記録には書けないこと

白い壁、長い廊下。ぼやけたガラスの向こうで足音が聞こえる。私はベッドにもたれ、膝の上にノートを置いていた。
「また書いてるんですか?」
カーテンが揺れて、看護師さんが顔を出す。私は頷いて、赤いペンを取り出す。
「体調はどうですか?」
「大丈夫......です」
看護師さんはバイタルを測り、記録に数字を書き込む。点滴が一定の速さで落ちている。

――看護師(インタビュー)
「夜は静かに過ごされていますよ。でも、最近はよく微笑んでいましたね。何か“良い夢”でも見ているんですかね。それと......いつもノートに色々書いてるみたいですね。ノートのことについては警察の方々から聞いてはいました。私がチラッと見たときは、たしか“私だけのもの”って書いてありましたね」

私はページをめくる。〈私だけのもの〉〈他はなにもいらない〉同じ言葉が続き、日付がまたがる。
私がさっきまで見ていた夢、というよりかは私が理想としていた世界。彼の愛が私の愛に負けないくらい大きくあるように、私が作り出した世界。
私はその世界を思い出しながら、窓の外に目をやる。朝の光、湯気、マグカップ、彼の横顔。私が笑うと、彼も笑ってくれる。彼は「君さえいればいい」と言ってくれた。足音が通り過ぎ、水が落ちる音が聞こえ、車輪の音が聞こえる。そう、“見えない音”だ。これらは、今この空間にある環境の音を、他のものに当てはめたに過ぎない。

結局、理想の世界を作っても、彼への愛の強さが全てを壊していく。それは、理想の世界に限らず、現実の世界も同じことだ。
でも、もう一度やり直せても私はまた、彼の家族を殺すだろう。それだけ愛しているのだから仕方がない。

――刑事(インタビュー)
「○○県で発生した一家殺害事件。犠牲者はある男性の家族全員。押収品には無地のノートがあり、赤字での反復記載が確認されています。容疑者は男性の交際相手である女性。供述は安定しておらず、記憶の混濁が見られます」

「......今日はここまでにしましょうか」
看護師さんが言う。
私は小さく息を吸う。ここは病院で、私はここにいる。彼は私の隣にはいない。だけど、私の中にはいる。私が作った日々は、間違いで、同時に私を生かす支えだった。私は自分に都合のいい出来事に変えた。彼が私を守り、罪を犯すくらいの愛を捧げてくれて、一緒にいてくれる。そうでなければ、私は立っていられなかった。

夢を見たところでまた壊れてしまうかもしれない。
だけど、私がしたことを、彼がしてくれている瞬間が少しでも味わえるなら何度だって見たい。
静かに目を閉じると、白い光の余韻が瞼の裏に残る。
私は数を数える。ひとつ。ふたつ。みっつ。夢は、また始まった。

「こっち向いて」