「あっ……悠木、先生……」

「なんでこんなとこにいるんだ? 怪我もしてるんだからちゃんと休まなきゃ!」

「ご、ごめんなさい……うっ、うっ」

さっきの恐怖とも重なって必死に耐えていた涙が出てしまう。

「ちょっ、佳都くん? とりあえず、こんなところじゃなんだから綾城のところに戻ろう」

「だ、だめです……」

「えっ?」

「僕……直己さんのところ、出てきたんです。直己さんのところには、帰れません……」

「出てきたって……うーん、何か理由がありそうだな。とりあえずここから離れよう。佳都くん、立てるか?」

僕は悠木先生に支えられながら立ち上がると、すぐそこに停められていた車に連れて行かれた。

「背中、気をつけてね」

大きなクッションを抱きしめるように言われ、前に少し身体を倒した状態で車はゆっくりと進んだ。

着いたのはさっきの場所からそこまで離れていない、直己さんのところとよく似ている高層マンション。
玄関には同じようにコンシェルジュさんがいて、ここも高級感たっぷりだ。

悠木先生に案内されるがままに部屋に連れて行かれた。

「楽な体勢で休んでて」

ソファーに案内され、少し疲れもあって、ソファーに寄りかかっていると悠木先生がグラスに飲み物を入れて持ってきてくれた。

「アイスティーだよ、飲めるかな?」

「はい。ありがとうございます。いただきます」

一口コクリと飲み込むとそれが身体に染み渡るのを感じて、そういえば起きてから何も飲んでいなかったことに気づいた。
途端に喉の渇きを感じて一気にゴクゴクと飲み干す。

「おかわりを持ってこよう」

さっと立ち上がって、綺麗なガラスのおしゃれなピッチャーに入ったアイスティーを持ってきてくれて、僕のグラスに淹れてくれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

それを半分ほど飲み干したところで、悠木先生は僕の顔を見た。

「少しは落ち着いたかな?」

「はい。すみません、急に泣き出したりして……」

「気にしないでいいよ。それで、綾城のところを出てきたっていうのはどういうことなのかな?」

なんて言って説明したらいいのかと思って、言葉に詰まってしまう。

「大丈夫、私は医者だから誰にも話したりしないよ」

お医者さんである悠木先生に優しく言われて僕は今までの経緯を話した。

「――――直己さん、ずっと優しくしてくれたのも、七海ちゃんの紹介だったから強く言えなかっただけなのに……僕が甘えすぎてしまって……直己さんが一緒にいるのも辛いって思うくらい我慢させてることにも気づかないで……それが申し訳なくて出てきたんです」

悠木先生は時々相槌を打ちながら話を聞いてくれた。本当に優しい先生だ。

「なるほどね、よくわかった。ただね、言葉って……聞こえたままの意味だとは限らないんだよ」

「えっ? それってどういう……?」

聞き返そうとする僕に悠木先生はにこやかな笑みを浮かべた。

「君も綾城もお互いに言葉が足りないだけだと思うな。佳都くんはさっき甘えすぎてて申し訳ないって言ってたけど、綾城はそんなに嫌そうにしていたのかな? 少なくとも私には君といるときの綾城は心から君のことを想っているように見えたよ。迷惑だ、困っているという相手に見せる顔ではなかったと思うけどな」

「それは……直己さんが優しいから」

「いやいや、私は高校時代から綾城を知っているけれど、あいつがあんなにも人に優しくしているところなんか見たことないぞ。それに、仕事以外で誰かを診察するのも……ね」

「えっ……それって……」

「それは本人に聞くといいよ。そろそろじゃないかな」

何を言っているんだろう?
そう思った瞬間、玄関のチャイムが何度も何度も怒涛の勢いで押された。

「ははっ。やっぱりな」

悠木先生が笑いながら、玄関に行き、扉を開けた。
その瞬間、「佳都っ!!」と大声を上げながらリビングに入ってきたのは、なりふり構わずと言った様子の直己さんだった。

「な、直己さん……どうして、ここに?」

「私が呼んだんだ。君たちはちゃんと話し合ったほうがいい。綾城、お前も彼のことをもう少し理解してやれ。私は少し出てるから、ゆっくり話すといいよ」

悠木先生は直己さんの肩をポンと叩き、部屋を出ていった。

しんと静まり返った部屋でパタンと玄関の扉が閉まった音が聞こえると、直己さんがゆっくりと僕の方に近づいてきた。

「急にいなくなったから心配した。悠木に連絡をもらって慌てて駆けつけたんだ。あのメモ書きはどういう意味なんだ? 私の気持ちってどういうことだ? なんでそれで佳都くんが出ていくんだ?」

「あの、それは……」

なんて言ったらいいのか、悩んでしまう。
勝手に七海ちゃんとの会話を聞いたって言ったら、さらに直己さんに嫌がられるんじゃないかな……

でも、

――ちゃんと話し合った方がいい

悠木先生に言われたことを思い出して、勝手に話を聞いてしまったことを謝ろうと思った。

「ごめんなさい、僕……直己さんが七海ちゃんと話しているのを聞いちゃったんです」

「えっ……」

「僕と一緒にいるのが辛いって……我慢できないかもしれないって……そう聞こえて、僕が直己さんちにいることで迷惑をかけてたってことに気づいたんです。僕が七海ちゃんの友達だから断りにくいんだろうと思って、自分から出ていこうって……ごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい」

「ちがっ、そうじゃないんだ! 私が佳都くんと一緒にいるのが辛いって言ったのは……そういう意味じゃないんだ!」

「そういう意味じゃないって、どういうことですか?」

僕が聞き返すと、直己さんは一瞬言葉に詰まりながらも深呼吸して口を開いた。

「はっきり言うよ。君が好きだから、君を抱きしめて寝たり身体を洗ったりすると欲望が抑えられなくなりそうで……それで我慢できないかもしれないって言ったんだ……」

「えっ……直己さんが、僕を……す、き??」

「君は気づいてなかっただろう?」

やっぱりなとでもいうような表情で僕を見つめる直己さんを見て、僕は本気で驚いてしまった。

「だって、そんなことあるなんて思わなかったから……」

そう。
直己さんが僕を好きだなんて、そんな夢みたいなことあるわけないって思ってたから……

「実は、前に大学の前で七海と一緒にいるところを見て佳都くんに一目惚れしたんだ。それで七海に協力してもらって絶対に君の嫌がることはしないって約束で、私の家にバイトに来てくれるように声をかけてもらったんだ。君との時間をできるだけ長く過ごして、じっくりと私を知ってもらって好意を持ってもらおうと考えた。でも、なんでも受け入れてくれる君が可愛すぎて……初めて一緒にベッドで寝た時も、可愛い寝顔が気になってずっと君をみていた」

直己さんが、僕に、一目惚れ……?
うそっ……
でも、確かにすごく眠そうにしてた気がする……
じゃあ、本当に僕のこと……?

うわっ、なんだろう。
すごく……嬉しい。

「佳都くんが家に帰ってこなかった時もどれだけ心配だったか。あいつに襲われているのを見て怒りが抑えきれなくて思わずぶん殴ってしまったが、ああやって感情のままに人を殴ったのは初めてなんだ。それくらい君のことだけ感情が揺さぶられるんだ。私は絶対に佳都くんを傷つけたりしないし、これからも君を守り続ける。だから……私と付き合ってくれないか? 私のそばにいて欲しいんだ」

直己さんがじっと僕を見つめながら語るその誠実な言葉が胸に突き刺さる。

「佳都くん……ダメか?」

「いえ、あの、僕……正直いうと恋愛とかしたことがなくて、自分が女性が好きとか男性が好きとかもぜんぜんわからないけど……でも、直己さんからこうやって言ってもらえてすごく、嬉しいです。だから……ぼく、直己さんのこと、好きなんだと思います」

「佳都くん、じゃあ……」

「はい。僕も直己さんのそばにいたいです」

「――っ、佳都くん」

こんな時でも直己さんは僕の背中を気遣いながら、自分の胸にポスッと包み込んでくれた。

「ああ! 本当に嬉しすぎるな」

直己さんの心からの言葉だ。
うん、僕も嬉しい。

「佳都……」

急に呼び捨てで呼ばれて思わず顔を上げると、チュッと直己さんの唇が僕のそれに重なり合った。その柔らかな感触に驚いてしまう。

「んっ……」

直己さんはそのまま僕の唇を何度か柔らかく噛んでゆっくりと離した。

「急にごめん、どうしてもキスしたくて……」

「いえ……僕、嬉しいです」

「佳都くん、すぐにうちに帰ろう」

直己さんはすぐに僕を抱きかかえてスタスタとリビングを出て、玄関でささっと僕に靴を履かせるとそのまま扉を開け出て行った。

「あの、鍵はしなくてもいいんですか?」

「ここはオートロックだから勝手に閉まるから大丈夫。鍵は指紋認証だしね」

オートロックに指紋認証……
そうなんだ……来たときは気づかなかったな。