日記は、五月以降書かれていない。
だけど、決定打は、GWに僕らに会ったこと。
本当は医者になりたかったこと。
本当は大学進学を目指していたこと。
僕がもしあんな言葉を言わなければ、生きていてくれただろうか。
告白しなければ、生きていてくれただろうか。
部屋の空気に耐えられず、外に出た。
いつもなら、大学入試のために勉強するところだけれど、とてもそんな気分にはなれない。
あんな日記を読むことになるとは思っていなかった。
想像の何倍もひどい生活を送っていただなんて気づきもしなかった。
いや、気づけるわけがない。
中学の頃のように毎日会ってたわけじゃない。
機敏な変化に気づくことなんてできるわけがないじゃないか。
徐々に一線を引いて、距離を置いていた。
みんながしていたから、自分もした。
楽しかったはずの思い出は、いつか自分を苦しめる材料になっていた。
彼が言いたかったのは、そんなところだ。
そして、GWで会った時には自分の人生が消化試合だと悟っていた。
確かに、そうだよな。
勉強以外なら、部活だけ。
そんな環境に僕らはいる。
本当に医者になりたかったら相談くらいして欲しかった。
本当に悩んでいるなら、話くらい聞く。できる限り、助言もしたはず。
でも、そんな信用さえあいつの中にはなかった。
やっぱり、あんな言葉言わなければ少しは違ったか?
考えてみたってもう全部、今更だった。
村野の弟に面と向かって言った言葉がある。
『僕は、こいつのためにも医者になる』
今は、揺らいでいた。
なっていいのだろうか。
村野を傷つけたのは、僕らだ。
味方がいないって思ったんだ。
なりたいはずのものになれなかった村野に、死んだ後お前の代わりに医者になったなんて言えない。
村野が死ぬ時、僕を味方だなんて思えただろうか。
思っていたなら、僕の顔くらい思い出してくれたんだろう。
でもそうじゃない。
きっと、そうじゃない。
そんな気持ちで、あいつは死んでない。
僕のことも考えられないくらいに追い詰められてた。
……だから僕のせいじゃない。
だなんて、口が裂けても言えないし、到底思えなかった。
村野の家の近くまできた。
住んでいる地域が一緒だと、こんなことよくある。
しかし、よくみてみるとそこには誰かがいる。
男女二人が、インターホンを押して待っている。
見覚えのある女子と知らない男子。
高校の同級生?
あまり友人関係を日記には記していない。
よく出てくるのは同じ部活の佐久間くらいか。
練習試合や大会で会う程度の村野。それ以上に会うきっかけのない佐久間。
他の人の可能性もあるけれど。
声をかけるべきか迷う。
騒がしい女とあまり関わりたくないしなぁと踵を返す。
さほど遠くない距離だから、見つかれば声をかけられるだろう。
そんなものはごめんだ。
「あ、大沢!」
進行方向を阻み、目の前で制する彼女。
「何、今沢」
「あれ、そんな態度でいいの?突き飛ばしたこと言っちゃうよ?」
「……」
あのあと、LINEで謝ったのだからいいじゃないかと舌打ちしそうになる。
それに目の前の彼女だって既読スルーだ。
お互い様ってことでいいじゃないか。
「お?また突き飛ばすか?」
ほれほれと、小突いてくる。
「誰?」と、男子。
「あ、佐久間君。この人、村野君の中学の幼馴染」
やはり佐久間だったらしい。しかし。
「幼馴染?」
幼馴染の覚えはない。
「あれ、違うの?」
「違う」
訂正する。
彼女の隣に来た佐久間に挨拶する。
「大沢です。どうも」
礼儀正しくわざわざもう一度名前を言う佐久間。
「何しに村野の家に?」
「線香あげたいと思って」
と、佐久間が言う。
「まだ四十九日は終わってない。線香なんてあげられないだろ」
「私は、もう一個確認したいことがあってきたんだ」
何も聞いていないと言うのに、彼女はいう。
もしかすると、協力しないと突き飛ばした件は許してもらえないのかもしれない。
とんでもない悪魔だ。
「村野の両親はなんですぐ気づけたのかな。物音がしたくらいで気づくわけないじゃない」
「嫌な予感でもしたんだろ」
適当にあしらう。
「協力してよ」
しかし、予感は的中。
こんな女からは逃げられないと思っていたけれど、仕方がない。
二つ返事でまた村野の家に向かった。
インターホンを鳴らす手前、車の音が聞こえて耳を傾ける。
駐車する時の音が聞こえ、チラッと目をやる。
隣にグイグイと駐車するその車。
この家の主人が帰ってきた。
妙に慌てる今沢。
車から出てきた村野の父親に挨拶しようと口を開くが、先に言葉を発したのは佐久間だった。
「突然すみません、さっきインターホン鳴らしてしまって。村野虚の同級生の佐久間です」
これはこれはと言わんばかりに礼をする村野の父親。
その顔はやつれていて、目元にはクマができている。
ヒゲもろくに剃っていなければ、顔色も良くない。
後ろからは、村野の母親も出てきた。
だいぶ前にスーパーで会ったことがある。
一人でアイスを買いに来ていた時、目の前に村野の母親と村野が一緒に食材を買っていた。
村野の母親が、わざわざアイスを二つ買ってくれて、村野と公園で食べた記憶がある。
「その節はどうもありがとうございました」
頭を下げる。
「あ、大沢くん。久しぶりね」
村野の母親もすごく顔がやつれていて、目元にはクマもできている。
「上がってく?」
「いいんですか!?」
食いつく今沢。
そのまま家に入っていってしまう彼女に唖然とする僕と佐久間。
結局、入ってしまったものはしょうがないと後をついていく。
何してくれているんだと、舌打ちをしたくなる。
わざわざお茶まで用意してくれた村野の母親に会釈する。
「今日はどうして?」
と、わかっているはずなのに聞いてくる村野の母親。
村野の父親の隣に座ると誰かが口を開くのを待っている。
「あの、村野君に線香をあげたくて」
今沢が口を開いた。おい、と制する前に母親が反応する。
「ごめんね、まだないのよ」
「あ、そうなんですね」
失礼な態度にすみませんと言う他なかった。
「俺、あいつと部活一緒で仲良くさせてもらってたんですけど、またいつか線香あげさせてください」
「……あいつに友達がいたんだな」
と、それまで喋らなかった父親がいう。
「学校の話ってしてくれなかったんですか?」
至極当然の疑問に両親は口を噤む。
「だってほら、文化祭とかあったら話したくなりません?……私はなります!」
「そう言う話、あの子はしてくれなかったね」
村野の母親は、淋しそうにいう。
「わ、私、文化祭の演劇で脚本書いたんです。そしたら、彼いってくれたんです。『すごく良かったよ』って。なのに、なんで」
「もうやめろ、今沢」
僕が止めに入る。初めて聞いた話だが、傷心気味の村野の両親にそんなこと言っちゃダメだと思ったから。
しかし。
「あの時、村野君は本心じゃなかったと思うんです。苦しそうに言うから、褒められた経験とかないのかなって。だって、そうじゃないと」
「褒めるに値しなかったんだ」
淡々と村野の父親は話を始めた。
彼は自分の言ったことを最後までやらなかった。
医者になりたいと言ったのに、高校進学では進学校に通わなかった。
運動部に入るよう伝えたのに、最初は入らなかった。後から入った彼には部活で必要なものは購入した。
大学進学のために勉強するかと思えば、国公立大学に行ける学がないからと端から諦めていた。
頑張っていれば、代替案を出すつもりだった。最初から私立大を目指すつもりでいては、医者になれないと思ったから。
最後は、進学ではなく就職を選んだ。
衝撃だったし、ショックだったが、どこか心ここに在らずだったため、今更代替案を出した。
公認会計士になれば、少しはお金に困らない生活ができる。
ただ。
「医者を諦める理由くらいちゃんと聞けば良かった」
村野の父親はやるせなさを抱いていた。
僕に、責める言葉なんてなかった。
それは、僕のことさえ責めることになるから。
でも、きっと、佐久間も今沢も違う。
「ありえないです……。医者になりたいなんて話、初めて聞いたけど、そんなのずるいです。ちゃんと話していれば」
「一番、大事にするべき会話じゃないですか……。確かに就職希望に変更って聞いた時は驚いたけど。あいつは……、村野は相談もしなかった」
「すまない。息子をちゃんと見てやれなかった」
村野の父親は謝る。
僕に何が言えようか。
目の前の彼と一緒だ。
何も会話をしてこなかった。
村野が八月のカラオケ前に否定したいと言った言葉さえ僕は、信じてないからと、聞くこともしなかった。
否定も肯定も別にいらない。
今まで通り村野が、何も聞いていなくても答えてくれるやつだと思っていたから。
「頼れる人がいなかったから、私の脚本も届かなかったんだ……。もっと」
やめろ、今沢。
「もっと、話くらい」
やめてくれ、今沢。
「全部、聞いていれば、わかったかも」
「やめてくれよ、頼むから」
黙っていられるか。
悪いのは自分だとわかってる。
責められるのもわかってる。
だけど、失ったばかりの両親にはあまりにも残酷だ。
そんなことしたら、村野の受けてきたものと一緒だ。
「言われなくても、わかってる。村野の父さん、僕は、あなたと一緒だ……。村野の気持ちなんて聞かないで、状況だけ見て、後でどうにかしたらいいってやってきた。生きていれば、どうにでもなる。でもそれは、できることの数が多い人に与えられた言葉だ」
村野は全部を奪われた。
できる環境さえ、消えた。
そして。
「信用できる人さえ、この場にはいなかった」
だから、相談なんかされないし、気づいた時には死んでる。
葬儀でお前の顔見た時、なんで?って他人事に思えた。
また昔の関係に戻れるとか、そんな容易いものじゃない。だって。
僕も、村野をいじめた加害者になるのだから。
もう戻れない。
あの頃のような関係にはなれない。
いないのだから。
村野の家を出る。
村野の両親は放心状態でそれ以上は何も聞けない状況だった。
目の前の彼らは、僕をどう思うだろう。
あんなこと言って彼らの言葉を止めた僕をどう思うだろう。
「ね、なんで止めたの?」と、今沢。
「村野の父さんと君が一緒って何?どう言うこと?」
と、佐久間が言うと二人して僕を見やる。
罰を受けるべきなんだろう。
逃げるのはやめだ。
カバンに入れていた村野の日記を二人の前に差し出す。
「少し時間もらえるかな」
近くの公園のベンチに二人が座り、村野の日記を読み始める。
ただぼーっと時間を潰す。
何も感じることはない。
きっと村野はそんな時間もないほどに悩まされていた。
なんで、今更気づくのだろう。
数時間が過ぎて、日記を閉じた二人。
今沢が前に出て僕をキッと睨む。
刹那、横顔に鈍い痛みが走る。ビンタされたんだ。
「今沢!」
と、佐久間が立ち上がる。
「いいよ」
僕は、彼を止めた。どんな罰でも受ける。
村野の死の真相を知りたかったわけじゃない。
興味なんかなかった。
嫌な予感もしたし、関わるごとに平、三門、間宮、郡山と関係が終わった。
みんなどこかでわかってたんだ。
原因が僕らにあること。
真相なんてこの日記さえ読めばわかるんだ。
何一つ誇張もない事実だけが書いてある。
「もう、わかったろ?なんで、真相を知ることを拒んだのか」
「あんたのせい!あんたたちのせい!!なんで!?なんで、もっと話さないの?好きだったんじゃないの?なんで?ねえ!ねぇ!!」
胸ぐらを掴んで怒鳴り散らす彼女。
「ごめん」
こんな言葉で済むのなら、村野が死ぬことはなかった。
逆に生きている間に村の言っていれば、何か変わってたのかな。
一縷の希望は彼女の言葉で現実にも戻される。
「ごめんじゃない!なんで、今更!?もっと言うタイミングがあった!私の言葉だって届いたかもしれない!あんたたちが村野君を殺したんだ!!」
「今沢、もうやめろ」
発狂気味な今沢を止めに入る佐久間。
「大沢だって本当はそんなつもりじゃなかったんだろ?ただ、ちょっと環境が悪かっただけで」
「フォローしなくていいんだよ、佐久間。本音で喋んなよ」
「お前」
「ずっと人のフォローしてんの疲れるだろ」
村野の家で父親と相対した時、今沢のフォローがずば抜けてうまかった。
多分、村野が一年時文化部に対する差別発言を先生たちが茶化していた時は佐久間がフォローしたんだろう。
そう思えるのは、今、こうやって彼女を止めようとしているから。
「いいんだよ、僕は、これで」
「何、今更!!村野君の両親の前であんなこと言った時は、嫌な想像した。でも、あんなもの読ませられたら!!」
今沢の怒りは収まらない。
涙ぐんでバシバシと殴ってくる彼女を止めることなんてできなかった。
悪いのは、僕だから。
どこまでも受け入れるしかない。
「あんたたちのせいじゃん……!こんな、最低だよ」
最後に胸ぐらをグーの拳で叩くと足早にこの場から離れた。
立ってるのもバカらしくなってすぐそこのベンチにドカッと座る。
「あんたも帰れば?」
だけど、佐久間は一向に帰ろうとしない。
何か言いたいことでもあるのかと黙っていると彼は口を開いた。
「今沢が、なんであれだけ村野に固執するかわかるか……?」
「しらねぇよ。あいつに聞いたときなんも答えなかった」
「あいつを救ってくれたんだよ、村野が」
本人は、そんなつもりなかっただろうし、気づいてもないだろうけど、と続ける。
「中学の頃、今沢はいじめられてたんだ。学力的にも今の学校に行くしかなくて、説明会に行ったんだ。いじめてくる同級生もいて、その時にものを隠されたらしい。それを一緒に探してくれたのが、村野だったんだ」
「……」
「村野は覚えてなかったな。俺も聞いてみたけど、全然ダメだった。『なんの話?』の一点張りで戸惑ってたな」
「……今沢が、村野が自殺しないって思う動機はそれか?」
「さぁね。村野が死ぬなんて思えないってだけで、原因が知りたかったのは、自分のせいなのかもしれないって思ったからかもね」
「なんで」
「今沢は、文化祭の演劇で脚本書いてさ。その脚本、良かったって村野は言ったんだけど。結局、村野は就職を希望したし、届かなかったって、泣いてた」
「……」
本当は、進学したかった。医者になりたかった。
村野の日記に書いてあったこと。
「今沢もまた医者を応援してたのか?」
「いや、俺が言った。一年の時になんか言ってたから、進学すると思ってたよ、文化祭が終わる頃までは」
「知ってたんなら、言えば良かったろ。村野に言ったって怒りはしない」
それは、中学の頃の話か。
今はもう、違うのか。
僕にはもうわからなかった。
「俺は何度か本人に喋ったよ。すげぇよって。でも、今沢はいじめられてたから。相手が言わないなら、言わないって決めてた。文化祭用の脚本だって、誰にも言わなかった」
またいじめられるのが怖いから。
「俺は、そんな今沢を見てる。もう、いじめられている人を見て見ぬ振りはしないって。でも、村野は止められなかった……」
だから。
「君を感情的に殴ったりはしない」
彼はそう言い残して、この場を去った。
放心状態でベンチに座り続けた。
このまま時間が過ぎたって考えなんかまとまらない。
佐久間は、今沢がいじめられないように高校生になっても見守っていた。そこに村野が中学の同級生からいじめられていると知って守ることにした。
今沢と村野の共通点に、佐久間は見て見ぬ振りなんてできなかったんだろう。
彼はすごい。
僕は、ただ、見て見ぬ振りしかできなかった。
あの時何か言えてたら、彼は何か返してくれただろうか。
告白なんかしないで、最近どう?とか聞いていれば、また違った未来があったか?
なぁもう、わかんなくなっちまったよ……。
だって、僕は、加害者なんだろう?
泣くことなんて許されないと空を見上げる。
気がつけば、星空。青い明るい空なんてどこにもなかった。
帰ろう。
そう思ってみても、帰る気になんてなれない。
帰る場所はあるのに、帰りたくないと思うこと贅沢だったなんて知りたくなかった。
村野は違ったんだろう。
帰る場所もなければ、居場所もない。
お前は、今沢や佐久間のことどう思ってた?
考える余裕もないから、死んだのか?
もっと時間さえあれば、気づけたか?
そんな時間があれば落ち着くこともできないから、死んだのか?
ならなんで、僕らに会いたいと連絡してきたんだ。
八月に会わなければ、少しは変わったんじゃないのか?
加害者の一人である僕らに会う必要なんて微塵もなかったはず。
あんな思いするなら、行かなきゃ良かったって思ったんだろう。
あぁ、だめだ。
やっぱり、溢れるものは止まらない。
星空が滲んでいく。
限界だ。
ごめん、村野。
本当にごめん……。
ごめんなさい……。
だけど、決定打は、GWに僕らに会ったこと。
本当は医者になりたかったこと。
本当は大学進学を目指していたこと。
僕がもしあんな言葉を言わなければ、生きていてくれただろうか。
告白しなければ、生きていてくれただろうか。
部屋の空気に耐えられず、外に出た。
いつもなら、大学入試のために勉強するところだけれど、とてもそんな気分にはなれない。
あんな日記を読むことになるとは思っていなかった。
想像の何倍もひどい生活を送っていただなんて気づきもしなかった。
いや、気づけるわけがない。
中学の頃のように毎日会ってたわけじゃない。
機敏な変化に気づくことなんてできるわけがないじゃないか。
徐々に一線を引いて、距離を置いていた。
みんながしていたから、自分もした。
楽しかったはずの思い出は、いつか自分を苦しめる材料になっていた。
彼が言いたかったのは、そんなところだ。
そして、GWで会った時には自分の人生が消化試合だと悟っていた。
確かに、そうだよな。
勉強以外なら、部活だけ。
そんな環境に僕らはいる。
本当に医者になりたかったら相談くらいして欲しかった。
本当に悩んでいるなら、話くらい聞く。できる限り、助言もしたはず。
でも、そんな信用さえあいつの中にはなかった。
やっぱり、あんな言葉言わなければ少しは違ったか?
考えてみたってもう全部、今更だった。
村野の弟に面と向かって言った言葉がある。
『僕は、こいつのためにも医者になる』
今は、揺らいでいた。
なっていいのだろうか。
村野を傷つけたのは、僕らだ。
味方がいないって思ったんだ。
なりたいはずのものになれなかった村野に、死んだ後お前の代わりに医者になったなんて言えない。
村野が死ぬ時、僕を味方だなんて思えただろうか。
思っていたなら、僕の顔くらい思い出してくれたんだろう。
でもそうじゃない。
きっと、そうじゃない。
そんな気持ちで、あいつは死んでない。
僕のことも考えられないくらいに追い詰められてた。
……だから僕のせいじゃない。
だなんて、口が裂けても言えないし、到底思えなかった。
村野の家の近くまできた。
住んでいる地域が一緒だと、こんなことよくある。
しかし、よくみてみるとそこには誰かがいる。
男女二人が、インターホンを押して待っている。
見覚えのある女子と知らない男子。
高校の同級生?
あまり友人関係を日記には記していない。
よく出てくるのは同じ部活の佐久間くらいか。
練習試合や大会で会う程度の村野。それ以上に会うきっかけのない佐久間。
他の人の可能性もあるけれど。
声をかけるべきか迷う。
騒がしい女とあまり関わりたくないしなぁと踵を返す。
さほど遠くない距離だから、見つかれば声をかけられるだろう。
そんなものはごめんだ。
「あ、大沢!」
進行方向を阻み、目の前で制する彼女。
「何、今沢」
「あれ、そんな態度でいいの?突き飛ばしたこと言っちゃうよ?」
「……」
あのあと、LINEで謝ったのだからいいじゃないかと舌打ちしそうになる。
それに目の前の彼女だって既読スルーだ。
お互い様ってことでいいじゃないか。
「お?また突き飛ばすか?」
ほれほれと、小突いてくる。
「誰?」と、男子。
「あ、佐久間君。この人、村野君の中学の幼馴染」
やはり佐久間だったらしい。しかし。
「幼馴染?」
幼馴染の覚えはない。
「あれ、違うの?」
「違う」
訂正する。
彼女の隣に来た佐久間に挨拶する。
「大沢です。どうも」
礼儀正しくわざわざもう一度名前を言う佐久間。
「何しに村野の家に?」
「線香あげたいと思って」
と、佐久間が言う。
「まだ四十九日は終わってない。線香なんてあげられないだろ」
「私は、もう一個確認したいことがあってきたんだ」
何も聞いていないと言うのに、彼女はいう。
もしかすると、協力しないと突き飛ばした件は許してもらえないのかもしれない。
とんでもない悪魔だ。
「村野の両親はなんですぐ気づけたのかな。物音がしたくらいで気づくわけないじゃない」
「嫌な予感でもしたんだろ」
適当にあしらう。
「協力してよ」
しかし、予感は的中。
こんな女からは逃げられないと思っていたけれど、仕方がない。
二つ返事でまた村野の家に向かった。
インターホンを鳴らす手前、車の音が聞こえて耳を傾ける。
駐車する時の音が聞こえ、チラッと目をやる。
隣にグイグイと駐車するその車。
この家の主人が帰ってきた。
妙に慌てる今沢。
車から出てきた村野の父親に挨拶しようと口を開くが、先に言葉を発したのは佐久間だった。
「突然すみません、さっきインターホン鳴らしてしまって。村野虚の同級生の佐久間です」
これはこれはと言わんばかりに礼をする村野の父親。
その顔はやつれていて、目元にはクマができている。
ヒゲもろくに剃っていなければ、顔色も良くない。
後ろからは、村野の母親も出てきた。
だいぶ前にスーパーで会ったことがある。
一人でアイスを買いに来ていた時、目の前に村野の母親と村野が一緒に食材を買っていた。
村野の母親が、わざわざアイスを二つ買ってくれて、村野と公園で食べた記憶がある。
「その節はどうもありがとうございました」
頭を下げる。
「あ、大沢くん。久しぶりね」
村野の母親もすごく顔がやつれていて、目元にはクマもできている。
「上がってく?」
「いいんですか!?」
食いつく今沢。
そのまま家に入っていってしまう彼女に唖然とする僕と佐久間。
結局、入ってしまったものはしょうがないと後をついていく。
何してくれているんだと、舌打ちをしたくなる。
わざわざお茶まで用意してくれた村野の母親に会釈する。
「今日はどうして?」
と、わかっているはずなのに聞いてくる村野の母親。
村野の父親の隣に座ると誰かが口を開くのを待っている。
「あの、村野君に線香をあげたくて」
今沢が口を開いた。おい、と制する前に母親が反応する。
「ごめんね、まだないのよ」
「あ、そうなんですね」
失礼な態度にすみませんと言う他なかった。
「俺、あいつと部活一緒で仲良くさせてもらってたんですけど、またいつか線香あげさせてください」
「……あいつに友達がいたんだな」
と、それまで喋らなかった父親がいう。
「学校の話ってしてくれなかったんですか?」
至極当然の疑問に両親は口を噤む。
「だってほら、文化祭とかあったら話したくなりません?……私はなります!」
「そう言う話、あの子はしてくれなかったね」
村野の母親は、淋しそうにいう。
「わ、私、文化祭の演劇で脚本書いたんです。そしたら、彼いってくれたんです。『すごく良かったよ』って。なのに、なんで」
「もうやめろ、今沢」
僕が止めに入る。初めて聞いた話だが、傷心気味の村野の両親にそんなこと言っちゃダメだと思ったから。
しかし。
「あの時、村野君は本心じゃなかったと思うんです。苦しそうに言うから、褒められた経験とかないのかなって。だって、そうじゃないと」
「褒めるに値しなかったんだ」
淡々と村野の父親は話を始めた。
彼は自分の言ったことを最後までやらなかった。
医者になりたいと言ったのに、高校進学では進学校に通わなかった。
運動部に入るよう伝えたのに、最初は入らなかった。後から入った彼には部活で必要なものは購入した。
大学進学のために勉強するかと思えば、国公立大学に行ける学がないからと端から諦めていた。
頑張っていれば、代替案を出すつもりだった。最初から私立大を目指すつもりでいては、医者になれないと思ったから。
最後は、進学ではなく就職を選んだ。
衝撃だったし、ショックだったが、どこか心ここに在らずだったため、今更代替案を出した。
公認会計士になれば、少しはお金に困らない生活ができる。
ただ。
「医者を諦める理由くらいちゃんと聞けば良かった」
村野の父親はやるせなさを抱いていた。
僕に、責める言葉なんてなかった。
それは、僕のことさえ責めることになるから。
でも、きっと、佐久間も今沢も違う。
「ありえないです……。医者になりたいなんて話、初めて聞いたけど、そんなのずるいです。ちゃんと話していれば」
「一番、大事にするべき会話じゃないですか……。確かに就職希望に変更って聞いた時は驚いたけど。あいつは……、村野は相談もしなかった」
「すまない。息子をちゃんと見てやれなかった」
村野の父親は謝る。
僕に何が言えようか。
目の前の彼と一緒だ。
何も会話をしてこなかった。
村野が八月のカラオケ前に否定したいと言った言葉さえ僕は、信じてないからと、聞くこともしなかった。
否定も肯定も別にいらない。
今まで通り村野が、何も聞いていなくても答えてくれるやつだと思っていたから。
「頼れる人がいなかったから、私の脚本も届かなかったんだ……。もっと」
やめろ、今沢。
「もっと、話くらい」
やめてくれ、今沢。
「全部、聞いていれば、わかったかも」
「やめてくれよ、頼むから」
黙っていられるか。
悪いのは自分だとわかってる。
責められるのもわかってる。
だけど、失ったばかりの両親にはあまりにも残酷だ。
そんなことしたら、村野の受けてきたものと一緒だ。
「言われなくても、わかってる。村野の父さん、僕は、あなたと一緒だ……。村野の気持ちなんて聞かないで、状況だけ見て、後でどうにかしたらいいってやってきた。生きていれば、どうにでもなる。でもそれは、できることの数が多い人に与えられた言葉だ」
村野は全部を奪われた。
できる環境さえ、消えた。
そして。
「信用できる人さえ、この場にはいなかった」
だから、相談なんかされないし、気づいた時には死んでる。
葬儀でお前の顔見た時、なんで?って他人事に思えた。
また昔の関係に戻れるとか、そんな容易いものじゃない。だって。
僕も、村野をいじめた加害者になるのだから。
もう戻れない。
あの頃のような関係にはなれない。
いないのだから。
村野の家を出る。
村野の両親は放心状態でそれ以上は何も聞けない状況だった。
目の前の彼らは、僕をどう思うだろう。
あんなこと言って彼らの言葉を止めた僕をどう思うだろう。
「ね、なんで止めたの?」と、今沢。
「村野の父さんと君が一緒って何?どう言うこと?」
と、佐久間が言うと二人して僕を見やる。
罰を受けるべきなんだろう。
逃げるのはやめだ。
カバンに入れていた村野の日記を二人の前に差し出す。
「少し時間もらえるかな」
近くの公園のベンチに二人が座り、村野の日記を読み始める。
ただぼーっと時間を潰す。
何も感じることはない。
きっと村野はそんな時間もないほどに悩まされていた。
なんで、今更気づくのだろう。
数時間が過ぎて、日記を閉じた二人。
今沢が前に出て僕をキッと睨む。
刹那、横顔に鈍い痛みが走る。ビンタされたんだ。
「今沢!」
と、佐久間が立ち上がる。
「いいよ」
僕は、彼を止めた。どんな罰でも受ける。
村野の死の真相を知りたかったわけじゃない。
興味なんかなかった。
嫌な予感もしたし、関わるごとに平、三門、間宮、郡山と関係が終わった。
みんなどこかでわかってたんだ。
原因が僕らにあること。
真相なんてこの日記さえ読めばわかるんだ。
何一つ誇張もない事実だけが書いてある。
「もう、わかったろ?なんで、真相を知ることを拒んだのか」
「あんたのせい!あんたたちのせい!!なんで!?なんで、もっと話さないの?好きだったんじゃないの?なんで?ねえ!ねぇ!!」
胸ぐらを掴んで怒鳴り散らす彼女。
「ごめん」
こんな言葉で済むのなら、村野が死ぬことはなかった。
逆に生きている間に村の言っていれば、何か変わってたのかな。
一縷の希望は彼女の言葉で現実にも戻される。
「ごめんじゃない!なんで、今更!?もっと言うタイミングがあった!私の言葉だって届いたかもしれない!あんたたちが村野君を殺したんだ!!」
「今沢、もうやめろ」
発狂気味な今沢を止めに入る佐久間。
「大沢だって本当はそんなつもりじゃなかったんだろ?ただ、ちょっと環境が悪かっただけで」
「フォローしなくていいんだよ、佐久間。本音で喋んなよ」
「お前」
「ずっと人のフォローしてんの疲れるだろ」
村野の家で父親と相対した時、今沢のフォローがずば抜けてうまかった。
多分、村野が一年時文化部に対する差別発言を先生たちが茶化していた時は佐久間がフォローしたんだろう。
そう思えるのは、今、こうやって彼女を止めようとしているから。
「いいんだよ、僕は、これで」
「何、今更!!村野君の両親の前であんなこと言った時は、嫌な想像した。でも、あんなもの読ませられたら!!」
今沢の怒りは収まらない。
涙ぐんでバシバシと殴ってくる彼女を止めることなんてできなかった。
悪いのは、僕だから。
どこまでも受け入れるしかない。
「あんたたちのせいじゃん……!こんな、最低だよ」
最後に胸ぐらをグーの拳で叩くと足早にこの場から離れた。
立ってるのもバカらしくなってすぐそこのベンチにドカッと座る。
「あんたも帰れば?」
だけど、佐久間は一向に帰ろうとしない。
何か言いたいことでもあるのかと黙っていると彼は口を開いた。
「今沢が、なんであれだけ村野に固執するかわかるか……?」
「しらねぇよ。あいつに聞いたときなんも答えなかった」
「あいつを救ってくれたんだよ、村野が」
本人は、そんなつもりなかっただろうし、気づいてもないだろうけど、と続ける。
「中学の頃、今沢はいじめられてたんだ。学力的にも今の学校に行くしかなくて、説明会に行ったんだ。いじめてくる同級生もいて、その時にものを隠されたらしい。それを一緒に探してくれたのが、村野だったんだ」
「……」
「村野は覚えてなかったな。俺も聞いてみたけど、全然ダメだった。『なんの話?』の一点張りで戸惑ってたな」
「……今沢が、村野が自殺しないって思う動機はそれか?」
「さぁね。村野が死ぬなんて思えないってだけで、原因が知りたかったのは、自分のせいなのかもしれないって思ったからかもね」
「なんで」
「今沢は、文化祭の演劇で脚本書いてさ。その脚本、良かったって村野は言ったんだけど。結局、村野は就職を希望したし、届かなかったって、泣いてた」
「……」
本当は、進学したかった。医者になりたかった。
村野の日記に書いてあったこと。
「今沢もまた医者を応援してたのか?」
「いや、俺が言った。一年の時になんか言ってたから、進学すると思ってたよ、文化祭が終わる頃までは」
「知ってたんなら、言えば良かったろ。村野に言ったって怒りはしない」
それは、中学の頃の話か。
今はもう、違うのか。
僕にはもうわからなかった。
「俺は何度か本人に喋ったよ。すげぇよって。でも、今沢はいじめられてたから。相手が言わないなら、言わないって決めてた。文化祭用の脚本だって、誰にも言わなかった」
またいじめられるのが怖いから。
「俺は、そんな今沢を見てる。もう、いじめられている人を見て見ぬ振りはしないって。でも、村野は止められなかった……」
だから。
「君を感情的に殴ったりはしない」
彼はそう言い残して、この場を去った。
放心状態でベンチに座り続けた。
このまま時間が過ぎたって考えなんかまとまらない。
佐久間は、今沢がいじめられないように高校生になっても見守っていた。そこに村野が中学の同級生からいじめられていると知って守ることにした。
今沢と村野の共通点に、佐久間は見て見ぬ振りなんてできなかったんだろう。
彼はすごい。
僕は、ただ、見て見ぬ振りしかできなかった。
あの時何か言えてたら、彼は何か返してくれただろうか。
告白なんかしないで、最近どう?とか聞いていれば、また違った未来があったか?
なぁもう、わかんなくなっちまったよ……。
だって、僕は、加害者なんだろう?
泣くことなんて許されないと空を見上げる。
気がつけば、星空。青い明るい空なんてどこにもなかった。
帰ろう。
そう思ってみても、帰る気になんてなれない。
帰る場所はあるのに、帰りたくないと思うこと贅沢だったなんて知りたくなかった。
村野は違ったんだろう。
帰る場所もなければ、居場所もない。
お前は、今沢や佐久間のことどう思ってた?
考える余裕もないから、死んだのか?
もっと時間さえあれば、気づけたか?
そんな時間があれば落ち着くこともできないから、死んだのか?
ならなんで、僕らに会いたいと連絡してきたんだ。
八月に会わなければ、少しは変わったんじゃないのか?
加害者の一人である僕らに会う必要なんて微塵もなかったはず。
あんな思いするなら、行かなきゃ良かったって思ったんだろう。
あぁ、だめだ。
やっぱり、溢れるものは止まらない。
星空が滲んでいく。
限界だ。
ごめん、村野。
本当にごめん……。
ごめんなさい……。



