その日から、リオはエマと暮らすようになった。朝は鳥の声で目を覚まし、昼は薪の音を聞きながらうとうとし、夜はエマの膝の上でまどろむ。最初はただの居場所だった。けれど日が経つに連れて、そこが「帰る場所」に変わっていた。
「ねえ、リオ」
エマがスープをかき混ぜながら名前を呼ぶ。
「おばあちゃんが言ってたの。ねこはね、『神様の使い』なんだって。」
リオはゆっくり尻尾を揺らす。その言葉に少しだけ胸の奥にがくすぐったくなる。神様の使い。自分はかつて、人々を守るために魔法を使った。それが神の意思だと、自分の宿命だと信じて。けど、結末は自分の信じていた世界とあまりにも遠いものとなった。
「リオはきっと、いいかみさまのこどもだね。」
エマはそう言って笑った。リオは小さく「にゃ」と答えた。言葉を持たない鳴き声だからこそ、嘘はつけない。「いい神様」その一言に少しだけ救われた気がした。外では春の風が吹いている。リオは窓辺に座り、流れる雲を見上げる。遠い記憶が、風に乗ってふと蘇る。家族の笑い声。娘の髪を撫でた感触。もう戻れない幸せ。そして、あの夜の青い光。リオは目を閉じた。この身が人ではなくなって、魔法が使えなくなって本当によかったと、心のどこかで思っていた。もう、あの夜の殺戮を繰り返さないために。この姿なら、誰も傷つけなくて済む。ただ、何者にもならずに静かに生きていける。もう、自分の力に怯えることがなくなる、そう思った。
「リオ、みて。はながさいてる!」
エマの声が響く。リオが顔を上げると、エマが庭先で花を指さしていた。小さな白い花。まだ、寒さの残る季節に、一輪だけ咲いている。
「ねえ、きれいでしょ?」
エマはしゃがみ込み、両手で花を包み込むようにして見つめた。
「おばあちゃんがね、いってたの。はるのいちばんさいしょにさくはなはね、『悲しみを眠らせる花』なんだって。」
リオはその花に目を落とした。悲しみを眠らせる。もし、本当にそんな力があるのなら、自分の心にも触れてほしかった。風が吹き、花が一枚、リオの鼻先に舞い落ちた。くすぐったくて、思わずくしゃみをする。エマはそれを見て笑う。その笑顔が、あまりにも無垢で胸が痛くなった。
夕暮れ。エマは暖炉のそばで古い本を広げていた。
「これね、『王国の昔話』だって。」
その言葉にリオの耳がぴくりと動いた。
むかし、あるところに一つの国がありました。その国には最強の魔法使いがいました。王様は国と国民を守るためにその魔法使いに頼りました。その魔法使いは青色の炎で国を守りました。でも、その力が怖くなった王様は魔法使いを追放しました。人々は王様と同じように魔法使いを怖がりました。その後、魔法使いはどうなったのか誰にもわかりませんでした。おしまい。
エマは少し寂しそうにページを閉じた。
「なんか、かわいそうだよね…。」
リオは言葉を持たないまま、静かにエマの膝に乗った。それが自分のことだと、誰も知らなくていい。けれど、誰かがその物語を“悲しい“と感じてくれるだけで、少し心が軽くなる。
「リオは、どう思う?」
エマが尋ねた。リオは彼女の指に頭を擦り寄せた。
「にゃ……。」
エマは笑って髪を揺らした。
「そっか。リオは優しいね。」
その夜、リオは夢を見た。春の花が咲き誇る丘の上でかつての家族が微笑んでいる。娘が手を伸ばしリオの頭を撫でた。
「ぱぱ、もう泣かないで。」
目を覚ますと、夜明けの光が差し込んでいた。窓際に、白い花が一輪咲いていた。昨日庭にあったはずの花と同じ。リオはその花を見つめた。そして小さく目を閉じる。『悲しみを眠らせる花』。もしそれが本当なら、この穏やかな朝もまた、その花が咲かせてくれた奇跡なのかもしれない。外からエマの歌声が聞こえた。春の風が流れ、黒猫は静かに目を細めたのだった。
「ねえ、リオ」
エマがスープをかき混ぜながら名前を呼ぶ。
「おばあちゃんが言ってたの。ねこはね、『神様の使い』なんだって。」
リオはゆっくり尻尾を揺らす。その言葉に少しだけ胸の奥にがくすぐったくなる。神様の使い。自分はかつて、人々を守るために魔法を使った。それが神の意思だと、自分の宿命だと信じて。けど、結末は自分の信じていた世界とあまりにも遠いものとなった。
「リオはきっと、いいかみさまのこどもだね。」
エマはそう言って笑った。リオは小さく「にゃ」と答えた。言葉を持たない鳴き声だからこそ、嘘はつけない。「いい神様」その一言に少しだけ救われた気がした。外では春の風が吹いている。リオは窓辺に座り、流れる雲を見上げる。遠い記憶が、風に乗ってふと蘇る。家族の笑い声。娘の髪を撫でた感触。もう戻れない幸せ。そして、あの夜の青い光。リオは目を閉じた。この身が人ではなくなって、魔法が使えなくなって本当によかったと、心のどこかで思っていた。もう、あの夜の殺戮を繰り返さないために。この姿なら、誰も傷つけなくて済む。ただ、何者にもならずに静かに生きていける。もう、自分の力に怯えることがなくなる、そう思った。
「リオ、みて。はながさいてる!」
エマの声が響く。リオが顔を上げると、エマが庭先で花を指さしていた。小さな白い花。まだ、寒さの残る季節に、一輪だけ咲いている。
「ねえ、きれいでしょ?」
エマはしゃがみ込み、両手で花を包み込むようにして見つめた。
「おばあちゃんがね、いってたの。はるのいちばんさいしょにさくはなはね、『悲しみを眠らせる花』なんだって。」
リオはその花に目を落とした。悲しみを眠らせる。もし、本当にそんな力があるのなら、自分の心にも触れてほしかった。風が吹き、花が一枚、リオの鼻先に舞い落ちた。くすぐったくて、思わずくしゃみをする。エマはそれを見て笑う。その笑顔が、あまりにも無垢で胸が痛くなった。
夕暮れ。エマは暖炉のそばで古い本を広げていた。
「これね、『王国の昔話』だって。」
その言葉にリオの耳がぴくりと動いた。
むかし、あるところに一つの国がありました。その国には最強の魔法使いがいました。王様は国と国民を守るためにその魔法使いに頼りました。その魔法使いは青色の炎で国を守りました。でも、その力が怖くなった王様は魔法使いを追放しました。人々は王様と同じように魔法使いを怖がりました。その後、魔法使いはどうなったのか誰にもわかりませんでした。おしまい。
エマは少し寂しそうにページを閉じた。
「なんか、かわいそうだよね…。」
リオは言葉を持たないまま、静かにエマの膝に乗った。それが自分のことだと、誰も知らなくていい。けれど、誰かがその物語を“悲しい“と感じてくれるだけで、少し心が軽くなる。
「リオは、どう思う?」
エマが尋ねた。リオは彼女の指に頭を擦り寄せた。
「にゃ……。」
エマは笑って髪を揺らした。
「そっか。リオは優しいね。」
その夜、リオは夢を見た。春の花が咲き誇る丘の上でかつての家族が微笑んでいる。娘が手を伸ばしリオの頭を撫でた。
「ぱぱ、もう泣かないで。」
目を覚ますと、夜明けの光が差し込んでいた。窓際に、白い花が一輪咲いていた。昨日庭にあったはずの花と同じ。リオはその花を見つめた。そして小さく目を閉じる。『悲しみを眠らせる花』。もしそれが本当なら、この穏やかな朝もまた、その花が咲かせてくれた奇跡なのかもしれない。外からエマの歌声が聞こえた。春の風が流れ、黒猫は静かに目を細めたのだった。



