どれほど眠っていたのかわからない。冷たい風が頬を撫で、微かな光が瞼の裏に差し込む。リオは目を開けた。だが、目線の高さがいつもと違う。手を動かそうとして爪が土を掻いた。
「……?」
声を出そうとしても言葉にならない。喉の奥から乾いた空気が溢れでるだけだった。もう一度声を出そうと喉を震わせる。
「…ニャア。」
喉からわずかに漏れたのは小さな鳴き声。リオは凍りついた。自分を見つめると、黒い毛並みの小さい身体。手を動かそうとするたび、前足が上がり尻尾がしなやかに揺れる。
(…そうだった。俺は、あの夜……)
破壊に膨大な魔力を使い、残った少量の魔力で最後に唱えた呪文。『二度と誰かを傷つけない姿』を望んだ。その結果がこれなのだ。リオは空を見上げた。枝の間から溢れる光は穏やかで優しい。だがその眩しさが痛かった。遠くから子供の笑い声が聞こえる。その瞬間、あの夜の光景が瞼の裏に蘇った。全てを飲み込んだ青色の炎、灰色に染まった町、崩れる家々、大人の悲鳴、子供の泣き声。耳を塞ごうとしたがうまく塞げない。猫の耳では音を拾いすぎてしまう。リオはただ風の音に身を震わせた。
「……あれ?ねこさん?」
突如頭上から柔らかい声が降ってきた。リオが見上げると、そこには小さな少女が立っていた。年は十歳くらいだろうか。栗色の髪を三つ編みにして、薄い青色のワンピースを着ている。青、全てを飲み込み破壊した炎と同じ色。リオの耳のすぐ近くで悲鳴が聞こえた気がした。
「どうしたの?くるしい?」
彼女は両手で木の枝をかき分けながら、そっと近づいてきた。
「怪我してるの?」
リオは思わず一歩下がった。胸の奥に焼きついて離れない恐怖が蘇る。それでも少女はしゃがみ込んで言った。
「だいじょうぶ。こわくないよ。」
その声は不思議なくらいに温かかった。リオは思わず瞬きを繰り返した。目の前の少女の瞳には光が映っていた。純粋な、何も知らない瞳。
「…にゃ」
思わず声が漏れた。その声を聞いた少女はぱっと笑顔を見せた。
「ふふっ、いいこ、いいこ」
そっと近づいてきた小さな手がリオの頭を優しく撫でた。その瞬間、胸の奥で何かが軋むように動いた。人に触れられるのが、人に触れるのが怖いはずなのに。また壊してしまうのではないかと。でもリオは逃げなかった。ただその手の温かさに身を委ねた。心まで温かい何かで包まれているような気がしたから。
少女、エマはリオを自分の家に連れ帰った。森の外れに立つ小さな小屋。石造りの煙突から、甘いスープの匂いが漂ってくる。
「ここがあたしとおばあちゃんのおうち。」
エマはそういながら中に入り、素早くタオルを持ってきた。タオルでリオの体を優しく包む。
「からだつめたい…。さむかったでしょ?きっとひとりだったんだね。」
その言葉にリオの胸がちくりと痛んだ。『ひとり』。そう、今の彼はひとりぼっちだ。愛する人も、守りたかった人も、もう誰もいない。リオが俯いたように見えたのか、彼女は笑顔で言った。
「きょうからは、ひとりじゃないよ。あたしがいっしょにいてあげるから!」
リオは何も返せなかった。猫だから喋れない、それだけではない。彼の心には彼女のあどけない一言が深く、優しく染み込んだ。ただ、湯気の立つスープの匂いに包まれながら、小さな体を丸めて眠った。耳の奥でエマの歌声が聞こえる。それは回復魔法のように優しく、胸の奥に少しずつ温もりが戻ってくる。
リオは夢を見た。そこでは、リオは光の中に立っていた。そこには笑う妻と子供の姿があった。リオに手を差し伸べる。その手を取ろうと近づいた瞬間、期待に満ちた手は弧を描いた。光は静かに崩れ、遠ざかり、やがて灰に変わった。青色の炎で焼かれた亡者たちがリオに手を伸ばす。リオは悲鳴を上げた。けれど喉から出たのは「にゃあ」という小さな鳴き声のみ。その声にエマが駆け寄ってきた。
「ねこさん、どうしたの?」
リオは目を細めて少女を見つめた。
「だいじょうぶ、こわくないよ。」
彼女は優しくリオの頭を撫でた。小さく温かい手。リオは誓った。この手を今度こそ離さないと。何があっても自分が守るのだと。猫の姿でも、この小さな命を守ることならきっと出来る。リオは静かに目を閉じた。光が窓から差し込み、少女と黒猫を優しく包み込んだ。
「……?」
声を出そうとしても言葉にならない。喉の奥から乾いた空気が溢れでるだけだった。もう一度声を出そうと喉を震わせる。
「…ニャア。」
喉からわずかに漏れたのは小さな鳴き声。リオは凍りついた。自分を見つめると、黒い毛並みの小さい身体。手を動かそうとするたび、前足が上がり尻尾がしなやかに揺れる。
(…そうだった。俺は、あの夜……)
破壊に膨大な魔力を使い、残った少量の魔力で最後に唱えた呪文。『二度と誰かを傷つけない姿』を望んだ。その結果がこれなのだ。リオは空を見上げた。枝の間から溢れる光は穏やかで優しい。だがその眩しさが痛かった。遠くから子供の笑い声が聞こえる。その瞬間、あの夜の光景が瞼の裏に蘇った。全てを飲み込んだ青色の炎、灰色に染まった町、崩れる家々、大人の悲鳴、子供の泣き声。耳を塞ごうとしたがうまく塞げない。猫の耳では音を拾いすぎてしまう。リオはただ風の音に身を震わせた。
「……あれ?ねこさん?」
突如頭上から柔らかい声が降ってきた。リオが見上げると、そこには小さな少女が立っていた。年は十歳くらいだろうか。栗色の髪を三つ編みにして、薄い青色のワンピースを着ている。青、全てを飲み込み破壊した炎と同じ色。リオの耳のすぐ近くで悲鳴が聞こえた気がした。
「どうしたの?くるしい?」
彼女は両手で木の枝をかき分けながら、そっと近づいてきた。
「怪我してるの?」
リオは思わず一歩下がった。胸の奥に焼きついて離れない恐怖が蘇る。それでも少女はしゃがみ込んで言った。
「だいじょうぶ。こわくないよ。」
その声は不思議なくらいに温かかった。リオは思わず瞬きを繰り返した。目の前の少女の瞳には光が映っていた。純粋な、何も知らない瞳。
「…にゃ」
思わず声が漏れた。その声を聞いた少女はぱっと笑顔を見せた。
「ふふっ、いいこ、いいこ」
そっと近づいてきた小さな手がリオの頭を優しく撫でた。その瞬間、胸の奥で何かが軋むように動いた。人に触れられるのが、人に触れるのが怖いはずなのに。また壊してしまうのではないかと。でもリオは逃げなかった。ただその手の温かさに身を委ねた。心まで温かい何かで包まれているような気がしたから。
少女、エマはリオを自分の家に連れ帰った。森の外れに立つ小さな小屋。石造りの煙突から、甘いスープの匂いが漂ってくる。
「ここがあたしとおばあちゃんのおうち。」
エマはそういながら中に入り、素早くタオルを持ってきた。タオルでリオの体を優しく包む。
「からだつめたい…。さむかったでしょ?きっとひとりだったんだね。」
その言葉にリオの胸がちくりと痛んだ。『ひとり』。そう、今の彼はひとりぼっちだ。愛する人も、守りたかった人も、もう誰もいない。リオが俯いたように見えたのか、彼女は笑顔で言った。
「きょうからは、ひとりじゃないよ。あたしがいっしょにいてあげるから!」
リオは何も返せなかった。猫だから喋れない、それだけではない。彼の心には彼女のあどけない一言が深く、優しく染み込んだ。ただ、湯気の立つスープの匂いに包まれながら、小さな体を丸めて眠った。耳の奥でエマの歌声が聞こえる。それは回復魔法のように優しく、胸の奥に少しずつ温もりが戻ってくる。
リオは夢を見た。そこでは、リオは光の中に立っていた。そこには笑う妻と子供の姿があった。リオに手を差し伸べる。その手を取ろうと近づいた瞬間、期待に満ちた手は弧を描いた。光は静かに崩れ、遠ざかり、やがて灰に変わった。青色の炎で焼かれた亡者たちがリオに手を伸ばす。リオは悲鳴を上げた。けれど喉から出たのは「にゃあ」という小さな鳴き声のみ。その声にエマが駆け寄ってきた。
「ねこさん、どうしたの?」
リオは目を細めて少女を見つめた。
「だいじょうぶ、こわくないよ。」
彼女は優しくリオの頭を撫でた。小さく温かい手。リオは誓った。この手を今度こそ離さないと。何があっても自分が守るのだと。猫の姿でも、この小さな命を守ることならきっと出来る。リオは静かに目を閉じた。光が窓から差し込み、少女と黒猫を優しく包み込んだ。



