「これ、ありがとうございました」
楽典…使わなかったけど匂いは嗅いだ。
「うん、またいつでも言って」
白い手。長い指。
綺麗だな……
あ、ちょっと触れてしまった。
冷てー。
ここ冷房効きすぎじゃね?
確かに外はもう真夏の陽射しだけど、
それにしてもこの部屋は寒い。
って俺はこんなことばっか…
なんなんだよ!
変だろ絶対。
「どうかした?」
いつもの昼休み、いつもの音楽室。
陽翔はクラスで弁当を食べた後、ここに来るのが習慣になっていた。
「今日は何弾こうかな…」
少し伸びをした後
その日響が弾いたのは
蕩とろけそうなほど甘い曲だった。
なんだか響さんの顔もいつもと違う。
……ふうに見える……
弾き終わった後、響は微笑んで言った。
「ロマンチックな曲だよね……
ていうか……エロい。」
え!? エ、エロい!?
響さんそんなこと言うんだ……
「女の子の前で弾いたら秒で落ちるやつじゃないですか」
「プッ 何それ。
ていうか君もそんなふうに感じるんだね」
笑いながらそう返されて俺は
胸と腰のあたりがムズムズした。
……俺も落ちてんだろ
「えと、これは誰の曲?
聞いても分かんねーかもけど」
「これはね、ショパン。」
「あ、知ってた!
ショパンは聞いたことある。
名前だけですけど」
「ショパンの、ノクターン12番」
「ノクターン?」
「夜想曲。夜の……」
「夜……」
俺は変な顔をしてしまっていたようだ。
「アハハ、夜の雰囲気とかね。夜に想う、とか。」
すぐに響さんにフォローされた。
「ノクターンはいろいろあるけど、
僕はこれがいちばん好きなんだ」
"好き"その言葉を口にした響さんの笑顔を見て
俺は言葉を失った。
頭の中が真っ白だ。
…天使が通る…
こんな時のこと言うんだっけ。
だけど…そんないいもんじゃない。
何か喋んなきゃ。
「……あ、そういえば響さんて、
昼メシいつもどうしてんですか?」
「お昼……えっと………
あ、ここで食べてるかな?パンとか」
「そっすか……」
陽翔はほんの少しの沈黙が訪れるだけで
胸の鼓動が早くなるのを感じ始めていた。
ピアノを聴いている時や
ピアノの話をしている時は
楽しくて穏やかな気持ちでいられるのに。
次の言葉を探して頭の中がグルグルしているその時、
音楽室の扉が開いた。
「いたいた、陽翔!
今日昼休み、体育祭のいろいろ決めるって
言ったじゃん!
もー!」
バタバタと足音が近づいて来る。
「あ、わりー、忘れてた」
陽翔がめんどくさそうに言うと、
クラスメイトらしい女子が眉間にシワを寄せ、ピアノに近づいてきていた。
「俺がここにいんの、なんで知ってんだよ」
「タナカが言ってた。
最近野球にも来ないで音楽室に入り浸ってるって。
陽翔がピアノなんてどーしたのよ」
陽翔の頬が熱くなった。
「いーだろ、別に」
「こんにちは。陽翔がお世話になってます。」
その女子が軽く頭を下げて言った。
「おめっ!何余計なこと言ってんだ」
その言葉をスルーして、
ニヤニヤと面白そうにピアノの間近まで来て言った。
「いつもここでピアノ弾いてるんですか?」
「あ、うん…」
「私も聴きたいな」
「ダメ。響さんの邪魔すんな」
「なんで陽翔が決めんのよ」
「ダメなの!ほら、明日は行くからさ、もう行けよ」
怒ったままの女子を追い出した後
陽翔は目を合わさずに言った。
「あ……響さん、
なんかすみませんでした、
勝手にあんなこと」
「いや、僕も」
……僕も、ここでは
彼女には聴いて欲しくなかったから
「あ。そんでスミマセン、
ついでみたいだけど、
俺、勝手に響さんて呼んじゃって」
「……フフッ、いいよ全然」
……ていうか、
僕にはいつもずいぶん丁寧に喋ってるんだな
響さん、、
くすぐったいけど、なんかいいんだよな…
