受けだと思っていた推しは、溺愛症候群でした(?)

 寮に帰っても、翠の期限は中々直らなかった。
 なにかあったのか聞いても流されるばかり。今日のこの頃で碧くんとも気まづくなってしまって、相談もできない。
 ……もしかして、恋の病!? 芹沢先輩にあんなこと言ってなにやってんだ俺……って思ってるのかな。
 幼なじみ、最高すぎる。よーしこうなったら俺が後押しするっきゃない!
「ねぇ翠」
 机で本を読んでいる翠の隣に座ると、彼が本を閉じて首を動かした。
「あのね。翠にぴったりのせ……恋人見つけたよ!」
「は?」
「翠ととってもお似合いなんだ!」
「ちょ、なに言って」
 翠が困惑しているのにも関わらず、俺はしゃべり続ける。
「だからさ……お見合いを……」
「叶愛! 落ち着いて?」
「え、あ……」
 つい興奮してしまって、翠に近づきすぎてしまった。そのせいか、翠になだめるように座らせられる。
 恥ずかしい……。
「叶愛のそういう一生懸命で熱中するとこ好きだけど……」
「え」
 今、なんて……? ボソッと呟いたものだから、上手く聞き取れなかった。
「頑張りすぎると倒れちゃうよ? ……よく俺のためとか言ってくれるけど、叶愛が無理してないのが、俺のためでもあるから」
「……っ」
 俺の手の甲に、片手をかけながら、鮮やかな笑顔を見せる彼。
 その一言で一瞬頭が真っ白になった。俺は言葉を探すけど、どれも追いつかなくて。胸の鼓動だけがドクドクと脈を打っていた。
「翠って本当にずるいよね」
 やっと出てきた言葉は失礼すぎる言葉だった。
 推しはどれもみんなずるい。ずるくなきゃ推していないんだけど、心の中に留めておく言葉が咄嗟に出てしまった。
 視線を逸らすと、耳が熱いのが見なくてもわかる。 「俺……そんなこと言われたの初めてで。どうしたらいいのか、わかんない」
 こんなこと、推しに言うようなことじゃないのに。なぜだか翠に話したくなる。聞きたくなる。
 彼は少し驚いた顔をしたあと、ふっと力を抜いて立ち上がった。
「なら、それでいいよ」
「え?」
 俺の真隣に腰を下ろして、手を握った。
 「無理なんかしなくていい。叶愛は、そのままでいいよ」
 心臓の音が速くなるのを感じて、赤い顔を誤魔化しながら口を開く。
「……なにそれ」
 小さく笑いながら、彼の手を強く握りしめた。
 推しにこんなことしていい訳無いけど、なぜか離したくないって気持ちが走ってしまった。
「そんなの、反則だよ」
 そういうところも含めて可愛くて、好きで堪らない。……なんかこのセリフ、漫画に出てくる受けみたいだな。って俺はなにを考えて……。
「ふっ、そうだね」
 翠はそう言ってそっと俺の頭に手を置いた。撫でるわけでも、離すわけでもなく。
 俺はその距離が不思議でしょうがなかった。
「……ちなみにさ」
「ん?」
 両手を離して、もじもじしながら問いかける彼。その仕草さえもかわいいと思ってしまう。
「その、叶愛がさっき言ってたお似合いなこ……」
「そう! それなんだけど!!」
 聞くってことは、もしかして興味があるって捉えていいってこと?
「それはですね……芹沢先輩だよ!!」
「……はああ!?」
 満面の笑みで翠に応える俺とは裏腹に、彼は目を大きく見開いて驚いている。
 ……言わない方が絶対よかった。なにやってんだ俺。
 でも、それで翠が先輩のこと意識してくれたら微笑ましいことだ。それに、不仲は尊い。
「はぁ……だから仲良いのか」
「昨日会ったばかりだよ?」
「……は? 尚更ダメだ」
 尚更……? 彼は、なにかを呟いてはため息をついたり、俺のことを見る。
 彼の言っている意味はあまりわからなかったけど、確かに芹沢先輩は昨日仲良くなったばかりなのに、すごく良くしてもらっている。……俺が一方的にしてる感じなんだけど。
 でも、最終的にはふたりがくっついてくれれば、もうなんでもいいかなって。
「いや別に気にしてないし」
 翠がそう呟いた言葉に、俺は気づくよしもなかった。

 放課後の教室は、昼間の光景が嘘に見えるくらい静かだ。
 廊下で誰かが走る足音と、シャーペンを走らせる音が俺の耳に入る。集中していたらそんな音でさえも聞こえないのに、無意識に耳を済ませてしまうということは、全然集中していないということだ。
 なぜ俺が放課後に教室にいるかと言うと。
「追試終わらないよぉぉ」
 小テストの結果が、先生も怯むほど悪かったから。
 どうしてこの世に追試なんてものが存在するのか。
「叶愛頑張って!」
「推しに言われたら頑張るしかない、けど……」
 終わる気配が一向に見えない。
 早く帰りたい。翠にもずっと待たせてしまっているし、俺の頭がもう少しよかったら……。
「もう無理……脳みそが拒否してる」
「それさっきも聞いた」
 彼はそう言いつつもプリントを見ながら離れようとはしない。
 こういう優しいところも含めて、ちゃんと翠を好きになってくれる人は先輩以外いない気がする。あ、もちろん俺も大好きだよ? でも、恋愛感情が……。
「ここ、計算違う。公式間違って覚えてない?」
「え、嘘」
 言われた瞬間にわかるのが、余計に悔しくて胸をえぐる。
 ……そのときだった。がらりと教室の扉が開く音がしたのは。
「あれ、まだ残ってたんだ」
 聞き覚えのある、軽い声。
 振り向くと立っていたのは、案の定芹沢先輩だった。先輩はプリントを持ちながらこっちに歩み寄ってくる。
「芹沢先輩? どうしてここに……」
「先生に頼まれて隣のクラスにプリント届けに来たけど、叶愛くんの教室が見えたから来ちゃった」
 えぇ……。はやく届けてあげればいいのに。
 そう言って、先輩はプリントをひらひらと振る。その視線が一瞬だけ俺と翠に向いた。
「なにこの空気……あ、お熱いことで〜」
「え、ち、違いますよ!?」
 先輩って、本当に人をからかうのが上手だ。
 ニヤニヤと笑う先輩を否定する俺とは対照的にずっと黙っていた翠が静かに先輩を見た。
「追試、もう終わるから。帰ってほしいんだけど」
「へぇ、翠が付き添いとは、ねぇ」
 芹沢先輩はニヤッと笑って俺の机の前で屈んだ。
 なにをしたいのかわからず首を傾げると、耳元で声がした。
「叶愛くん、頑張ってるじゃん」
「あはは……頑張らされてます」
「ははっ。……じゃぁ、ご褒美にさ。週末出かけない? 叶愛くんの好きなとこ連れってってあげる」
「え?」
 机に肘を着いて顔を近づけられる。
「……二人っきりで」
「え!?」
 なんで!? 驚きの声と、心の声が重なった。
 よりにも寄って二人きり、? もしかして、俺が翠と仲が良くて、先輩も翠のことを狙ってるから、敵情視察ってこと? それなら大大歓迎。攻めのことをもっと知れるチャンスだと思い、返事をしようと思った直後。
「いいわけねぇだろ」
 低くてはっきりした翠の声が教室内に響いた。
「叶愛、集中してるし。音羽と遊ぶ余裕なんて叶愛にはないから」
 先輩が一瞬、目を瞬かせる。
「へぇ」
 意味ありげに笑って、先輩は一歩引いた。
 ふたりの距離が、やっぱり近い気がする。これは微笑ましい、嬉しいことなのに。この状況でも違うことを考えてしまっている自分がいる。
「あーそうかよ。じゃ、続きはまた今度」
「今度なんてねぇよ」
「……またね叶愛くん」
「は、はい……!」
 教室を出る前、先輩はチラッと振り返ってその言葉を残した。
 先輩が出ていったあと、俺たちの中には張り付いた空気が流れていた。
 二人のことを考えると、一気に集中力を失う。
「叶愛、音羽には気をつけて」
「え、なんで?」
「……気にいられるとやっかいだから」
 一瞬だけ目が合う。芹沢先輩は、とってもいい人だけど……なにか事情があるのかな。
「それに……音羽に独り占めされたら困る」
 恥ずかしそうに視線を逸らす彼は耳が赤くなっていた。
 独り占め……もしかして、翠は先輩のことが好きだから、俺が独り占めすることに嫌がってる? うわなんて最高なんだ。もちろん喜んで翠は先輩と……。
「ねぇ、なんか勘違いしてない?」
「……勘違い?」
 ひとり喜んでいる俺とは真逆に彼は呆れ顔だった。見るからに「やれやれ」とでも言いたそうな顔。
「ううん、なんでもない。ほら続きやろ」
「う、うん……」
 結局、翠がなにを考えているのかは全然わからなかった。
 彼の声は淡々とした声だったけど、どこか硬くて。
 ……なんで俺、さっき少しだけ翠に心配されたことが嬉しかったんだろう。なんで、この時間がもっと続けばいいのにと思ったんだろう。
 シャーペンを握り直しながら考えるけど、追試よりこの感情の方がよっぽど難問だった。

 それから、俺は翠に言われた通り……というか、翠が一方的に芹沢先輩といる俺を警戒しまくっていた。それに面白がって、先輩もなぜか俺と二人きりでいることが多くなったし。
「あ、叶愛く〜ん!」
「せ、芹沢先輩、?」
 碧くんに会おうとする度に先輩に絡まれては、先輩と碧くんが喧嘩したり。毎日散々な目に合わされているけど、なんだかんだ言って先輩のことが良く知れるから結構楽しいのである。
 あー今日は碧くんいなかったな。ってことで、先輩の翠との話いっぱい聞きたい。
「そうだ叶愛くん、来週ね……」
 俺を抱き寄せて、一緒に縮こまる先輩は、小さな声で俺の耳に顔を近づけた。
 ……流石翠の幼なじみ。距離感がバグっている。
「ねぇ、何度言ったらわかんの? 叶愛に近づくなって言っただろ」
 翠が先輩の頭を小突いて喧嘩が始まるのもいつものこと。
「はぁ? 叶愛くんはお前のじゃないだろ」
「……そうだけど! 今はだから」
「勝手に叶愛くん振り回してんの翠じゃん」
 俺のことが空気みたいに喧嘩の速度を上げている二人。内容は全く入ってこず、いつも通り尊いケンカップル、だ。
「あ、俺さきに戻るね」
 二人の言い合いが一段落しそうな隙を見て、俺はわざと軽く、いつもの調子でそう言った。
 でも多分、二人は聞こえてない。もう二人だけの世界に入っちゃてるから。
 お幸せに。と心の中で思ってその場を去ろうとする。
「は? なんでだよ」
 翠が怪訝そうに眉をひそめる。
 でもやっぱり……。いつもならこういうとき翠は、「待って、俺も行く」とでも言うのに。理由を聞いてきたってことは、先輩とまだいたかったからに違いない。それはそれで嬉しいのに。
「えっと、寮の当番だった気がして」
 適当な理由で笑って誤魔化したけど、二人はもう俺を見ていなかった。
 また言い合い……きっともう言い合いが激しくなってどうでもよくなって、笑いあってるに違いない。
 これでいい。廊下を歩きながら少しだけ胸が軽くなる。
 二人だけの方がきっと落ち着いて話せる。そう思うのは、オタクの性だ。
「先輩なら、翠を任せられる」
 寮に戻って机の上に鞄から、もう攻め探しノートと化した妄想ノートを出す。
 表紙には、誰にも見せられない走り書き。
「もしも、先輩と翠が……」
 机に向かってペンを走らせる。
 ただの喧嘩で見せた二人の表情、距離感。言葉の裏にありそうな感情。
 ……やっぱり、相性いいよな。ページを埋めるほど、妄想は自然に膨らんでいく。
 ふと、思い出して手が止まった。
 ──もし、二人が本当に付き合ったら。
 胸の奥が、チクリと傷んだ。翠は俺のなのにって。
「ち、違う違う」
 小さく呟いて首を振る。
 これは推し活。それに翠はもう先輩のもの。俺の感情を混ぜるものじゃない。
 そう言い聞かせながら、それでもノートはまだ閉じれないままで。
 はやく帰ってきてくれないかな、なんて勝手な想いを抱きながら扉を眺める。