「夏休み、だぁぁ!」
 ……さぁ、やっとだ。やっとこのときがきた。
 夏休みといえば。BLの時期である。
 海で濡れた水着を着る受け。そして、逆ナンされてしまう受けたち。そう、そのあとに攻めの嫉妬会が開かれる!! あぁなんて最高なんだ。
 海、行きたかったなぁ。流石に一人だと変なやつだし。今年は諦めて、部屋で漫画でも読んでいよう。
 俺は、家族ともあまりいい雰囲気ではないので、帰省するつもりもない。友達とも……碧くんもずっと寮にいるみたいだから、時折遊ぼうかと思っている。
「叶愛は実家帰るの?」
 コーヒーを飲みながら、まるでどこかの貴族かのように座る翠。
「ううん。あっちに行っても居心地悪いし……翠は?」
 翠も、出かける様子はないし……。同士だったりして。
「俺も、帰らないよ。ずっと寮生活」
「そっか」
 ……じゃないよ!? え? 翠もずっと寮……? 
「ふたりっきりだね」
 なにその微笑み方は!! かわいい!! 眩しすぎるけども。
「ま、まじ……」
 なんでそんなに翠は嬉しそうな顔してるの?! 推しとずっとふたりきり……。そんなの最高かぁぁ。の前に、心臓が、持たん!! 
 あ、別に翠とふたりきりになるのが嫌とかじゃないよ、もちろん。たださ……。
「いっぱい遊ぼうね」
「う、うん……」
 かわいいの本当にずるいなぁ。
 夏休み初日なのに、もうドキドキしてしまっている自分に呆れる。このまま一か月くらいこの調子だと心臓が何個あっても足りない……というか、他のファンの人に罪悪感しかない。
 罪悪感をなくすために、必ずや攻めを見つけ、ファンもカップリング推しにさせるという。俺は翠のファンへの心遣いもできる!! なんていい人なんでしょうかね。まぁ口で言うのは……あ、口じゃないわ。想像するのは簡単だが、これを実行できるかっていう話なんですよ。でも、この前の席替えもあと少しだったし。俺ならできる!! 推しのためなら!! 
 無意識に翠の頭を撫でてしまう。
「え?」
「あっ……」
 微笑んだあとに、やってしまったと自分に失望する。
 つい……。
「ご、ごめん」
「全然、というか……」
「え?」
 飲んでいたコップを置いて、流れるように右手を俺の頬に当てながら立つ翠。
「な、なにして……」
 なんで、俺が受け……みたいなことされてるの!?
 手を頬にすりすりさせながら、ずっと黙って見つめてくる彼。
 ただただ見つめられて、沈黙が続く。なぜこんなことをされているのかも、なぜこんなに胸がドキドキして顔が熱いのかもわからずに、耐えきれなくて翠から目を逸らす。
 これは推しとしての感情だから、ドキドキするのは当たり前……。
「あのさ、叶愛……」
 ──プルルル。
「……えあ、俺だ」
 翠の言葉を遮るように、俺のスマホから着信音が聞こえた。
 理由はさっぱりわからないけど、名残惜しそうに翠は手を離してまた椅子に座り戻った。
 ずっと鳴り続けているスマホを手に取って、耳にかざす。
「はいもしも……」
『叶愛〜!! 久しぶり! 今日も一段とかわいいねぇ』
「げっ……」
『げってなに!! まぁそんなとこもかわいいけど』
「黙って」
 開口一番最悪だ……。慌てていたものだから、電話をかけてきた相手をちゃんと見ていなかった。
 よりにもよって兄とか……。今日もブラコンが過ぎてる。ブラコンってレベルじゃない気がするけど。
 翠に会話の内容を聞かれたくなくて、一度部屋を出る。
「なに、こんな時間に」
 もう一度スマホに耳を当てて、聞きたくも、話したくもない相手に言葉を発する。
『ひどいよ〜久しぶりのお兄ちゃんだよ?』
「ちっ……うるさい。用件は? 早くして」
 相変わらず、本当に気持ちが悪い。
 俺の兄……萌木叶真というやつは、俺の実の兄ではないと認識している。というか、人間じゃない。宇宙にいつ帰ってくれるのかな、と小学校低学年のときから思っていた。
『はいはい。かわいい叶愛を怒らしちゃダメだね。……今寮にいるの?』
「そうだけど」
 一言余計だ。真面目に用件を済ませたら早く切りたい。なんでこんな変態とずっと話していなきゃいけないんだ。
 ……どうせ、母さんたちのことだろう。帰省するのとか、寮にいるの、とか。兄さんは家族とも仲が良かったから、俺のように戻るか戻らないかで悩んだりしない。
『今日から夏休み、だよね?』
「うん」
『実家には帰るの?』
 ほらやっぱり。言うと思った。絶対帰れなんて、言うに決まって……。
『じゃあさ、オレ叶愛の寮行ってもいい?』
「…………は?」
 いつものように応えを言わずに、黙っていると想像もしていなかった言葉が返ってきた。
『大学からすぐそこだし、夏休みだから顔みたいなって。会えなくて寂しいんだよぉ』
「……はぁ?」
 最後の一言は気持ち悪いけど無視して、言葉の意味を理解する。
 たしかに、兄さんが通っている大学はここの高校の付属だし、来ようと思えば来れるけど。
「いやに決まってんじゃん。ダメ! きもい!!」
 翠も帰省しないのに、上がらせるわけいかない。
 上がらせる前に会わないけどね! 会いたくないもんあんなやつに。
『え? ちょ、ちょっとでいいから!』
「いやなものは嫌だ! もう寝るから!! じゃあね!」
 勢いのまま通話を切る。あいつのせいでせっかくの推し活時間が台無しだ。
 ちゃんと断ったはずなのに、秒で兄さんからメッセージ来た。遊びに行くねって……ただのおじさんにしか見えなくなってきた。しかもご丁寧に絵文字まで付いてるし。こういうのは既読無視するのが最適。兄さんに返信をしないままスマホをポケットの中に入れた。
 内心疲れ果てながら部屋の扉を開けたけど、翠は「遅かったね」と言って、なにも追求せずに眠ってしまった。
 本当に、優しいなぁと思うけれど、こればかりは翠に黙ってはいけない。多分、いや絶対来なくはさせるけど、万が一のためにね。あんなやつと推しを合わせて溜まるものか。

「ねぇ、叶愛、これからなにするか、わかってる?」
「い、いや……なに、するの?」
 夏休みが始まってからはや数週間、ただただ寮で推しをいつものように拝んだり、碧くんと会ったり、翠とお話したりと学校に行っているときと、ほぼ変わらない時間を過ごしていた。
 ……なのに。
「本当、叶愛は無自覚だなぁ」
「な、なにどうしたの?」
「だーかーら! やるんだよ?」
「えっ……?」
 なぜかベッドと勉強机の真ん中にある小さな机に、翠と向かいあわせで座らせられているのだ。
 今の翠は俺の真ん前で一歩間違えたら顔が……。それに、頬杖を付いて目がとても色っぽい。イケメンすぎてなにも言えない……。
 なにするんだろ……。こんなときでも俺のBLフィルターが反応して、こういうときは必ず甘い空気になるという……。
「夏休みの宿題!! 叶愛、全然手つけてないでしょ?」
「……」
 なんだっけそれ。この世にそんなもの存在したっけなぁ。あはは。
「叶愛?」
「ん〜……わかんない」
 結局推しに負けて、やりたくなんてないものをやっている。
 夏休み前の授業は、好きな科目以外──好きな教科なんて美術くらいしかないけど──ほぼ毎日翠を見ていたために、宿題の内容がすっからかんだ。テストの点数は赤点ギリギリでしのげたのに。
「どこわかんないの?」
「えっと、ここ」
 翠は、勉強をするときだけ眼鏡をかけていて、それはそれは美しいのである。それに見とれて課題なんてほぼやっていない。ただ近くで翠の顔を見たいだけ。
 ……本当は、胸の鼓動が鳴り止まない。だって、最近の翠、なんかおかしいんだもん。攻めよりの受け? みたいな。
「あーここはね、この公式を当てはめて……」
「っ……」
 あ、やばい。
 今、翠の手が俺の指に触れるのと同時に、肩もぶつかってしまった。その、痛いとかいうぶつかるじゃなくて。
「ご、ごめん」
「……う、ううん」
 赤い顔を隠すように、ノートへと視線を移した。
 あードキドキし……。
「え?……す、翠?」
 そう思った途端に、翠は俺の片方の手を握ってきた。なにをされているのか本当に意味がわからない。
「いや?」
「……いやじゃないけど」
 そう、嫌じゃないんだ。嫌なわけがないんだけれども。
 不思議な子すぎないか? なんで急に手なんて握ってくるの? それに、なぜかドキドキしてしまっている自分がいるという……。なんでだぁぁ。
 これは、推しとして、推しとして。
「けど?」
「……えっと……」
 その真っ直ぐな瞳に、吸い込まれそうになる。
 彼が見る俺はどう映っているのかは、まだ全然わかっていない。
 最近は夏休みのせいで翠の攻めもまともに決まっていないし。
「ねぇ、今は俺以外のこと考えな……」
「あ! 電話きた!……って、またあいつか」
 しばらく沈黙が続いたあと、翠がなにかを言いかけたけど、またもや兄さんから電話がかかってきた。
 ここのところ毎日電話やメッセージを送られてくる。鬱陶しくてしょうがない。……しつこい男は嫌われるぞ、ってもう嫌ってるんだった。
「それ、前言ってたお兄さん?」
「う、うん。ここの付属大学に通ってるんだ。……すっごい過保護でちょっと鬱陶しいというか」
「ふーん」
 言葉を遮られたことが気に食わなかったのか、目の前の彼は唇を尖らせながら俺のスマホを除く。むすっとしていてかわいい。
 なんだか久しぶりに会った親戚のような目で翠を眺めていると、彼の目がいきなりひきつった。
「どうしたの?」
 まだ俺のスマホを見つめている彼に問いかける。
 俺のスマホの中なんて、なにもやましいものはないし、推しカプのものだって、パスワードを入れないと見れない。ましてや、俺の秘密はなにもないし、つまらないだけだろうから、そんなに見なくてもいいのに。
「いや……大丈夫なの?」
「なにが?」
「これ……」
「え?」
 スマホの画面を俺に指さす翠。それは、兄さんとのメッセージのやり取り画面で、今通知が来て……。
「って、えぇぇ!?」
「ちょ、大丈夫?」
 びっくりしすぎてスマホを落としながら立ち上がってしまった。
 その画面に映しだされていたのは……。
「兄さん明後日来ちゃうの!?」
 兄さんの大量の気味が悪い文章とともに、明後日絶対行くからねというお言葉がつづられていた。
「叶愛落ち着いて……」
 どうしようどうしよう。翠もいるのに……。
「ご、ごめんなさい。俺のせいで翠まで巻き込んじゃうかもしれない」
 安心して夏休みが送れると思ったのに。
 翠の前で正座して、土下座をしようとする俺の肩を翠は持った。
「大丈夫だよ。それに、ちゃんと挨拶もしたいし……」
「え?」
 顔を逸らしながらボソッと呟く彼に首をかしげる。
 挨拶……? あんまり探るのはよくないし、気にしないでおこう。
「ううん。俺は大丈夫だから。せっかくの夏休みなんだし」
「う、うん。ありがとう」
 誰もを惚れさせる微笑みを見せて机に視線を落とした彼。
 ……翠は、いつも優しすぎるよ。俺は、この優しさにいつも甘えていつも翠に頼ってしまっている。推しにもうこんなにしてもらっているのに、オタクがなにもしないなんてそんなの最低すぎる! こうなったら、絶対に、兄さんの訪問……いやあいつに会うことでさえ阻止しなきゃ。これ以上翠に迷惑かけられない。
 そう思ってなにもわからない宿題に目を落とす。

 あれからというものの、兄さんからの連絡は全部未読無視にして、しつこいときは電話に出て断り続けてるけど……。
「なんで折れないんだ!!」
 何回も断ってたら、「叶愛に嫌われるのは嫌だから今回は諦める」とでも言ってくれると思ったのに。
 もうなんなんだ……。勘弁してくれ。
「ん~叶愛おはよ~」
 それに、問題はもう一つある。それは……。
「ち、近いよ」
「そう? 今日は遊びに行くんでしょ? 早く帰ってきてね」
「え、えっと……夕食までには、ね」
 異様に翠と距離が近いのである。兄さんとのことがあってから、毎日この調子。今だって、キッチンに立っていたら、後ろから寝起きの彼が抱き着いてきた。
 こういうのって、付き合ってから……というか攻めにするものじゃないのか?
「じゃあ翠、行ってくるから」
「ん。気をつけてね」
「うん!」
 翠には関係ないはずなのに、いつ誰とどこでなにをするのかを問い詰められた昨日の記憶がよみがえる。
 ちなみに、今日は碧くんと久しぶりに会うつもりだ。楽しみだな。
 部屋のドアノブに手をかける。
「あ、待って」
「え?」
 慌てて手を下ろして振り向くと、瞬きをする間もなく翠に引っ張られて抱き寄せられる。
「ま、……な、なにして」
「早く帰ってきて」
「う、うん」
 ……やっぱり、俺のこと攻めだと勘違いしてないか!? なんで付き合ってもないのに、ましてや神と凡人の関係なのに抱き合ったりする? いやいやそれじゃまるで俺が翠と付き合いたいみたいになっちゃう。
 翠の胸に頭を寄せると、ドクドクと心臓の音が聞こえた。これって、翠の……?
「あの、翠……」
「叶愛が迷子にならないようにおまじないかけておく」
「迷子!?」
 そう言うと翠は俺の背中をさすった。
 おまじないなんてかけなくても今の時代、スマホがあれば迷子になんてならないのに。
 まさか、地図も読めないと思ってる?
 当たり前のように身体を離して、当たり前のように、見送られた。
「行ってらっしゃい」
「う、うん」
 手を振りながら、もう一度ドアノブに手をかけ扉を開ける。
「俺のことだけ見てればいのに……」
 後ろでなにかを呟いている翠にも気付かずに。


 次の日の朝、今日は兄さんがやってくるかもしれないと言うのに遅くまで眠っていた。
 しかも、翠に早く帰ってきてと言われたにも関わらず、結局寮に入ったのは夜の十時過ぎ。もう翠は眠っていた。
「ねぇ、叶愛」
「……ん、んぅおは……よ!?」
 慌てて飛び起きると、目の前に翠がまたがっていた。しかも、手を握られている。
「なんか電話鳴ってるよ?」
「え? あほんとだ……」
 机の上を見ると、多分兄さんからであろう電話の着信が鳴っていた。
 いやいやいやなんでこの状況に冷静なの俺は。
「あ、あの、とりあえず降りてくれない……?」
 今日来るかもしれないんだし、今回くらいは電話に出たい。本気で断るしかないし。
「いやだ」
「なんで……」
 なに、この俺が押し倒されてますみたいな。
 翠は押し倒される側でしょ。
 ただのオタクなのに、なぜ翠は俺に構ってくれるのか。不思議だったけど、考えてもしょうがないと諦めていたことが今になってまた頭から降りてくる。
「だって、叶愛が昨日遅かったから」
「そ、それは……ごめん。ちょっと電車が遅れてて」
「でも、寂しかった」
「ごめんね」
 甘えたがり屋さんだ……といつものように思い込むしかない。
 腕を掴まれながら、離そうと身動きをとるけど、力が強くて中々離してくれない。ただただ真っ直ぐに俺を見つめてくるだけだった。
 恥ずかしくて目を泳がしながら、机の上にあるスマホが目に入って、兄さんのことを思い出す。
「あ、あの電話させて?」
「……三秒で終わらせて」
「え? あ、うん」
 腕と身体が解放されて、やっとベッドから降りられる。
 ……別にいやだった訳じゃないよ? 断じてないけどさ。俺にやることじゃないだろ。翠にはもっといい人がいるんだから。最近翠が俺にべったりなので──自意識過剰すぎて恥ずかしいが──中々攻めも見つからない。夏休みだし、そう上手くは行かないよな。
 今日何度目かわからないため息をついたあとスマホを片手に部屋を出る。
 後ろからの視線が痛かったけど、恐る恐る兄さんに電話をかけるとワンコールもしないでプツッと音が切れた。
「もしも……」
『叶愛!? 叶愛からかけてくるなんて珍しい……お兄ちゃん嬉しい!! 泣いちゃう』
 相変わらず気持ち悪い。早く用を済ませたい。
「あーあー。今日まじで来るの? 来なくていいから。というか来ないで」
『えーなんでよー。オレ高校生の叶愛に会いたいぃ』
「うっさい。正月には帰省するから。この部屋には推しが……」
『え?』
 正月に帰ることは嘘だ。そうでもしないと説得できない。
 ……今はそれどころではなくて、推しの存在を言ってしまった……。こいつだけには腐バレしたくなかったのに。自分に、ついでに兄さんにもがっかりしてドアの前にしゃがむ。
「……いやなんでもないから! とにかく、来ないで」
『なに? 推し? お兄ちゃんそんなの聞いてな──叶真!! レポート終わってないだろ。またいつものブラコン?』
 地獄の事情聴取が始まることを阻止してくれたのは、多分兄さんと同部屋の司波さんだ。
 ……助かった。これで多分当分兄さんはこっちに来ない。兄さんのルームメイトはスパルタだから、課題に追わす毎日になるだろう。
「あ、司波さん、ありがとうございます。お世話になってます。叶愛です」
『あ、叶愛くん。こいつレポートぶっ続けにさせるから。多分そっちには行かないよ。ごめんね』
「そうですか」
 命拾いをした……。
 安堵の息を吐くのと同時に、電話越しにバタバタという音が響いた。兄さんが暴れているんだろう。
『無理! 絶対会うから! 叶愛に会えない夏休みなんていらない……』
「あ、じゃあ兄さんのことよろしくお願いします。もう連絡はしなくても平気です失礼します。」
『バイバーイ。──あ、ちょ叶愛!』
 勢い任せに通話を切る。
 司波さんには感謝しかない。兄さんが来ないんだ。嬉しすぎてやばい。あんなやつ二度と会いたくないし。
「翠〜! 兄さん、もう来ないって!」
「そ。よかったね」
 扉を開けると翠が俺のベッドを整えてくれていた。
「……夏休み中はずっと二人きりでいられるね」
 俺はまだ知らない。彼が言った言葉の意味も、彼の考えていることも。

 なんだかんだあって夏休み最終日。
「夏休みって、なーんでこんなに早いんだろ」
 昨日碧くんの部屋に行っていたら、漫画を忘れてしまい、取りに行った三年寮からの帰り道。
 おすそ分けにお菓子も貰ってしまって、袋を覗きながら歩く。
 ほぼ毎日昼間は、翠と一緒に課題に追われたり、近くのコンビニに行ったり。本当になにもなかった数週間だった。夜のことは……言えない。ただ尊い漫画を見ていただけで。
 でも、そんなつまらない夏休みも翠が居たからとても楽しく感じられた。ハプニングも何回か起きたけれど、全部水の泡に流している。
 きっと、翠の冗談だと信じて。何度も翠の思いがけない行動にはドキドキが止まらないけれど、これはオタクとしてだから。推しに胸が高鳴るのは当たり前。だって、前まで人間を単体で推したことなかったもん。ずっと推しカプ一筋だったし。
 そう言い訳しながら袋をぐるぐると回す。不思議なことは考えたってなんにもならないし。考えないようにしとこーっと。
「あれ、もしかして、篠宮翠……のルームメイト?」
「え?」