ピアノの音が近づいてくる。
音……というより、音の粒
音の粒が廊下に漂ってるような
そしてその粒が大きくなって
俺が包まれているような
気持ちいい……
だけど。
陽翔は今になって先日言ったことを
少し後悔していた。
響のピアノを間近で聴ける嬉しさはあったが
俺なんかが。
俺なんかがあのピアノを独り占めしていいのか?
最後の音が消えるのを確認し、
深く息を吐いて扉を開けると、
「やぁ」
先に響が声をかけた。
「あ……お疲れっす」
「お、おつかれさま……?
ていうかホントに来た」
響は笑いながらそう言って、陽翔のために椅子を用意した。
「そうそう、ゴメンね、
探してみたんだけど
やっぱり見つからないんだ。
どこへやったんだろう…
確かに拾ったんだけどなぁ……」
響さんはピアノの下をキョロキョロと見廻した。
俺は心の中では勝手に響さんと呼んでいる。
「ボールなんていくらでもあるから
いいっすよ」
「そう?
じゃあ、さっそくだけど……
何弾こっか。」
「何って…なんでも。俺分かんねーし」
うーん、と少し考えた後
響さんは弾き始めた。
当然俺の知らない曲。
暖かなメロディーが耳を柔らかく撫でていく。
なんて綺麗な音。
初めて間近で聴く響のピアノの音に
陽翔は衝撃を受けていた。
胸の奥が熱くなるような
胸が締め付けられるような
この感覚は、なんだろう
俺は目を離せないでいた
………目を?
視線を上げた時の横顔
白くて長い指
ピアノのように透明な黒髪
吸い込まれそうだ
響さんのピアノに
響さんに……
ドキドキが止まらない。
曲が終わると同時に
俺は思わず立ち上がった。
「あ、あの!
俺、スッゲー………好きです、
響さんのピアノ」
あ、思わず響さんって言ってしまった…
響は一瞬ポカンとして
「あ、ありがとう
……何が刺さったのかな」
そう言った後、照れたように笑った。
「えっと…
この曲はね、間奏曲118の2てやつで、
前に弾いたのは119の1なんだけど
ブラームスの後期の…」
響は急にペラペラ喋り出した。
「か、かんそう…?」
「……アハハ、まぁいいか。
この曲もすごく好きなんだ」
「もう一曲弾く?」
陽翔がチラッと時計を見た。
もう昼休みが終わってしまう
てかやべっ!
「あ、俺、次音楽だった……
教科書取りに行かなきゃ」
「うん?楽典ならあるよ。はい」
響さんが俺に楽典?を差し出した。
「……ありがとうございます」
「次ここ使うんだね。
じゃ僕もそろそろ行くよ」
「今日はありがとうございました、
また……」
「またね」
響さんはピアノの蓋を閉じて
俺のすぐ横を通り過ぎた。
ふわっと漂った響さんの匂い。
……シャンプーの、香り?
って、そ、そんな場合じゃねー!
俺は響さんが出ていくのを見送った後
猛ダッシュした。
「アレ?陽翔!?
次ココだろ?なんで出んの?」
最悪。クラスメイトに出くわした。
「るせっ!秒で戻るわ」
楽典?なんだそれ
音楽科じゃねーし。そんなの…
響さん、
俺のことまだなんも知らねーんだな
けど……借りてしまった……楽典。
__ __ __
はー、緊張した
人前で弾くのは慣れているけど
あんな目で見られるとさすがに……
あんな目?
階段を降りていると
足下にコロコロとボールが転がった。
あれ?ボール?
僕のポケットにあったのか?
って普通ポケットにあったらさすがに気づくだろ
けど……気づかないんだよな僕は。
響はボールを追いかけ、拾い上げた。
そういえば彼、僕のこと響さんって言ってたな
………次は何を弾こうかな
あ、また名前聞くの忘れた
