全部を終わりにしたい。そんな願いも叶うわけなく日々は続いていく。
二年生になり、クラスが変わった。
本格的に大学の推薦入試やらを考えなくてはならない。
しかし、あの件以降、生徒会顧問が他の先生にも告げ口をしているらしく指定校推薦は狙えなかった。
勉強もしなければならないが、先生からの嫌がらせもあり高校一年生のテストや評定は低かった。
テストで高得点を取っても、授業中真面目に板書しても授業態度が悪いと評された。
それに怒ったクラスメイトが生徒会顧問に抗議して、去年度末に他校へ飛ばされた。
だが、文化部に対する差別発言をしたんだろ?とイジってくる先生は少なからずいた。
居場所なんてなかった。
必死に笑って上手くかわすことばかりを考えた。
ただクラスメイトが庇ってくれたこともあってイジってくる先生は徐々に減っていった。
進級して、イジってくる先生がいなければいいが、きっとイジってくるんだろう。
落胆していると目の前に見覚えのある生徒がいた。
「よ!」
「今沢さんか」
「なんでちょっと落胆してるの?ひどい」
「いや、急に来たからびっくりしただけ」
「生徒会、やめてたんだね」
「……え、ああ、うん」
「文化祭準備の時、ずっと探しちゃったよ。連絡先あるのに、全然、返事来ないから」
「え、あ……」
親が、スマホフィルターをかけていて、レギュラー落ちしてからさらに制限が厳しくなった。
家に帰っても十八時にはスマホのアプリはロックされる。
前までは二十時まで使えたと言うのに。
「ごめん」
「いや、いいよ。直接、二年生の先輩に伝えたから」
「裏方って、生徒会への連絡も含まれてるんだ」
「ううん。私が、引き受けただけだよ」
「そうなんだ」
「めっちゃ他人事じゃん」
「だって」
ちっちっと指を立てる彼女。
「あなたに会いたかったからだよ」
何言ってんだこいつ。
「会えなかったけどねぇ」
「クラスに来るのもアリだったでしょ」
「えぇ、十六HRちょっと荒れてるって聞いてたから」
「荒れてる?」
そんな情報、聞いたこともなかった。
「なんか先生と言い合いになったんでしょ?ピリついてるならちょっと距離置こうかなって」
「あ、それ私も聞いたことある」
と、隣の女子生徒が口にする。
「でしょ?だよね」
どうやら、みんな知っているらしい。
僕は何も知らなかった。
その元凶が僕だと言うのに目の前にいる彼女たちは知らないのか。
「十六HRの人たち口固くてなんも教えてくれなかったけど」
と、話していると体育館集合のアナウンスが聞こえた。
担任が決まるのだが、それまでは先生が教室に入ることはない。
自分たちで動かなきゃ行けないのは、一年生の最後に担任が言っていた。
廊下に出てそれぞれが歩を進める。
「そういえば、さっきからすごい見てくる子いるけどあれ誰?」
チラッと目をやると後方に平がいた。
「平だな」
「平?」
「中学一緒だったんだ」
「そうなの?」
「学科一緒なの忘れてた」
「忘れることある?話しかけないの?」
「いやいいよ。他に仲良い奴いるだろうし」
「ふーん」
何やら考える仕草をしているが、特に何かされることはなかった。
集会が終わり、教室に着くと担任が挨拶を始めた。
長々と話を終え、春休みの課題やらなんやらを終え、放課後。
「ねねね!一緒に帰ろ」
と、突っ込んでくる今沢。
「先客いるから」
嘘をつくとぐいっと腕を引っ張ってくる。
「新作メニュー食べに行かない?」
スマホの画面を見せてくる目の彼女は、目をキラキラと光らせていた。
よくもまぁ、高校生活を普通に楽しめるよなと思う。
進学について先生に聞いておきたいこともあると言うのに。
「いいけど、他の子と行ったほうが楽しいんじゃない?それに部活は?」
「部活ないし、他の子いないから君を誘ってるのですよ」
「……」
変な日本語しているやつが、よく演劇部なんかにいられるなと思った。
裏方だから関係ないか。
セルフツッコミを済ませると二つ返事で了承する。
しかし、彼女はバス通学らしい。自転車通学の僕とではその店に行けない。
チャンスだった。
「じゃあ……、無理そうだね」
「いやいや、いくよ。二人とも歩けばいいのさ」
「……え、正気?」
「うん」
「どれだけ距離あると思ってるの?」
「あぁ、じゃあ、今日自転車置いてく?バスで行こうよ」
「……」
親に送ってもらえるわけでもないのに、自転車を置いて行ったら後で何を聞かれるかわからない。
家の近くにバス停があったはず。
そこから最寄り駅に乗って学校までこればいいのか。
すごくお金がかかるがそれくらいしか方法はない。
断っても誘ってきそうだし、一度だけ店行ってそれ以降は断ればいいかと、安易な気持ちで考える。
「あ、うん。いこか」
バス停まで二人で向かう道中、テニス部員がテニスコートに向かう姿が見えた。
「あれ、今日部活だっけ?」
と、通りすがった佐久間に聞く。
「自主練だよ。お前は帰り?」
これは、参加することにして断るのも名案か?
「あ、僕も」
ジトっと隣の彼女が睨みつけてくるのに気づいた。
「あぁ……」
「別に部活行きたかったら行けばいいじゃん」
不貞腐れる彼女にめんどくささを覚えた。
「ううん。帰り。んじゃ」
と、手を振って佐久間と別れる。
「部活行かないの?」
「部活より、こんなに誘ってくる今沢さんに少し興味あるよ」
「ほんと?」
「うん、普段こんなこと言わないから恥ずかしいね」
「いやいや。行きましょ」
と、ルンルンで歩く彼女。
まだ浅い関係値だというのに、なぜ誘ってくるのか。
見当がつかなかった。
初対面で距離の近い女子はよく見かける。
普段は何かに誘われても断ってた。
どうして彼女の誘いは断れなかったのだろう。
特別、興味があるわけでもないのに。
ボブカットで小柄、天真爛漫。
男が好きそうなキャラクターだ。
なのに、あまりテンションが上がらない。好きなタイプとは言えない。
それにこの子のテンションに合わせるのは疲れそうだ。
店の端の席に隣同士で座る。
席は等間隔のはずなのに、わずかに距離が近く感じるのは気のせいだろうか。
それとも僕が女子慣れしていないせいだろうか。
女子とどこかへ出かけたとかそんな些細な話など中学の友達にはもう聞いてもらえないのだろう。
やたらと距離を置かれてしまっている。きっと三門たちが何かを言っているはず。
一方で、大沢だけが定期的に連絡をくれるし、取り合っている。
あれだけ騒ぎになっているのだから、大沢の耳にも届いているはずなのに。
『今度遊ぼ?』
大沢に送ってみる。
既読はつかない。
当たり前だ。
部活もあるのだから。
練習試合や本大会があれば、顔をあわせる。
そういうのがあるから、連絡だけはくれるのだろうか。
なぜだか少し人間不信になっている気がしてならない。
「ねねね。これ、美味しいね」
肩をポンポン叩き、可愛い顔で共感を求めてくる。
「ほんと美味しいねこれ。久々に来たけど、新作美味しいな」
「久々なんだ。誰と?」
「なんで、すぐ、誰と行ったか気にするわけ?」
「だって……」
口を詰むんでしまう彼女に、これ以上聞くのはやめた。代わりに。
「部活の奴らだよ。佐久間とか」
と、返した。
「佐久間くん、仲良いんだね」
「まぁ。中学の時テニス部だった話したら、来いよって言ってくれて」
「あれ?でも、生徒会だったよね?」
「うん。テニス部入れるように顧問に掛け合ってくれたのが、佐久間なんだ。それがなかったら、いまだに生徒会だろうね」
「ふーん」
説明したというのに、彼女はギロッと睨んできた。
「てっきり私ともう話したくないから、やめたのかと」
「そんなわけないじゃん」
「はっきり言ってくれて嬉しいよ」
と、顔を覗かせるので目を合わせないことにした。
いつか彼女に毒されるかもしれない。
「なんで目を合わせてくれないのさ」
「いや、そんなつもりなくて」
「もしかして、女子と話すことあんまりないかー?」
ふと思い返してみる。
中学の頃にいた彼女や女子友とは目を合わせていた。彼女もいた。
ならば、なぜ今隣にいる彼女とは目を合わせないのだろう。
距離感がおかしいからか?
それとも初めてこんな可愛い子に出会えたからか?
いや、どちらも思ったこともない。
口で言うなら減るもんじゃないし、言うけれど……。
「あんまりないね」
詮索されても面倒なので嘘をつくことにした。
嘘だって減るもんじゃないし、言ったっていいはず……。
うん、いいよな……?
「えーほんとー?」
「うん、ほんと」
「じゃあ、この店も私以外の女の子とは行かないわけかー」
「うん。初めて」
中学の頃にも何度か行った覚えある。
あの頃の方がお金もなかったし、月一回行けるのなら、彼女と行くのが普通だった。
今はもう誰とでも行けるし、散財しなければ月二回行ける。
今日は一回行ったから、来月くらいまでは行かなくていいやと思う。
「なんか嘘っぽい」
ピシャリと言われてしまって返す言葉がない。
どこでバレてしまったのだろう。
「ほらやっぱり!」
と、耳元でつんざく声が聞こえる。
耳がキンキンして思わず手で抑えた。
「ほら!ほらほらほら!」
手首を掴まれて、抑えていた手が耳から離れる。
「ひどくない!?ありえない!」
「違う違う。嘘って思われたことに戸惑いを隠せないだけ」
「ほんと?」
「ほんと。なんで今沢さんに嘘を吐かなきゃならんのよ」
「……その言葉、信じていい?」
「うん。信じて」
これくらい反射的に言葉を返せていたなら、両親や弟の関係も上手くいくのかなとふと思った。
僕がちゃんとしていれば、どうにかできたことも多々あるのだから。
「ふーん。……しょうがない。信じてあげましょう」
なぜ上からなのか意味がわからない。
けれど、信じてもらえるだけでもありがたい。
「彼女いたことないってことだもんね」
「……」
なんだか、男としてのプライドに傷が入った気がした。
「気になってたんだけど、なんで演劇部に入ったの?」
「え?どうしたの急に」
ワイワイ話しをした後に思っていたことを聞いた。
僕もそれなりに話した気がしたから、イケるだろうと思った。
「もっと言うなら、なんで表に出ないの?」
「舞台に出るつもりはないよー。やっぱ、表に立つ人は可愛い子やイケメンじゃないと」
「可愛いと思うけど」
「えー、やだー。急に何さー」
頬に手を当て、肩をペシペシ叩く彼女。
演技みたいに見えて気分が悪い。
「裏方にいるのは、脚本やってみたいからなんだよね」
叩くのをやめた彼女は、そんなことを言う。
「脚本?」
反芻してみるけれど、いまいちピンとこない。
あまりドラマや映画を見ないからどんな職なのかわからない。
「そう。去年の文化祭、演劇を見てたはずだからわかると思うけど、あの劇も脚本は部員が書いているんだよね」
「まじ?」
「まじだよ。どうだった?」
「すごく良かったよ。あんなに短い時間で起承転結がはっきりしてて。高校生らしいなって」
役についていったつもりだった。
だけど。
「高校生らしい、か」
腑に落ちないらしい。
「あの脚本は誰が書いたんだろう。先輩?」
聞いてみたけれど、彼女は口元で人差し指を出した。
秘密だと、言いたいらしい。
「今年も部員が脚本を書くのかな」
「そうだよ。書くけどね、内密にしてるんだって。否定されるのは嫌なんだって」
「……否定」
去年の文化祭を思い出す。
完全オリジナル劇なのは、冒頭に伝えられていた。
確かに真面目にみてなかった人たちは、意味わからんかったとか、終始何言ってんの?みたいな反応をしていた。
寝てる人もいたし、興味ない人には退屈だったのかもしれない。
しかし、ちゃんとみていた人たちは面白かったと口を揃えていた。
そのうちの一人が僕だ。
「私、思うんだ。否定されるって嫌だなぁって。何か目標あって、やりたいことあって、それを否定されたら、やる気も出ないし。でも、目標だけが残っちゃう。それって、まだ灯火が残っているのに、酸素も与えず、見ているだけ。風に吹かれても、消えないまま。ならいっそ、台風でもきてその灯を消しちゃってほしいって……、そう、思うんだ」
彼女の言葉に、思い当たる節があった。
医者になりたいと言っていた中学生時代。
勉強に身が入らなくなって、徐々に学力が落ちて、今、この学校にいる。
家族には、否定されてばかりなのに、勉強は続けているし、医者になりたいとも思ってる。
学力的には、まだいける可能性は残ってる。
国公立大学に行けさえすればの話。
こんな環境なら、諦めてしまってもいい。
だけど、彼女の言う通り、否定されるのは嫌だ。台風でもきて仕舞えばいいって思うのは自暴自棄だ。
諦めるつもりは一切ないけれど、諦めたくなる瞬間は多い。
「わかるかも」
「さっきから、共感してくれてありがとね」
「いや、ほんとだよ。灯火が消えて仕舞えばいいって思うことはあるよ。でも……、否定っていう雨や風がなければ、どうにかなる。酸素さえ与えれば……」
だけど、わかってる。
酸素のない火はいつの間にかふわっと消える。
ずっと見ていれば、気づくだろう。
だけど、見ていなければ、消えたことにさえ気付けない。
火のない暗闇に立てば足元だっておぼつかない。
「酸素もなくなったら、どうしようね……。縋るものなんてないよな」
元気付けるつもりだったのに、できなかった。
否定される彼女と僕は少しの共通点がある。
なのに、なんで……。
「消えて仕舞えばいいじゃなくて、消しちゃって欲しい、だよ」
彼女は訂正した。
僕の間違いに気づいた。
そうだ。共通点があるとはいえ、考えは違う。
安易に元気付けようなんて思わなければ良かった。
自分の過去を勘繰られるかもしれない。
「今年の文化祭も脚本は部員がやるんだって。見にきてくれる?」
「あぁ、見るよ」
「生徒会じゃなくてもちゃんと見てよね」
「わかったよ」
僕の頬をツンツンと指で触る。
「よろしい。今日の嘘は無かったことにしてあげます」
「……だから、嘘じゃないって」
「いいのいいの。モテないわけないんだから」
と、彼女は椅子を降りた。
スマホで時刻を確認すると二時間近くここにいたらしい。
「帰ろ」
彼女に言われ、店を出る。
お互いにバスを待っていると彼女は、いう。
「ほぼ初対面なのに、二人で会ってくれてありがと」
「どうしたの急に」
「ううん。なんでもない。少し知れた気がする」
「あ、うん。僕も」
「文化祭準備の時にいった約束守ったからね」
バスが来て、彼女はそれに乗った。
なんの話だったか思い出せない。だけど。
「ありがと」
なんて言葉を返した。
最後にまた嘘をついた。
バスの扉が閉まり、彼女を連れて行く。
なんだか歩きたくなって、歩を進める。
外の空気は、変わらない。
なのに気持ちは良かった。
久々に何も深く考えずに喋れた気がしたから。
次の日、学校に来るとクラスメイトがざわついている。
「これ、お前?」
クラスの男子が、黒板に指を指して尋ねる。
黒板を見やると昨日の僕と今沢の写真が複数枚貼られていた。
「何これ」
ボソッと声が溢れる。
「村野君……」
正面に今沢がやってくる。
「誰、これやったの」
刹那。
「今沢のこと好きなのかー?」
と、大きな声が聞こえてくる。
声の主に目をやると平と一緒にいる冴えない男子だった。
僕一人ならまだいいものをどうして女子も巻き込むのか。
「あいつ……」
怒り任せに彼の前に歩を進める。
しかし、今沢が僕の腕を掴んで止めた。
「何してんの」
「いいよ、そんなことしなくて」
「……」
冷静に考える。
今、問題行動を起こして僕の評価が下がるよりもクラスの平穏を考えるべきだ。
去年は、僕の言動で周りに迷惑をかけたのだから。
黒板の前に立ち、撮られた写真を剥がしていく。
こんなことどこの誰がやったのか。
もう答えは出ていた。
その日の昼、人の少ない教室で平に詰める。
「なんであんなことすんだよ」
「別に」
「別にじゃねぇ。やる意味がどこにあんの?何求めてんの?」
「そんな怒るってことは、やっぱ好きなんだ」
「違……っ、僕のことをいじめたいなら、僕だけにしろよ。他の人巻き込むなって」
「……かっこいいねぇ。好きでもない人のためにそこまで身を粉にできるなんて」
中学の頃から部活も一緒だっただけあって僕の気持ちに気づいている。
遠くから平を呼ぶ声が聞こえた。
振り返らなくてもわかる。
三門だ。
彼は、クラスが変わっても平に会いにくる。
「何してんの?」と、三門。
「いや、喧嘩売ってきたから」
平の言葉に三門が眉間に皺を寄せる。
「凝りねぇんだ。生徒会やめたのにまだ関わんの?」
刹那、腹に鈍い痛みが走る。
一年生の時以来父親に殴られていないからか、痛みに敏感だった。
痛みに膝をつくと三門は笑う。
「あれ、運動部なのに弱いんだ?俺、文化部なのに?文化部、散々否定してたのに?」
蹴りが入る手前、女子の止める声が聞こえた。
「ちょっと、何してんの!?」
止めに入ってきたのは、今沢だった。
よりにもよって、どうして彼女なのか。
「君、演劇部だよね?前に会ったじゃん、覚えてる?」
「覚えてるけど、何ひどいことしてるの」
「ひどいって言ったら、こいつの方が酷いぜ?文化部は舐めたやつばかりだとか言って、生徒会の品格落とした最低なやつ庇ってんだぞ?」
「……え?何それ」
「それにこいつ、演劇部に時間の確保、予算、演劇内容の把握頼まれてたのに、全部すっぽかしてやめてんの。演劇になんか興味あるわけないだろ」
「そうなの……?村野君」
「違う」
「違うわけないね!どうせ、この女も遊ぶために引っ掛けたんだろ?今朝の件聞いたよ。遊んでんのバレて、平のこと詰めたってことだろ?中学の時から女遊び酷かったもんなぁ」
「違う!!」
「そんな大声で否定したらバレちまうぜ?」
「お前」
「こんなやつがテニス部のレギュラー入りしたって聞いてびっくりだけど。今年は、テニス部予選敗退かな?来年の部費下がっちゃうかもな」
行こうぜと平を連れて出て行った。
とんでもない嘘を大声で言われ、文化部員の前であんなこと言うとは思いもしなかった。
三門が来るなんて誤算だ。
「村野君、今の話、ほんと?」
「ほんとなわけない」
腰を上げて、席に向かう。
周りの視線が痛い。
構ってほしくないと言うのに、彼女は正面に来た。
「ね、ほんとのこと話してよ」
「本当だって。あれ全部、嘘だ。信じないでほしい」
「……わかったよ」
語気が荒くなって、彼女は少し怯えていた。
せっかく仲良くなれたと言うのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
家庭環境がうまくいっていれば、学校でやらかす。
学校がうまくいけば、家庭環境が悪くなる。
夢だった医者もなれないのかもしれない。
そもそも大学に行くこともできないかもしれない。
そんな不安よりも先に、この先も学校にいられるかの方が不安だった。
一年生の時も先生から距離を置かれて勉強でわからないところを聞いても教えてもらえることはなかった。
今度は生徒から距離を置かれるかもしれない。
前みたいに庇ってくれる人はいないかもしれない。
わからないけど、今はもう不安が押し寄せるばかりだった。
部活を終えて家に帰ると大沢から連絡が来ていた。
『GW会うか』
「っしゃい。会うか!」
即レスして、ことを済ませる。
大沢との予定が決まり、特定の位置にスマホを戻すと部屋に戻った。
勉強のために教科書を開き、数時間が経った頃。
「おい、電話来てるぞ。女だ」
と、父親がノックもせずにドアを開けた。
「もしもし」
父親からスマホを受け取り対応する。
「もしもし、村野君?」
「うん、村野です」
「良かったー。最初、知らない声聞こえてびっくりしちゃった」
スマホは基本、家のリビングに置いてある。
電話も来ないからと通知はオンのままだけれど、まさか父親に取られてしまうとは。
「どうかしたの?」
「うーん、暇電しちゃった」
イラっとした。
隣には父親がいるし、スピーカーにしてしまっている。
チラッと父親の顔色を窺う。
ハッとしたように父親は肩を叩きニコニコで部屋を出て行った。
どうやら暇電を許してくれたらしい。
「そっか」
「今日は、ごめんね。疑っちゃって」
「いいよ。信じるかどうかはその人が決めることだから」
「人に委ねるんだね」
「委ねるも何もないでしょ」
「だって、そんなこと言うの信じてもらえなかった人が言う言葉じゃない?信じて欲しかったら、私だったら、怒ると思う」
「……怒る」
「そうじゃない?私は、信じてほしいのに信じてくれない!それって、ショックじゃない?」
「……」
いつの間にか僕は人に信じてほしいと思うことをやめてしまっていたみたいだ。
だんだんと連絡が疎かになる間宮と郡山に期待することをやめていた。
どう思われたっていい。
そう思ってしまってからは、中学の友達でも興味が薄れていた。
「ショックじゃない、かもしれない。僕は、もう人に信用してもらうなんて無理だと思ってるから」
「無理って……、そんな悲しいこと言わないでよ」
「そうかも」
適当に返すと彼女は、ねぇ、と少し怒ったようだ。
「いつから?人のこと信用しなくなっちゃたの。それってさ、昨日の灯火が消えて仕舞えばいい、って言葉にも何か通づるものがあるの?」
「……」
「ちょっと、怖いよ。破滅的だよ……」
「自分のことに消極的になってるだけだよ。たまにあるでしょ?そう言う時くらい」
「……ない。ないね!あるわけない!そんなこと言ってると、どんどんナイーブになっちゃうよ!」
「そうだね」
「明日あったら、ほっぺつねってやる!忘れさせてやるから覚悟しろ!」
と、彼女は他人のことなのにひどく怒っていた。
かまわないで欲しい。
なのに、彼女と話していると少しだけ心が落ち着く。
理由もわからないのに、ほんの少し気持ちが和らぐのだ。
一時間ほど長電話をした後、リビングにスマホを置きに行く。
リビングのソファには両親が座っていた。
「ごめん、電話気づいてくれてありがと」
スマホをおくと父親が口を開く。
「彼女がいたのか?」
「え、いや」
「前みたいに隠さなくていい。その彼女は、大事か?」
全く聞く耳を持ってくれないが、どうしたらいいのかと迷う。
「照れる必要もない。ただ一つ、提案がある」
「……提案?」
嫌な予感がした。
母親もこの場にいると言うことは、何か会議でもしたんだろう。
「高校を卒業したら、就職しなさい。そのためのバックアップはちゃんとお父さんたちがします」
「……え?いや、僕は医者に」
最後まで言わせることなく父親は続けた。
「高校で受ける資格、今のところ全部とっているのだろう。商業科だから、簿記は勉強するんだろう?なら、その先の公認会計士とかいいだろう。年収も高い。それまでは残業の少ない職場を選んで、仕事終わりに公認会計士の勉強をする。確か、一、二年くらいで取れるらしいじゃないか」
「ちょっと待って」
「どうした?今の最善を伝えているだけですよ?」
「だって」
「では、今の学力で国公立の医大を目指せますか?目指せると言うのなら、家賃諸々こちらが出します。けど、現時点では厳しいのが、答えです。あなたもわかってるでしょう?」
「……確かに、そうだけど」
「そんな人に大学の費用出すのは勿体無いです。それなら、弟にお金をかけます」
「でも」
「自分の現時点の学力がわかっているのなら、これも一つの選択だと理解しなさい」
父親はそれ以上言わず、自室に戻って行った。
今回は、母親はビンタもせずソファに座ったまま。
「母さんは、どう思ってるの?」
「自分で決めなさい。私はもうわからない」
「……わからないって」
「あなたが本気で医者を目指しているのなら、どうして大沢君と同じ学校に行かなかったの?行ってたら少しは助力できたのに」
その時、どうして勉強に身が入らなくなったのか思い出した。
『やだ、虚が医者だなんて、誰も診て欲しいなんて思わないわ』
『現実問題、顔も良くないじゃない?このドラマくらいイケメンドクターじゃないと、やっぱきついわ』
『こんな専門用語の意味もわかんないなら、医者辞めれば?』
『あんたがどんだけ頑張ってもかっこよくなれないし、何にもなれないわよ』
『どうせドラマ見て一時の感情を持っただけでしょ?』
当時、医療ドラマのシーズン三がやっていた。
アイドル事務所のイケメンが、救急医を演じて人気を得たドラマ。
それを見ていた母親が僕に言った言葉。
ドラマを見る前から言っていたことなのに、母親は覚えていなかった。
以降、医者になるなんて言葉を発することはなかった。
あの言葉を思い出すたび、勉強して何の意味があるんだと思うようになった。
「あなたがあの時言った言葉を引きずっているなら、謝る。でも、もう今の学校に入ったのなら、そこで足掻くしかないの」
「……今更、謝るの?」
「最近、SNSで見るの。ニートになるような大人に育つ方法、みたいなのが」
「自分がやってたんじゃないかって?」
「そう。反省した。あなたがなりたいものを冷かしたから」
「……」
「ごめんなさい」
母親は、リビングを後にした。
なぜ今更謝ったのか。
SNSがなければ、こんなことにもならなかった。
いいことなのかもしれない。
だけど、元からこんなことがなければ、落魄れることもなかった。
今更、欲しかったのものを手にしたとしても心に空いた穴は埋まらない。
現に、父親はもう就職路線で僕のことを見ている。
弟はもう中学二年生だ。
学力もいいらしく、このままいけば大沢の一個下くらいの高校に行ける。
しかし、それは僕よりも頭がいいことになる。
その学校に行けたら、きっとどんな私立大でも進学を許すのだろう。
僕が許されないのは、公立高校の底辺にいるからだ。
安心も束の間。
また地獄にぶち込まれたような感覚になる。
進学したいが、できない。
この先どうしたらいいのか、わからなくなっていた。
二年生になり、クラスが変わった。
本格的に大学の推薦入試やらを考えなくてはならない。
しかし、あの件以降、生徒会顧問が他の先生にも告げ口をしているらしく指定校推薦は狙えなかった。
勉強もしなければならないが、先生からの嫌がらせもあり高校一年生のテストや評定は低かった。
テストで高得点を取っても、授業中真面目に板書しても授業態度が悪いと評された。
それに怒ったクラスメイトが生徒会顧問に抗議して、去年度末に他校へ飛ばされた。
だが、文化部に対する差別発言をしたんだろ?とイジってくる先生は少なからずいた。
居場所なんてなかった。
必死に笑って上手くかわすことばかりを考えた。
ただクラスメイトが庇ってくれたこともあってイジってくる先生は徐々に減っていった。
進級して、イジってくる先生がいなければいいが、きっとイジってくるんだろう。
落胆していると目の前に見覚えのある生徒がいた。
「よ!」
「今沢さんか」
「なんでちょっと落胆してるの?ひどい」
「いや、急に来たからびっくりしただけ」
「生徒会、やめてたんだね」
「……え、ああ、うん」
「文化祭準備の時、ずっと探しちゃったよ。連絡先あるのに、全然、返事来ないから」
「え、あ……」
親が、スマホフィルターをかけていて、レギュラー落ちしてからさらに制限が厳しくなった。
家に帰っても十八時にはスマホのアプリはロックされる。
前までは二十時まで使えたと言うのに。
「ごめん」
「いや、いいよ。直接、二年生の先輩に伝えたから」
「裏方って、生徒会への連絡も含まれてるんだ」
「ううん。私が、引き受けただけだよ」
「そうなんだ」
「めっちゃ他人事じゃん」
「だって」
ちっちっと指を立てる彼女。
「あなたに会いたかったからだよ」
何言ってんだこいつ。
「会えなかったけどねぇ」
「クラスに来るのもアリだったでしょ」
「えぇ、十六HRちょっと荒れてるって聞いてたから」
「荒れてる?」
そんな情報、聞いたこともなかった。
「なんか先生と言い合いになったんでしょ?ピリついてるならちょっと距離置こうかなって」
「あ、それ私も聞いたことある」
と、隣の女子生徒が口にする。
「でしょ?だよね」
どうやら、みんな知っているらしい。
僕は何も知らなかった。
その元凶が僕だと言うのに目の前にいる彼女たちは知らないのか。
「十六HRの人たち口固くてなんも教えてくれなかったけど」
と、話していると体育館集合のアナウンスが聞こえた。
担任が決まるのだが、それまでは先生が教室に入ることはない。
自分たちで動かなきゃ行けないのは、一年生の最後に担任が言っていた。
廊下に出てそれぞれが歩を進める。
「そういえば、さっきからすごい見てくる子いるけどあれ誰?」
チラッと目をやると後方に平がいた。
「平だな」
「平?」
「中学一緒だったんだ」
「そうなの?」
「学科一緒なの忘れてた」
「忘れることある?話しかけないの?」
「いやいいよ。他に仲良い奴いるだろうし」
「ふーん」
何やら考える仕草をしているが、特に何かされることはなかった。
集会が終わり、教室に着くと担任が挨拶を始めた。
長々と話を終え、春休みの課題やらなんやらを終え、放課後。
「ねねね!一緒に帰ろ」
と、突っ込んでくる今沢。
「先客いるから」
嘘をつくとぐいっと腕を引っ張ってくる。
「新作メニュー食べに行かない?」
スマホの画面を見せてくる目の彼女は、目をキラキラと光らせていた。
よくもまぁ、高校生活を普通に楽しめるよなと思う。
進学について先生に聞いておきたいこともあると言うのに。
「いいけど、他の子と行ったほうが楽しいんじゃない?それに部活は?」
「部活ないし、他の子いないから君を誘ってるのですよ」
「……」
変な日本語しているやつが、よく演劇部なんかにいられるなと思った。
裏方だから関係ないか。
セルフツッコミを済ませると二つ返事で了承する。
しかし、彼女はバス通学らしい。自転車通学の僕とではその店に行けない。
チャンスだった。
「じゃあ……、無理そうだね」
「いやいや、いくよ。二人とも歩けばいいのさ」
「……え、正気?」
「うん」
「どれだけ距離あると思ってるの?」
「あぁ、じゃあ、今日自転車置いてく?バスで行こうよ」
「……」
親に送ってもらえるわけでもないのに、自転車を置いて行ったら後で何を聞かれるかわからない。
家の近くにバス停があったはず。
そこから最寄り駅に乗って学校までこればいいのか。
すごくお金がかかるがそれくらいしか方法はない。
断っても誘ってきそうだし、一度だけ店行ってそれ以降は断ればいいかと、安易な気持ちで考える。
「あ、うん。いこか」
バス停まで二人で向かう道中、テニス部員がテニスコートに向かう姿が見えた。
「あれ、今日部活だっけ?」
と、通りすがった佐久間に聞く。
「自主練だよ。お前は帰り?」
これは、参加することにして断るのも名案か?
「あ、僕も」
ジトっと隣の彼女が睨みつけてくるのに気づいた。
「あぁ……」
「別に部活行きたかったら行けばいいじゃん」
不貞腐れる彼女にめんどくささを覚えた。
「ううん。帰り。んじゃ」
と、手を振って佐久間と別れる。
「部活行かないの?」
「部活より、こんなに誘ってくる今沢さんに少し興味あるよ」
「ほんと?」
「うん、普段こんなこと言わないから恥ずかしいね」
「いやいや。行きましょ」
と、ルンルンで歩く彼女。
まだ浅い関係値だというのに、なぜ誘ってくるのか。
見当がつかなかった。
初対面で距離の近い女子はよく見かける。
普段は何かに誘われても断ってた。
どうして彼女の誘いは断れなかったのだろう。
特別、興味があるわけでもないのに。
ボブカットで小柄、天真爛漫。
男が好きそうなキャラクターだ。
なのに、あまりテンションが上がらない。好きなタイプとは言えない。
それにこの子のテンションに合わせるのは疲れそうだ。
店の端の席に隣同士で座る。
席は等間隔のはずなのに、わずかに距離が近く感じるのは気のせいだろうか。
それとも僕が女子慣れしていないせいだろうか。
女子とどこかへ出かけたとかそんな些細な話など中学の友達にはもう聞いてもらえないのだろう。
やたらと距離を置かれてしまっている。きっと三門たちが何かを言っているはず。
一方で、大沢だけが定期的に連絡をくれるし、取り合っている。
あれだけ騒ぎになっているのだから、大沢の耳にも届いているはずなのに。
『今度遊ぼ?』
大沢に送ってみる。
既読はつかない。
当たり前だ。
部活もあるのだから。
練習試合や本大会があれば、顔をあわせる。
そういうのがあるから、連絡だけはくれるのだろうか。
なぜだか少し人間不信になっている気がしてならない。
「ねねね。これ、美味しいね」
肩をポンポン叩き、可愛い顔で共感を求めてくる。
「ほんと美味しいねこれ。久々に来たけど、新作美味しいな」
「久々なんだ。誰と?」
「なんで、すぐ、誰と行ったか気にするわけ?」
「だって……」
口を詰むんでしまう彼女に、これ以上聞くのはやめた。代わりに。
「部活の奴らだよ。佐久間とか」
と、返した。
「佐久間くん、仲良いんだね」
「まぁ。中学の時テニス部だった話したら、来いよって言ってくれて」
「あれ?でも、生徒会だったよね?」
「うん。テニス部入れるように顧問に掛け合ってくれたのが、佐久間なんだ。それがなかったら、いまだに生徒会だろうね」
「ふーん」
説明したというのに、彼女はギロッと睨んできた。
「てっきり私ともう話したくないから、やめたのかと」
「そんなわけないじゃん」
「はっきり言ってくれて嬉しいよ」
と、顔を覗かせるので目を合わせないことにした。
いつか彼女に毒されるかもしれない。
「なんで目を合わせてくれないのさ」
「いや、そんなつもりなくて」
「もしかして、女子と話すことあんまりないかー?」
ふと思い返してみる。
中学の頃にいた彼女や女子友とは目を合わせていた。彼女もいた。
ならば、なぜ今隣にいる彼女とは目を合わせないのだろう。
距離感がおかしいからか?
それとも初めてこんな可愛い子に出会えたからか?
いや、どちらも思ったこともない。
口で言うなら減るもんじゃないし、言うけれど……。
「あんまりないね」
詮索されても面倒なので嘘をつくことにした。
嘘だって減るもんじゃないし、言ったっていいはず……。
うん、いいよな……?
「えーほんとー?」
「うん、ほんと」
「じゃあ、この店も私以外の女の子とは行かないわけかー」
「うん。初めて」
中学の頃にも何度か行った覚えある。
あの頃の方がお金もなかったし、月一回行けるのなら、彼女と行くのが普通だった。
今はもう誰とでも行けるし、散財しなければ月二回行ける。
今日は一回行ったから、来月くらいまでは行かなくていいやと思う。
「なんか嘘っぽい」
ピシャリと言われてしまって返す言葉がない。
どこでバレてしまったのだろう。
「ほらやっぱり!」
と、耳元でつんざく声が聞こえる。
耳がキンキンして思わず手で抑えた。
「ほら!ほらほらほら!」
手首を掴まれて、抑えていた手が耳から離れる。
「ひどくない!?ありえない!」
「違う違う。嘘って思われたことに戸惑いを隠せないだけ」
「ほんと?」
「ほんと。なんで今沢さんに嘘を吐かなきゃならんのよ」
「……その言葉、信じていい?」
「うん。信じて」
これくらい反射的に言葉を返せていたなら、両親や弟の関係も上手くいくのかなとふと思った。
僕がちゃんとしていれば、どうにかできたことも多々あるのだから。
「ふーん。……しょうがない。信じてあげましょう」
なぜ上からなのか意味がわからない。
けれど、信じてもらえるだけでもありがたい。
「彼女いたことないってことだもんね」
「……」
なんだか、男としてのプライドに傷が入った気がした。
「気になってたんだけど、なんで演劇部に入ったの?」
「え?どうしたの急に」
ワイワイ話しをした後に思っていたことを聞いた。
僕もそれなりに話した気がしたから、イケるだろうと思った。
「もっと言うなら、なんで表に出ないの?」
「舞台に出るつもりはないよー。やっぱ、表に立つ人は可愛い子やイケメンじゃないと」
「可愛いと思うけど」
「えー、やだー。急に何さー」
頬に手を当て、肩をペシペシ叩く彼女。
演技みたいに見えて気分が悪い。
「裏方にいるのは、脚本やってみたいからなんだよね」
叩くのをやめた彼女は、そんなことを言う。
「脚本?」
反芻してみるけれど、いまいちピンとこない。
あまりドラマや映画を見ないからどんな職なのかわからない。
「そう。去年の文化祭、演劇を見てたはずだからわかると思うけど、あの劇も脚本は部員が書いているんだよね」
「まじ?」
「まじだよ。どうだった?」
「すごく良かったよ。あんなに短い時間で起承転結がはっきりしてて。高校生らしいなって」
役についていったつもりだった。
だけど。
「高校生らしい、か」
腑に落ちないらしい。
「あの脚本は誰が書いたんだろう。先輩?」
聞いてみたけれど、彼女は口元で人差し指を出した。
秘密だと、言いたいらしい。
「今年も部員が脚本を書くのかな」
「そうだよ。書くけどね、内密にしてるんだって。否定されるのは嫌なんだって」
「……否定」
去年の文化祭を思い出す。
完全オリジナル劇なのは、冒頭に伝えられていた。
確かに真面目にみてなかった人たちは、意味わからんかったとか、終始何言ってんの?みたいな反応をしていた。
寝てる人もいたし、興味ない人には退屈だったのかもしれない。
しかし、ちゃんとみていた人たちは面白かったと口を揃えていた。
そのうちの一人が僕だ。
「私、思うんだ。否定されるって嫌だなぁって。何か目標あって、やりたいことあって、それを否定されたら、やる気も出ないし。でも、目標だけが残っちゃう。それって、まだ灯火が残っているのに、酸素も与えず、見ているだけ。風に吹かれても、消えないまま。ならいっそ、台風でもきてその灯を消しちゃってほしいって……、そう、思うんだ」
彼女の言葉に、思い当たる節があった。
医者になりたいと言っていた中学生時代。
勉強に身が入らなくなって、徐々に学力が落ちて、今、この学校にいる。
家族には、否定されてばかりなのに、勉強は続けているし、医者になりたいとも思ってる。
学力的には、まだいける可能性は残ってる。
国公立大学に行けさえすればの話。
こんな環境なら、諦めてしまってもいい。
だけど、彼女の言う通り、否定されるのは嫌だ。台風でもきて仕舞えばいいって思うのは自暴自棄だ。
諦めるつもりは一切ないけれど、諦めたくなる瞬間は多い。
「わかるかも」
「さっきから、共感してくれてありがとね」
「いや、ほんとだよ。灯火が消えて仕舞えばいいって思うことはあるよ。でも……、否定っていう雨や風がなければ、どうにかなる。酸素さえ与えれば……」
だけど、わかってる。
酸素のない火はいつの間にかふわっと消える。
ずっと見ていれば、気づくだろう。
だけど、見ていなければ、消えたことにさえ気付けない。
火のない暗闇に立てば足元だっておぼつかない。
「酸素もなくなったら、どうしようね……。縋るものなんてないよな」
元気付けるつもりだったのに、できなかった。
否定される彼女と僕は少しの共通点がある。
なのに、なんで……。
「消えて仕舞えばいいじゃなくて、消しちゃって欲しい、だよ」
彼女は訂正した。
僕の間違いに気づいた。
そうだ。共通点があるとはいえ、考えは違う。
安易に元気付けようなんて思わなければ良かった。
自分の過去を勘繰られるかもしれない。
「今年の文化祭も脚本は部員がやるんだって。見にきてくれる?」
「あぁ、見るよ」
「生徒会じゃなくてもちゃんと見てよね」
「わかったよ」
僕の頬をツンツンと指で触る。
「よろしい。今日の嘘は無かったことにしてあげます」
「……だから、嘘じゃないって」
「いいのいいの。モテないわけないんだから」
と、彼女は椅子を降りた。
スマホで時刻を確認すると二時間近くここにいたらしい。
「帰ろ」
彼女に言われ、店を出る。
お互いにバスを待っていると彼女は、いう。
「ほぼ初対面なのに、二人で会ってくれてありがと」
「どうしたの急に」
「ううん。なんでもない。少し知れた気がする」
「あ、うん。僕も」
「文化祭準備の時にいった約束守ったからね」
バスが来て、彼女はそれに乗った。
なんの話だったか思い出せない。だけど。
「ありがと」
なんて言葉を返した。
最後にまた嘘をついた。
バスの扉が閉まり、彼女を連れて行く。
なんだか歩きたくなって、歩を進める。
外の空気は、変わらない。
なのに気持ちは良かった。
久々に何も深く考えずに喋れた気がしたから。
次の日、学校に来るとクラスメイトがざわついている。
「これ、お前?」
クラスの男子が、黒板に指を指して尋ねる。
黒板を見やると昨日の僕と今沢の写真が複数枚貼られていた。
「何これ」
ボソッと声が溢れる。
「村野君……」
正面に今沢がやってくる。
「誰、これやったの」
刹那。
「今沢のこと好きなのかー?」
と、大きな声が聞こえてくる。
声の主に目をやると平と一緒にいる冴えない男子だった。
僕一人ならまだいいものをどうして女子も巻き込むのか。
「あいつ……」
怒り任せに彼の前に歩を進める。
しかし、今沢が僕の腕を掴んで止めた。
「何してんの」
「いいよ、そんなことしなくて」
「……」
冷静に考える。
今、問題行動を起こして僕の評価が下がるよりもクラスの平穏を考えるべきだ。
去年は、僕の言動で周りに迷惑をかけたのだから。
黒板の前に立ち、撮られた写真を剥がしていく。
こんなことどこの誰がやったのか。
もう答えは出ていた。
その日の昼、人の少ない教室で平に詰める。
「なんであんなことすんだよ」
「別に」
「別にじゃねぇ。やる意味がどこにあんの?何求めてんの?」
「そんな怒るってことは、やっぱ好きなんだ」
「違……っ、僕のことをいじめたいなら、僕だけにしろよ。他の人巻き込むなって」
「……かっこいいねぇ。好きでもない人のためにそこまで身を粉にできるなんて」
中学の頃から部活も一緒だっただけあって僕の気持ちに気づいている。
遠くから平を呼ぶ声が聞こえた。
振り返らなくてもわかる。
三門だ。
彼は、クラスが変わっても平に会いにくる。
「何してんの?」と、三門。
「いや、喧嘩売ってきたから」
平の言葉に三門が眉間に皺を寄せる。
「凝りねぇんだ。生徒会やめたのにまだ関わんの?」
刹那、腹に鈍い痛みが走る。
一年生の時以来父親に殴られていないからか、痛みに敏感だった。
痛みに膝をつくと三門は笑う。
「あれ、運動部なのに弱いんだ?俺、文化部なのに?文化部、散々否定してたのに?」
蹴りが入る手前、女子の止める声が聞こえた。
「ちょっと、何してんの!?」
止めに入ってきたのは、今沢だった。
よりにもよって、どうして彼女なのか。
「君、演劇部だよね?前に会ったじゃん、覚えてる?」
「覚えてるけど、何ひどいことしてるの」
「ひどいって言ったら、こいつの方が酷いぜ?文化部は舐めたやつばかりだとか言って、生徒会の品格落とした最低なやつ庇ってんだぞ?」
「……え?何それ」
「それにこいつ、演劇部に時間の確保、予算、演劇内容の把握頼まれてたのに、全部すっぽかしてやめてんの。演劇になんか興味あるわけないだろ」
「そうなの……?村野君」
「違う」
「違うわけないね!どうせ、この女も遊ぶために引っ掛けたんだろ?今朝の件聞いたよ。遊んでんのバレて、平のこと詰めたってことだろ?中学の時から女遊び酷かったもんなぁ」
「違う!!」
「そんな大声で否定したらバレちまうぜ?」
「お前」
「こんなやつがテニス部のレギュラー入りしたって聞いてびっくりだけど。今年は、テニス部予選敗退かな?来年の部費下がっちゃうかもな」
行こうぜと平を連れて出て行った。
とんでもない嘘を大声で言われ、文化部員の前であんなこと言うとは思いもしなかった。
三門が来るなんて誤算だ。
「村野君、今の話、ほんと?」
「ほんとなわけない」
腰を上げて、席に向かう。
周りの視線が痛い。
構ってほしくないと言うのに、彼女は正面に来た。
「ね、ほんとのこと話してよ」
「本当だって。あれ全部、嘘だ。信じないでほしい」
「……わかったよ」
語気が荒くなって、彼女は少し怯えていた。
せっかく仲良くなれたと言うのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
家庭環境がうまくいっていれば、学校でやらかす。
学校がうまくいけば、家庭環境が悪くなる。
夢だった医者もなれないのかもしれない。
そもそも大学に行くこともできないかもしれない。
そんな不安よりも先に、この先も学校にいられるかの方が不安だった。
一年生の時も先生から距離を置かれて勉強でわからないところを聞いても教えてもらえることはなかった。
今度は生徒から距離を置かれるかもしれない。
前みたいに庇ってくれる人はいないかもしれない。
わからないけど、今はもう不安が押し寄せるばかりだった。
部活を終えて家に帰ると大沢から連絡が来ていた。
『GW会うか』
「っしゃい。会うか!」
即レスして、ことを済ませる。
大沢との予定が決まり、特定の位置にスマホを戻すと部屋に戻った。
勉強のために教科書を開き、数時間が経った頃。
「おい、電話来てるぞ。女だ」
と、父親がノックもせずにドアを開けた。
「もしもし」
父親からスマホを受け取り対応する。
「もしもし、村野君?」
「うん、村野です」
「良かったー。最初、知らない声聞こえてびっくりしちゃった」
スマホは基本、家のリビングに置いてある。
電話も来ないからと通知はオンのままだけれど、まさか父親に取られてしまうとは。
「どうかしたの?」
「うーん、暇電しちゃった」
イラっとした。
隣には父親がいるし、スピーカーにしてしまっている。
チラッと父親の顔色を窺う。
ハッとしたように父親は肩を叩きニコニコで部屋を出て行った。
どうやら暇電を許してくれたらしい。
「そっか」
「今日は、ごめんね。疑っちゃって」
「いいよ。信じるかどうかはその人が決めることだから」
「人に委ねるんだね」
「委ねるも何もないでしょ」
「だって、そんなこと言うの信じてもらえなかった人が言う言葉じゃない?信じて欲しかったら、私だったら、怒ると思う」
「……怒る」
「そうじゃない?私は、信じてほしいのに信じてくれない!それって、ショックじゃない?」
「……」
いつの間にか僕は人に信じてほしいと思うことをやめてしまっていたみたいだ。
だんだんと連絡が疎かになる間宮と郡山に期待することをやめていた。
どう思われたっていい。
そう思ってしまってからは、中学の友達でも興味が薄れていた。
「ショックじゃない、かもしれない。僕は、もう人に信用してもらうなんて無理だと思ってるから」
「無理って……、そんな悲しいこと言わないでよ」
「そうかも」
適当に返すと彼女は、ねぇ、と少し怒ったようだ。
「いつから?人のこと信用しなくなっちゃたの。それってさ、昨日の灯火が消えて仕舞えばいい、って言葉にも何か通づるものがあるの?」
「……」
「ちょっと、怖いよ。破滅的だよ……」
「自分のことに消極的になってるだけだよ。たまにあるでしょ?そう言う時くらい」
「……ない。ないね!あるわけない!そんなこと言ってると、どんどんナイーブになっちゃうよ!」
「そうだね」
「明日あったら、ほっぺつねってやる!忘れさせてやるから覚悟しろ!」
と、彼女は他人のことなのにひどく怒っていた。
かまわないで欲しい。
なのに、彼女と話していると少しだけ心が落ち着く。
理由もわからないのに、ほんの少し気持ちが和らぐのだ。
一時間ほど長電話をした後、リビングにスマホを置きに行く。
リビングのソファには両親が座っていた。
「ごめん、電話気づいてくれてありがと」
スマホをおくと父親が口を開く。
「彼女がいたのか?」
「え、いや」
「前みたいに隠さなくていい。その彼女は、大事か?」
全く聞く耳を持ってくれないが、どうしたらいいのかと迷う。
「照れる必要もない。ただ一つ、提案がある」
「……提案?」
嫌な予感がした。
母親もこの場にいると言うことは、何か会議でもしたんだろう。
「高校を卒業したら、就職しなさい。そのためのバックアップはちゃんとお父さんたちがします」
「……え?いや、僕は医者に」
最後まで言わせることなく父親は続けた。
「高校で受ける資格、今のところ全部とっているのだろう。商業科だから、簿記は勉強するんだろう?なら、その先の公認会計士とかいいだろう。年収も高い。それまでは残業の少ない職場を選んで、仕事終わりに公認会計士の勉強をする。確か、一、二年くらいで取れるらしいじゃないか」
「ちょっと待って」
「どうした?今の最善を伝えているだけですよ?」
「だって」
「では、今の学力で国公立の医大を目指せますか?目指せると言うのなら、家賃諸々こちらが出します。けど、現時点では厳しいのが、答えです。あなたもわかってるでしょう?」
「……確かに、そうだけど」
「そんな人に大学の費用出すのは勿体無いです。それなら、弟にお金をかけます」
「でも」
「自分の現時点の学力がわかっているのなら、これも一つの選択だと理解しなさい」
父親はそれ以上言わず、自室に戻って行った。
今回は、母親はビンタもせずソファに座ったまま。
「母さんは、どう思ってるの?」
「自分で決めなさい。私はもうわからない」
「……わからないって」
「あなたが本気で医者を目指しているのなら、どうして大沢君と同じ学校に行かなかったの?行ってたら少しは助力できたのに」
その時、どうして勉強に身が入らなくなったのか思い出した。
『やだ、虚が医者だなんて、誰も診て欲しいなんて思わないわ』
『現実問題、顔も良くないじゃない?このドラマくらいイケメンドクターじゃないと、やっぱきついわ』
『こんな専門用語の意味もわかんないなら、医者辞めれば?』
『あんたがどんだけ頑張ってもかっこよくなれないし、何にもなれないわよ』
『どうせドラマ見て一時の感情を持っただけでしょ?』
当時、医療ドラマのシーズン三がやっていた。
アイドル事務所のイケメンが、救急医を演じて人気を得たドラマ。
それを見ていた母親が僕に言った言葉。
ドラマを見る前から言っていたことなのに、母親は覚えていなかった。
以降、医者になるなんて言葉を発することはなかった。
あの言葉を思い出すたび、勉強して何の意味があるんだと思うようになった。
「あなたがあの時言った言葉を引きずっているなら、謝る。でも、もう今の学校に入ったのなら、そこで足掻くしかないの」
「……今更、謝るの?」
「最近、SNSで見るの。ニートになるような大人に育つ方法、みたいなのが」
「自分がやってたんじゃないかって?」
「そう。反省した。あなたがなりたいものを冷かしたから」
「……」
「ごめんなさい」
母親は、リビングを後にした。
なぜ今更謝ったのか。
SNSがなければ、こんなことにもならなかった。
いいことなのかもしれない。
だけど、元からこんなことがなければ、落魄れることもなかった。
今更、欲しかったのものを手にしたとしても心に空いた穴は埋まらない。
現に、父親はもう就職路線で僕のことを見ている。
弟はもう中学二年生だ。
学力もいいらしく、このままいけば大沢の一個下くらいの高校に行ける。
しかし、それは僕よりも頭がいいことになる。
その学校に行けたら、きっとどんな私立大でも進学を許すのだろう。
僕が許されないのは、公立高校の底辺にいるからだ。
安心も束の間。
また地獄にぶち込まれたような感覚になる。
進学したいが、できない。
この先どうしたらいいのか、わからなくなっていた。



