土曜日の水族館は思っていたよりも人が少なかった。その理由は大きく分けて二つ。一つ目はこの辺一体は水族館以外の外出先が多いからである。駅自体が大きなショッピングモールになっているため大体の買い物は駅に行くだけで事足りるため、ほぼデートスポットに近い水族館に行く人が少ないからである。二つ目は…
「魚全然いないね。」
「もう冬に近いからな。淡水魚は冬眠してるし、海水魚は隅にいるみたいなだ。」
「ご、ごめん。僕が水族館に行こうとか言ったから…」
僕がそう口にしようとしたとき、それを遮るかのように僕の手を桜花くんが強く握った。
「俺は酵汰と一緒ってだけで嬉しいよ。だから謝らないで。それにこのシーズンは深海魚コーナーがあるらしいぞ!そっち行ってみようぜ。」
「うん。行く!」
「それにしても魚がいないからか、めっちゃ人少ないな。酵汰とゆっくりデートできるからやっぱり水族館に来てよかったな。」
桜花くんはそんなことを何食わぬ顔で僕に伝えてくるが、桜花くんは僕の気持ちを知らない。本来その言葉を投げかけたい相手は僕じゃなく小林くんなわけで、桜花くんの言葉一つ一つに喜びそうになる自分が嫌になる。僕はただのデートの練習相手である自覚を常に持っておかないと、簡単に流されてしまいそうになる。
『桜花くんの言葉は僕に向けられたものじゃない。』
僕は何度も自分の胸の中で、自分に言い聞かせるように呟き、僕の手を引く桜花くんについていく。
「酵汰見てみろよ!すっげぇ変な顔の魚がいるぞ!」
「わ!ホントだ!こっちには手のひらサイズのタコがいるよ。」
「ん〜どれどれ。お、メンダコじゃん!」
「めんだこ?」
「そ、メンダコ!ピンクでかわいいだろ?たぶん期間限定なんじゃないかな?」
「そうなの?詳しいね。」
「ピンク好きって言っただろ?だからメンダコも好きなんだよ。」
今日は僕の知らない桜花くんの一面をたくさん知れる一日だった。僕はその後も桜花くんとの水族館デートを楽しんだ。魚のふれあいコーナーやイルカショーにアシカショーなど桜花くんと二人で、二人だけの時間を過ごした。特にイルカショーとアシカショーは野外ということもあり、冬も近いこの時期にはショーを見に来るお客も少なく、会場には僕と桜花くんとあと数名といったくらいしかおらず、特別にステージ上に招待してもらって、イルカに触ったり、アシカと写真を撮影したりと普段の水族館じゃ体験できなかったであろうことをたくさん体験した。
こんな楽しい時間というのはあっという間に過ぎていくもので、気がついた頃には18時を回っていた。
「酵汰!あと30分で閉まっちゃうからお土産コーナー見に行こうぜ!」
「うん、行きたい!」
閉店の近いお土産コーナーは空いており、時間こそ限られているもののどんな商品があるかをじっくり見ながら選ぶことができた。桜花くんとどんなものがあるのかを見て回っていたのだが、突如桜花くんが「酵汰の服のサイズ何?」と聴いてきた。
「えっと、Mかな。」
「ダボッと着たりする?」
「僕そんなに服とか持ってなくて、そうだ。今日の服変じゃない?」
「ははっ。なんだよそれ。今更過ぎないか?」
「聞くタイミングなくて…」
「酵汰はかわいいよ。今日の服も似合ってる。でも寒くないのか気になる薄着ではあるかな。」
「うん…寒いかなとは思ったけど、緊張で身体はすぐに熱くなるかなって…」
「緊張…そうか嬉しいよ。なぁ?アパレルショップでのプレゼントの件、ここでやらないか?」
僕はそれを了承し、一旦お土産コーナー内でそれぞれ別れ、閉店時間までにお土産コーナーの外で再度集合するということで話が落ち着いた。
お土産コーナーは案外広く、よくあるようなキーホルダーにショーのあったイルカやアシカの複数のサイズ展開のあるぬいぐるみ。水族館内にいた生物をモチーフにしたお菓子など様々なお土産が展開されていた。
「桜花くんに何をプレゼントしよう…」
キーホルダーは悪くはないのだが、桜花くんがつけるにしては少し子供っぽいデザインだ。ぬいぐるみも桜花くんは喜ばないだろう。お菓子も一緒に水族館に来ていないのであれば多少なり喜ばれたかもしれないが、今日は桜花くんとデートで来ているのだ。そうなれば水族館のお菓子をプレゼントするのは良くない。
僕は何をプレゼントすれば喜んでもらえるか悩んでいるとき、ふとあることを思い出した。
『そうですね…無理に服にこだわらなくてもいいと思いますよ。アパレルショップの店員がこんなこと言うのもあれですけど、服以外にも身に着けるものはあります。最近だと冬も近いので手袋だったりマフラーとかもおすすめで…』
それはアパレルショップで男性店員に言われた言葉だった。
「こだわらなくてもいい…か。そう言えば今日はずっと桜花くんと手を繋いでるな。…そうだ!」
僕は店内を駆け巡り、目当ての商品を見つけると、それだけでは味気ないと感じ桜花くんがつけていてもおかしくないキーホルダーを一つ選んだ。桜花くんはピンクも好きだと言っていたが、今回は黒のイルカをモチーフにしたキーホルダーにした。
探すのに案外時間がかかってしまったため、会計時にプレゼント用の包装をしてもらっていると、すでに閉店時間間際になっていた。僕は急いで桜花くんと集合するために外に向かう。
「酵汰!こっち!」
「ごめん、遅くなって…」
「全然。もう閉店の時間だからとりあえず水族館を出ようか。」
桜花くんは僕に手を取らせるように、手を差し伸べてきた。僕はその手を取り、手を繋いで一緒に水族館をあとにした。そのあと駅に向かって歩き、その間ずっと楽しく話しながら過ごした。行きのときには桜花くんが怒っていて無言でズカズカ歩く時間がほとんどだったが、帰りは本当に楽しく過ごせた。時刻は19時を回っており、街の明かりであたりは明るいものの、空はすでに星が見えるほど真っ暗であった。
ぶっちゃけこんな時間まで外で遊んだのは初めてである。学校がある日は18時前後までには家に帰り着くようにしているし、休日は基本家に引きこもっているため帰宅する時間まで気にしたことはなかった。仮に本を買いに外に出たとしてもパン屋のアルバイトが終わってすぐに行くことが多いため、昼過ぎには家に帰ってきていた。そのため今は何か悪いことをしてる気分になり、高揚感と桜花くんとのデートの楽しさで変なテンション感になっていた。
「ね、ねぇ…」
「どうした?」
「また…行きたい」
「え?」
その瞬間、自分の発言がどんな意味を持つのかを理解した。変なテンションになってしまい、言ってはいけないことを言ってしまったと理解した。今日の僕は桜花くんが小林くんとのデートを成功させるための事前練習の相手にすぎない。それなのにもかかわらず「また行きたい」とはまるでこのデートの目的を理解していない勘違い野郎だ。
「ご、ごめんなさい。違うんです。」
「ちが…う?」
「ごめんなさい。今日は本当に楽しかったです。これ約束のプレゼント。」
「え?え?」
先程買った桜花くんへのプレゼントを桜花くんに袋ごと押し付け、戸惑う桜花くんを見て見ぬふりして僕は桜花くんに告げる。
「今日のデートは本当に楽しかった。僕の一生の思い出になるくらい楽しかったです。だから。…だからきっと、デートをすれば小林くんは桜花くんを見てくれるようになるよ。僕が保証する。」
「……………。」
「今日はありがとうございました。さ、先に帰るね。」
「え、いや、プレゼント!」
「桜花くんからのプレゼントは受け取れないよ。それは本来小林くんが受け取るべきものだよ。」
「これは酵汰のために買ったもので…」
「違うよ。」
「…」
「それは本来小林くんにプレゼントするものだよ。送る相手は僕じゃない。」
困惑する桜花くんを無視して、僕は駅に向かって走った。後ろから僕を読む桜花くんの声が聞こえたが、それを聞こえないふりをした。僕はこれ以上桜花くんといっしょにいると本当に勘違いして、言ってはいけないことを言ってしまいそうになる。だから僕は桜花くんと帰る方向は同じなのにもかかわらず、桜花くんをおいて先に帰った。
■ ■ ■ ■ ■
家に帰り着いた僕は駆け足のまま階段を駆け上がり自室へ駆け込みベッドにダイブした。そんな状況を見てか母親が部屋の前まで来て声をかけてきた。
「酵汰?帰ってきたの?」
「…。」
「大丈夫?」
「…大丈夫。」
僕は大丈夫じゃない声で母親にそう返事をした。母親は「そう…何かあったら言ってね」とだけ伝えリビングに戻っていった。きっと心配させたに決まっている。朝は僕が友達と買い物に行くことを知るとあんなにうれしそうにして、お小遣いまでくれたのにもかかわらずだ。申し訳ないことをした自覚はある。
「ほんとなにやってんだろ。」
そう僕は呟いた。
すると、誰かが部屋に近づいてくる足音が聞こえた。
「酵汰…ご飯食べる?」
声の主は母親であった。やはり心配してくれているのだろう。夕飯ができたことを知らせにわざわざ戻ってきてくれたのだ。やはり申し訳ないことをしてしまった。
「ごめん、体調よくないから今日はいらない…。ごめん。」
「…そう、冷蔵庫に入れておくからお腹すいたらいつでも食べていいからね。あとでポカリ部屋の前に置いておくから、動けそうなら飲みなさいね。」
「…ありがとう。ごめん。」
僕がそう言うと、母親が部屋から離れていく足音が聞こえた。その不規則な足音に僕は眠くなり、いつの間にか夢の中にいた。
■ ■ ■ ■ ■
習慣というのは体に染み付いているもので、アラームなしに僕は3時45分に目が覚めた。身体はなんとなくだるい気がするが、そんな重い身体を引きずって僕はいつもどおりの行動をする。15分でシャワーを済ませると、1階に降りて開店の準備を始める。
「おはよう酵汰。その…大丈夫なの。体調良くなった?」
「…うん、おはよう。大丈夫だよ。ごめんね。」
「そう…。ね、ねぇ!今日は日曜日だし、どこか行きましょうか!あなたもたまにはどう?家族3人で外出とか最近やってなかったじゃない?」
「…ごめん。今日は…いいや。」
「そ、そう…。じゃあまた今度行きましょうね。」
「うん、ごめん。台拭いてくるよ。」
「うん…。ありがとう。」
母親はやはり心配してくれているらしいが、今の僕に心配させないようにする余裕はない。そんな僕には朝食を食べる気力もなく、準備をしてぶっ通しで開店から閉店である15時まで働き続けた。母親だけではなく、店の奥でパンを作り続けている父親ですら「すこしくらい休んだらどうだ?」と声をかけてきたが、それも不器用な笑顔でかわした。
閉店してからも1時間ほど店内を掃除する。店内にはパンくずが落ちていたり、台の上には粉が落ちていたりするためそれを掃除するのだ。それが終わったら僕は自室に戻り、上北学園高等学校で出された宿題に手を付けた。宿題はたいしたものはなく、各教科1時間もあれば終わる量だろう。僕はモクモクと宿題を進めていく。そんな宿題に集中しているときノック音が部屋中に響き渡った。
「酵汰、ちょっといい?」
「…うん、いいよ」
僕が返事をすると、母親が僕の部屋に入ってきた。
「…昨日は、その…楽しくなかったの?」
「な、なんで?」
「昨日から様子が変だし、ご飯だって食べないし…なにもないって方がおかしいでしょ?」
「そうだよね…」
「楽しくなかったの?」
「ううん。その逆。めちゃくちゃ楽しかったよ。」
僕はそう言うと、昨日撮っておいた写真を何枚か母親に見せた。
ボロネーゼを頬張る桜花くん。
ピザを食べて伸びるチーズに戸惑う桜花くん。
メンダコにテンションが上がる桜花くん。
魚のふれあいコーナーで慎重に触れる桜花くん。
イルカショーに感動する桜花くん。
ステージに上がってアシカと一緒に写真を撮る桜花くん。
たった一日で僕の一生の思い出に残るデートだった。その写真を見て母親も少し安心してくれたようだが、なぜこんなにも楽しそうなのに、昨日帰ってきてから様子が変だったのか逆に気になったようだ。
「…えっと楽しすぎて、終わってほしくないな…的な?」
「…そう。そういうことにしておくわね。でもご飯は食べなさい。心配しちゃうでしょ。」
「うん、そうする。」
「じゃあ御飯作って待っておくから、宿題が終わったら来なさいね。」
母親はそう言って部屋から出て行ってしまった。
僕は机を向き、宿題を再開するが先程見た桜花くんの写真が気になって仕方がない。
「あぁ、本当に楽しかったな。」
僕は桜花くんの写真を見ながらそう呟いた。そして僕は叶わぬと知りながらも一番最初に撮ったボロネーゼを頬張る桜花くんの写真を待ち受けにしてみた。
「…僕って惨めだよな。いいやご飯食べよ。」
僕はスマホをおいて、リビングへ向かった。
「魚全然いないね。」
「もう冬に近いからな。淡水魚は冬眠してるし、海水魚は隅にいるみたいなだ。」
「ご、ごめん。僕が水族館に行こうとか言ったから…」
僕がそう口にしようとしたとき、それを遮るかのように僕の手を桜花くんが強く握った。
「俺は酵汰と一緒ってだけで嬉しいよ。だから謝らないで。それにこのシーズンは深海魚コーナーがあるらしいぞ!そっち行ってみようぜ。」
「うん。行く!」
「それにしても魚がいないからか、めっちゃ人少ないな。酵汰とゆっくりデートできるからやっぱり水族館に来てよかったな。」
桜花くんはそんなことを何食わぬ顔で僕に伝えてくるが、桜花くんは僕の気持ちを知らない。本来その言葉を投げかけたい相手は僕じゃなく小林くんなわけで、桜花くんの言葉一つ一つに喜びそうになる自分が嫌になる。僕はただのデートの練習相手である自覚を常に持っておかないと、簡単に流されてしまいそうになる。
『桜花くんの言葉は僕に向けられたものじゃない。』
僕は何度も自分の胸の中で、自分に言い聞かせるように呟き、僕の手を引く桜花くんについていく。
「酵汰見てみろよ!すっげぇ変な顔の魚がいるぞ!」
「わ!ホントだ!こっちには手のひらサイズのタコがいるよ。」
「ん〜どれどれ。お、メンダコじゃん!」
「めんだこ?」
「そ、メンダコ!ピンクでかわいいだろ?たぶん期間限定なんじゃないかな?」
「そうなの?詳しいね。」
「ピンク好きって言っただろ?だからメンダコも好きなんだよ。」
今日は僕の知らない桜花くんの一面をたくさん知れる一日だった。僕はその後も桜花くんとの水族館デートを楽しんだ。魚のふれあいコーナーやイルカショーにアシカショーなど桜花くんと二人で、二人だけの時間を過ごした。特にイルカショーとアシカショーは野外ということもあり、冬も近いこの時期にはショーを見に来るお客も少なく、会場には僕と桜花くんとあと数名といったくらいしかおらず、特別にステージ上に招待してもらって、イルカに触ったり、アシカと写真を撮影したりと普段の水族館じゃ体験できなかったであろうことをたくさん体験した。
こんな楽しい時間というのはあっという間に過ぎていくもので、気がついた頃には18時を回っていた。
「酵汰!あと30分で閉まっちゃうからお土産コーナー見に行こうぜ!」
「うん、行きたい!」
閉店の近いお土産コーナーは空いており、時間こそ限られているもののどんな商品があるかをじっくり見ながら選ぶことができた。桜花くんとどんなものがあるのかを見て回っていたのだが、突如桜花くんが「酵汰の服のサイズ何?」と聴いてきた。
「えっと、Mかな。」
「ダボッと着たりする?」
「僕そんなに服とか持ってなくて、そうだ。今日の服変じゃない?」
「ははっ。なんだよそれ。今更過ぎないか?」
「聞くタイミングなくて…」
「酵汰はかわいいよ。今日の服も似合ってる。でも寒くないのか気になる薄着ではあるかな。」
「うん…寒いかなとは思ったけど、緊張で身体はすぐに熱くなるかなって…」
「緊張…そうか嬉しいよ。なぁ?アパレルショップでのプレゼントの件、ここでやらないか?」
僕はそれを了承し、一旦お土産コーナー内でそれぞれ別れ、閉店時間までにお土産コーナーの外で再度集合するということで話が落ち着いた。
お土産コーナーは案外広く、よくあるようなキーホルダーにショーのあったイルカやアシカの複数のサイズ展開のあるぬいぐるみ。水族館内にいた生物をモチーフにしたお菓子など様々なお土産が展開されていた。
「桜花くんに何をプレゼントしよう…」
キーホルダーは悪くはないのだが、桜花くんがつけるにしては少し子供っぽいデザインだ。ぬいぐるみも桜花くんは喜ばないだろう。お菓子も一緒に水族館に来ていないのであれば多少なり喜ばれたかもしれないが、今日は桜花くんとデートで来ているのだ。そうなれば水族館のお菓子をプレゼントするのは良くない。
僕は何をプレゼントすれば喜んでもらえるか悩んでいるとき、ふとあることを思い出した。
『そうですね…無理に服にこだわらなくてもいいと思いますよ。アパレルショップの店員がこんなこと言うのもあれですけど、服以外にも身に着けるものはあります。最近だと冬も近いので手袋だったりマフラーとかもおすすめで…』
それはアパレルショップで男性店員に言われた言葉だった。
「こだわらなくてもいい…か。そう言えば今日はずっと桜花くんと手を繋いでるな。…そうだ!」
僕は店内を駆け巡り、目当ての商品を見つけると、それだけでは味気ないと感じ桜花くんがつけていてもおかしくないキーホルダーを一つ選んだ。桜花くんはピンクも好きだと言っていたが、今回は黒のイルカをモチーフにしたキーホルダーにした。
探すのに案外時間がかかってしまったため、会計時にプレゼント用の包装をしてもらっていると、すでに閉店時間間際になっていた。僕は急いで桜花くんと集合するために外に向かう。
「酵汰!こっち!」
「ごめん、遅くなって…」
「全然。もう閉店の時間だからとりあえず水族館を出ようか。」
桜花くんは僕に手を取らせるように、手を差し伸べてきた。僕はその手を取り、手を繋いで一緒に水族館をあとにした。そのあと駅に向かって歩き、その間ずっと楽しく話しながら過ごした。行きのときには桜花くんが怒っていて無言でズカズカ歩く時間がほとんどだったが、帰りは本当に楽しく過ごせた。時刻は19時を回っており、街の明かりであたりは明るいものの、空はすでに星が見えるほど真っ暗であった。
ぶっちゃけこんな時間まで外で遊んだのは初めてである。学校がある日は18時前後までには家に帰り着くようにしているし、休日は基本家に引きこもっているため帰宅する時間まで気にしたことはなかった。仮に本を買いに外に出たとしてもパン屋のアルバイトが終わってすぐに行くことが多いため、昼過ぎには家に帰ってきていた。そのため今は何か悪いことをしてる気分になり、高揚感と桜花くんとのデートの楽しさで変なテンション感になっていた。
「ね、ねぇ…」
「どうした?」
「また…行きたい」
「え?」
その瞬間、自分の発言がどんな意味を持つのかを理解した。変なテンションになってしまい、言ってはいけないことを言ってしまったと理解した。今日の僕は桜花くんが小林くんとのデートを成功させるための事前練習の相手にすぎない。それなのにもかかわらず「また行きたい」とはまるでこのデートの目的を理解していない勘違い野郎だ。
「ご、ごめんなさい。違うんです。」
「ちが…う?」
「ごめんなさい。今日は本当に楽しかったです。これ約束のプレゼント。」
「え?え?」
先程買った桜花くんへのプレゼントを桜花くんに袋ごと押し付け、戸惑う桜花くんを見て見ぬふりして僕は桜花くんに告げる。
「今日のデートは本当に楽しかった。僕の一生の思い出になるくらい楽しかったです。だから。…だからきっと、デートをすれば小林くんは桜花くんを見てくれるようになるよ。僕が保証する。」
「……………。」
「今日はありがとうございました。さ、先に帰るね。」
「え、いや、プレゼント!」
「桜花くんからのプレゼントは受け取れないよ。それは本来小林くんが受け取るべきものだよ。」
「これは酵汰のために買ったもので…」
「違うよ。」
「…」
「それは本来小林くんにプレゼントするものだよ。送る相手は僕じゃない。」
困惑する桜花くんを無視して、僕は駅に向かって走った。後ろから僕を読む桜花くんの声が聞こえたが、それを聞こえないふりをした。僕はこれ以上桜花くんといっしょにいると本当に勘違いして、言ってはいけないことを言ってしまいそうになる。だから僕は桜花くんと帰る方向は同じなのにもかかわらず、桜花くんをおいて先に帰った。
■ ■ ■ ■ ■
家に帰り着いた僕は駆け足のまま階段を駆け上がり自室へ駆け込みベッドにダイブした。そんな状況を見てか母親が部屋の前まで来て声をかけてきた。
「酵汰?帰ってきたの?」
「…。」
「大丈夫?」
「…大丈夫。」
僕は大丈夫じゃない声で母親にそう返事をした。母親は「そう…何かあったら言ってね」とだけ伝えリビングに戻っていった。きっと心配させたに決まっている。朝は僕が友達と買い物に行くことを知るとあんなにうれしそうにして、お小遣いまでくれたのにもかかわらずだ。申し訳ないことをした自覚はある。
「ほんとなにやってんだろ。」
そう僕は呟いた。
すると、誰かが部屋に近づいてくる足音が聞こえた。
「酵汰…ご飯食べる?」
声の主は母親であった。やはり心配してくれているのだろう。夕飯ができたことを知らせにわざわざ戻ってきてくれたのだ。やはり申し訳ないことをしてしまった。
「ごめん、体調よくないから今日はいらない…。ごめん。」
「…そう、冷蔵庫に入れておくからお腹すいたらいつでも食べていいからね。あとでポカリ部屋の前に置いておくから、動けそうなら飲みなさいね。」
「…ありがとう。ごめん。」
僕がそう言うと、母親が部屋から離れていく足音が聞こえた。その不規則な足音に僕は眠くなり、いつの間にか夢の中にいた。
■ ■ ■ ■ ■
習慣というのは体に染み付いているもので、アラームなしに僕は3時45分に目が覚めた。身体はなんとなくだるい気がするが、そんな重い身体を引きずって僕はいつもどおりの行動をする。15分でシャワーを済ませると、1階に降りて開店の準備を始める。
「おはよう酵汰。その…大丈夫なの。体調良くなった?」
「…うん、おはよう。大丈夫だよ。ごめんね。」
「そう…。ね、ねぇ!今日は日曜日だし、どこか行きましょうか!あなたもたまにはどう?家族3人で外出とか最近やってなかったじゃない?」
「…ごめん。今日は…いいや。」
「そ、そう…。じゃあまた今度行きましょうね。」
「うん、ごめん。台拭いてくるよ。」
「うん…。ありがとう。」
母親はやはり心配してくれているらしいが、今の僕に心配させないようにする余裕はない。そんな僕には朝食を食べる気力もなく、準備をしてぶっ通しで開店から閉店である15時まで働き続けた。母親だけではなく、店の奥でパンを作り続けている父親ですら「すこしくらい休んだらどうだ?」と声をかけてきたが、それも不器用な笑顔でかわした。
閉店してからも1時間ほど店内を掃除する。店内にはパンくずが落ちていたり、台の上には粉が落ちていたりするためそれを掃除するのだ。それが終わったら僕は自室に戻り、上北学園高等学校で出された宿題に手を付けた。宿題はたいしたものはなく、各教科1時間もあれば終わる量だろう。僕はモクモクと宿題を進めていく。そんな宿題に集中しているときノック音が部屋中に響き渡った。
「酵汰、ちょっといい?」
「…うん、いいよ」
僕が返事をすると、母親が僕の部屋に入ってきた。
「…昨日は、その…楽しくなかったの?」
「な、なんで?」
「昨日から様子が変だし、ご飯だって食べないし…なにもないって方がおかしいでしょ?」
「そうだよね…」
「楽しくなかったの?」
「ううん。その逆。めちゃくちゃ楽しかったよ。」
僕はそう言うと、昨日撮っておいた写真を何枚か母親に見せた。
ボロネーゼを頬張る桜花くん。
ピザを食べて伸びるチーズに戸惑う桜花くん。
メンダコにテンションが上がる桜花くん。
魚のふれあいコーナーで慎重に触れる桜花くん。
イルカショーに感動する桜花くん。
ステージに上がってアシカと一緒に写真を撮る桜花くん。
たった一日で僕の一生の思い出に残るデートだった。その写真を見て母親も少し安心してくれたようだが、なぜこんなにも楽しそうなのに、昨日帰ってきてから様子が変だったのか逆に気になったようだ。
「…えっと楽しすぎて、終わってほしくないな…的な?」
「…そう。そういうことにしておくわね。でもご飯は食べなさい。心配しちゃうでしょ。」
「うん、そうする。」
「じゃあ御飯作って待っておくから、宿題が終わったら来なさいね。」
母親はそう言って部屋から出て行ってしまった。
僕は机を向き、宿題を再開するが先程見た桜花くんの写真が気になって仕方がない。
「あぁ、本当に楽しかったな。」
僕は桜花くんの写真を見ながらそう呟いた。そして僕は叶わぬと知りながらも一番最初に撮ったボロネーゼを頬張る桜花くんの写真を待ち受けにしてみた。
「…僕って惨めだよな。いいやご飯食べよ。」
僕はスマホをおいて、リビングへ向かった。


