「どの本取りたいの」

 担任の先生からプリントを届けるよう頼まれ、普段はめったに行かない図書室を訪れたときだった。本棚の前にいる、ひとりの小柄な女子生徒が目に留まった。

 足下には青いスリッパを履いているのが見えたので、一年生のようだ。つま先立ちになり、必死に本棚のほうへ腕を伸ばしている。だけどその手は届きそうになくて、俺はなんとはなしにその子のもとへ歩み寄り、そんな声をかけてみたのだけれど。

 「えっ?」

 声をかけられた彼女のほうは、俺の声に大袈裟なほど肩を震わせた。伸ばした手はそのままに、勢いよくこちらを振り向く。大きく見開かれた目には明らかに怯えの色が浮かんでいて、え、と俺のほうも思わず一瞬うろたえた。今の声かけ、なんかまずかっただろうか。

 「本、取りたいんだろ?」

 困惑しながらそう重ねれば、彼女はさっと本棚へ伸ばしていた右手を引っ込めた。肩まであるまっすぐな黒髪が揺れる。そうしてその手で落ち着きなく自分の口もとを触りながら、「あ、は、はい」と彼女は頷いた。あいかわらず怯えの混じる、ちょっと震える声で。

 「えーと」

 正直、だいぶ予想と違う反応だった。俺は当惑した声を漏らしながら、とりあえずその子の顔を見つめ返す。近くに立ってみると、彼女は思っていたよりもさらに小さかった。背だけでなく、顔も肩幅も小さい。こちらを見つめる黒目がちの丸い目は、なにかの小動物みたいだった。

 「どの本取りたいの」

 仕方なくもう一度繰り返してみると、彼女はしばしぽかんとしたあとで、「ああっ」とようやく合点がいったように声を上げた。おろおろと本棚に向き直り、「あ、あの」と白く細い指で本を指す。

 「えっと、あ、あれ、です」

 あれ、と言われた先には本がびっしりと隙間なく並べられており、あれがどれを指しているのかわからない。どれだよ、と訊き返しかけたのを、俺は途中で思い直して呑み込んでから、

 「あの黒いカバーの本?」

 と適当に目星をつけて訊ねてみる。

 彼女はぶんぶんと髪が揺れるほど首を横に振って、

 「い、いえ、あの、その本の隣の本です……すみません」

 なんで謝ってんだ、という言葉も呑み込んで、「これ?」と手を伸ばしながら訊ねる。すると今度は「は、はいっ」と声が返ってきたので、そのまま本を抜き出し、彼女に差し出した。

 「はい」

 そこでまた彼女がきょとんとしたことに軽く頭痛を覚えながらも、「ん」ともう一度本を差し出す。するとようやく彼女は我に返ったように、両手で本を受け取った。

 「す、すみません!」

 そこはありがとうだろ。思いつつも「いやいや」とだけ返して、俺はその子に背を向けた。

 ――それが、最初の出会いだった。