私を選べばよかったのに

 「ストーップ!」

 昼休みが終わり、教室に戻ってきたとき。俺が教室に足を踏み入れると同時に、鋭い声が鼓膜を叩いた。

 え、と驚いてその場に固まってしまうのと、右足を床に着くのは同時だった。

 足の裏にかすかな感触があった。ぱり、という小さな音も聞こえた気がする。

 嫌な予感が一気に駆けめぐる。足を動かせないまま顔を上げると、俺と同じようにその場に固まっている教室中のクラスメイトの視線が、こちらへ向いていた。

 俺のすぐ前に屈んでいた、長い髪を低い位置でふたつに束ねた女子生徒が、床を気にしながら立ち上がる。

 「……粟生野(あおの)、なにこれ」

 困惑して、目の前の彼女――粟生野明李(あかり)に訊ねる。途端、彼女が思いきり眉間にしわを寄せ、ぎゅっと細めた目でこちらを睨むように見つめたため、ぎょっとした。

 「ああ、(きり)(はら)かあ」

 だけど彼女はすぐに表情をゆるめ、俺の名前を呟くと。

 「コンタクト落としちゃったの。今、みんなに手伝ってもらって捜してるところで、桐原、そのへんに落ちてるかもしれないから足下気をつけて」

 粟生野の言葉を聞いて、頭を抱え込みたくなった。「ハードだから、踏んじゃうと大変で」と続いた言葉が、決定打だった。

 「……粟生野」

 「ん?」

 そうっと右足を上げる。嫌な予感は的中していた。その下にあったのは、粉々に砕けた小さなプラスチックだった。

 ふたり、しばらく言葉もなくコンタクトの(ざん)(がい)を眺めていた。

 やがて粟生野が、力なく俺の足下にしゃがみこみ、そっと指先で無惨に砕けたレンズに触れた。

 「マジで、ごめん」

 ようやく、その言葉が口をついて出た。粟生野はぱっと顔を上げると、困ったように笑って首を振りながら、

 「べつに桐原は悪くないよ。こんなところに落ちてたら、そりゃ踏んじゃうって」

 笑顔には、隠しきれない悲しみの色がにじんでいた。

 そこかしこから、「あー……」「桐原……」というクラスメイトたちの非難するような同情するような、複雑な声が聞こえてくる。

 「弁償します」

 少し考えたあとでそう言うと、粟生野はティッシュを取り出してコンタクトの欠片を拾い集めながらも、大きく首を横に振った。

 「いいっていいって! 落とした私が悪いんだから」

 「いや、でもやっぱ壊したのは俺だし……」

 「いやいや、わざと踏んだわけじゃないんだし、気にすることないよ」

 そうは言われても、気にしないわけにはいかなかった。

 「あー……じゃあ、半額」

 考えた末にそう言うと、粟生野はぽかんとして「え?」と訊き返してきた。

 「言い出しといてかっこ悪いんだけど、全額は俺の財力じゃきつそうだから、半額払うってことじゃだめでしょうか」

 新しいコンタクト代、と付け加えると、粟生野は苦笑して。

 「だから、いいって言ってるのに」

 「俺が気になるから」

 「うーん、じゃあわかった! 桐原、次の休み時間にジュース(おご)って」

 「へ?」

 唐突な提案に俺がぽかんとしていると、「ああ、あと」と粟生野は笑顔のまま軽く首を傾げて。

 「次の授業のノート、あとで写させて? 私、たぶん黒板見えないから。板書、ばっちりきれいに書き写しといてね。よろしく!」

 そう言って俺の肩を軽く叩くと、明るい笑顔で手を振ってから、粟生野はさっさと自分の席へ戻っていった。