私を選べばよかったのに

 「本当にこんなんでいいの?」

 「充分だってば。だいたい、桐原はなんにも悪いことしてないでしょ」

 次の休み時間。言われたとおりにばっちり板書を書き写したノートを粟生野に貸してから、彼女といっしょに外の自販機へ行った。

 アイスティーのペットボトルを粟生野に渡しながら、俺がそれでもまだ気になって訊ねてしまうと、粟生野はあっけらかんと笑って。

 「桐原って優しいよねえ」

 「いや、俺がコンタクト壊したわけだし……」

 どちらかというと、今の状況で〝優しい〟のは粟生野のほうだと思う。恨み言ひとつ言わず、「ありがとう」とうれしそうに俺の手からアイスティーを受け取る粟生野の笑顔を見ながら、本当にできた人だなあ、なんて感動してしまう。

 思えば今に限らず、粟生野が怒って誰かを責め立てたり、暗い顔で落ち込んでいる姿なんて見たことがない。教室での粟生野はいつでも笑顔で、誰かを気遣ったり、励ましたりしている。こんなふうに。

 粟生野明李は、そういう人だった。誰にでも優しく、人望が厚い人気者。おまけに成績も優秀で先生からの信頼も厚い、まさに生徒の(かがみ)のような優等生。これまでも俺の中にある粟生野の印象はそれだったけれど、今日あらためて、本当に評判どおりの人なのだなあ、というのをしみじみ実感していると。

 「ねえ、桐原ってさ、園山さんたちと仲良いの?」

 ペットボトルのフタを開けながら、ふいに粟生野が訊ねてきた。

 唐突な質問にきょとんとして彼女のほうを見れば、じっとこちらを見つめる少し切れ長の目と視線がぶつかる。

 「や、この前桐原たちが三人で食堂にいるところ見かけてさ。仲良いのかなって」

 「え、うん。まあ」

 不思議な質問に首を傾げながらも俺が頷けば、粟生野は「ふーん」と呟いて目を伏せた。そうしてアイスティーをひと口飲んでから、

 「――なんで?」

 「へ」

 「なんで仲良くなったの? あのふたりと」

 手もとのペットボトルに目を落としたまま訊ねる粟生野の口調は、いつもと少し違った。どこか硬くて歯切れが悪い。表情も笑みを作ってはいるけれど、その口角はかすかに強張っている。

 「なんでって」

 見慣れぬ粟生野の様子に戸惑いながらも、俺は少し考えたあとで、

 「べつにふつうに。食堂でみなとぶつかって、うどんの汁が制服にかかったことがあって。それからなんとなく仲良くなったというか」

 「それだけ?」

 「それだけ」

 俺の答えを聞いても、粟生野はなぜかいまいち釈然としない顔で眉根を寄せていた。だけどみなたちと仲良くなった経緯なんて、本当にただ〝それだけ〟だ。だから俺もそれ以上は説明しようがなく、ちょっと困っていると。

 「あ、いや、ごめん。なんかびっくりしちゃってさ。私、園山さんたちと同じ中学だったんだけど、中学のころの園山さんたちってなんか(とが)ってて、ちょっと近寄りがたかったから。周りとは壁作ってる感じで」

 「え、そうなん?」

 「うん。だから桐原とふつうに仲良くしてるっぽいのが、けっこう衝撃だったというか……それだけ。ごめんね、突然変なこと訊いて。ちょっと気になっちゃったから」

 粟生野は顔の前でひらひらと手を振ると、「じゃあ教室戻ろっか」と、いつもの粟生野らしい、明るく屈託のない口調に戻って笑った。