今日も推しが尊い。一日何回唱えているだろうという言葉を、またもや翠を見ながら想う。
理科の授業中、華麗に実験をしている翠をまじまじと見つめていると、薬品を零しそうになった。
「ちょっ! 萌木くん!」
「あっ……」
危ない危ない。紫音にぶっかけるところだった。それはそれで面白いかも、なんてことを考えていても、流石に先生に怒られそうなので、名残惜しいが翠から目を離す。
「ほんまにしっかりしてや。怪我するで?」
怪我をしそうというか、犠牲になりそうだったのは紫音のほうだけどな!
「ご、ごめん……。寝不足で」
そんなことは置いておいて、寝不足はまぁ嘘だ。
ここ最近、紫音には怒られてばかり。 あまりにおせっかいなので、周りからは「親子か」とか、「結城おかん」なんて言われたりして日々落胆している。自分が悪いことはよくわかってる。
「毎晩なにやっちょんねん」
「まぁ、色々」
流石に翠の攻めを探してます、とは言えない。
内心で苦笑いしながら、先生の話していることをメモするというていで翠の授業中観察をメモする。
えーと、翠はよくペン回しをする癖があり、ちゃんと授業は聞く派っと……。どこから見ても、完璧なビジュと攻めにだけデレる性格間違いなしの顔立ち。ずっと見てられる。まぁ言われなくてもずっと見てるけど。
「はい。ではもう少しでテスト期間なので、ちゃんと勉強しておくように。それでは終わります」
先生の盛大な耳に刺さる言葉で、波乱の四限目が終わった。早く購買に行きたい、お腹すいた……と言っている暇もなく、もう中間テストが三週間後に迫っていた。
「どうしようかなぁ……」
勉強する気が湧かない。俺は知っている。テスト勉強をしていても、必ず五分おきには推しカプの供給をしてしまうことを。
半ばすでに諦めながら廊下をぽつりと歩く。お腹すいたけど、食べる気力ないなぁ。こういうときこそ推しの供給を……。
「よっすー! 購買行かへんの? いつもこの時間帯ならむっちゃ張り切っとるのに珍しいな。てか、うちを置いていかへんといてや!」
「いや、お前じゃないよ……」
「は? 」
購買に行く気もなくなって、教室の隅っこの席でお弁当の蓋を開ける。今日碧くんは生徒会があるそうなので一緒には食べれないそう。
紫音も紫音で陽キャのところ行っちゃったし。なんなんだ。開口一番がむかつく言葉で、すぐどこかに戻るとか。
交友関係広くて羨ましい、と遠い目で一軍たちの群がりを見る。
「叶愛」
「んぎゃ!?」
「え? ……ふっ」
後ろで名前を呼ばれたかと思えば、俺はとてつもなくきもい声と顔を出してしまった。
……なんだ、翠か。じゃなくて! 最悪だ。
唖然としている中で、翠は俺の反応につぼったらしく、なぜか爽やかにずっと笑っている。こういうところも絵になりますな。周りの女の子も翠の珍しい表情に騒いでるし。
「あの、大丈夫?」
「あっははっ……あ、ごめん、一緒にお昼食べない?」
「うん! ……ってえ?」
ん……? イッショニゴハンタベナイ?
頭を整理するために、一旦フリーズする。一旦落ち着こう俺。一旦ね一旦……。
「おーい。だーかーら、一緒にお昼食べようって」
ということは、お供するという捉えで合ってる?
「……ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
「けど?」
うっ……。そんな捨てられた犬みたいな顔されたら、断れるわけないじゃん。断る気は微塵もないけど。
「い、いや……も、もちろんいいよ!」
流れるようにお弁当を机の端に寄せて、翠の場所を作る。とても喜びを隠せていない翠は、自分の椅子を俺の机に持ってきて座った。
なぜいつも一緒に食べている陽キャたちとは食べないのか。 不思議に思い、じっと見つめる。
「なに?」
「え……いや、なんでただのルームメイトの俺に構ってくれるのかなって」
こっち側からしたらこれほどまでに嬉しいことはないのだが、翠からしたらメリットはゼロ以下だろうに。
「え? いや、それは……」
「ねぇ、定期テスト前に席替えあるらしいよ!」
「えまじ!?」
翠の言葉をかき消すように聞こえたクラスメイトの大きな声。
いつもの一軍陽キャで間違えなかったらしい。
「でも席替えの仕方はまだ決めてないみたい」
「じゃあ、オレたちが頑張れば自由席になるかもってことか!?」
「なにそれ最高だろ」
翠も、さっきのことがまるでなかったかのようにクラスメイトの方を見る。
確かに席替えって重要だからな。そこで運命的な出会いが始まるかもしれないし。
「席替えか……まぁ別に今の席でもいいけど」
「でも、新しい友達とかできるかもよ!」
「……そう?」
おにぎりを美味しそうに食べる彼は、口元に米の粒が付いている。
本人は気づいていないようなので、俺がジェスチャーで、「付いてるよ」と言うと、恥ずかしそうに手を頬に当てた。
こういうところも本当にかわいいんだよなぁ。
とはいえ、席替えに興味を持たないとは。こういうので運命が始まるのもいいな。
「叶愛は楽しみなの?」
「え? うん!」
「そ……」
最近翠の様子がおかしい。俺がなにか言うと、すぐに顔を逸らされる。なぜだろうか。まぁかわいいからなんでもいいんだけど。
……実を言うと、自分自身の席替えが楽しみなわけではない。みなさんご存知の通り、俺はただ最高のBLを見たいだけである。
「本当に、楽しみだな」
ん? 待てよ。お弁当を食べていた箸を置き、ふと先程クラスメイトが言っていた言葉を思い出す。
席の決め方が決まっていない……ということは、ということはだよ。翠を、今狙っている攻めと隣にできるんじゃ……?!
自意識過剰に過ぎないけど、最近翠は俺にベッタリなので、自由席だったら、最後までふたり余り、俺が先に決めてしまうと翠はもう、一つの席しか余っていない……と、いうことは!! 俺がなんとか相手の決める席を予想して、翠を隣……いや、近くにすれば!! 目と目が通じあって、恋に発展するのでは!?
早速計画に取り掛かるために、まずは碧くんに連絡を入れたが、その間の翠からの眼差しがかわいくて仕方なかった。気づかない振りをするのが大変すぎた。
それからというものの、テスト勉強という存在を脳みそのうち半分以上忘れ、先生からの好感度をあげていた。なんでかって? そりゃ好感度を上げて、そのあとに、席替え自由席がいいですっ! なんて言ったら即了承をくれるかと思ったからだ。なんてたって、俺のクラスの担任、めっちゃチョロそうだったもん。まだ半年も経ってないとは言わないでくれ。
今夜はもし自由席になれたときのために、攻め候補を最小限に絞っている。
「まーたやってる。……そんなに楽しい?」
「あ、まぁうん」
眠そうなのに、まだ眩しさ全開で部屋に入っくる翠。しかもお風呂上がり。まさに水も滴るいい男の見本。
何度か一緒にお風呂に入らないかと誘われたが──もちろん自室ではなく寮の中に入っている、大浴場。と言っても部屋にもお風呂はあるけど───流石に推しの……ねぇ、うん。もちろん見たい気満々だけど、一緒になんか入ったらジロジロ見てしまうに決まっている。いや変態なのはわかってるよ? わかってるけど、ポーカーフェイスが上手くない俺には隠すことなど無理なのである。見なければいい話だと思うじゃん? 俺には無理なんです、どうしたって。何年あぁいう本を見ていると思って……。あ、もちろんBLしか受け付けていないんで。
「ふぅん……構ってくれないのか」
なにか翠が呟いた気がするけれど、最後のセリフだけボソボソ過ぎてなにも聞き取れなかった。むやみに探るものじゃないし、なかったことにしておこう。
翠って本当にいい体してるな……。服の上からだったらバレないし、俺はまだ白いシャツに透けたエロい身体を見るだけで十分。って、話が逸れちゃったけど、もし今見つけたクラスメイトの子が翠の隣になって仲が良くなったら、最後まで後押しして、そういう場面も見たいなぁとかね、日に日に思う。
「テストは平気なの? 俺なんか教えるけど」
そんな呑気なことを考えいると、タオルで髪を覆いながら翠がベッドの上に座った。ちなみに、翠は二段ベッドの下で俺が上だ。毎日苦労しているけど、上から見る翠の寝顔はどんな高級料理よりも美味しい。……食べないから安心して。
「あーテスト……」
勉強のこと、なんにも考えてなかったけど、そっか。もう勉強に集中していいから授業の時間多くないんだった。かと言って、翠に教えてもらうなんてそんな……。
「いやいやいや! 翠に教えてもらうなんて恐れ多すぎるよそれは!」
唐突なお誘いにしどろもどろしてしまうのは、無理ない……よね?
「いや、全然いいし」
「いいぃやいいや!! 」
翠は優等生なんだから、俺のことより自分のことを気遣った方がいいと思う。
数秒いやいやの口論が続いたあと、先に折れてくれたのは翠だった。
「……わかった。じゃあ気が向いたら言って。なんでも教えるから」
……なんていい子なんだ。天使か。俺がこんなにもわがままでお子様なせいで……。
必ずいい旦那を見つけてやるからな。待ってろよ。
「う、うん……! ありが、とう」
これだから、攻めを早く見つけなければ変な大人が寄ってきてしまう。
そう、そのために俺は、必ずや翠の攻め……恋人を探さなければいけない! こうなったら、絶対先生に勝ってやる!
「よし……っもうひと踏ん張りしますか!」
疲れきったことも忘れて、もう一度椅子に座り直す。翠はもう寝そうだし、静かにしていよう。
「……本当にそういうとこ、ずるいな……」
……んぇ?
ベッドの方で、翠がなにかをボソッと呟いた気がした。独り言多いよなぁ翠って。
いつも通り振り向くけど、寝てしまっていたのでいつも通り気のせいだ。
不思議な現象に違和感を覚えながらも、マウスを動かした。
「先生それ、手伝いますよ! 絶対重いですから」
「あ、あぁ萌木くん、いつもありがとうね」
「いえ。こんなこと、お茶の子さいさいですよ」
ついに席替えの日の前日となった日。俺は毎日少しずつ、先生からの好感度を上げるために荷物を持ったり、遅くまで書類などの整理を手伝だっていた。今日も、大荷物を抱えた担任の先生の腕から半分以上の書類を持つ。
「ごめんね遅くまで。テストも近いのに、勉強できないよね」
「全然大丈夫です! 空いた時間にコツコツやってるんで」
真っ赤な嘘だけど。最近赤色が桃色になってきているのでセーフだ。
しかーし! 実は、空いた時間に少しだけ翠に勉強を教えてもらっていたのである。……翠に見とれすぎて、大事なことがなにも頭に入ってこなかったことは触れないでおこう。
「それそこに置いておいてね」
「はーい!」
さっきのことを誤魔化すように息を吐く。
今日は重大な日なので、深呼吸してもおかしくないだろう。だって、俺は今まさに、最終関門を進んでいるから。毎日積み重ねてきた先生からの好感度、心遣いを無駄にしないために、今日。そのときが来た。
翠といい感じな攻めをくっつけるために。先生という最後の扉を突破しなければ。 ちなみに、まだ検討中で席での様子を見ながら計画を進めるのだが、その攻めの名は……星野光だ! クラスでも翠に続くモテメンで、名前からして陽キャの塊。少しチャラいけど、しっかりものの翠と並んだら完璧。
荷物を職員室の机に置きながら、じっと先生を見つめる。
この先生は二十代後半の年齢なはずなのに、異様に仕草がかわいいのである。ほわほわした雰囲気で、生徒に好かれているのも納得できる。ほら、今も。俺がうろちょろと先生を見つめていたら、コテンとかわいく首を傾げたし。
もちろん翠には負けるけどね!
「どうしたの?」
「え、あいやなんでも……」
そんなことを考えていたものだから、席替えのことがすっかり頭から離れていた。……絶対ダメなんだけどさ。
うーん、やっぱり気になるよね……。でも、こんな職員室のど真ん中で言うのもおかしいし。
周りの先生たちも見ていたから、先生も気を遣って俺と一緒に職員室を出てくれた。
今までの俺の努力を胸に、勇気を出して口を開く。
「あの、明日の席替え……」
「叶愛!!」
「え?」
俺の声は、聞いたことのある人の声でかき消され、先生とふたりで顔を見合わせた。せっかく勇気出したのに。
廊下の奥から見慣れた背丈が寄ってくる。
待てよ。あれはまさか……翠!? どどどうして!? やばい。翠相手なら憎めない。
走り方かわいい……ってそれどころじゃなくて。
「叶愛!」
「あれ、篠宮くん?」
「あ、先生……」
こっちに来たかと思えば、翠は俺の肩に手を置いた。少しだけ息が荒いような気がするけど、走ってきたのかな。ていうか、なにしに来たのかな。翠にまた会えて嬉しいことと、先ほどの会話を続けたい気持ちが交差する。
でもまぁ、今まさに翠に関わることを話そうと思っていたから、聞かれなくてよかったと安堵する。聞かれたら、オタク失格だし。
「すぃ……」
一体なにしに来たのか翠に聞こうとするけど、なぜか先生といい雰囲気でお話し中になってしまっていた。
……先生と生徒のBLも、いい。でもそれなら先生が受けになってしまう……それはどうしても避けたい!
「叶愛、本当に心配したんだよ……」
「……はぇ?」
え。
ぼーっとしているといきなり話をふられてしまい、間抜けな声を零す。
「いつまで経っても帰ってこないから、寮飛び出してきて」
「え!?」
ここが職員室前だとも、先生が目の前にいることも忘れ、大きな声を出してしまう。だって、翠が変なこと言うから。
そんな寂しそうな顔されたら……本当のことだと思っちゃうよ。
「いつもだったらもう少しはやく帰ってくるのに」
「ご、ごめん」
「……すげぇ心配した。なにかに巻き込まれてるんじゃないかって」
「……え?」
翠本人かとは思えないほどの表情と声。ぽかんと口を開けている先生にも気を求めずに、俺の肩を翠は抱き寄せた。
……俺、今なにされてる? 推しと、? ドキドキとか、そんなものじゃない。
ギャップ萌え……今日の翠は甘えたがり屋さんだ。かわいい。身体が熱いのを誤魔化すように、違うことで頭をいっぱいにする。
「もうしないで……?」
「う、うん……」
「遅くなるなら連絡してほしい」
「は、はい」
なんか、ふたりだけの世界みたいな雰囲気になってない? なんでまだ俺、翠に……ましてや推しに抱き寄せられてるの。こんなところ、女の子たちに見られたら俺の命は亡きものだ……。でも、かわいければなんでもよしなので、抱きしめられている理由は考えないことにした。ますます翠を攻めに守らせたくなってきたし。
というか、いちいち翠に連絡するの!? なにやってるのかバレるじゃん。
終わった……。でも、推しの頼みだし、断れない。
「ほんとにふたりは仲良しさんだね」
「え……」
ずっと黙って俺たちを見ていた先生が、急に背後から微笑ましそうに声をかけた。
さっきまでゼロ距離だった翠は、先生に見られていたことを忘れていたのか、びくっと肩を上がらせて体を離した。そんな仕草もかわいいと思ってしまうのは、欲張り……?
「はい。とてもかわいいです」
「ん……?」
返答おかしくないか? 今先生が言ったのは仲がいいかだよね? きっと俺の幻聴だ。幻聴じゃないわけないし。
翠の発言はなかったことにして、先生の言葉に相槌を打つ。仲いいって少しだけ、恐れ多いけど……。否定してないし、ちゃんと受けとってもいいのかな。先生の反応、先生というより近所のおばさんみたいな感じ。まぁどちらにせよ見たことないんだけど。
「篠宮くんも、最近萌木くんといるとき楽しそうだし……」
え……? なにか考えるそぶりを見せる先生は置いておいて、翠の方を見ると、なぜか頬を桃色に染めている。
さっきからわからないこと多すぎて俺の頭の中はてなマークだよ!! どうしてくれるのさ先生!
「……あ! 篠宮くん、萌木くんが隣の席だったらちゃんと授業受けれるのかも。どう?」
「えっ!?」
俺と翠が隣の席……? なんか話違くないか。俺は今翠とお似合いな攻めを隣に……。
「篠宮くん、毎日授業退屈そうだから、萌木くんと隣ならちゃんと受けれるかと思って」
「なにをおっしゃっている……?」
ってか、翠今もちゃんと授業受けてるんですけど。先生の勘違いでは? もしそうだとしても、俺が隣に来たところで多分悪化するだけだよ。だって、オタクだもん。俺からの熱い視線に耐え切れなくて、翠死んじゃう。俺も死ぬ確率二百パーセント。
「ぜひ!!」
……は、? 待って、待って、待って!? なにちゃっかりおっけーしちゃってるの?
なんで翠はそんなに目が輝いてるの!? 俺の目はもうハイライト失ってるよ。
「うん。じゃぁ、明日の席替えは先生が決めるね。安心して? ふたりは隣同志にするから」
「はぁぁ!?!!」
そう言い残して、先生はスキップしながら職員室に入った。
あ、今の反応、絶対俺が翠の隣がいやだ、みたいな感じに思われちゃうな。
「叶愛?」
え、てか、俺の意見通らない感じ? というか、意見言わせてもらえない感じ? 絶対これ確定演出じゃん……。
うぅ、俺の努力が……先生のバカぁぁぁ!! 翠の将来の旦那が決まる最高のチャンスだったのに。がっくりして肩を落とす。
別に星野くん以外にも候補はいたから星野くんにこだわる必要はないんだけどさぁぁ。なんで俺なの。一番意味わかんないじゃん。普通に、嬉しくないわけじゃさらさらないけど、女の子たちからの目線と、俺のプライドが……。
「……帰ろっか」
絶望した声を、なんとか絞り出す。ほしい漫画が、何件店をはしごしても見つからなかったときよりがっかり。もう後がないのに。
学校の廊下から寮への道も、俺の周りだけ空気がどんよりしていた。翠にも気を遣わせちゃってるし。しょうがない、推しに気を遣わせたくないし。強く生きるしかないか。まだ二学期のテストもあるから、そこで巻き返せばいいし。
考えてみれば、席替え以外でも、翠の攻めは探せるじゃないか。俺って世界狭いなぁと自分にもがっかりする。
「あのさ」
「ん?」
歩いている中、ずっと沈黙だったために、耐え切れなくなってしまったかもしれない翠が立ち止まって一声かけた。
きっと、俺が落ち込んでいるから、心配になったんだろう。また気を遣わせてしまったと後悔する。推しのそんな寂しそうな顔みたくないよぉぉ。全部俺のせいだけどさ。
俺、自称翠の受け心オタクとか言ってるけど、なにひとつ翠にできてないな。情けなすぎる……。攻め以外にできることを探さなくちゃ。
「席、いやだった?」
「え……?」
受けの上目遣い……俺の好物トップファイブに入るもの。目がうるうるで、今すぐ攻めを連れてきたい!!
席……ね……。あのあとすぐにへこんじゃったから、翠に勘違いさせちゃったな。
「……いやじゃないけど……」
ただ、なぜ俺が隣だと聞いて、目がキラキラしていたのかだけが気になってしょうがない。
え、まさかパシられる? 翠相手なら、パシリできること自体光栄すぎるけど。翠は超が付くほど人がいいので、そんなことはしないだろう。まさか翠がそんなことすると思った? それはにわかだね。
「そっか。ならよかった。教室でも隣、よろしくね」
「う、うん……」
やはりなぜ彼は、俺の言ったことにそんな嬉しそうなのか。不思議ちゃん受けもたまらなく好きだよそりゃ。だけど、なんでその相手が俺なんだよ! って話。ただのオタクなのに。
さっきまで犬の耳が垂れ下がっていたのに、彼は尻尾を振るようにいかにも嬉しそうな顔で駆け寄ってきてくれた。
……これは、翠の奥深くが知れる日はほど遠そうだ。
翌日、席替えの時間。クラスが動物園のように騒がしくなっている頃、俺は翠の方を見ながらひとりドキドキしていた。本当に本当らしい。もちろん、推しが隣なんて嬉しいのと、他のファンの子に失礼だという若干の罪悪がこもったドキドキだ。今まで隣だった紫音に手を振りながら席を移動する。クラス全員の机の引きずるいやな音も気にならないくらい緊張がなりやまなかった。
「あ、改めてよろしくお願いします」
すでに着席していた翠に声をかけ、深々と頭を下げると、頭上から前も聞いたような笑い声が降ってきた。
「そんなかしこまらなくていいよ。ルームメイトなんだし、今更のことじゃん」
「ま、まぁ」
さりげなくそういうこと言えるの、本当にすごいなと思う。
かと言って、俺が翠の隣だということはまだちゃんと認めてはいない。俺は陰で見守る主義なんだ。……ルームメイトだからもうそれは避けられないけど。
推しが俺で汚れてほしくなくて、机と机との距離をとる。なにかの拍子に手とかが触れたりしたら、たまったもんじゃないし。
そう思っていたのに、翠はどんどん俺との距離を縮めてくる。
「そんな離れなくてもいいのに」
「……そんな近いと俺の頭と胴体が生き別れに……」
「は?」
ほら、やっぱり女子からの視線が辛い。
ごめんね……。敵に回したいわけじゃないのに。いつもいつも、翠のファンには罪悪感を抱きまくっている。
申し訳ないけど、翠はこれから見つける攻めのものなので。
「俺は叶愛の推し、なんでしょ?」
「グハっ……!」
萌木叶愛にクリティカルヒットな表情を見せる彼。……小悪魔の笑顔、いただきました。そして、机に頭を乗せて下から言うという。なんという罪な男……。
心臓打ち抜いてくれましたわ。
「翠って……人にすぐ騙されそうでお兄ちゃん心配」
授業が終わり、なんとか平常心を取り戻して、教科書もろもろを片付ける翠に話しかける。最後はちょっと遊んだだけだから許してほしい。
「そう?」
「うん。すぐに人のこと信じるタイプでしょ」
「そんなことない……と思う」
なんだ今の間は。
ひとの懐にすぐに入ったり、純粋なところも好きだけど、いつか犯罪に巻き込まれたりしたら大変。
はやくこのほわほわ天使姫を攻めに渡さなくちゃ。
「……なに考えてんの?」
「大丈夫、君には最高の王子が待ってるから安心して」
「なに言ってんの……」
こうしちゃいられない。次の計画だ次!!
理科の授業中、華麗に実験をしている翠をまじまじと見つめていると、薬品を零しそうになった。
「ちょっ! 萌木くん!」
「あっ……」
危ない危ない。紫音にぶっかけるところだった。それはそれで面白いかも、なんてことを考えていても、流石に先生に怒られそうなので、名残惜しいが翠から目を離す。
「ほんまにしっかりしてや。怪我するで?」
怪我をしそうというか、犠牲になりそうだったのは紫音のほうだけどな!
「ご、ごめん……。寝不足で」
そんなことは置いておいて、寝不足はまぁ嘘だ。
ここ最近、紫音には怒られてばかり。 あまりにおせっかいなので、周りからは「親子か」とか、「結城おかん」なんて言われたりして日々落胆している。自分が悪いことはよくわかってる。
「毎晩なにやっちょんねん」
「まぁ、色々」
流石に翠の攻めを探してます、とは言えない。
内心で苦笑いしながら、先生の話していることをメモするというていで翠の授業中観察をメモする。
えーと、翠はよくペン回しをする癖があり、ちゃんと授業は聞く派っと……。どこから見ても、完璧なビジュと攻めにだけデレる性格間違いなしの顔立ち。ずっと見てられる。まぁ言われなくてもずっと見てるけど。
「はい。ではもう少しでテスト期間なので、ちゃんと勉強しておくように。それでは終わります」
先生の盛大な耳に刺さる言葉で、波乱の四限目が終わった。早く購買に行きたい、お腹すいた……と言っている暇もなく、もう中間テストが三週間後に迫っていた。
「どうしようかなぁ……」
勉強する気が湧かない。俺は知っている。テスト勉強をしていても、必ず五分おきには推しカプの供給をしてしまうことを。
半ばすでに諦めながら廊下をぽつりと歩く。お腹すいたけど、食べる気力ないなぁ。こういうときこそ推しの供給を……。
「よっすー! 購買行かへんの? いつもこの時間帯ならむっちゃ張り切っとるのに珍しいな。てか、うちを置いていかへんといてや!」
「いや、お前じゃないよ……」
「は? 」
購買に行く気もなくなって、教室の隅っこの席でお弁当の蓋を開ける。今日碧くんは生徒会があるそうなので一緒には食べれないそう。
紫音も紫音で陽キャのところ行っちゃったし。なんなんだ。開口一番がむかつく言葉で、すぐどこかに戻るとか。
交友関係広くて羨ましい、と遠い目で一軍たちの群がりを見る。
「叶愛」
「んぎゃ!?」
「え? ……ふっ」
後ろで名前を呼ばれたかと思えば、俺はとてつもなくきもい声と顔を出してしまった。
……なんだ、翠か。じゃなくて! 最悪だ。
唖然としている中で、翠は俺の反応につぼったらしく、なぜか爽やかにずっと笑っている。こういうところも絵になりますな。周りの女の子も翠の珍しい表情に騒いでるし。
「あの、大丈夫?」
「あっははっ……あ、ごめん、一緒にお昼食べない?」
「うん! ……ってえ?」
ん……? イッショニゴハンタベナイ?
頭を整理するために、一旦フリーズする。一旦落ち着こう俺。一旦ね一旦……。
「おーい。だーかーら、一緒にお昼食べようって」
ということは、お供するという捉えで合ってる?
「……ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
「けど?」
うっ……。そんな捨てられた犬みたいな顔されたら、断れるわけないじゃん。断る気は微塵もないけど。
「い、いや……も、もちろんいいよ!」
流れるようにお弁当を机の端に寄せて、翠の場所を作る。とても喜びを隠せていない翠は、自分の椅子を俺の机に持ってきて座った。
なぜいつも一緒に食べている陽キャたちとは食べないのか。 不思議に思い、じっと見つめる。
「なに?」
「え……いや、なんでただのルームメイトの俺に構ってくれるのかなって」
こっち側からしたらこれほどまでに嬉しいことはないのだが、翠からしたらメリットはゼロ以下だろうに。
「え? いや、それは……」
「ねぇ、定期テスト前に席替えあるらしいよ!」
「えまじ!?」
翠の言葉をかき消すように聞こえたクラスメイトの大きな声。
いつもの一軍陽キャで間違えなかったらしい。
「でも席替えの仕方はまだ決めてないみたい」
「じゃあ、オレたちが頑張れば自由席になるかもってことか!?」
「なにそれ最高だろ」
翠も、さっきのことがまるでなかったかのようにクラスメイトの方を見る。
確かに席替えって重要だからな。そこで運命的な出会いが始まるかもしれないし。
「席替えか……まぁ別に今の席でもいいけど」
「でも、新しい友達とかできるかもよ!」
「……そう?」
おにぎりを美味しそうに食べる彼は、口元に米の粒が付いている。
本人は気づいていないようなので、俺がジェスチャーで、「付いてるよ」と言うと、恥ずかしそうに手を頬に当てた。
こういうところも本当にかわいいんだよなぁ。
とはいえ、席替えに興味を持たないとは。こういうので運命が始まるのもいいな。
「叶愛は楽しみなの?」
「え? うん!」
「そ……」
最近翠の様子がおかしい。俺がなにか言うと、すぐに顔を逸らされる。なぜだろうか。まぁかわいいからなんでもいいんだけど。
……実を言うと、自分自身の席替えが楽しみなわけではない。みなさんご存知の通り、俺はただ最高のBLを見たいだけである。
「本当に、楽しみだな」
ん? 待てよ。お弁当を食べていた箸を置き、ふと先程クラスメイトが言っていた言葉を思い出す。
席の決め方が決まっていない……ということは、ということはだよ。翠を、今狙っている攻めと隣にできるんじゃ……?!
自意識過剰に過ぎないけど、最近翠は俺にベッタリなので、自由席だったら、最後までふたり余り、俺が先に決めてしまうと翠はもう、一つの席しか余っていない……と、いうことは!! 俺がなんとか相手の決める席を予想して、翠を隣……いや、近くにすれば!! 目と目が通じあって、恋に発展するのでは!?
早速計画に取り掛かるために、まずは碧くんに連絡を入れたが、その間の翠からの眼差しがかわいくて仕方なかった。気づかない振りをするのが大変すぎた。
それからというものの、テスト勉強という存在を脳みそのうち半分以上忘れ、先生からの好感度をあげていた。なんでかって? そりゃ好感度を上げて、そのあとに、席替え自由席がいいですっ! なんて言ったら即了承をくれるかと思ったからだ。なんてたって、俺のクラスの担任、めっちゃチョロそうだったもん。まだ半年も経ってないとは言わないでくれ。
今夜はもし自由席になれたときのために、攻め候補を最小限に絞っている。
「まーたやってる。……そんなに楽しい?」
「あ、まぁうん」
眠そうなのに、まだ眩しさ全開で部屋に入っくる翠。しかもお風呂上がり。まさに水も滴るいい男の見本。
何度か一緒にお風呂に入らないかと誘われたが──もちろん自室ではなく寮の中に入っている、大浴場。と言っても部屋にもお風呂はあるけど───流石に推しの……ねぇ、うん。もちろん見たい気満々だけど、一緒になんか入ったらジロジロ見てしまうに決まっている。いや変態なのはわかってるよ? わかってるけど、ポーカーフェイスが上手くない俺には隠すことなど無理なのである。見なければいい話だと思うじゃん? 俺には無理なんです、どうしたって。何年あぁいう本を見ていると思って……。あ、もちろんBLしか受け付けていないんで。
「ふぅん……構ってくれないのか」
なにか翠が呟いた気がするけれど、最後のセリフだけボソボソ過ぎてなにも聞き取れなかった。むやみに探るものじゃないし、なかったことにしておこう。
翠って本当にいい体してるな……。服の上からだったらバレないし、俺はまだ白いシャツに透けたエロい身体を見るだけで十分。って、話が逸れちゃったけど、もし今見つけたクラスメイトの子が翠の隣になって仲が良くなったら、最後まで後押しして、そういう場面も見たいなぁとかね、日に日に思う。
「テストは平気なの? 俺なんか教えるけど」
そんな呑気なことを考えいると、タオルで髪を覆いながら翠がベッドの上に座った。ちなみに、翠は二段ベッドの下で俺が上だ。毎日苦労しているけど、上から見る翠の寝顔はどんな高級料理よりも美味しい。……食べないから安心して。
「あーテスト……」
勉強のこと、なんにも考えてなかったけど、そっか。もう勉強に集中していいから授業の時間多くないんだった。かと言って、翠に教えてもらうなんてそんな……。
「いやいやいや! 翠に教えてもらうなんて恐れ多すぎるよそれは!」
唐突なお誘いにしどろもどろしてしまうのは、無理ない……よね?
「いや、全然いいし」
「いいぃやいいや!! 」
翠は優等生なんだから、俺のことより自分のことを気遣った方がいいと思う。
数秒いやいやの口論が続いたあと、先に折れてくれたのは翠だった。
「……わかった。じゃあ気が向いたら言って。なんでも教えるから」
……なんていい子なんだ。天使か。俺がこんなにもわがままでお子様なせいで……。
必ずいい旦那を見つけてやるからな。待ってろよ。
「う、うん……! ありが、とう」
これだから、攻めを早く見つけなければ変な大人が寄ってきてしまう。
そう、そのために俺は、必ずや翠の攻め……恋人を探さなければいけない! こうなったら、絶対先生に勝ってやる!
「よし……っもうひと踏ん張りしますか!」
疲れきったことも忘れて、もう一度椅子に座り直す。翠はもう寝そうだし、静かにしていよう。
「……本当にそういうとこ、ずるいな……」
……んぇ?
ベッドの方で、翠がなにかをボソッと呟いた気がした。独り言多いよなぁ翠って。
いつも通り振り向くけど、寝てしまっていたのでいつも通り気のせいだ。
不思議な現象に違和感を覚えながらも、マウスを動かした。
「先生それ、手伝いますよ! 絶対重いですから」
「あ、あぁ萌木くん、いつもありがとうね」
「いえ。こんなこと、お茶の子さいさいですよ」
ついに席替えの日の前日となった日。俺は毎日少しずつ、先生からの好感度を上げるために荷物を持ったり、遅くまで書類などの整理を手伝だっていた。今日も、大荷物を抱えた担任の先生の腕から半分以上の書類を持つ。
「ごめんね遅くまで。テストも近いのに、勉強できないよね」
「全然大丈夫です! 空いた時間にコツコツやってるんで」
真っ赤な嘘だけど。最近赤色が桃色になってきているのでセーフだ。
しかーし! 実は、空いた時間に少しだけ翠に勉強を教えてもらっていたのである。……翠に見とれすぎて、大事なことがなにも頭に入ってこなかったことは触れないでおこう。
「それそこに置いておいてね」
「はーい!」
さっきのことを誤魔化すように息を吐く。
今日は重大な日なので、深呼吸してもおかしくないだろう。だって、俺は今まさに、最終関門を進んでいるから。毎日積み重ねてきた先生からの好感度、心遣いを無駄にしないために、今日。そのときが来た。
翠といい感じな攻めをくっつけるために。先生という最後の扉を突破しなければ。 ちなみに、まだ検討中で席での様子を見ながら計画を進めるのだが、その攻めの名は……星野光だ! クラスでも翠に続くモテメンで、名前からして陽キャの塊。少しチャラいけど、しっかりものの翠と並んだら完璧。
荷物を職員室の机に置きながら、じっと先生を見つめる。
この先生は二十代後半の年齢なはずなのに、異様に仕草がかわいいのである。ほわほわした雰囲気で、生徒に好かれているのも納得できる。ほら、今も。俺がうろちょろと先生を見つめていたら、コテンとかわいく首を傾げたし。
もちろん翠には負けるけどね!
「どうしたの?」
「え、あいやなんでも……」
そんなことを考えていたものだから、席替えのことがすっかり頭から離れていた。……絶対ダメなんだけどさ。
うーん、やっぱり気になるよね……。でも、こんな職員室のど真ん中で言うのもおかしいし。
周りの先生たちも見ていたから、先生も気を遣って俺と一緒に職員室を出てくれた。
今までの俺の努力を胸に、勇気を出して口を開く。
「あの、明日の席替え……」
「叶愛!!」
「え?」
俺の声は、聞いたことのある人の声でかき消され、先生とふたりで顔を見合わせた。せっかく勇気出したのに。
廊下の奥から見慣れた背丈が寄ってくる。
待てよ。あれはまさか……翠!? どどどうして!? やばい。翠相手なら憎めない。
走り方かわいい……ってそれどころじゃなくて。
「叶愛!」
「あれ、篠宮くん?」
「あ、先生……」
こっちに来たかと思えば、翠は俺の肩に手を置いた。少しだけ息が荒いような気がするけど、走ってきたのかな。ていうか、なにしに来たのかな。翠にまた会えて嬉しいことと、先ほどの会話を続けたい気持ちが交差する。
でもまぁ、今まさに翠に関わることを話そうと思っていたから、聞かれなくてよかったと安堵する。聞かれたら、オタク失格だし。
「すぃ……」
一体なにしに来たのか翠に聞こうとするけど、なぜか先生といい雰囲気でお話し中になってしまっていた。
……先生と生徒のBLも、いい。でもそれなら先生が受けになってしまう……それはどうしても避けたい!
「叶愛、本当に心配したんだよ……」
「……はぇ?」
え。
ぼーっとしているといきなり話をふられてしまい、間抜けな声を零す。
「いつまで経っても帰ってこないから、寮飛び出してきて」
「え!?」
ここが職員室前だとも、先生が目の前にいることも忘れ、大きな声を出してしまう。だって、翠が変なこと言うから。
そんな寂しそうな顔されたら……本当のことだと思っちゃうよ。
「いつもだったらもう少しはやく帰ってくるのに」
「ご、ごめん」
「……すげぇ心配した。なにかに巻き込まれてるんじゃないかって」
「……え?」
翠本人かとは思えないほどの表情と声。ぽかんと口を開けている先生にも気を求めずに、俺の肩を翠は抱き寄せた。
……俺、今なにされてる? 推しと、? ドキドキとか、そんなものじゃない。
ギャップ萌え……今日の翠は甘えたがり屋さんだ。かわいい。身体が熱いのを誤魔化すように、違うことで頭をいっぱいにする。
「もうしないで……?」
「う、うん……」
「遅くなるなら連絡してほしい」
「は、はい」
なんか、ふたりだけの世界みたいな雰囲気になってない? なんでまだ俺、翠に……ましてや推しに抱き寄せられてるの。こんなところ、女の子たちに見られたら俺の命は亡きものだ……。でも、かわいければなんでもよしなので、抱きしめられている理由は考えないことにした。ますます翠を攻めに守らせたくなってきたし。
というか、いちいち翠に連絡するの!? なにやってるのかバレるじゃん。
終わった……。でも、推しの頼みだし、断れない。
「ほんとにふたりは仲良しさんだね」
「え……」
ずっと黙って俺たちを見ていた先生が、急に背後から微笑ましそうに声をかけた。
さっきまでゼロ距離だった翠は、先生に見られていたことを忘れていたのか、びくっと肩を上がらせて体を離した。そんな仕草もかわいいと思ってしまうのは、欲張り……?
「はい。とてもかわいいです」
「ん……?」
返答おかしくないか? 今先生が言ったのは仲がいいかだよね? きっと俺の幻聴だ。幻聴じゃないわけないし。
翠の発言はなかったことにして、先生の言葉に相槌を打つ。仲いいって少しだけ、恐れ多いけど……。否定してないし、ちゃんと受けとってもいいのかな。先生の反応、先生というより近所のおばさんみたいな感じ。まぁどちらにせよ見たことないんだけど。
「篠宮くんも、最近萌木くんといるとき楽しそうだし……」
え……? なにか考えるそぶりを見せる先生は置いておいて、翠の方を見ると、なぜか頬を桃色に染めている。
さっきからわからないこと多すぎて俺の頭の中はてなマークだよ!! どうしてくれるのさ先生!
「……あ! 篠宮くん、萌木くんが隣の席だったらちゃんと授業受けれるのかも。どう?」
「えっ!?」
俺と翠が隣の席……? なんか話違くないか。俺は今翠とお似合いな攻めを隣に……。
「篠宮くん、毎日授業退屈そうだから、萌木くんと隣ならちゃんと受けれるかと思って」
「なにをおっしゃっている……?」
ってか、翠今もちゃんと授業受けてるんですけど。先生の勘違いでは? もしそうだとしても、俺が隣に来たところで多分悪化するだけだよ。だって、オタクだもん。俺からの熱い視線に耐え切れなくて、翠死んじゃう。俺も死ぬ確率二百パーセント。
「ぜひ!!」
……は、? 待って、待って、待って!? なにちゃっかりおっけーしちゃってるの?
なんで翠はそんなに目が輝いてるの!? 俺の目はもうハイライト失ってるよ。
「うん。じゃぁ、明日の席替えは先生が決めるね。安心して? ふたりは隣同志にするから」
「はぁぁ!?!!」
そう言い残して、先生はスキップしながら職員室に入った。
あ、今の反応、絶対俺が翠の隣がいやだ、みたいな感じに思われちゃうな。
「叶愛?」
え、てか、俺の意見通らない感じ? というか、意見言わせてもらえない感じ? 絶対これ確定演出じゃん……。
うぅ、俺の努力が……先生のバカぁぁぁ!! 翠の将来の旦那が決まる最高のチャンスだったのに。がっくりして肩を落とす。
別に星野くん以外にも候補はいたから星野くんにこだわる必要はないんだけどさぁぁ。なんで俺なの。一番意味わかんないじゃん。普通に、嬉しくないわけじゃさらさらないけど、女の子たちからの目線と、俺のプライドが……。
「……帰ろっか」
絶望した声を、なんとか絞り出す。ほしい漫画が、何件店をはしごしても見つからなかったときよりがっかり。もう後がないのに。
学校の廊下から寮への道も、俺の周りだけ空気がどんよりしていた。翠にも気を遣わせちゃってるし。しょうがない、推しに気を遣わせたくないし。強く生きるしかないか。まだ二学期のテストもあるから、そこで巻き返せばいいし。
考えてみれば、席替え以外でも、翠の攻めは探せるじゃないか。俺って世界狭いなぁと自分にもがっかりする。
「あのさ」
「ん?」
歩いている中、ずっと沈黙だったために、耐え切れなくなってしまったかもしれない翠が立ち止まって一声かけた。
きっと、俺が落ち込んでいるから、心配になったんだろう。また気を遣わせてしまったと後悔する。推しのそんな寂しそうな顔みたくないよぉぉ。全部俺のせいだけどさ。
俺、自称翠の受け心オタクとか言ってるけど、なにひとつ翠にできてないな。情けなすぎる……。攻め以外にできることを探さなくちゃ。
「席、いやだった?」
「え……?」
受けの上目遣い……俺の好物トップファイブに入るもの。目がうるうるで、今すぐ攻めを連れてきたい!!
席……ね……。あのあとすぐにへこんじゃったから、翠に勘違いさせちゃったな。
「……いやじゃないけど……」
ただ、なぜ俺が隣だと聞いて、目がキラキラしていたのかだけが気になってしょうがない。
え、まさかパシられる? 翠相手なら、パシリできること自体光栄すぎるけど。翠は超が付くほど人がいいので、そんなことはしないだろう。まさか翠がそんなことすると思った? それはにわかだね。
「そっか。ならよかった。教室でも隣、よろしくね」
「う、うん……」
やはりなぜ彼は、俺の言ったことにそんな嬉しそうなのか。不思議ちゃん受けもたまらなく好きだよそりゃ。だけど、なんでその相手が俺なんだよ! って話。ただのオタクなのに。
さっきまで犬の耳が垂れ下がっていたのに、彼は尻尾を振るようにいかにも嬉しそうな顔で駆け寄ってきてくれた。
……これは、翠の奥深くが知れる日はほど遠そうだ。
翌日、席替えの時間。クラスが動物園のように騒がしくなっている頃、俺は翠の方を見ながらひとりドキドキしていた。本当に本当らしい。もちろん、推しが隣なんて嬉しいのと、他のファンの子に失礼だという若干の罪悪がこもったドキドキだ。今まで隣だった紫音に手を振りながら席を移動する。クラス全員の机の引きずるいやな音も気にならないくらい緊張がなりやまなかった。
「あ、改めてよろしくお願いします」
すでに着席していた翠に声をかけ、深々と頭を下げると、頭上から前も聞いたような笑い声が降ってきた。
「そんなかしこまらなくていいよ。ルームメイトなんだし、今更のことじゃん」
「ま、まぁ」
さりげなくそういうこと言えるの、本当にすごいなと思う。
かと言って、俺が翠の隣だということはまだちゃんと認めてはいない。俺は陰で見守る主義なんだ。……ルームメイトだからもうそれは避けられないけど。
推しが俺で汚れてほしくなくて、机と机との距離をとる。なにかの拍子に手とかが触れたりしたら、たまったもんじゃないし。
そう思っていたのに、翠はどんどん俺との距離を縮めてくる。
「そんな離れなくてもいいのに」
「……そんな近いと俺の頭と胴体が生き別れに……」
「は?」
ほら、やっぱり女子からの視線が辛い。
ごめんね……。敵に回したいわけじゃないのに。いつもいつも、翠のファンには罪悪感を抱きまくっている。
申し訳ないけど、翠はこれから見つける攻めのものなので。
「俺は叶愛の推し、なんでしょ?」
「グハっ……!」
萌木叶愛にクリティカルヒットな表情を見せる彼。……小悪魔の笑顔、いただきました。そして、机に頭を乗せて下から言うという。なんという罪な男……。
心臓打ち抜いてくれましたわ。
「翠って……人にすぐ騙されそうでお兄ちゃん心配」
授業が終わり、なんとか平常心を取り戻して、教科書もろもろを片付ける翠に話しかける。最後はちょっと遊んだだけだから許してほしい。
「そう?」
「うん。すぐに人のこと信じるタイプでしょ」
「そんなことない……と思う」
なんだ今の間は。
ひとの懐にすぐに入ったり、純粋なところも好きだけど、いつか犯罪に巻き込まれたりしたら大変。
はやくこのほわほわ天使姫を攻めに渡さなくちゃ。
「……なに考えてんの?」
「大丈夫、君には最高の王子が待ってるから安心して」
「なに言ってんの……」
こうしちゃいられない。次の計画だ次!!

