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「癒しが欲しい!!」
夜10時、荒川の河川敷はわたしのとっておき。都心部の喧騒とすこし離れたこの場所は、夜になると趣味で走っているランナーさんや犬と散歩をしている飼い主さんがときどき通るくらいだ。
長閑で静謐な雰囲気が漂っていて、落ち着きをくれる。人気があまりないから女子ひとりでは危ないかもしれないけれど、広い空に星が煌めくこの場所が好きだった。
25歳営業職女子──もとい、人事部女子のひとり時間はお気に入りの場所と、大好きなビールとともにあるのだ。
「にゃ〜ん」
誰もいないだろうと放ったひとりごとに、いつのまにかわたしの目の前に座っていた猫が返事をしてくれた気がした。
暗いけれどわかるのは、白猫であることと、上品で毛艶が良い、触り心地の良さそうな猫であること。
「かわいいなぁ、ねこちゃん」
あぁ、まさに癒しだ。動物は見ているだけでこころが洗われるようで気持ちが軽くなる。たまに通りかかるお散歩中のわんちゃんも、ついついじっと見つめてしまうほど。
ただし、猫はアレルギーだから飼うことも触ることもできない。動物は好きなのにとっても残念。
「名前、なんて言うの? ……なーんて、なに話しかけてるんだか」
今にも返事をしてくれそうな、つぶらな瞳で見つめられたせい。ひとりごとに問いかけを重ねてみる。返ってくるはずのない質問に、セルフツッコミでオチを作った。……はずだったのだけど。
「にゃん。僕、みるくっていいます」
「そっかぁみるくちゃん! かわいい名前できみにぴったり……って、え、えぇ!? 返事!?」
ひとりツッコミで終わらせたはずの不可思議は、なぜだか継続するらしい。わたし、猫と会話してる……!?
「お姉さん、僕が癒してあげます」
「え、え、わぁ!?」
ぴょん、とわたしのほうに飛び込むように向かってきた白猫を受け止める。想定どおりの重さや温もりがあった。心地よいふわふわにこうして触れられること、アレルギーが発覚してから一度もなかった。もふもふで気持ちいい。ずっと撫でていたい……って、触ってしまってる!?
「ご、ごめんね、わたしアレルギーで……」
「大丈夫にゃ。僕、アレルギー物質は放出できない身体だから」
「ど、どういうこと……?」
アレルギーが放出されない身体とは、一体何事だ。いやその前に、話せる猫とは何事だ。
「お姉さん、まず、猫がこうして話している時点でありえないことが起きてるんだにゃ」
「それはそう……………」
口に出さなかった思考は吸い取られていたのか、同じように指摘された。それはそう、以外の言葉が出てこないのは義務教育の敗北だろうか。それでも確かに、猫に触れるとすぐにくしゃみが出たり目や喉が痒くなったりするのにそんなことは一切ない。ということは、今まで憚られていたけどもふもふしてもいいってこと!?
膝の上でくつろぐ白猫に視線を落とすと、やっぱりかわいくて仕方ない。最高の癒しだ。そっと背中のあたりを撫でてみる。「にゃーん」と、なんとも猫らしく鳴くのが可愛らしい。ずきゅん!
……けど、だけど。やっぱりおかしくない!?
「可愛いのはそう、そうなのだけど……!! 全部が意味わからない!! わたしそんなに酔ってるかなあ……!?」
「うーん、どうかな。だけど、僕のこと見えるのも声が聞こえてるのもお姉さんだけにゃん」
「そ、そっかあ……??」
本物なのか、幽霊なのか、はたまた妖精さんなのか。おときばなしの登場人物のような白猫はわたしの隣にちょこんと座り込んだ。
「お姉さんの名前は?」
ナチュラルに会話は続くらしい。ここまできたら、とても現実とは思えないこの空間に飲まれてみようと思う。ビールをひとくち飲んでから、自分でもお気に入りの名前をみるくに伝えてみる。
「七虹。七つの虹って書いて、ななこって読むの」
「みるくと同じくらい良い名前だね。なーこ」
「え?」
「にゃ?」
「ううん、なんでもないよ……?」
思わず、一瞬驚いてしまった。みるくが自然に呼んだ〝なーこ〟には聞き覚えがあった。過去にたったひとり、使っていた呼称だ。けれど、特段珍しいわけではないし、みるくの滑舌(?)の問題かもしれない。
「なーこ、また明日も来て」
わたしのことを〝なーこ〟と呼ぶ。やっぱり聞き間違いではなかった。約束を投げ込んで、勝手に結んでいって、次に視線を落としたときにはもうその姿はなかった。
雲ひとつない秋の星空に見守れながら、ビールを片手に癒しを求めた夜、不思議な白猫に出会いました。


