急いでお弁当を食べ終え、僕たちは揃ってゼミ教室に向かった。

「佳都、レポート書けた?」

「うん、卒論のテーマ決めのレポートだったからいくつかの候補から何にしようか悩んだけど、なんとか一つに絞ったよ」

「ええーっ、マジで? 俺なんかテーマがなかなか思い浮かばなくなってようやくやっと一つ捻り出したっていうのに。佳都、やっぱすごいな」

「そんな事ないよ、翔太もちゃんとテーマ決まったんだからさ」

「まぁ、教授からのダメ出しがなければな」

ゼミ教室で教授から呼ばれるのを待っていると、助手の平野さんがやってきた。

「次、佐倉くん。奥の部屋に入って」

「はい。じゃあ行ってくるね」

翔太と七海ちゃんに声をかけて教室を出た。

「こっちだよ」

「――っ!」

案内されるときに平野さんにそっと肩を抱かれてゾワッと全身に悪寒が走ったような気がした。

「あ、ありがとうございます」

急いで平野さんから離れて奥の部屋に入ると、平野さんは踵を返して元の教室に戻っていった。今のなんだったんだろう……

「佐倉くん、どうした? 入りなさい」

僕が入り口の前で平野さんの帰っていった方向をじっと見ていると、教授から声をかけられた。
慌てて教授にレポートを渡し、対面に置かれている椅子に座った。

「ふむ、君はこのテーマかね?」

「はい。このほかにもいくつかテーマを考えていたんですが、日本経済を語るならこのテーマが面白いと思いました」

「うーん、難しいテーマだが佐倉くんならやれるだろう。指摘ポイントも実に良く書けているし、卒論を読むのが楽しみだな。資料が足りなければ、私の部屋にある資料を使っていいから。自由に持って行きなさい」

「ありがとうございます」

「次は夏川(なつかわ)くんに声かけてくれ」

「はい。わかりました」

よかった、テーマ認めてもらえた。
僕はウキウキしながらゼミ教室に戻った。

「佳都、どうだった?」

「オーケーだったよ」

笑顔で親指立てながらバッチリ! と合図する。

「ええーっ! マジか、よかったじゃん!」

自分のことのように喜んでくれた。

「次、翔太だって。頑張って!」

「お、おお。よしっ! 頑張ってくるよ!」

翔太は手に持っていたレポートを振りながら、鼻息荒く奥の部屋に進んでいった。

それからしばらく経って戻ってきた翔太は必死にアピールしたようだけど、もう少し突っ込んだものにしたほうがいいとダメ出しがあったってぼやいてた。
七海ちゃんは余裕でオッケーをもらったみたいで、改善レポート手伝うから一緒に頑張ろう! と翔太を慰めてあげていた。
七海ちゃんって、直己さんに似てやっぱり優しいな。


「佳都、これからどうするんだ?」

「今から、ちょこっと夕食の買い物して帰ろうかなって思ってるけど翔太は?」

「俺は七海と図書館で本借りてから帰るよ。レポート書き直さないといけないから」

「そっか。でも次はオーケーが出るよ、頑張って!」

「サンキュー」

荷物を片付けてゼミ室を出ようとすると、「あ、佐倉くんちょっといいかな?」と助手の平野さんから声をかけられた。

「は、はい。なんでしょう?」

さっきのことが甦ってきてちょっと気味悪く感じる。

「悪いが、教授の部屋の机にある資料を綺麗に並べて資料室に戻しておいてほしいんだ」

いつものように冷静に頼まれてやっぱりさっきのは僕の気のせいなのかと思った。

そっと教室の時計を見ると、四時前。
資料整理は教授から何度か頼まれたことがあるし、うーん、急げば夕食の支度には間に合うかな。

「わかりました」

「じゃあ、頼むよ。教授の部屋の鍵を開けているから」

平野さんは僕の肩をポンと叩いてゼミ室から出ていった。
叩かれた肩がゾワゾワする。

おかしいな、今までこんなふうに感じたことはなかったのにな。

「ねぇ、佳都くん。資料相当たくさんあったよ、あれ一人だと二時間はかかるはず。今日もお兄ちゃんち行くんでしょう? 私も手伝うよ」

七海ちゃんはそう言ってくれたけれど、レポートの再提出は明日まで。
翔太も七海ちゃんにいてほしいだろうし、僕の手伝いをお願いするなんて申し訳なさすぎる。

「大丈夫だよ、遅くなりそうだったら直己さんに連絡しておくから」

「そう? でも、無理しないでね」

「佳都、俺たちも終わったら手伝いに行くから」

「うん、ありがとう」

僕は翔太と七海ちゃんに手を振って、教授の部屋に向かった。
中に入ると、思っていた以上の資料が机の上に山積みになっている。

はぁーーっ、七海ちゃんが言ってた通りものすごい量だな。
でも文句言っている暇はないし、さっさと始めよう。

資料を一つずつチェックして五十音順に並べていくだけでも途方もない作業だったけれど、これを資料室に戻すまでだもんな。資料室ってここから結構遠いんだよなぁ。

ふぅとため息を零しながら、ふと壁と見上げるともう夕方の六時前になっている。
うそっ、もうこんな時間!
直己さんにメッセージ送っとかなきゃ!

僕は慌ててカバンを探りスマホを取り出そうとしたけれど、どこをどう探してもスマホが見当たらない。

「えっ? なんでっ? 僕、どこかに置いてきちゃった?」

大学についてからの行動を冷静に思い出してみるけれど、そういえば大学についてからは一度もスマホに触れていない。

ということは……直己さんちに忘れてきたんだ。

ああ、もう……、何やってるんだか。
教授の部屋にある電話を借りて連絡しようにも、そもそも番号を覚えてないし。

こうなったらさっさと終わらせるしかないよね。

僕は必死になって残りの資料を並べ終えた。それを段ボールに入れて台車に乗せ教授の部屋を出た。

普段は使ってはいけないけれど、教授のお手伝いとかでは認められているエレベーターに台車を乗せる。
資料室のある四階に向かうと誰もいないせいか真っ暗で少し不気味に見える。

廊下の電気を点ける。奥にある資料室まで台車を押していき、扉を開いた。奥まで永遠にも続いているようにも見える棚を見ながら大きなため息が漏れる。

でも、ため息吐いてても仕方がない。
段ボールから資料を取り出し、順番に棚に戻していく。
並べていた分、楽ではあるけれど量が多いことに変わりはない。

ようやく段ボールの底が見え、最後の資料を棚に並べ終わった時には「やっと、おわった……」と声を漏らしてしまった。

忘れ物がないかをチェックして部屋を出ようと扉に向かったと同時にカチャリと扉が開いた。

一瞬ビクッとしてしまったけれど、「ああ、佐倉くん。もう終わったのか?」と声をかけてきたのが平野さんだと気づき、ホッとした。

「はい。なんとか急いだので終わりました」

「そうか、まだまだかかると踏んで戻ってきたんだが、よかったよ。間に合って……」

「えっ? それってどういう――んんっ!!」

聞き返そうとした瞬間、口を手で押さえられた。

「静かにしろっ!!」

凄みのある声で脅されながらそのまま壁に押し当てられる。
平野さんはポケットから紐を取り出すと、ものすごい力で僕の両手首を片手で頭の上に掴み上げた。

「いいか、声を出したらすぐに殺すぞ!」

口を押さえていた手を離したと思ったら瞬く間に掴んでいた僕の両手を紐で縛り上げた。