「肩強いんだね。
それに、ナイスコントロール。」

「もし入ったら、行こうと思って。
雨降ってたけど、いけたわ」

いつも窓は開けていた。
が、雨が降ってきて今日は閉めようかと思っていた時だった。

フワフワしたゴムボールが窓から入ってきて、その後陽翔が音楽室に現れた。

「久しぶり」
「そうっすね……」
ポツポツと雨の音が聞こえていた。

「元気してた?」
「うん、まあ…ぼちぼち」
心なしか陽翔の声が明るく聞こえた。



「もし君が来たら弾こうと思ってた曲があって…
これもすごく好きなんだ。
聴いてくれるかな」





久しぶりに聴く響のピアノは格別だった。
美しくて柔らかな音の粒が陽翔に降り注ぐ。
「スッゲーいい曲」

「ありがとう…だよね、
君ならそう言ってくれると思ってた」
響は一息吐いて、小さく笑った。
「今まででいちばん緊張したよ」

「あーもう!!
やっぱり響さんのピアノいいなぁ!」
陽翔は思わず顔を上げて笑った。

「もうそれでいいか」

その言葉を聞いて、響は少しムッとした。
「なんでそうやって決めつけるの?
僕は待ってたのに……
もう一度君がここに来るのを。
……僕を好きだと言った君を。」

「男が好きだから好きになるわけじゃないし
男だから好きにならないこともない
いや、もともと男が好きなわけじゃないんだけど……
僕は君のこと…本能的には好きだと思うよ
本能…的?
いや、生理的?ていうか……
えっと、人として君を好きなんだけど
それだけじゃないっていうか………」
一気に捲し立て、
その後響は黙り込んでしまった。

「よく分からない…」
「プッ…俺もわかんねー」

笑いが込み上げてきてふたりで笑い合った。空気が緩んで、響も柔らかな表情に戻った。

「君は初めて会った日
僕のピアノを優しい、と言ったけど
優しいのは君なんだ
こうやってまたここに来てくれた。」

「僕は僕のピアノを君が聴いてくれる、
今、この時間がいちばん幸せなんだ。
君が来なくなって分かった。
ここで君と過ごす昼休みが
いちばん幸せな時間なんだって。

それに……」

「それに?
俺がいないとダメなんだろ?」
「……うん」

「響さん、
……それって、もう俺のこと好き、
でいいんじゃね?
……泣いてっし。」

陽翔が指で溢れる涙を受け止めた。 



「キスしていい?大丈夫?」



陽翔が顔を寄せて
触れたのは窓からの風?唇?
唇は涙で濡れていたし
あまりにも一瞬のことで
温度までは到底分からなかった。



陽翔はすぐに体を離して言った。
「なんでこんなに好きになっちゃったんだろー。
響さん男だし
全然わかんねー。
だけど スッゲー好きなんだ」



「俺の前でしか出せない音があるんだろ?
……弾きなよ、
ずっと聞いてやるから」



「さっきの曲も、もっかい弾いて」



「なんて曲?
ブラームス?」




陽翔だけが喋り続けた。
いつの間にか雨は止んで
窓から穏やかな光が射していた。



「……そう、よく分かったね。
ブラームスの間奏曲118の5、 
ロマンスって曲」

「へー!ロマンチックだなー!」 

「…うん、そうだね。」
響はピアノの蓋をゆっくり閉じた。
「ところでさ…
さっきのは、キスじゃないよね」
正面から陽翔の目を見た。




「じゃ、……ガチなやつしていい?」
陽翔の目が初めて見る色になった。



ゆっくりと響に近づき、
腰に手を回そうとした時だった。
陽翔の指先に何か触れた。

「……アレ?……響さんこれ…」
そう言いながら響のポケットから取り出したのは、白い野球ボール。
「無くしたって言ってたあん時のやつじゃ…」



「あ……」
響はボールを見て、思わず吹き出した。
「……これさ、ずっと僕のポケットに
あったんだよね」
「え…マジ!? 普通気づくでしょ」
陽翔も笑った。
「響さんらしいな」
「そうなんだよ、いつもここに……」

響はボールを見つめていた。
甘い空気は逃げてしまった。
陽翔が頭をポリポリ掻いた。

「えっと、じゃあ……続き……」
もう一度、少し強引に身体を寄せて
響の頬に触れた。

窓の外で緑が雨粒を反射して
キラキラと動いていた。

     

……ほんと、気づかないんだよね、僕は。