「悪い。今日は直紀といっしょに食べられないんだ」
昼休み。普段いっしょに昼ごはんを食べている健太郎が、いきなり思い詰めた表情でそんなことを言ってきたので、「はいはい、桜さんですね」とだけ返して俺は弁当をつかんだ。
桜さんというのは、健太郎が一年ほど前から付き合っている桜那津子さんのことで。
「じゃあ俺食堂行くから、桜さんこっちに呼べば?」
「いいのか? 悪い、本当に」
「いや、いいって。いつも言ってるけど、おまえ、ちょっと気にしすぎだから」
なんなら毎日桜さんと食べてくれてもいいのだけれど、健太郎は週に何日か、俺と昼飯を食べる日も作ってくれている。たぶんそれが健太郎なりの、〝独り身〟である俺への気遣いなのだろう。ちょっと悲しくもなるけれど。
「直紀ーっ」
そういうわけでひとり向かった食堂で、空いている席を探していたときだった。騒がしい中でもよく通る高い声が、俺を呼んだ。
「ひとりなの? みなたちといっしょに食べよー」
振り向くと、端の方の席にみなと駿が向かい合って座っているのが見えた。ありがたい。笑顔で手招きをするみなに頷いて、彼らのもとへ歩いていく。そうして駿の隣に座り、持ってきた弁当をテーブルに置いたところで、
「あれ、みな前髪切った?」
ふと気づいて訊ねると、みなは驚いたように目を見開いた。それから、ぱっとうれしそうな笑顔になって「うわあ、さっすが直紀だー!」と弾んだ声を上げる。
「駿なんて朝も顔合わせたくせに、ぜんっぜん気づかないんだよ!」
「いや気づいてたよ。どうでもよかったから言わなかっただけで」
「ほら、ひどいよねこの人!」
みなはにこにこ顔で駿のほうを指さしながらも、視線はこちらへ向けたまま、
「でもさすが、直紀は違うね! 直紀なら気づいてくれるって信じてたよー。自分で切ったから、ちょっと変になっちゃったんだけど」
「え、そう? ぜんぜんかわいいけど」
前髪を撫でつけながら笑ったみなに、俺がそう返したときだった。「へっ」とみなが素っ頓狂な声を上げて一瞬固まった。それから俺の顔を見つめて、何度かぱちぱちとまばたきをしたあとで、
「び、びっくりした。不意打ちやめてよもうー!」
なんて言いながら、けっこうな強さでバシバシと俺の肩を叩いてきた。
隣では、駿もちょっと驚いたような顔でこちらを見ていて。
「直紀って」
「え、なに」
「なんかすげえな」
「は?」
感心したようにしみじみと呟く駿にぽかんとしながら、俺は弁当箱を包んでいた布を開く。すると真っ先に目に飛び込んでくるはずだった箸が見あたらず、弁当箱を持ち上げて裏を覗き込んでみた。ない。
「箸忘れた。ちょっと食堂のやつ借りてくる」
ふたりに声をかけて立ち上がると、「あっ、ちょっと待って直紀」と言ってみなが手もとのコップに残っていた水を飲み干した。それから、「おかわりよろしくね」と空になったコップを俺に差し出しながら笑った。
「じゃあ俺にもよろしく」
駿も当然のように俺にコップを差し出しながら「俺はお茶」と付け加えてくる。「はいはい」と頷きながら踵を返すと「ありがと!」「悪いなー」と脳天気な声がふたつ、背中にかけられた。
箸をひと組借りて、ふたつのコップにそれぞれ冷水と麦茶を注ぐ。そうして自分の分のコップも取ろうとして、両手が塞がっていることに気づいた。
あとで取りにこないと、とため息をついて席に戻ろうとしたとき。奥の席に見慣れた姿を見つけて、足を止めた。
四人がけのテーブルにひとりで座り弁当を食べている、その女子生徒。うつむいていて顔は見えなかったけれど、肩上まであるまっすぐな髪と、背中を丸めているせいかよけいに小さく見えるその身体は、すぐにわかった。
「白柳」
近づいて声をかけると、いつものようにびくっと彼女の肩が震えた。
ぱっと上げられた顔は、やはり見慣れた後輩のものだった。
目が合うなり彼女は「あ」と声を上げて、決まり悪そうにまた視線を落とす。
「ひとり?」
訊ねると、「……はい」と消え入りそうな声が返ってきたことに、しまったと思う。
そこで白柳が、俺の手にあるふたつのコップをちらりと見たのがわかった。
「あー……ちょっと待ってて」
俺は少し考えたあとで、白柳にそう言い置いて駿たちのもとへ戻ると。
「ごめん。友だち見つけたから、あっちで食べる」
ふたりにそれぞれコップを渡しながら言うと、「えー!」とみなが大袈裟なほど大きな声を上げた。
「なんでー!? みなたちだって直紀の友だちでしょー!」
「あー……うん。ごめん。ちょっと話したいこととかあるし、今日はごめんな」
「ぶー!」
みなの不満げな声を背中に浴びながら、弁当を持ってふたたび白柳のもとへ向かう。
途中、こちらを見ていたらしい白柳と目が合ったけれど、すぐにその視線はテーブルに落ちた。
「座っていい?」
訊ねると、白柳はおどおどと顔を上げる。そしてすぐにまたうつむいたあとで、一度大きく頷いた。
「……い、いいんですか?」
彼女の向かい側の席に座ると、顔は上げないまま、白柳が訊いてくる。
「なにが?」
「先輩、お友だちと、いっしょだったんじゃ……」
「あー、いいんだよ。 なんていうか、今日は静かに食べたい気分だったというか」
そう言って笑ってみせても、白柳はあいかわらず顔を伏せたまま、箸でつまんだきんぴらをじっと見つめている。
俺は包みを開いていた手を止めると、「白柳」と呼んだ。
そこでようやく、彼女は顔を上げた。呼んでおいて、目が合った途端に次の言葉を口にするのが恥ずかしくなったけれど、それでも彼女がまた視線を落とす前に、ひと息に言い切った。
「白柳と食べたかったんだよ」
白柳の握っていた箸から、ぽとりときんぴらが落ちた。
「へ……」
「だから、いいんだって」
一拍のあと、ぽかんと俺を見つめていた彼女の顔が、ぱっとうれしそうな笑顔に変わる。
その反応を見て、やっぱり正解だった、と思う。なんだか、だんだんとこの後輩の扱い方がわかってきたような気がする。
落としてしまったきんぴらをつまみ直し、彼女はそれをようやく口に運んだ。もぐもぐと口を動かしながら俺のほうを見て、ふふ、と幼い子どもみたいな笑みを浮かべる。
「なに」
「ごめんなさい。なんでもないです」
俺も白柳もあまりどんどんしゃべるほうではないため、それからはぽつりぽつりと言葉を交わしながら時間は過ぎていった。主に俺がなにか訊ねて、白柳がそれに答える、といったやり取りが繰り返されているだけだったけれど、それでも、なんだか居心地の良い時間だった。
「あのっ」
白米の最後のひと口を、俺が口に入れようとしていたときだった。白柳が唐突に、意を決したような声を上げて。
「せ、先輩、今日……図書室、来ますか?」
「ん? 俺今日当番だっけ」
「いえ、違いますけど……す、すみません、やっぱりなんでもないです」
「あー、いや、でも行くよ」
困ったようにあわてて首を振る白柳に、俺はとっさにそう返していた。めったに自分からは話さない白柳の、めずらしい質問だったから。なんだか頷かずにはいられなかった。
「えっ、本当ですか?」
「うん。今日はどうせ暇だし」
「や、やったぁ……」
白柳は箸を握りしめたままそう呟いて、ようやく残っていたごはんを口に入れた。心底うれしそうなその笑顔に、思わずつられて笑ってしまいながら、
「なに、今日なんかあるの?」
「え? いえ、べつになにもないですけど……」
「ああ、ひとりじゃやっぱり退屈なのか」
「いえ、そうでもないですけど……」
「え? じゃあ」
なんで、と訊ねようとして、やっぱりやめた。
「あ、いや、いいや」
早口に呟いて空になった弁当箱を包みはじめると、白柳はきょとんとした表情でこちらを見ていた。
昼休み。普段いっしょに昼ごはんを食べている健太郎が、いきなり思い詰めた表情でそんなことを言ってきたので、「はいはい、桜さんですね」とだけ返して俺は弁当をつかんだ。
桜さんというのは、健太郎が一年ほど前から付き合っている桜那津子さんのことで。
「じゃあ俺食堂行くから、桜さんこっちに呼べば?」
「いいのか? 悪い、本当に」
「いや、いいって。いつも言ってるけど、おまえ、ちょっと気にしすぎだから」
なんなら毎日桜さんと食べてくれてもいいのだけれど、健太郎は週に何日か、俺と昼飯を食べる日も作ってくれている。たぶんそれが健太郎なりの、〝独り身〟である俺への気遣いなのだろう。ちょっと悲しくもなるけれど。
「直紀ーっ」
そういうわけでひとり向かった食堂で、空いている席を探していたときだった。騒がしい中でもよく通る高い声が、俺を呼んだ。
「ひとりなの? みなたちといっしょに食べよー」
振り向くと、端の方の席にみなと駿が向かい合って座っているのが見えた。ありがたい。笑顔で手招きをするみなに頷いて、彼らのもとへ歩いていく。そうして駿の隣に座り、持ってきた弁当をテーブルに置いたところで、
「あれ、みな前髪切った?」
ふと気づいて訊ねると、みなは驚いたように目を見開いた。それから、ぱっとうれしそうな笑顔になって「うわあ、さっすが直紀だー!」と弾んだ声を上げる。
「駿なんて朝も顔合わせたくせに、ぜんっぜん気づかないんだよ!」
「いや気づいてたよ。どうでもよかったから言わなかっただけで」
「ほら、ひどいよねこの人!」
みなはにこにこ顔で駿のほうを指さしながらも、視線はこちらへ向けたまま、
「でもさすが、直紀は違うね! 直紀なら気づいてくれるって信じてたよー。自分で切ったから、ちょっと変になっちゃったんだけど」
「え、そう? ぜんぜんかわいいけど」
前髪を撫でつけながら笑ったみなに、俺がそう返したときだった。「へっ」とみなが素っ頓狂な声を上げて一瞬固まった。それから俺の顔を見つめて、何度かぱちぱちとまばたきをしたあとで、
「び、びっくりした。不意打ちやめてよもうー!」
なんて言いながら、けっこうな強さでバシバシと俺の肩を叩いてきた。
隣では、駿もちょっと驚いたような顔でこちらを見ていて。
「直紀って」
「え、なに」
「なんかすげえな」
「は?」
感心したようにしみじみと呟く駿にぽかんとしながら、俺は弁当箱を包んでいた布を開く。すると真っ先に目に飛び込んでくるはずだった箸が見あたらず、弁当箱を持ち上げて裏を覗き込んでみた。ない。
「箸忘れた。ちょっと食堂のやつ借りてくる」
ふたりに声をかけて立ち上がると、「あっ、ちょっと待って直紀」と言ってみなが手もとのコップに残っていた水を飲み干した。それから、「おかわりよろしくね」と空になったコップを俺に差し出しながら笑った。
「じゃあ俺にもよろしく」
駿も当然のように俺にコップを差し出しながら「俺はお茶」と付け加えてくる。「はいはい」と頷きながら踵を返すと「ありがと!」「悪いなー」と脳天気な声がふたつ、背中にかけられた。
箸をひと組借りて、ふたつのコップにそれぞれ冷水と麦茶を注ぐ。そうして自分の分のコップも取ろうとして、両手が塞がっていることに気づいた。
あとで取りにこないと、とため息をついて席に戻ろうとしたとき。奥の席に見慣れた姿を見つけて、足を止めた。
四人がけのテーブルにひとりで座り弁当を食べている、その女子生徒。うつむいていて顔は見えなかったけれど、肩上まであるまっすぐな髪と、背中を丸めているせいかよけいに小さく見えるその身体は、すぐにわかった。
「白柳」
近づいて声をかけると、いつものようにびくっと彼女の肩が震えた。
ぱっと上げられた顔は、やはり見慣れた後輩のものだった。
目が合うなり彼女は「あ」と声を上げて、決まり悪そうにまた視線を落とす。
「ひとり?」
訊ねると、「……はい」と消え入りそうな声が返ってきたことに、しまったと思う。
そこで白柳が、俺の手にあるふたつのコップをちらりと見たのがわかった。
「あー……ちょっと待ってて」
俺は少し考えたあとで、白柳にそう言い置いて駿たちのもとへ戻ると。
「ごめん。友だち見つけたから、あっちで食べる」
ふたりにそれぞれコップを渡しながら言うと、「えー!」とみなが大袈裟なほど大きな声を上げた。
「なんでー!? みなたちだって直紀の友だちでしょー!」
「あー……うん。ごめん。ちょっと話したいこととかあるし、今日はごめんな」
「ぶー!」
みなの不満げな声を背中に浴びながら、弁当を持ってふたたび白柳のもとへ向かう。
途中、こちらを見ていたらしい白柳と目が合ったけれど、すぐにその視線はテーブルに落ちた。
「座っていい?」
訊ねると、白柳はおどおどと顔を上げる。そしてすぐにまたうつむいたあとで、一度大きく頷いた。
「……い、いいんですか?」
彼女の向かい側の席に座ると、顔は上げないまま、白柳が訊いてくる。
「なにが?」
「先輩、お友だちと、いっしょだったんじゃ……」
「あー、いいんだよ。 なんていうか、今日は静かに食べたい気分だったというか」
そう言って笑ってみせても、白柳はあいかわらず顔を伏せたまま、箸でつまんだきんぴらをじっと見つめている。
俺は包みを開いていた手を止めると、「白柳」と呼んだ。
そこでようやく、彼女は顔を上げた。呼んでおいて、目が合った途端に次の言葉を口にするのが恥ずかしくなったけれど、それでも彼女がまた視線を落とす前に、ひと息に言い切った。
「白柳と食べたかったんだよ」
白柳の握っていた箸から、ぽとりときんぴらが落ちた。
「へ……」
「だから、いいんだって」
一拍のあと、ぽかんと俺を見つめていた彼女の顔が、ぱっとうれしそうな笑顔に変わる。
その反応を見て、やっぱり正解だった、と思う。なんだか、だんだんとこの後輩の扱い方がわかってきたような気がする。
落としてしまったきんぴらをつまみ直し、彼女はそれをようやく口に運んだ。もぐもぐと口を動かしながら俺のほうを見て、ふふ、と幼い子どもみたいな笑みを浮かべる。
「なに」
「ごめんなさい。なんでもないです」
俺も白柳もあまりどんどんしゃべるほうではないため、それからはぽつりぽつりと言葉を交わしながら時間は過ぎていった。主に俺がなにか訊ねて、白柳がそれに答える、といったやり取りが繰り返されているだけだったけれど、それでも、なんだか居心地の良い時間だった。
「あのっ」
白米の最後のひと口を、俺が口に入れようとしていたときだった。白柳が唐突に、意を決したような声を上げて。
「せ、先輩、今日……図書室、来ますか?」
「ん? 俺今日当番だっけ」
「いえ、違いますけど……す、すみません、やっぱりなんでもないです」
「あー、いや、でも行くよ」
困ったようにあわてて首を振る白柳に、俺はとっさにそう返していた。めったに自分からは話さない白柳の、めずらしい質問だったから。なんだか頷かずにはいられなかった。
「えっ、本当ですか?」
「うん。今日はどうせ暇だし」
「や、やったぁ……」
白柳は箸を握りしめたままそう呟いて、ようやく残っていたごはんを口に入れた。心底うれしそうなその笑顔に、思わずつられて笑ってしまいながら、
「なに、今日なんかあるの?」
「え? いえ、べつになにもないですけど……」
「ああ、ひとりじゃやっぱり退屈なのか」
「いえ、そうでもないですけど……」
「え? じゃあ」
なんで、と訊ねようとして、やっぱりやめた。
「あ、いや、いいや」
早口に呟いて空になった弁当箱を包みはじめると、白柳はきょとんとした表情でこちらを見ていた。



