皆、誰かをいじめてる

 三年生になる頃、試験勉強はあれ以降まともにやらなくなった。テストの評価が下がってもどうでもよかった。
 SPIのテストさえやっておけば、どうにでもなる。
 進路調査の紙にも就職欄にレ点を入れた。
 担任の教師は、元から進学希望で話を聞いてくれていたから驚いていた。
 考え直すなら今だと何度も教えてくれる。
 しかしもう、勉強する意味なんてどこにもなかった。
 テニス部員と適当に飯行ったり、クラスメイトに誘われたら遊びに行く。
 そんな日々を過ごしていた。
 両親からの重圧も解放された。
 国公立大学に行くことなんてそもそもできない。
 入った高校が悪かったし、普通科じゃない時点で大学進学希望者との学力に差が出ている。
 諦めたことで楽になれた。
 なのに、どうして心のどこかで虚しさを感じるのか。
 他のクラスメイトが進学すると言っている中、僕だけが進路を変えた。
 別に、就職者が少ないわけじゃない。
 就職する組で仲良くしてる。
 大学の費用を考えれば、親孝行しているのだろう。
 ようやく殴られることも暴言を吐かれることも無くなったのだ。
 就職すれば、親への負担もない。
 これからお金を求められても就職すれば、無理なく払えるのだろう。
「どんな仕事に就きたいとかないのか?」
 二者面談で担任と話していると毎回聞かれる言葉。
「どこでもいいです。完全週休二日制で、固定残業なければ、なんでもいいです」
「そういう会社はあるし、君の学力なら問題もない。資格もあるし、行けるだろうけど……」
「やりたいことなんてないんで、いいです。その会社の求人票ください」
 もっとやりたいことに欲を出したっていいんだぞ、と担任はいう。
 だけどもうどうでもよかった。
 求人票をもらって、履歴書を書き始める。
 志望動機やらは担任の評価がいるらしい。
 面接も担任と練習しなければならないらしい。
 部活が終わる七月には就活も終わるかもしれない。
 そうなれば、あとは楽だ。
 どんな道行こうと自由なんだ。
 奪われる必要はない。
 大学進学を諦めたのだから、もうこれ以上奪わないでほしい。
 切なる願いが届くとは到底思えない。
 だけど、もう、楽な道を選べるのなら、それでよかった。
 半年もあればお金は貯まるだろうし、そのお金で一人暮らしを始めればいい。
 もう誰にも殴られたくないし、怒鳴られたくない。

 家に帰ると両親がソファに座りテレビを見て笑っていた。
 この生活もあと一年もすれば終わるのだ。
 あと、一年……。とても長い。
 本当に終わってくれるのだろうか。
「父さん、母さん、求人票もらってきた。ここを第一志望にするよ」
 空気を壊されたと思ったのか舌打ちされる。
 乱暴に求人票を取り、見やるとため息をつく。
「お前は、結局大学にも行かずこんな楽な会社を選ぶんだな」
「楽っていうか、福利厚生は大事でしょ」
「若い世代って感じだな。いつからそんなつまらなくなったんだ?前までは大学行くとか息巻いていたくせに」
 それを全部壊したのはあんたらだろうが、というほどの度胸が僕にはなかった。
 返す言葉を考えるなんてどうでもいい。
「父さんの言ったとおり、公認会計士の勉強をしよう。今度、教材を買ってくる」
 父親は、リビングを出て行った。
「母さんは、最近何も言わなくなったね」
 母親を見やると気まずそうに口を注ぐんだ。
「SNSの言葉でそんな反省できるなら、なんでもっと早く僕の言葉を聞いてくれなかったの?」
「……」
「なんで、もっと僕を見てくれないの?」
 全部、今更な気がした。
「大学だって私立でも良ければ少しは勉強できた……」
「弟のことも考えて」
「僕より弟か……。いい高校行けそうだもんね。すごいよ。なんの弊害もなければ、あれだけ学力伸ばせるんだから」
 恨みつらみを吐くだけ。
 そこに怒りはなかった。
 呆れて、諦めて、残るのは虚無感だけ。
「これから、就職して、弟は高校生活を謳歌する。きっとご褒美も僕より多くもらえる。もうわかってるよ。弟が、いい高校に行けるなんてこと」
 二年生の頃よりも学力を伸ばし、大沢と同レベルの学校に進学できるほどの学力を身につけている。
 両親は、テストの結果を見るたびに一喜一憂して、弟の欲しかったものを与えた。
 僕は一度もそんなもの貰ったことがない。
 羨ましい。
 そして、憎たらしい。
 今、泣くことができたなら、騒いで、怒りをぶつけられたなら、どんなによかっただろう。
「もう十分。僕の立ち位置なんて理解した。わかったよ。両親に好かれていないなんてことくらい」
 本音が漏れては溢れていく。
 ちょっとした優しさに愛を感じた僕がバカだった。
「愛してなんかいないんだろ。だから、簡単に暴力を振るうし、暴言を吐く。僕のことは奴隷か何かにしか思ってない」
「違う」
「否定したって無駄だよ。これまでの行動がそう証明してる。今更、私立大目指していいなんて言っても信じられるわけない。どうせまた殴られる。怒鳴られる。もう、怒りや失望に満ち溢れたあの目を見たくなんかない」
 公認会計士にだってなりたくない。
 そう言い残して、リビングを出て行った。
 もうなりたいものなんてない。
 医者になんてなるつもりもない。
 適当にこの人生を生きて終わるんだ。
 結婚だって考えない。
 こんな暴力的な親の子だ。
 結婚して、子供が産まれて、その子供に手を出したら、僕はもう生きていけない。
 親が親なら、子も子なのだ。
 ドラマや小説だってそんな言葉を使う。
 戒めだ。
 結婚もしないし、恋愛もしない。
 何者にもなりたくない。
 いつしかドラマで聞いたセリフがある。
『子は宝』
 そんなものあるわけがない。
 なら、なぜ殴る。
 なぜ、罵声を浴びせる。
 なぜ、愛してくれない。
 綺麗事に付き合いたくはない。
 愛なんかに興味もない。
 この世に愛なんてものがあるわけないのだから。

 なのに、どうして縋るのだろう。
 誰かに信用されたいとどうして思ってしまうのだろう。
 GW、大沢が間宮と郡山を誘ってくれて、遊びに行くことになった。
 ボウリングをして、肉を食いに行った。
 割り勘でお金を間宮に渡す。間宮が会計をしに行ってくれるらしい。
 先に外で待っていると大沢が隣のベンチに座ろうと促してきた。
 彼の隣に腰をかける。
「久々に会ったけど、少し変わったか?」と、大沢。
「前あったのは、去年のGWだろ」
「あの時は二人っきりだったね」
「カラオケ行って、解散、だったかな」
 たった一年前の出来事なのによく思い出せない。
「あれ結構楽しかったんだよなぁ。まさか、アニソン歌うと思ってなかったから」
「ドラマのイメージが強いか」
「ああ。いつだっけね、医療ドラマで盛り上がったのは」
「あのドラマの劇場版も見に行ったくらいには、盛り上がったね」
「そうそう。……今季の医療ドラマは見てないの?」
「見てないな」
「意外だな。見てると思ってた」
 ドラマネタ結構喋ったのに伝わんなかったもんな、と付け足す。
 返す言葉もなくて、静かな時間が流れる。
 夜は薄着だと少し寒い。
「僕さ、好きな人いるんだよね」
「急だな、どうしたの?」
 なんて戯けて見せたけれど、彼の目は本気で、僕のことが好きだと言った。
 もう何も考えることさえできていない僕にとってそんな言葉が響くこともない。
 そもそも異性と付き合ったことない大沢だからこそ、勘違いしている可能性だってある。
 そんな説得の言葉を言ってみるけれど。
「嫌だ。もっと考えてほしい……。お願い……」
「村野が嫌わないように最善を尽くすから」
 彼はそう言って、必死に僕との関係を繋ぎ止めようとする。
 どうして、人と付き合いたいのか。
「もしかして、僕と連絡を取り合ってくれてたのは、これが理由?僕のことが好きだから、わざわざ返してくれてた?」
「あぁ、そうだよ」
「周りになんて言われてるかもわかってるのに」
「……なんの話?それは本当のこと?」
「違うよ」
「違うなら、僕が信じる意味ないじゃないか。信じてほしいって誰にも思わないの?」
「…………思う」
「だったら」
「でももう無理だよ。それに、男とは付き合えない。中学の時女子と付き合ってるの知ってるでしょ?」
「……」
 頭を掻きむしる彼は、諦めがついたようにその手を下ろす。
「友達のままでいたいよ」
 僕は最後にそう告げる。
「僕が、就職しても続けてくれる関係に」
 彼の顔を見やると、目を見開き拒絶するように首を横に振った。寝耳に水だったようだ。
「……え?は?なんで……。進学は?大学に行かなきゃ医者にだって」
「ならないよ。大学にも行かない」
 言葉を被せる。
 どうせもう両親の言う言葉に逆らうことなんてできない。
 弱った母親に言い返すことしかできていない。
 そのくせ本音は、言えていない。
 どうにでもなればいい。
 どうだっていい。
 そんな気持ちが、彼にもわかったのだろう。
 だけど。
「お前が、底辺校に進学した時点でわかってた。医者になる気もないんだろ。夢だけ語るなよ」
 彼は、本気で怒っていた。
 睨んでいた。
 僕は、裏切ったのだ。
 もう僕の人生は終わったのだ。
 これからは社会の歯車に合わせて生きていく。
 特別な人間になりたいと思ったことはないけれど、普通の人間にもなれず、奴隷のように生きていく日々。
 少しくらい奴隷から解放されたい。
 そんな思いが届くことなんてないと知った。
 一年前のあの日から、少しずつ保っていた心の支えが瓦解していった。
 女子と電話をしなければよかった。
 母親に何を言われても自分の意志を貫ける心があればよかった。
 何もない僕には、何かを得る資格なんてない。
 だけど、最後に聞いてやる。
「大沢は、なんで医者になりたい?医者になって何を変えたい。医者になった先で何を原動力にする?」
 何者にもなれない僕。
 何者にでもなれる大沢。
「医者の夢さえ捨てた村野に、答える気はない」
 壁を感じた。
「友達でいい。もう変なことは言わない」
 お互い、壁を作った。
 初めてだった。
 明確にはっきりと壁ができた瞬間は、今までになかった。
 どこかで感じていた心の距離。
 高校生になってから、いいことなんてない。
 学校でも家でも逸れ者。
 なりたいものにさえなれない劣等感。
 誰かにぶつけたい怒り。
 誰にも言えない悩み。
 もっと相談できる相手がいたなら、こんなことにはならなかった?
 自問する。
 端から諦めていたはずだ。
 誰からも好かれないとわかったのだから。
 恋愛対象とかじゃなくて、ただただ愛してくれる存在がいないと言うこと。
 中学生の恋愛は、運動神経がいいか、勉強ができるかのどちらかさえあればいい。
 どちらも持ってた僕だから付き合えた。
 顔なんかじゃないのだろう、きっと。
 高校生の恋愛も同じだ。
 きっと大学の恋愛も社会人の恋愛もその場で優れたものが恋人を作る。
 何かに優れていたって何も得られない。
 本当に愛してほしい自分の全てを理解してくれる人なんてどこにもいない。
 悩みや苦しみ、悲しみや辛さを聞いてくれる相手なんて僕の周りにはいない。
 この先、中学の友達であった彼らとは一線を引きながら付き合っていくのだろう。
 もう日記を書くのはやめよう。
 自分の気持ちを理解するためにやってきたことだけど、これ以上自分の惨めな感情を晒したくない。
 誰も僕のことなんか気にせず生きていればいい。
 僕はただのモブキャラでいいのだから。


 日記を書かなくなってからは、自分の気持ちに蓋をすることが多くなった。
 どうせもう自分の人生は終わったのだと理解しているから。
 惨めだった。
 全てがどうでも良くなったし、無気力になった。
 目の前の可愛らしい今沢にも興味がない。
 キャピキャピとはしゃぐ彼女に雑な相槌を打つだけの僕。
 この世界に輝きはない。
 モノクロの世界には、色がない。
 目の前の彼女は、眩しい色をしているはずなのに、濁って見える。
 周りは無機質な灰色。
 誰かの表情の変化に気を効かせることもない。
「そうそう!今度の文化祭、またオリジナル劇やるから見にきてよ」
 前にもそんなこと言ってなかったかと思う。
「見にきてって言うけどさ、あれ全員で見るじゃん」
 くだらない話に盛り上がる感受性は消えていた。
 一方で、二年の初めに感じた嫌な予感は杞憂に終わった。
 誰もが平から距離を置いた。
 人を殴るような奴と仲良くなりたくないとみんなが会話を避ける。
 それでも平には三門がいる。
 彼は残りの一年も三門といるのだろう。
 周りの空気を気にしてか、三門は僕らの教室に入ってこなくなったし、平は昼休み中教室にいることはなくなった。
「うるさい!あなたに見てほしいって言ってるの!」
 前までならベシッと叩いているはずなのに、最近はめっきり叩かなくなった。
 以前、叩かれる時に怯えたのが原因だ。
 何かトラウマがあるのではないかと勘付かれた。
 聞かれても仕方ないことだし、いつ聞かれてもいいと身構えていたけれど、彼女は聞いてこなかった。
「私の集大成なの」
 耳元で彼女はいう。
 やはり、と思う。
「脚本書いてたの、君なんだ」
「君って言い方、やだよ。名前で言いなさい。いつまで言わせるのですか?ね!?」
 顔をぐいっと近づける彼女。
 相変わらず美形だなと思う。本当に。嘘じゃない。
「初めて会った時にやたら脚本の話してたから、想像はついてたけど、まさかほんとなんだ」
「ほんとなのだよ。ぜひ、見にきなさい」
「それ、強制じゃん」
「強制だよ」
「わかった。佐久間たちといくよ」
 特別、興奮することもなくて、興味も湧かない。
 業務のように頭にメモする。
「ね、就職って決まったの?」
「あー、一応エントリーは出したよ」
「早いなぁ。私は、ちょっと専門学校で脚本の勉強しようかなって」
「すごいな」
 夢があるのはいいことだと、おじさん目線で微笑む。
「ちょっと!その微笑みむかつく!」
 ビシッと指を指されても、若いなぁと微笑んだ。
 頬を膨らませて怒る彼女にまた、若いなぁと微笑んだ。
 文化祭当日、体育館で行われる劇を見に三十分早く席を取った。
「お前の彼女が、作ったのか」
「本人はバラしたくないって言ってたから、やめとけ」
「彼女は否定しないのか?」
「彼女でもないのは、わかってるだろ」
 と、軽口を叩き合う。
 劇が始まる。
 開始早々、主人公が夢を高らかに宣言する。
 その夢は、将来こうなりたいとかそんなもの。
 挫折したものたちを鼓舞しながら前を向こうと物語が進んでいく。
 しかし、ある時家庭の事情で夢を断念せねばならないと決断をする。
 周りには言っていなかったが、明らかに変化している主人公の姿に気を遣う。
 思い切って主人公に話を聞いて、こんな道があるとキャラの数だけの道標を伝える。
 どうなっても絶対になりたいものになれるんだと鼓舞する。
 前を向いた主人公がまた、声高らかに夢を宣言した。
 エピローグが流れ、その主人公も他のキャラクターも夢を叶えてハッピーエンド。
 拍手が体育館に響く。
 そして、脚本を書いた本人からのメッセージを主人公役が口にした。
「今、夢を諦めようとしている人や挫折している人に届けたいです。大切な何かが壊れたら、きっと誰かが拾ってくれる。その誰かがいなくてもきっとこの先出会える。そう信じてみてほしいです。それは、自分を信じることにも繋がるから」
 また、拍手が鳴り響く。
 蓋をしていた感情がぶり返していた。
 拍手の合間、ステージで役者が礼をしている。
 鳴り止まぬ拍手に今度は裏方が出てくる。
 そこに、今沢がいた。
 彼女と目が合う。
 小さく手を振る彼女に振り返すのでやっとだった。
 きっと後で来るつもりなのだろう。
 いまだに拍手が続く。顧問がセンターに立つ。礼をしてようやくステージの幕が降りた。
 耳障りだった。
 騒がしくて喧しい。
「いやぁ、面白かったな」
「……」
「俺らも就職あるし、頑張るか」
「……」
「……村野?」
「トイレ行ってくる」
「え?おお」
「誰か来ても、トイレに行ったって言っといて」
「あ、あぁ」
 明らかに様子がおかしいのはわかってる。
 だけど、もうこの場所にいるのは苦しかった。
 みんなが足並み揃えて進路を考えて、新しい未来に希望を感じてる。
 僕だけが、進路を捨てて、この先の未来に絶望してる。
 もう、いい。
 帰りたい。
 帰る場所なんて、どこにもないけど。
 安心して休める場所なんてないけれど。
 体育館を出て、校舎に続く廊下を足早に進む。
「村野君!」
 後ろから今沢の声が聞こえた。
 一番聞きたくなかった声だ。
 振り返ることも立ち止まることもせず、歩を進める。
「え!?ちょっと!待って!」
 走っているのだろう。
 彼女はすぐに追いついてその先の道を阻む。
 後もう少しで校舎に入れたと言うのに。
 これでは、先生にも外に出たことがバレてしまうかもしれない。
「な、なんで、無視するの?」
「……」
「んね、どうだった?脚本、すごく頑張ったんだよね」
 頑張った、か。
 みんな頑張ったって言葉を使えば、褒めてもらえる環境にいたのか。
 だから、そんな言葉を言うのだろうか。
「すごく良かった。ちょっと、トイレに」
「え?トイレなら、体育館にもあるよ?」
「……あ、そっか」
「え、ねぇ、どうしたの?なにかあったら言ってよ」
「ないよなんも。演劇は、すごく良かった」
 彼女の横を通る刹那、片手で腕を掴んで離してくれなかった。
 振り解こうと力いっぱいに振るうが今度は、両手で掴まれてしまう。
「なんもないわけないじゃん!すごく辛そうな顔してる。なんでなんも言ってくれないの?言ってよ!辛いこと全部!」
 それとも。
「私のこと、全く信じてくれてない?」
 その時、気づいた。
 彼女のことを全く信じていない自分。
 優しさを無碍にしてきた自分。
 そんな関係が当たり前になっていたこと。
 彼女ばかりが話していること。
 僕から僕の話をしたことはない。
「……信じてないのは自分。だからかぁ」
 なんだか、腑に落ちた。
 自分のことを信じてないから、誰かの言葉も全部鵜呑みにする。
 そして、自分に自信がなくなって誰の言葉も聞かなくなる。
 当てにしなくなる。
 と言うより、誰からも信じてもらえないから、誰のことも信じてない。
 自分のことさえ信じてないから、噂も否定しない。
 よく、わかった。
「劇の最後の言葉、よく響いたよ」
「え……?だったらなんでそんな」
「すごくいい脚本家になれると思う」
 僕は、他の誰とも違う人生だ。
 きっと、みんなが当たり前に持ってるものを持ってない。
 欲しかったものは何も得られてない。
 だけど、持ってないものはよく覚えてる。
 ほしいタイミングもわかってる。
 彼女がほしい言葉を、伝えればいい。
「応援してる」
 しかし、なぜだろうか。
 僕もまた少しは人を信じてみようだなんて思ってしまうのだ。


 八月、久々に彼らに会った。
 変わらずみんな一線を引いている。
 中学生の頃のようにはちゃめちゃに楽しいと思うこともない。
 ただ普通の友達くらいに接している。
 親友と言えるような関係じゃない。
 だから、みんな必死にあの頃のような関係のふりをしている。
 こんなものとっとと捨ててしまえばいいのに、一番この関係を求めているのは僕だ。
 出なければ、わざわざ大沢の連絡一報だけですぐに予定を空けたりなんかしない。
 どこかで敷かれた壁の隙間から話す他愛のない話。
 進路の話もするけれど、深追いはしない。
 就職組の間宮と僕は今後も関係を持つのかもしれない。
 そんなのは会話の中だけ。
 きっとこの先出会うこともないのだろう。
 進学組だって予定が合わずに会うこともない。それに大学生活の方が楽しいとそちらを優先させることだってある。
 もうこの先は消化試合みたいなもの。
 いい就職先を選んだところでいい関係性がないのだから、それこそどんな仕事に就こうがどうでもよく思える。
 それなのに、どうして彼らの言葉一つ一つに気を病んでしまうのだろう。
「訂正したい」
 そんな言葉が僕の口から出るなんて思いもしなかった。
 カラオケ行く前にそんな言葉が出てしまって、素直にカラオケを楽しめる気もせずに先に帰ることにした。
 これ以上、彼らと会っても自分が苦しいだけ。
 一人で生きていく術を見つけるべきなのだ。
 そう思うと、なんだかこれまで取り繕ってきた明るさだとか笑顔だとか、どうでもよく思えた。
 これまでの自分が、否定された気がする。
 今までの自分がなかったかのように思える。
 なら、僕は、何を求めて何が欲しくて必死になってたんだろう。
 虚しさだけが残った。
 淋しい。
 こんな空虚な気持ち、考えることもせず無理に走ってきたから気づかなかった。
 生きるのは当たり前で、死ぬことなんて一切考えてこなかった。
 何を言われてもそれでもひたすらに生きてきた。
 なんだかもう疲れた。
 家について、リビングのソファに座る両親の表情を見て悟る。
 これだけ生きてきたのだ。
 もう何を言われるのかわかってる。
「就活があると言うのに、何遊んでるんですか」
 父親が敬語の時はひどくご立腹だということくらいわかってる。
 今更、こんなこと言うのは、きっと脳がちゃんと理解してくれている証拠。
 拒んできた理解は、空っぽの頭と心にはスッと入ってくる。
「情報交換をしてただけ。みんなすごく楽しそうだった」
 初めて、怒っている父親に本音を言った気がする。
「みんな未来を見てる。自分のやりたいことを明確にしてる」
「なら」
「ねぇ、父さん。こんな僕に厳しくしてくれてありがとう」
「……」
「もうちゃんと未来を見据えて、今の自分にできること、頑張るよ」
 父親は言い返さなかった。
 未来なんかない自分に、気持ちも乗らないこんな言葉になんの意味もない。
 価値なんかない自分に、この先得られる幸せなんてない。
 一生、親の言いなり。
 それでも、就職したら変わるかもしれない。
 一縷の望みはまだ捨てない。
 まだ、生きていたい。

「第一志望の会社、定員オーバーで受けられない」

 担任の言葉が、鋭く刺さる。
「待ってください。なんで?他の生徒より学力は」
「わかってる。SPIも高順位だし、どうにか取り合ってる。だけど……。他の学校の生徒さんが、同じ会社を受けたいと」
 お盆終わり、担任からLINEが来て学校にきた。
 人の少ない職員室。担任の隣の椅子に座り話を聞く。
 どうやら他校の生徒が応募したためにこちらに割いていた求人を取りやめたと会社から連絡があったそうだ。
「そんな……」
「他で似たような求人があれば、すぐにLINEで送る。今、見つけた求人だけでも見てくか?」
「……」
「今は、次を考えるしかない。先生だって、何度か頭下げに行ったけど。もう前を向くしかないんだ」
「……でも」
「就活は、こんなものがいつまでも付きまとう」
「だって」
「全部がうまくいくことなんてないんだ」
「全部がうまくいったことなんてない!!」
 奥歯を噛み締める。
 SPIの模擬試験だってちゃんと高得点とった。面接の練習だって、いい評価を得ていた。
 なのに、こんな結果じゃ、また父親に怒られてしまう。
 このまま家に帰るなんてできない。
「こんなんじゃ、理不尽じゃないですか!なんで!?おかしいでしょ!?」
 頭のどこかでは冷静だった。
 これまで理不尽な目にばかり遭ってきた。
 そういう星のもとで生まれたんだ。
 この先の未来なんてもう、なんか、どうでもいい。
 いつか今沢と話した言葉を思い出す。
 灯火なんて消えて仕舞えばいい。
 あぁ、そうか。
 もうあの時にはそんな気持ち、抱いていたんだ。
 彼女の言葉を使うなら破滅的だ。
「……あ、いや、すみません。気にしないでください」
 求人、見せてくださいと告げる。
 どこを受けるか、最優先で欲しいものは何か。
 担任は、全てに付き合ってくれた。
 選ばれた候補の中から三枚の求人票をもらう。
 帰路についても思考はままならなかった。
 ただの消化試合だったはず。
 この先はもう適当に生きていくはず。
 なのにどうして、その手前で躓くのか。
 家に帰りたくない。
 帰ったら怒られる。
 はっきりと理解したこの頭では、帰ることを拒む。
 重い足をひたすら動かす。
 こんな思いしてまで生きている意味はなんだ?
 なんのために生きる?
 僕がこの先、生きていくメリットは?
 なんかもう全部諦めたい。
 諦めて仕舞えばいい。
 いや、諦めたらいいんだ。

 家に帰り就活事情を両親に説明した。
 予想通り、父親は激昂した。
「お前が、高校受験を諦めて舐めた行動したからです。あの時にあなたの未来は決まってましたね……。その三つ全部受けて落ちたらバイトでもしてこの家から出てってください」
「……」
「お前みたいな人、もういらないですから」
「……」
「家族だなんて思っていないです」
 元から家族らしい扱い受けたことない。
 父親から愛を受けたこともない。
 言い返す余力もない。
 生まれてくるのが間違いだった。

 一週間後、夏休みも終わりに近い頃。
 二社の面接を終えた。
 結果は、不採用。
 これが、僕の価値。
 無価値に等しい存在。
 その日の夜。
「ねぇ、母さん、ここに置いてあったカッター、どこいった?使いたいんだけど」
「えぇ?そこにないわけないじゃない」
 そんな言葉が聞こえてくる。
 何も聞きたくない。
 誰の言葉も聞きたくない。
 いやもう、というか全部、終わりにしよう。
 ……疲れた。
 カッターの刃先を伸ばす。
 首に当てると腕が震えた。
 まだ、僕は死にたくないのか……。
 でももう生きている意味なんかない。
 この先どうやって生きていけばいいかわからない。
 息を短く切る。
 腕の震えが止まる。今しかない。
 カッターを持つ手を大きく振るう。
 首から血が飛び出る。
 深く切れたのか体に力が入らず床に倒れた。
 これでもう誰の迷惑にもならない。
 一ヶ月先も僕を覚えている人なんていない。
 死んだら勝ちだ。
 死ぬことで価値が見出されるなら、それもありかもしれない。
 そんなわけ、ないのだけれど。
 扉が開く。騒ぐ弟の声がうるさい。
 ドタドタと階段を駆け上がる声が聞こえる。
 両親が駆けつける。
 どうして、すぐ目の前に来るのが父親なのだろう。
 どうして、スマホを耳に当てて焦っているのだろう。
 どうして、必死に首を抑えているのだろう。
 そんなことより僕は、家族に謝らなきゃならない。
 こんな価値のない人間に。
「生まれてきてしまって、ごめんなさい」
 力無い声が届くかはわからない。
 意識は遠のくばかり。
 暗転した世界で、家族の言葉が騒がしく響くばかりだった。
 だけど、その声が心地よかった。
 ようやく、愛されていたんだと、知った。