昼休み、ひとりで弾いていた。
以前、彼が音楽室に現れるまではそうだった。

一人は、こんなに静かだったっけ。
寂しいなんて、思ったことなかったのに。

お気に入りの間奏曲を弾いた。
違う。この曲は、
もう自分だけのものじゃない。




「ねえ、陽翔、あれ…」
窓の外をぼんやり見つめていた陽翔が
自分を呼ぶ声に気づいて振り返った。
「あれ、音楽室の人じゃない?」
指差した先には、
息を切らして陽翔を見つめる響がいた。
「陽翔くん!」
大きな声が響いた。
「……響さん」
響はざわつく生徒達の間をすり抜け、窓際の陽翔の席までやって来た。
「クラス聞いてなかったから探したよ」
クラス中の視線が響に集まっていたが
まるで気にしていない様子で言った。
「君と話がしたい。いいかな」

教室を出ると
昼休みの明るい賑やかさが
響を我に返らせていた。
「ちょっと、こっちへ来てくれる?」

響は奥まった階段の踊り場に向かった。
人通りは少なく、
暗くて、ひんやりしていて、
そこだけ空気が違っているようだった。
ピアノのないところで
話すのはあの雨の日以来だった。

一息吐いてから響が言葉を発した。
「昼休み、急に来なくなったから…
病気とか…怪我とか…」
「……」
「心配でさ…
ゴメン、教室まで来ちゃって。
元気?」
「心配……
うん、元気です」

響は(うつむ)いて少し口ごもった。
「……あの、さ、
……僕…何かした?」
「……」
「いや、自分でもおかしいと思うんだけど、
君が来なくなったからってこんな、
教室にまで押しかけるような……」



「好きなんすよ」



「………え?」 



「響さんのことが、好きなんです」
「好き……」
「だから……もう今までみたいには」
「え、、?」

「女の子好きになるみたいに好きなんです」

「スミマセン、変なこと言って。
だけど……ホントなんだ」

「好きって……僕だって」
「違う。エロいこと、俺とできる?」

「……」
「そんな目で見てる俺と一緒にはいられないでしょう」

「お互い、いいことない。」
「……」
「だから、もう……音楽室には行きません。」

「ありがとうございました。
素敵なピアノ、聴かせてもらって」








__ __ __
放課後、音楽室にいた。
バッハのゴールドベルグ変奏曲。

アリアを弾いていた。
  



僕を好きだと言った。
そんな目で僕を見てると言った。

そんな目……
例えばキスしたい、とか?
……………

彼がそんな目で僕を見ていたら、
僕は彼と一緒にいられない?

………それだけじゃないはずだ。
僕と彼の間はそれだけじゃない。



アリアばかり繰り返して弾いていた。
美しいメロディーが感情を浮かび上がらせる。

聴いて欲しい。
陽翔に。 

今まで僕は
自分のためにピアノを弾いてきた
自分のためだけでよかった
彼に出会って初めて人のために弾いた
毎日彼のためだけに弾いていたんだ

目の前が霞んだ。

僕だって、陽翔のことを。
ああ…でも
僕の好きとは……きっと違うんだ



僕は彼を苦しめていたのかもしれないな
僕は……どうすれば……



このまま陽翔と一緒にいたい
それはあまりにも身勝手か



僕の…答えが必要……?




最後の音が鳴り終わり
鍵盤から手を離して
響はそっとその指に唇をつけた。




冷たい…



陽翔は。
陽翔の唇は…




きっと、暖かい。