今度は何も嫌な夢を見ることもなく、ぐっすりと眠ってスッキリした。
パチっと目を開けると、僕の抱き枕はいつの間にか直己さんに変わっていた。
僕を抱きしめながらスヤスヤと眠っている直己さんの姿に驚きつつも、抱き枕が直己さんだったから熟睡できたのかもしれないと思った。

さっきまで頭を置いていた腕と胸のスペースにもう一度頭を置くと、ふわりと直己さんの匂いが漂ってきた。

そうだ、これだ。夢の中で嗅いでいた匂いは。
この匂いが僕を安心させてくれていたんだな。
そう思うと嬉しくて、僕は直己さんの胸元に顔を擦り付けながら直己さんの匂いに包まれていた。

「また可愛いことをしてる」

「あっ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」

「いや、こんな起こされ方なら大歓迎だよ。荷物の搬入が終わって来てみたら抱き枕に抱きついて気持ちよさそうに眠っていたから、大人げなく抱き枕に嫉妬して私と入れ替えたら、佳都が嬉しそうに抱きついて眠ってくれるものだから嬉しくなってね、しばらく寝顔を見ているうちに私も眠ってしまったみたいだ」

抱き枕に嫉妬だなんて……。直己さんって可愛い。

「荷物を運び入れるのを直己さんだけにお願いしちゃってすみません」

「いや、ほとんどは業者がやってくれたから私は指示しただけだ。気にすることはない」

「あの、荷物見てもいいですか?」

「そうだな。足りないものがあったら困るからな」

直己さんは僕を抱き上げるとそのまま僕の部屋に連れて行ってくれたんだけど、直己さんが部屋の扉を開けて驚いた。

「わぁっ!」

そこにはアパートの部屋がそっくりそのまま運び込まれていた。
そう、ここだけ見たら自分の家そのもの。

「何これ、すごっ!」

「これならアパートに帰る必要などないだろう? このままずっとここに住んだらいい」

えっ? しばらくの間だけここに住まわせてもらうんじゃなかったっけ?
このままずっと僕ここに住むの?

「このままずっとって……」

「んっ? 恋人になったのだから当然だろう? それとも佳都は私と一緒に住むのは嫌か?」

「えっ? そんな、嫌なんて!」

「だろう? だから、ここにずっと居ればいい。私は佳都がいてくれるだけで仕事もやりがいが出るし、安心できる。大体、佳都があのアパートに一人で住むなんて考えられないからな」

恋人なんだから当然だと言われたらそうかと納得するしかない。



それからしばらく経って、ようやく背中の打撲も良くなった。
悠木先生からももう通常の生活をしても大丈夫だとお墨付きをもらった。

今日は大学のゼミの集まりの日。

あの日、ダメ出しを受けていた翔太のレポートは再提出でなんとか合格し、今日はみんなでレポートの進捗状況やお互いの近況について話することになっていた。

直己さんは大学まで僕を送ってくれると言っていたけれど、どうしても変更できない会議が入ってしまったそうで、朝から七海ちゃんと翔太がマンションに迎えに来てくれることになっていた。

直己さんも一度翔太と話をしたいということでみんなで一緒に朝食を取ることになり、いつもの大学に行く時間よりずっと早く二人は直己さんと僕の住むマンションへやってきた。


「七海さまとお友達の方がお越しになりました。お通ししてよろしいでしょうか?」

コンシェルジュの田之上さんから連絡があり、直己さんがすぐに通すようにいうと、それからすぐに玄関のチャイムが鳴った。

「七海ちゃん、翔太。いらっしゃい」

僕が玄関で迎え入れると、二人は声を合わせて吹き出した。

「えっ? 何?」

「いや、お前すっかりここの住人になってるじゃん。なぁ七海」

「うん。もうすっかりお兄ちゃんと佳都くんのお家だね。なんだか新婚家庭に遊びに来たみたいだよ」

「し、新婚家庭って……」

二人にそう言われて一気に照れてしまう。

「おい、佳都を揶揄うなよ」

恥ずかしくて顔を赤くしていると、直己さんが二人を窘めながら、後ろからギュッと僕を抱きしめた。
その光景を翔太も七海ちゃんも言葉もなく見つめていて僕はさらに恥ずかしくなってしまった。

「な、直己さん……」

「んっ? どうした?」

「ひゃっ!」

二人へ言葉をかけた時とは全然違う甘く蕩けるような声で囁かれてドキドキする。

「ほら、そんな顔を見せるな。可愛すぎて外に出したくなくなるぞ」

「そ、そんなこと言われても……」

そう言い合っていると、

「ん゛っ、んっ!」

七海ちゃんの大きな咳払いの声にビクッとしてしまった。

「お兄ちゃん! いい加減、中に入れて欲しいんだけど」

七海ちゃんの言葉に直己さんは小さく舌打ちをしながら、二人に上がるように声をかけていた。

「お、お邪魔します」

翔太はいつもより少しおどおどした感じで七海ちゃんに引っ張られるように中へ入っていた。

そのままダイニングに案内すると、すでにテーブルにいくつか料理を並べていたのを見て翔太の目が輝いている。

「うわぁー、うまそう!」

「ご飯とお味噌汁持って行くから席に座っておいて」

キッチンでお味噌汁をよそっているとさっと直己さんがトレイに乗せてくれた。

「あっ、直己さんも座っててください」

「私は客じゃないだろう? 佳都と一緒に用意したいんだ」

「ありがとうございます」

直己さんの優しさに触れながら、僕は急いで残りのお味噌汁とご飯をよそった。


「さぁ、どうぞ」

僕の声かけに翔太も七海ちゃんも朝食を食べ始めた。

「うわっ、美味しい〜! ねぇ、お兄ちゃん。毎日こんなに美味しそうな朝食食べてるの?」

「ああ。佳都の料理は最高だろう?」

「うん、本当に羨ましい!」

「佳都は私のためにお弁当も作ってくれるんだぞ」

「ええーっ! 私もお弁当作って欲しいっ! 佳都くん、だめ?」

「えっ、僕は別に――」
「だめだっ!!」

直己さんは僕の言葉に被せるように大きな声をあげる。

「お兄ちゃんには聞いてないでしょ!! 佳都くんはいいって言いかけてたじゃない! ねぇ?」

うん。僕は別に二つ作るのも三つ作るのも変わらないからいいんだけど……

「だめだ! 佳都の作ってくれる弁当は私だけのものだからな」

「イーだ! ケチっ! そんなにケチだと佳都くんから嫌われちゃうんだからね!」

「えっ、佳都……そんなことはないだろう?」

心配そうな目で見つめられると可哀想に思えてくる。

「だ、大丈夫ですよ。そんなことで直己さんのこと嫌いになったりしませんから」

僕の言葉に直己さんはホッとした表情を見せた。

「本当、お兄ちゃんじゃないみたい。人間ってこうも変わるんだって驚いてる」

七海ちゃんは信じられないものを見たかのように直己さんを見つめている。

「本当に好きな相手だとこうなるものなんだよ。私は佳都がいないともう生きてはいけないからな」

七海ちゃんに見せつけるように僕を抱き寄せた。

「あー、はいはい」

七海ちゃんが少しめんどくさそうに返しているのに少し笑ってしまった。

「ところで、翔太くんだったかな?」

「は、はい」

突然、直己さんが翔太に声をかけたから翔太はびっくりして声を裏返らせながら返事をしていた。

「佳都とは付き合いは長いのかな?」

「へっ?」

てっきり七海ちゃんとのことを尋ねられると思ってたんだろう。

「あ、ああ。長いっちゃ長いですよ。小六の頃からの付き合いなんで。もう十年近くになりますね」

その言葉に、直己さんの表情が真顔になった気がした。