「——手伝ってあげようか?」
 それが絶望的な状況から咄嗟に僕の口からこぼれた言葉だった。



■ ■ ■ ■ ■



 僕がその迷信を初めて聞いたのは物理の授業の時だった。僕のクラスの担任でもあり、物理の授業の担当でもある佐々木尚文《ささきなおふみ》はその日、クラスの最前列の生徒が消しゴムを使っているところを見て、思い出したかのようにクラス中に問いかけた。

 「俺が学生の頃は消しゴムに好きな人の名前を書いて使いきると、両想いになれるみたいなお呪いがあったんだけど、今でもそういうのってあるの?」

 その問いかけにクラスカースト上位に君臨しているであろうギャルの水原紗季《みずはらさき》が妙に馴れ馴れしく答える。

 「ちょ、ササセン古くない?今はスマホの待ち受けだよ~」
 「スマホの待ち受け?」
 「ササセンってSNSとかやらない感じの大人ぁ?たまに待ち受けにしたら金運アップとか運気アップとかする画像って回ってくるっしょ。あんな感じで今は好きピを待ち受けにすんの。」

 水原は続けるように、現代版のお呪いについての説明を行った。

 待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。
 バレてしまったら、好きな人とはどう頑張っても付き合うことができないこと。
 待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。

 この3つのことを佐々木先生に説明した。
 それを聞いた佐々木先生は水原を茶化すように質問する。

 「水原はやけに詳しいな。お前の待ち受けは好きピなのか?」
 「ササセン最低ぇ~。ウチがもし好きピを待ち受けにしてたら、この瞬間終わってたかんね!」

 そういいながら水原は授業中にも関わらず、机の引き出しからスマホを取り出し電源をオンにして待ち受けを佐々木先生に見せる。
 僕はギャルなのに授業中はスマホの電源を切っていることに対して水原に感心しつつも好きな人ではないその待ち受けに設定されている写真の事が気になっていた。

 「えっと…誰?」
 「え!ササセンまじで知らないの?ウォーカー様だよ!」

 水原は信じられないという表情を浮かべながら、自身のスマホの画面をクラス中に見せる。水原のスマホに映し出されていたのは金ピカのドレスに身を包んだ女装姿の男性であった。
 その人物はあまりテレビを見ない僕でも知っている有名人であった。
 女装家でありながら数々の事業を成功させ、メディアでは引っ張りだこになっているタレント兼実業家であり、SNSでは彼の女装姿を待ち受けにすることで金運アップする噂があるというそれがその金ピカの男性の正体である。

 「ウォーカー様?そう言われると見たことあるかもしれないな。
 あれだろ?金運がアップするとかいうやつ。水原はお金が欲しいのか?」
 「ササセン、お金が欲しくない人なんていないっしょ!」
 「確かに…それにしてもお呪いのルールはそんなに変わんないけど、割と簡単になったんだな。」
 「簡単じゃないよ~。
 自分しか持ってない写真ってことは、写真は自分で撮る必要があるってこと!だから有名人とかの場合SNSに転がってる写真じゃ効力がなくて、イケメン俳優とか憧れのアイドルとかと付き合いたいなら自分で写真を撮ってこないといけないの!
 それだけでも簡単じゃないってわけ!」

 僕はその水原さんの説明に妙な説得力を感じた。
 好きな人の写真を撮るだけでどれだけの努力が必要になるかを僕は知っている。そもそも好きな人の写真を撮ることができるというだけで、その人と近い間柄だということだ。初対面の人に写真撮らせてくださいと言っても断られるのが基本だろう。そう考えると写真を撮らせてもらえる関係性というだけで、今後進展があるかもしれないという可能性があるわけだ。それだけで説得力があるというか、なるべくしたなった関係性にも思える。
 僕はそんなことを考えながら、教室の窓際後方の席からクラス全体を見渡す。ふと視線に入ったのはクラス一いや学校一かっこいいと思っている金城桜花《かねしろおうか》だ。思っているというのは、僕個人の主観が入っているからである。簡単な話、僕の想い人だ。
 部活に入っているわけではないのに運動神経は抜群で、身長は高く、短く切り揃えられた黒髪は清潔感があり、その髪色とマッチする黒縁スクエア型のメガネも似合っている。
 僕の通っている上北学園高等学校の制服はよくある紺のブレザーであるが、そのブレザーは彼のために作られたものではないかと思うほど代物で、ブレザーの袖から顔をのぞかせる手は細くて長いのにしっかりと男性のものあることが分かる。

 (今日もかっこいいな。てか、金城くんも好きな人を待ち受けにしてたりするのかな?…いや金城くんなら待ち受けとかにするまでもなく、告白すれば付き合えるか。)

 正直な話、僕は金城くんと付き合いたいだなんてそんな身分不相応なことは考えていない。そもそもが男性同士であるということ。そして僕と金城くんとは住んでる世界も違うと言うことだ。それは何も金銭的な地位による違いというわけではなく、クラスカーストが違うと言う話だ。
 水原さん同様金城くんもスクールカースト上位に君臨する陽キャである。クラスの隅で読書ばっかりしているような陰キャの僕とは住む世界が違うと言うことだ。しかしそんな僕でも金城くんと話したことはある。
 それは不意にぶつかったときに互いに謝ったとか、朝教室のすれ違いざまに挨拶を交わしたとかそんな会話にカウントするか悩むようなものではない。しっかり会話と呼べるモノを交わしたことがある。
 それは今から半年前のことだ。
 パン屋を営んでいる僕の実家は、平日は朝から出勤前の社会人や朝練後に食べる用として買い込んでいく学生で賑わっている。父がパン職人で常にパンをこねては焼くの作業を繰り返し、母は長蛇の列を捌き続けるレジ係をやっている。そうなると売り切れたパンの補充であったり、トレイやトングをきれいにしたり補充したりするスタッフがいないわけで、僕はそういった作業を毎朝アルバイトという形で労働を行っている。
 最初こそイヤイヤ手伝いとしてやっていたのだが、高校生になりお小遣い制度が廃止になった今、アルバイトとして労働に見合った分のお金をいただけることに感謝しつつ、それなりにアルバイトというものを楽しんでいた。
 そんなある日、普段であれば早朝アルバイトをしている僕と同じもしくは僕よりも遅いくらいに学校に着く金城くんがウチのパン屋に訪れたのだ。

 「すみません。カレーパンってもしかして売り切れちゃいましたか?」
 「申し訳ございません。あと15分ぐらいで新しいのが揚げあがる…って、金城くん?」
 「え、久遠?ここでバイトしてんの?」
 「そ、そうだよ。ここ僕の家なんだ。実家兼アルバイト先って感じかな。あ、ごめんなさい。こんな話はどうでもいいよね。カレーパンだっけ?何個食べる予定?もうすぐ揚げ上がるから、揚げたてを学校に持っていくよ。」
 「いやいや、悪いからいいよ!」
 「気にしなくて大丈夫だよ。僕の昼食もウチのパンだし。パンを持っていくことには変わりないから遠慮なく言ってね。」
 「そうか?…ならカレーパン二つお願いできる?」
 「分かった二つだね。」

そんな会話をしてすぐ、別のパンが売り切れ僕はすぐに補充を行わないといけなかったため、金城くんに軽く「また学校で!」とだけ伝え仕事に戻った。
 補充するパンを取りに行くため一度厨房に戻った僕はそこで父にカレーパンを二つ残しておくように伝えた後、父から焼きたてのパンを受け取り補充しにまた戻っていく。ホールへ戻った時にはすでに金城くんの姿はなかった。

 8時30分となり、店も余裕を見せてきたところで僕は仕事と終え、昼食のために店内に残っているからいくつかのパンを選び、厨房に父が残しておいてくれたカレーパンを持って僕は学校へと登校した。
 上北学園高等学校までは走って15分のところにあり、8時45分からホームルームが始まるためかなりギリギリの時間なのだが、その日もなんとかチャイムが鳴り終わる前までには教室に駆けこむことに成功した。クラスメイトからはいつも寝坊している時間にルーズな奴と思われているに違いない。しかし担任である佐々木先生は僕の事情を知っているため、いつもさわやかに「間に合ってよかったな」と一声かけてくれる。
 ホームルームが終わり、9時から始まる一時限目の間に僕は金城くんに話しかけた。
 金城くんの席はクラスのど真ん中に位置しており、いつも隅で読書ばっかりしている僕にとっては緊張するしかない場所なのだが、金城くんにパンを渡すために致し方なく歩みを進める。

 「か、金城くん。これ今日のパンです。」

 そう言って僕は金城くんにカレーパンを二つとうちのパン屋を利用してくれていたことに対する感謝の印としてサービスのカツサンドとツナマヨの2種類のサンドイッチが入った紙袋を渡した。
 しかしその紙袋は数秒間受け取ってもらえなかった。
 と、いうか何やらクラス中が異様な雰囲気になっていた。
 なぜそんな空気になったのか理解していない僕は同じクラスでサッカー部のエースでもある小林くんのセリフを聞いて、初めてその原因となったのが僕の発言のせいであることを知った。

 「え、何?金城って久遠のことパシリに使ってんの?」

 やってしまった—
 僕は瞬間的にそう思った。僕の金城くんへのセリフはどう考えても金城くんが僕をパシリに使いパンを買ってこさせた用にしか聞こえない。
 久遠はすぐに否定しようとすると、先に声をあげたのは金城であった。

 「そんなわけねーだろ!
 ありがとう久遠…ってカレーパン以外も入ってるじゃん!そうだ、いくらだった?」
 「い、いいよ。ごめん。変な空気にしちゃって。」
 「いや、そういうわけには!」
 「ほんとに大丈夫だから。ごめんなさい。」

 お代くらい貰っておけばいいのに、その時はこの空気をどうにかしたくて、この場から一刻も早く立ち去りたくて咄嗟にお代は要らない旨を伝えてしまった。その時タイミングよく予鈴が鳴り響いた。内心助かったという気持ちで埋め尽くされ、僕は小さく金城くんにだけ聞こえるように「じゃあ。ほんとにごめん。」とだけ呟き、席に戻った。
 その後、休憩時間の度に金城くんは僕に声をかけようと、僕の席まで足を運んできたけれど、僕はこれ以上気まずい空気になりたくなくて避け続けた。
 金城くんはこの日だけではなく、翌日やその翌日も何度も僕に声をかけようとしてくれたのだが、人気者の金城くんの行動は案外簡単に制限されるもので、休憩時間の度に金城くんを中心に人が集まってくるため、金城くんも僕に声をかけようとするのを諦めてくれたらしい。
 そしてそれ以降僕は金城くんと会話をしていない。

 そんな思い出にふけっていると、佐々木先生と水原さんの消しゴムに変わるスマホの待ち受けを使った現代のお呪いの話で今日の最後の授業は終了の合図を迎えた。
 担任である佐々木先生がその日最後の授業をしていたこともあり、授業終了からノータイムで帰りのホームルームに移り、話すことも少なかったのか即解散となった。
 僕はすぐには帰らず、本を読んで時間を潰してから帰宅することにしている。理由はいくつかあり、帰りのホームルーム直後では下駄箱が生徒で溢れかえっているため。そして金城くんが帰ったのを確認してから帰路に着くためである。ウチのパン屋にパンを買いに来たということは金城くんと生活圏が丸被りしている可能性があり、もしも帰宅途中でばったり金城くんと遭遇しないためにこのようなことをしている。
 幸いなことにアルバイトは平日は朝バイトがほとんどであり、午後はどんなに遅く帰ろうとも仕事に影響が出ることがないのが救いだ。
 僕は引き出しから読みかけの文庫本を取り出し、愛用している桜の絵が掘られたシルバーの栞が差し込まれているページを開き、淡々と文章を目で追っていく。窓際の席ということもあり、窓から差し込む光が徐々に白からオレンジに色を変え、読んでいる文章に味を出す。
 どのくらい時間が経ったかは分からないが、部活開始のウォーミングアップとして声を出しながらグラウンドを周回する陸上部の声が聞こえ始めたら僕の帰宅の合図だ。僕は愛用の栞を今読んでいたページの一つ前のページに栞を挟み、机の横のフックにかけているスクールバッグを取り、肩にかけながら本をバッグに仕舞い込み教室を後にする。
 そのまま帰ってもいいのだが、僕はある種ルーティンと呼ばれるような行動をこの時にする。それは花壇の花への水やりである。花壇は下駄箱とは反対方向にあるが、それ故逆に生徒がほとんど来ないスポットでもある。僕は昼食を食べるとき、外の空気を吸い、片手に文庫本を開きながらパンを食べるのが日課になっており、それを実現する絶好のポジションがこの花壇と言うわけだ。花壇には用務員の方が季節に合った花を植えてくれており、その花を鑑賞できるように近くにベンチが置かれている。
 昼食をそこで食べているのであれば、その時に水やりをすればいいじゃないのかと問われるかもしれないが、湿っぽい空気の中読書をするのが好きではないため、読書とは関係ない時間に水やりをしているのだ。
 今日もいつも通り、水やりをするために下駄箱で靴に履き替えた後、真反対にある花壇へと足を進めた。校舎とグラウンドの間の道を進み、僕は花壇に行くため校舎の角を曲がろうとしたとき、何かにぶつかりそのまま尻もちをついてしまった。僕はそこでアスファルトの上をジャリリッと音を立てながらスライドするスマホを見て、人とぶつかってしまったことを悟った。

 「ご、ごめんなさい!スマホに傷とかついてないですか?どこか怪我してないで…すか…」

 スマホに気を取られており、ぶつかってしまった相手の顔をちゃんと見ていなかったが、心配し、声をかけたタイミングで見た相手の顔は僕の想い人の顔であった。それに気が付き徐々に僕の声は小さくなっていく。しかし金城くんはそんなことを気にすることなく僕に声をかけてきた。

 「俺は大丈夫。久遠こそケガはない?」

 突然の情報量に僕の脳は追いつかず、動揺した結果僕は僕とぶつかった衝撃でアスファルトにスライディングした金城くんのスマホを拾い上げ、傷が付いていないことを確認した。背中の方は問題なさそうであったが、画面に小さな傷を見つけた。

 「ごめん。金城くんのスマホの画面に傷が入っちゃったかも!ここなんだけど…」

 そう言ってスマホの画面の傷の部分に指をさすようにすると、勢いあまって画面のタップをしてしまい、金城くんのスマホの画面が起動する形になってしまった。そのスマホの画面を見た僕は固まってしまい、まずいと思ったのか金城くんは僕の手からスマホを奪い取るようにして回収した。

 「…見た?」

 そう確認する金城くんの顔色は青白いものだった。
 僕も先ほどの6時限目の授業で初めて知った知識であるが、多少なりとも興味があったためよく覚えている。消しゴムの使い切りに変わる現代の好きな人と結ばれるためのお呪い。それは好きな人を待ち受けにするというものだ。
 金城くんがスマホの画面が点いた瞬間に見せた焦りとその顔色。それがすべてを物語っていた。

 (僕はいつも金城くんに迷惑かけてばっかりだ。もしかしたら長いこと待ち受けにしていたのかもしれない。それなら僕は本当にただただ迷惑な奴じゃないか。
 僕は少しでも金城の役に立てればそれでいいのにな。)

 「ごめん、見た。
 その——手伝ってあげようか?」

 それが絶望的な状況から咄嗟に僕の口からこぼれた言葉だった。
 このままではもう金城くんと話すことなくこの高校生活を終えてしまうかもしれない。ずっと迷惑をかけた邪魔な奴って思われ続けるかもしれない。それだったらいっそのこと金城くんの恋の手伝いをして、”いい奴”という認識にだけでも変えたい。そんな考えがたどり着いた結果、僕は金城くんに手伝いの提案をしていた。

 「え?」

 金城くんは予想外の返答に困惑しているようであったが、そんなことは些細な問題だ。今はいかに金城くんの恋路を手伝わせてくれるかが問題だ。

 「ごめん。反応を見て分かっちゃった。その待ち受け、今日の授業でやってたお呪いの奴でしょ?
 金城くんにはいつも迷惑かけてばっかりだから、少しでも金城くんの役に立てることをさせてください。だからその恋愛、僕に手伝わせてくれませんか?」
 「わ、わかった。」

 僕の気迫に押されるようにして、金城くんは手伝うことを了承してくれた。少し強引だったかもしれないが僕は金城くんの役に立てるのであればそれでいい。僕はそう思い込むようにして、自分の好きな人が自分ではないことに対する絶望とその胸の痛みを誤魔化すように精一杯の笑顔を振りまいて見せた。
 その笑顔の中で僕は思い出す。
 金城くんの待ち受けが金城くんと肩を組んで楽しそうに笑いあっている小林くんであったことを。