「本当にまずい。」

 僕は自室のクローゼットを眺めながらそう呟いた。クローゼットの中には学校の制服とアルバイト用のエプロンが数着。そして黒のシンプルなスキニーの同じものが2本に、これまたシンプルな白と黒のロンTが数着ずつ。カーキのカーディガンが一着あるのみである。
 小林くんとのデートのための練習相手とは言え、僕が桜花くんとデートができる最後の機会でもある。桜花くんは一緒に服を見に行こうとは言ってくれたはいいものの、好きな人との買い物であることには変わりないため、多少なりともおしゃれして行きたいものだ。しかしこの服のバリエーションで可能な組み合わせは2種類のみ。白のロンTを着るか、黒のロンTを着るかだ。考えた結果、黒のスキニーに白のロンTに、カーキのカーディガンを少し着崩して着ることにした。バッグはショルダーバッグとトートバッグの2種類を持っているが、動きやすいほうがいいだろうというのと、小林くんならショルダーバッグを使ってそうという想像から、ロンT、ショルダーバッグ、カーディガンの順に着ることにした。

 「…変じゃないかな?」

 僕は姿見鏡の前で明日のデート用の服を実際に着て一周回ってみる。きっと桜花くんは私服もかっこいいに違いない。そう考えると桜花くんの隣りを歩くのに適している服なのか?変じゃないか?など気になって仕方がない。そんなことをしているとリビングからご飯の用意ができた旨の声が聞こえてきたため、一時中断し僕はリビングへ向かった。


■ ■ ■ ■ ■


 「朝だ…」

 日付が変わって僕がその日初めて口にした言葉がそれだった。正直寝れていない。というか寝た気がしない。そもそも両親以外の誰かと外出をしたことなどない僕にとってそれだけでも緊張するというのに、仮に練習相手だとしても好きな人とデートに行けるというだけで今にも失神しそうなほど緊張している。つまり気が付いたら朝だったのだ。
 スマホの画面を見ると4時を回っていた。普段よりも15分程遅い起床ではあるが休日なので誤差だろう。重い腰をあげ軽くシャワーを浴びると、昨日選んだ服を着て、その上からエプロンを羽織り、パン屋の開店の準備を始める。

 「…酵汰《こうた》?今日何かあるの?」

 掃き作業をしていると店の奥からパンを入れるための袋を補充しに店内に戻って来た母親にそう声をかけられた。僕を下から上に、そして上から下に舐めるように母は僕を見る。

 「え、なんで?」
 「だってなんかご機嫌じゃない?何かあるのかなーって。」
 「あー、うん。と、友達と買い物に行くんだ。」
 「…え?友達?」
 「うん…一応友達。」

 それを聞いた母親の頬を一滴の雫が流れ落ちる。ただ泣いているわけではない。胸をなでおろすように、微笑みながら泣いていた。

 「そう…友達。友達ね。お金はある?ちょっと待ってね。手持ちあったかしら。」
 「だ、大丈夫。バイト代あるし。ありがとう。」

 そう言っても母親は僕の制止など聞かず、店の奥に戻り棚から自身の財布を取ってくると、財布から数千円を取り出し僕に渡した。

 「もう昨日のうちに言ってくれればよかったのに。手持ちがこれしかないわ。」
 「いやほんとに大丈夫だよ!バイト代ほとんど使ってないし。」
 「そうじゃないのよ。私が酵汰に使ってほしいの。それでどこに行くの?」
 「えっと、一応水族館なんだけど、服も一緒に見に行くことになってる。」
 「いいじゃない!楽しんでおいで。」
 「…うん。ありがとう。」

 僕はこのデートが良いものではないことを知っているため、若干歯切れの悪い返事をしてしまったが、母親はそれに気づいていないようだった。そんな話をしているうちに時計の針は6時を指していた。これは毎日感じる事なのだが、朝の準備の時間はなぜこんなにも早く時が進むのだろうか。授業中はあんなにも長い1時間が朝は一瞬で終わる気がする。僕はそんなこと思うと同時に、桜花くんとのデートの時間が近づいてきたことに緊張度合が高まりながらも、楽しみにしている自分がいた。僕は微笑みながらパン屋を開けた。
 休日と聞くと平日よりも客足が衰えるのではないかと思われるかもしれないが、実際はそうではない。平日と同じもしくはそれ以上に忙しい場合も多々ある。一番は学生だ。平日は朝練がない部活も、休日は一日中練習する場合があるらしく、運動部だけではなく文化部系の部活の学生も買いに来る。次に多いのは意外にも主婦の皆さまだ。平日は旦那さんやお子さんのお弁当を作り、余ったものを朝食として食べている人が多いようだが、休日ともなればお弁当は不要らしく、ママ友を連れて一緒に買いに来られることも多い。
 何が言いたいのかというと、休日のパン屋は思ってる以上に忙しいと言うことだ。6時開店だと言うのに、次に時計を見たときには既に9時30分をまわろうとしていた。開店が3時間以上が経過しているにもかかわらず、客足が途絶えることはなかった。僕はいつも通りトレーやトングの清掃、少なくなったパンの補充に加え、不慣れなお客様に代わって袋詰めを行ったり、お客様の要望に合わせた食パンのスライスを行ったりしていた。

 「酵汰。今日はもうあがっていいわよ。」

 そんな忙しさにふけっていると、レジを打ちながら母親が僕にそう声をかけた。僕は一瞬あまりの忙しさにとうとう母親がバグったのではないかと思った。

 「何言ってるの?あ、もしかして休憩行きたい?いいよ。僕レジ代わるよ。」
 「酵汰こそ何言ってんのよ。どこに息子より先に休憩に行く親がいるのよ。入口。見てみなさい。」

 僕はそう言われて入口に視線を向ける。そこには後ろ姿しか見えないものの、店の前で待つ高身長の黒髪短髪姿の男性の姿があった。僕はその姿だけでその人物が誰なのか瞬時に理解した。その瞬間僕は店の扉を開け、想い人に声をかけた。

 「桜花くんごめん!もう時間だった?」
 「おはよー酵汰。いやまだ全然時間じゃないよ。あと1時間ある。」
 「え?」

 そう桜花くんが言うもんだから、僕は店内の時計に目を向けると時計の針は10時を指していた。

 「今日のデートが楽しみすぎて、時間より早く来ちゃった。」

 桜花くんは屈託のない笑顔で少し恥ずかしそうに頭を掻きながら僕にそう言った。その言葉が嬉しすぎて、今すぐにでも桜花くんに飛びついて抱きつきたい気持ちに駆られたが、必死に理性を保ちながらも返事をした。

 「ありがとう。実は僕も…楽しみだったんだ。もうバイトあがるからもう少しだけ待ってて。」

 僕はそう言い残し店内に戻ると、母親が僕を見て嬉しそうにしていた。そのやり取りを見ていたお客さんも「はやく遊んできな!」と声をかけてくる始末だ。僕は母親に「あがっていいの?」と聞くと「だからそう言ってるじゃない」と強気な返答が返って来た。僕は「ありがとう」とだけ伝え、急いで二階に駆け上がり自室へ向かうと、エプロンを脱ぎ捨て、ショルダーバッグ、カーディガンの順に着て、鏡の前で少しだけ髪を整える。

 「よし!」

 僕はそう鏡に向かって呟くと、階段を駆け下り店内全体に聞こえるように「行ってきます」とだけ言い店を飛び出した。
 店前で待っていた桜花くんはやはりかっこよかった。先ほどは驚きのあまりちゃんと見れていなかったが、桜花くんの私服を見るのは初めてである。高身長でがっしりした体格の桜花くんに似合わないものなんて無いと思っていたが、どうやら僕の読みは当たっていたらしい。まずはパンツだ。僕と同じ黒のスキニーを履いているのだが、制服や体育のジャージ姿のときにはわからなかった魅力的な太ももの太さに足首にいくにつれて徐々に細くなっていくふくらはぎは完璧な逆三角形を模している。上はオーバーサイズの黒のパーカーを着ているが、裾から中の白のロンTが見えており、遊ばせている感じがおしゃれ上級者のようだ。

 「かっこいい…」
 「ありがと。酵汰の私服は可愛い感じだな。初めて見た。似合ってるよ。」
 「え、僕また声に出てた?」
 「ははっ。じゃあ行こうか。」

 そう言うと桜花くんは僕の手を取った。
 僕の最初で最後の好きな人とのデートが始まった。


■ ■ ■ ■ ■


 僕と桜花くんはまず駅に向かった。僕らの住んでいる地域には水族館は無いため、電車で数十分揺られたところにある大きな街に行く必要があった。乗り物酔いのしやすい僕にとって、電車もそれなりに酔う乗り物なのだが、今日はそれどころではないらしい。桜花くんはデートの練習というのを忠実に守っているのだろう。店前で桜花くんに手を握られてからずっと手を繋いでいる。その恥ずかしさと嬉しさから酔うことができないでいた。
 桜花くんは僕に気を使ってか、実際のデートに向けて小林くんを楽しませる練習なのかわからないが、常に僕に声をかけてきた。

—俺、電車に乗るのなんて久々だよ
—酵汰はカーキみたいなくすんだ色が好きなの?
—水族館とか小学校の遠足以来かも
—服はいつもどこで買ってるの?
—パン屋は忙しそうだったな。疲れてないか?

 それはもうたくさん声をかけてくれた。その甲斐あってか会話はかなりはずんだと思う。それにそのおかげで桜花くんのいろんなことを知ることができた。
 桜花くんは黒も好きだが、薄いピンクのような色も好きなこと。これは自分の名前に”桜”が入っているからだそうだ。それから目はそこまでは悪くないそうなのだが、裸眼では相手が誰かまではわかるが、細かな表情までは見えないためかけているとのこと。コンタクトにしない理由は朝起きてすぐにメガネをかけるらしく、そのまま過ごすことが多いかららしい。

 「次で降りるよ。」

 桜花くんとの会話が楽しくてすっかり時間感覚を忘れていたが、目的地である大きな街まであと一駅というところまできていた。桜花くんは僕の手を引きそのまま立ち上がると、電車の扉付近に立ち、僕はこけないようになのか腰を持って支えてくれた。
 駅につくとすぐに水族館に行くのかと思っていたが、桜花くんのデートプランは違っていたらしい。「まずはこっち!」と僕をエスコートして訪れたのは駅内にあるアパレルショップであった。

 「服屋?」
 「そ!服も見に行こって言っただろ?」
 「う、うん。言ってたけど…」
 「俺に酵汰の服、選ばせて。」

 桜花くんの勧めで入店したアパレルショップはシンプルが売りのアパレルであったが、シンプルが故の可愛さがある、そんなブランドのお店であった。そんな店内で桜花くんは何着か服を見繕っては僕に合わせて、似合うかどうかの判断を行っていた。

 「酵汰はなんでも似合うね。」
 「え?そんなことないと思うけど…桜花くんのほうが何でも似合うでしょ?ほらこれとかかっこいいんじゃない?」

 僕はダークグレーのカーディガンを手に取り、それを桜花くんに合わせた。

 「ふぅーん。じゃあ買う。」
 「え?」
 「酵汰が俺に選んでくれたんだろ?なら買うよ。」
 「え…じゃ、じゃあ僕にプレゼントさせて!」
 「ん?」
 「で、デートのお礼ってことで。」
 「…なら俺は酵汰に服買おうかな。」
 「なんでそうなるの?」
 「デートのお礼なんだろ?」

 そう言われてしまってはどうすることもできない。僕は桜花くんの言葉に頷くことしかできなかった。そして互いに互いの服を選んでプレゼントするというイベントが急遽開催された。話し合いの結果予算は五千円で基本的には上半身のコーディネートをすることになった。高校生で互いへのプレゼントとして五千円分というのはかなり高額だと思う。僕はアルバイトをしているし使い道もほとんどないから五千円など問題はないのだが、桜花くんにとってはかなりの負担ではないだろうか。そう考えていると桜花くんが声をかけてくれた。

 「俺の財布事情を心配してくれてる?酵汰はやさしいね。でも俺も酵汰と同じでバイトしてるから大丈夫だよ。」

 初めて知った。桜花くんがアルバイトしていることを。部活はしていないことは知っていたが、まさかアルバイトをしているとは思ってもいなかった。

 「なんのアルバイトしてるの?」
 「んー。まだ内緒。」
 「まだ?」
 「そう。まだ。」

 その意味がわからないが、互いに服をプレゼントするイベントは続行することとなった。一応プレゼントなので、一度店内は別行動にして買い終わったら店前で再集合することとなった。
 僕は人に何かをプレゼントするなんて初めてであり、しかも好きな人の服を選ぶだなんて、そんなイベントに出くわすことはないと思っていた。それは嬉しいのだが、僕の選んだ服がダサかったらどうしようと自分のセンスを疑ってしまい、なかなか服選びが進まない。

 「何かお探しでしょうか?」

 そう声をかけてきたのは、おそらくアパレルショップの男性店員さんだ。おそらくと言うのはアパレルショップ特有だとは思うが、店員さんの制服がその店で売られている服だからである。これでは店員なのかお客さんなのか分からない。エプロンなどつけてくれていたり、名札などぶら下げている場合もあるが、このアパレルショップは違うらしい。

 「そ、そうですね…良いのがないか見て回ろうかと。」
 「そうですか。ご自分用ですか?」
 「あ、いえ、プレゼントで…。あ、丁度あそこにいると、友達に…。」

 僕のその言葉に、店員さんは視線を動かし、桜花くんを見る。

 「そうなんですね。彼は身長も高くて体格もがっしりされているので、今着ているようなオーバーサイズのものが似合いそうですね。もしよろしければいくつか見繕ってきましょうか?」
 「いえ、そこまでは…。自分で選びたいっていうのもあるので…。あ、じゃあこれだけ。今人気のあるものってどんなものですか?」
 「かしこまりました。そうですね…無理に服にこだわらなくてもいいと思いますよ。アパレルショップの店員がこんなこと言うのもあれですけど、服以外にも身に着けるものはあります。最近だと冬も近いので手袋だったりマフラーとかもおすすめで…」

 「何話してるんすか?」

 先ほどまで店員の男性と話していたのに次の瞬間、僕の目には何も映らなくなり、それと同時にドスの聞いた低い声が僕の後ろから聞こえた。声の主は桜花くんであり、桜花くんは僕を後ろから抱くように囲っており、僕の目には桜花くんの手が置かれていた。

 「…いま、お客様に合うお洋服をお連れ様と一緒に考えていたところです。」
 「…そうですか。もういいですか?」
 「え、ええ。」

 困惑する店員をよそに、僕の視界が急に開けると桜花くんは僕の手を取って店を後にした。大股の早歩きで音が出るほど強く地面を蹴りつけながら歩く桜花くんはどこからどう見て怒っているようにしか見えなかった。僕は桜花くんに引っ張られながら自分が何か気に障ることをしてしまったのかと考えるが、自分の何がいけなかったのか理解できずにいた。そんなときふと桜花くんが足を止め振り返った。

 「…ごめん。」
 「え?」
 「俺いま、感じ悪いだろ?」
 「そ、そんなことはないけど…」
 「酵汰は優しいな…。フツー急にキレて、腕を思いっきり引っ張る奴とか感じ悪いし、最悪だろ。」
 「それは…僕が桜花くんの気に障るようなことをしたのが悪いわけで…。」
 「…え?酵汰は俺が酵汰に怒ってると思ってるの?」
 「違うの?」

 桜花くんは僕の両手を優しく包み込み、温かい言葉を投げかける時のように。そして謝るように「酵汰は何も悪くない」とそう言った。そして続けるように「悪いのは全部俺だ。ごめん。」とだけ呟いた。

 「じゃあ、どうして怒ってたの?」
 「…酵汰は俺とデート中って自覚がある?」
 「た、多少は…」
 「一緒にデート来てるやつが、別の奴と話してたらそりゃ面白くねーだろ。」


 —やめてくれ。そんなこと言わないで。勘違いしそうになる。


 「だったら悪いのは僕じゃん。ごめん。デート中に別の人と話して。」そう誤魔化すように伝えた僕は今、どんな顔をしているのだろうか。きっとみっともない顔をしているに違いない。桜花くんの言葉はデートの練習相手として僕に伝えたに過ぎない。本来その言葉を聞かせたい相手は小林くんだ。僕が。僕なんかが勘違いしちゃいけない。

 「ねぇ、水族館の前にさ。お昼食べに行かない?小林くんは好きそうなお店探しながら歩こうか。」

 僕はそう言って桜花くんに優しく包み込まれていた手を申し訳なさそうに払い、「水族館はこっちだから、道中で見つけようか。」と提案をしながら、今日初めて桜花くんより前を歩いた。


■ ■ ■ ■ ■


 お店は案外簡単に見つかった。というのも桜花くんが事前にお店の調査を行ってくれていたらしく、予約も済ませてくれていたみたいだ。やはりかっこいい男はかっこいい。デートにおける何たるかを心得ているようだ。直前のトラブルで予約時間よりも早く店に着いたにも関わらず、お店側は優しく対応してくれた。

 「酵汰は何食べる?」

 席に着くと、メニュー表を僕に見せながら桜花くんが質問を投げかけてきた。先ほどまで不機嫌だったり、嫉妬の練習をしていたりとこの数分で様々な表情を垣間見せる桜花くんであったが、今はいつものかっこいい桜花くんに戻っているようだ。

 「そもそもここって、なんのお店なの?僕こんなおしゃれなお店来たことなくて…」

 僕は店員さんに聞こえないように、小声で桜花くんに質問をする。質問に質問で返すような行為をしてしまい申し訳ないと思いつつも、おしゃれすぎる店内に落ち着かない僕はそう投げかけることしかできなかった。
 お店の外観は簡素なつくりのビルの2階建てで1階には温かさを感じるヨーロッパの雑貨を取り扱うお店で、2階が目当てのお料理屋さんだ。店内はアンティーク調のシーリングライトに照らされ、まったりとしたBGMと食欲を沸かせるいい匂いが充満しているようなそんな空間が広がっていた。

 「ははっ。かわいいな。ここはイタリア料理のお店だよ。俺も来たのは初めてなんだ。イタリアだからパスタがおいしいらしいけど、ピザも美味いらしい。」
 「へぇ。おいしそう…。」
 「決まったか?」
 「うん、僕はカルボナーラにしようかな。」
 「いいな。俺はボロネーゼにするよ。なぁピザ一緒に食べないか?」
 「いいの?」
 「良くないわけないだろ。今日は俺と酵汰のデートだぞ?」
 「うん…なら食べたい。」
 「よし、決まりだな!」

 桜花くんは手をあげ、すみません。と一言。店員さんが来ると「カルボナーラとボロネーゼを一つずつ。それからピザを一枚お願いしたいんですけど二人で食べるので小皿と、あと切り分けてて貰えると嬉しいです。」とスマートに注文をした。

 「かっこいいね。なんか慣れてる…」
 「慣れてねーよ。今日のために練習してきた。」
 「なにそれ」

 桜花くんの意味の分からない冗談に思わず笑ってしまった。その後も料理が運ばれてくるまでの間、水族館ではどこ見て回ろうかとスポット探しの話題で大いに盛り上がった。
 数分後パスタがテーブルに運ばれてきた。少し浅めの麦わら帽子を逆さにしたかのようなお皿に金色に輝くカルボナーラとお肉でパスタが見えない程ソースのかかったボロネーゼに僕と桜花くんは「おいしそう」と口をそろえた。

 「「いただきます」」

 僕と桜花くんは手を合わせてそういうと、フォークとスプーンを上手く使いパスタを口へと運ぶ。その美味しさに感動していると”パシャ”とカメラのシャッター音が目の前から聞こえた。

 「…撮った?」
 「撮った。」
 「なんで?」
 「デートなんだから写真くらい撮るだろ。てかあまりにもおいしそうに食べるからさ、かわいくてつい。そういえば俺、酵汰が何か食べてるところ見るの初めてかもしれない。」

 デートだと写真を撮るらしい。僕の辞書に新しい知識が刻まれた。いや今はそんなことはどうでもよくて、桜花くんに言われて思い返してみたが、確かに桜花くんの前で何かを食べるというのは初めてかもしれない。というかそもそも両親以外の前でご飯を食べるのなんていつぶりだろうか。中学校までは給食だったため強制的にそういったイベントは発生していたが、高校生になった今はいつも人気のない花壇でパンを食べていた。そう考えると一年以上両親以外の誰かと食事を共にしたことなど無いということだ。

 「うん。僕も高校に入ってから初めて人前でご飯食べた。」
 「え、マジ?それほんと?ほんとにマジ?」

 よくわからないところでテンションがあがった桜花くんに戸惑いながらも「ほんとだよ」と教える。その言葉に上機嫌になった桜花くんは全力で微笑みながらボロネーゼを頬張っていた。豪快に口を開けて食べる桜花くんの食べっぷりは見てて気持ちのいいものだった。そして僕はふと思いついた。

 ”パシャ”

 僕のスマホには豪快に口を開け、ボロネーゼを口に運ぶ桜花くんの姿が映し出されていた。口元にはボロネーゼのソースでほんの少しついており、その表情が本当にかっこよく、そしてかわいかった。

 「え、撮ったの?」
 「うん。デートは写真撮ってもいいんでしょ?」
 「いいけど…もっとかっこいい写真撮ってよ。」
 「…ピザかっこよく食べる?」
 「どういうことだよ。チーズが伸びるところ撮るか?」

 その後、桜花くんが食べているところに加えてポーズを取ってくれたため、それを僕は自分のスマホに思い出としてしまった。
 パスタもピザも食べ終え、時刻は13時を回ろうとしていた。午後から稼働するにはいい時間だろう。お腹も膨れたところでお店を出ることになったが、ここで事件は起きた。

 「あれ?お会計は?」
 「ん?あぁ…もう終わってるよ。」
 「…?ずっと僕の前に居たよね?」
 「居たな。酵汰の前にずっと居たよ。」
 「いつ払ったの?」
 「…最近は予約の時に事前に支払いできるんだよ。」
 「え、そうなの?…じゃなくて!いくらだった?」
 「いいよ。いらない。」
 「そういうわけにはいかないよ。」
 「今日のデートは俺が誘ったの。こういう時はデートに誘ったやつが驕るんだよ。だから酵汰は俺に驕られてて。」

 正直めちゃくちゃかっこいい。全国民が見習うべきイケメンが目の前にいることに感動と感謝を同時にしつつも、驕られるだけは嫌なので僕もここはひとつ言い返す。

 「…なら水族館を選んだのは僕だから、水族館では僕に驕られてね。」

 そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたのち笑いながら「仕方ねーなぁ」と頭を掻きながら渋々僕の提案を呑んだ桜花くんは、イタリア料理屋を出ると僕の手を取り、横並びで水族館へと向かった。