直暇である。いつもなら好きな読書をして過ごすところなのだが、頭痛がひどく集中して本を読むことができない。さらにスマホほどではないが、それでも読み続けていると目眩も起きる。そのため今は静かに過ごすしかないのだ。
「もう夜かぁ…。眠くはないけど、寝るしかないよね。」
僕は窓から見える夜空をベッドの上から眺めながらそんなことを呟き、布団に潜った。眠くはなかったが布団に潜り目を瞑ると頭痛や目眩が緩和され、徐々に意識が遠のいていった。
次に目を覚ましたときには窓から陽の光が差し込んでおり朝が来たことがわかった。僕は時間を確認しようと壁掛け時計を確認しようとするが、寝起きで目が開かないため、枕のそばに置いていたスマホに手を伸ばし時間を確認する。
「よかった。酵汰の待ち受け俺なんだ。」
その声に寝起きですぐには開かないはずの目が見開いた。自分の部屋から聞こえるはずのない声に驚いたのだ。その声は僕の好きな声で、少し低めの声色に優しさの詰まった温かい音を響かせる。僕はゆっくりと声のする方向を向いた。そこには僕を見つめる桜花くんが当然のように居た。
「お、桜花くん…?」
「うん。おはよ。酵汰。」
「なんで…いるの?」
「俺が酵汰に会いたかったから。」
「どういう…。」
「俺の好きな人は、小林じゃないよ。」
「え?」
「酵汰が一人で俺が小林のこと好きって勘違いしてるんだよ。本当はすぐに撤回するつもりだったんだけど、酵汰と接点欲しくてなかなか言い出せなかった。」
どういうことだろうか。桜花くんが何を言っているのかすぐに理解が追いつかない。それはきっと寝起きだからとかいるはずのない桜花くんが僕の部屋にいるからとかそんな理由ではない。いやそれも理由の一つかもしれないが、それはほんの少しの要素でしたなかった。『俺の好きな人は、小林じゃないよ。』この言葉が引っかかって、何も理解ができない。
桜花くんの好きな人が小林くんじゃないというのはどういうことだろうか?小林くんと僕が話しているだけで不機嫌になっていたし、スマホの待ち受けを好きな人にするっていうお呪いを桜花くんと小林くんとのツーショットで実行していたはずだ。その待ち受けを僕に見られたとき明らかに桜花くんは動揺していた。つまり桜花くんの好きな人は小林くんであっているはずだ。
「な、なんで嘘つくの…?」
「嘘じゃないよ。」
「それが嘘じゃん!」
「なら俺が一度でも小林のことが好きって言ったか?」
それを聞いて僕は桜花くんとの会話を振り返る。たしかに桜花くんの口から小林くんのことが好きだとは聞いた事がない。しかしそれはわざわざ口にしなかっただけで、桜花くんとのデートの練習相手として僕を誘ったし、そもそも小林くんのことが好きじゃないのであれば、僕がスマホの待ち受けを見て、手伝いを申し出たタイミングで僕に勘違いだと言えばいいだけの話だ。それをしなかったと言うことは桜花くんは小林くんのことが好きだということだ。
「言ってない…けど。それならデートの練習とか全部無意味じゃん。なんのために…。」
「酵汰のさ、スマホの待ち受け俺だったけど。それってそういうことでいいの?」
僕の言葉を遮るように桜花くんは僕に質問をした。その質問に時間が止まる。そう言えばスマホの待ち受けを桜花くんに見られたのだ。先日のデートでボロネーゼを頬張る桜花くんの写真を。
動悸がする。下がったはずの熱がある感覚がする。呼吸が浅くなる。
桜花くんに知られてしまったのだ。もう本当に終わりだ。いやこれはチャンスなのかもしれない。どうせなら気持ちを伝えておけばよかったと後悔していたのだ。僕は覚悟を決めなければいけないらしい。
「好きになって…ごめんなさい。」
「…。」
僕はベッドの上で正座をして、桜花くんに向き合った。
「最初は一目惚れでした。入学式で桜のコサージュを受け取って大きく口を開けて笑う桜花くんに目を奪われました。僕は初めて友達になりたい人ができたと感じたんだ。クラス発表で自分の名前より先に桜花くんがどこのクラスなのかを確認したよ。結局1年では同じクラスになれなかったし、一度も話す機会はなかったけど、2年になって同じクラスになれて本当に嬉しかった。初めてうちのパン屋で話したときなんてもう嬉しすぎて色々気が動転してたと思う。そのせいで教室でパン渡したとき、変なこと言ってごめん。それから桜花くんのスマホを見ることがあって、桜花くんが小林くんが好きだってわかって、もともと付き合いたいだなんてそんなおこがましいことは思っていなかったけど、少しでも桜花くんの役に立てるならと思って、小林くんと付き合えるようにいろんなことをするつもりだった。でもやっぱり好きな人が…好きな人が別の誰かを好きになるのはいいけど、やっぱりしんどいものがあるというか…。ごめん。好きになってごめんなさい。」
「そっか。酵汰はそんなに前から俺のこと好きだったんだ。本当に嬉しい。酵汰は今でも俺のこと好きでいてくれてる?嫌ってない?」
「…僕が桜花くんを嫌いになることはないです。」
僕のその発言に桜花くんは心底安心したような表情を見せた。その後自身のポケットからスマホを取り出すと桜花くんは待ち受け画像を僕に見せてきた。
「これが俺の待ち受け。よく見て。」
「…桜花くんと小林くんが肩組んでるツーショットだよね?」
そう僕が言うと桜花くんは笑いながら「ここ見て」とスマホの画面を指さした。僕は桜花くんが指さした画面を目を凝らして見た。そこにはグランドで肩を組む桜花くんと小林くんの背景に映り込む花壇に水やりをしている小さな僕の姿があった。
「え?」
「酵汰を騙すようなことしてごめん。少しでも酵汰と話す時間を増やしたくて、酵汰が勘違いしているってわかっててもなかなか言い出せなかった。確かに俺はあのおまじないをしてたよ。でもそれはさっきもいった通り俺の好きな人は小林じゃない。俺の好きな人は久遠酵汰だ。いっぱい泣かせてごめん。話しててもしかして酵汰も俺のことが好きなんじゃないかって思い始めて、それを確かめたくて…。」
「し、信じられない。だって小林くんともう付き合って、」
「だから付き合ってないって。俺が好きなのは酵汰だよ。」
「…い、いつから僕のこと…」
「酵汰のことを知ったのは1年の後半くらいからだったよ。妖精の噂を聞いたんだ。」
「妖精?」
「酵汰は本人だから知らないだろうけど、母さんが放置しているはずの花壇の花がきれいに育つって言ってて、それは妖精のおかげだって言うんだ。その妖精を確かめるために実は俺、何度かあの花壇に行ったことがあったんだ。そしたらほぼ毎日酵汰がいてさ。花に水やりしてるの何回も見てるんだよね。」
桜花くんが何度もあの花壇に足を運んでいたなんてまったく知らなかった。そもそも僕は桜花くんが帰るのを確認してから花壇に向かうようにしていたはずだ。それなのにもかかわらず、桜花くんはいつ花壇に来ていたのだろうか。
「実は酵汰のことストーカーしたことあるんだよね?」
「はい?」
その突然の桜花くんからの告白に僕の脳のキャパシティーは限界を迎えていた。
「俺がパン屋に来たことあっただろ?あのときは偶然を装ったけど、あれ偶然じゃないんだ。何度か酵汰の後をつけて帰ったことがあってね。その時に酵汰の家がパン屋なの知って、その翌日買いに行った。あ、でもストーカーしたかったわけじゃなくて、俺の家がたまたま酵汰の帰り道にあったってだけだから!」
「え?あ?え?」
「でも、その後くらいから花壇に行く時間ずらしたでしょ?前より遅くなった。俺のこと避けてるんだろうなって思った。その時にわかった。『あぁ俺は酵汰のことが好きなんだって。』避けられるのが嫌だった。俺以外のやつと仲良くするの見たくないと思った。たぶん無意識に目で追ってたんだと思う。花に水を上げる酵汰に一目惚れしたんだ。」
「…」
「酵汰。俺と付き合ってください。」
そう言うと桜花くんは僕に手を伸ばした。


