チャイム前着席……とはならず、チャイムと同時に俺は席に着いた。ギリギリセーフだ。初日から遅刻することは避けられ、席につくと、安堵の息を吐く。
「萌木くん。おはようさん! ギリギリやったな」
「あ、おはよう。うん……ちょっと、ね」
 紫音の言葉に少し苦笑いして、前方にいる今朝約束を交わしたばかりの翠に視線を移す。
 後ろ姿だけでも完璧すぎる。すらっとしすぎている。周りにいる女の子たちは、みんな頬を桃色に染めながら翠を見ている。その人、俺の推しですよ。めちゃくちゃかわいいですよ。
 ホームルームだというのに、時間も忘れて翠をずっと眺めていた。
 いつの間にか、一時間目の数分前になってしまっていたらしく、椅子をがたがたと引く音が聞こえる。
「そういや、ルームメイト結局誰やったん?」
 あぁ。すっかり忘れてた。紫音には昨夜教えてもらって、質問に質問を返す気はないけど、あまり言いたくない。だって、昨日からモテていた人と……というか、推しだと言ったに人と同室なんて言ったら、 一生からかわれる自信しかない。ちなみに、紫音のルームメイトは隣の隣の席の美山という陽キャと陰キャの狭間みたいな人らしい。知らないけど。
「……篠宮、翠、くん……」
「え? なんて?」
「だ、だからしの……」
「叶愛!!」
 ぇ……。勇気を振り絞って言ったばかりなのに。考え込んでいた俺がバカみたいじゃないか。
 振り返ってみるも、やはりそこにいたのは翠でした。噂をすれば。いや、俺しかしてないけど。
「え、篠宮? 萌木くんと知り合いなん?」
「え、えっとぉ……」
 なにこの気まづさ。今の状況は、俺と紫音が隣に合わせに座っていて、そこに険しい顔をした翠が突っ立っている。身長が高いからますます威圧感が……。
「ルームメイト、だから」
「うぇ!?」
 俺より先に答えてくれたのは、ずっと黙っていた翠だった。まさかこんな陽キャが俺に話しかけてくれるなんて。あ、もしや紫音も一応一軍だし。それ繋がりで? いや、翠に限ってそんなことしないであろう。
「そ、そそそうなんか……なるほどな。通りで」
 おどおどしすぎじゃね? と、一見心配になるが確かにさっき深く関わるなと言われたばかりであるために、もう後戻りできないのである。さっきの噂話聞かれてたらどうしよ。
「そ、それで翠どうしたの?」
「しかも名前呼びかいな」
 変なツッコミを入れる紫音は無視して翠に視線を戻す。
 さっき俺の名前を呼びながらこっちに来てくれていたから、なにかあったのかと。気のせいだったら恥ずかし。
「あー。特に用はないけど。移動教室一緒に行かない?」
「え……」
 わぁ。なんて最高な……。ってえ?! 聞き間違えかな? なんで俺なんだ。
 紫音は、この空気に耐えられなくなったそうで、そそくさに先に行ってしまった。怖すぎる。
「いや?」
 くっ……その耳がたれた犬みたいな顔されたら耐えられる人間はいない。
「や……じゃ、ない」
 推しに誘われて嫌な人はこの世にいない。内心めちゃくちゃ嬉しいけど、なんで俺なんだ……。陽キャなんだから交友関係はもう広いだろうに。
 翠はこれまたかわいい笑顔を見せたあと、俺の腕を引いて歩く。 ……手、触れてる!?
「あ、あのえあ、えっと」
「……あ、ごめん」
「い、いや……」
「あのさ、朝も言ったけど……」
 離したかと思うと、周りの女の子たちが頬を赤らめながら何度もこっちを見る。きっと翠目的だろう。そんなモテモテの受けも大好きだが、やはり一番は攻めにモテてほしい。あぁ、でも、受けがモテすぎて攻めを嫉妬させるのもいい。
「ねぇ、聞いてる?」
「え?……ご、ごめん」
 至近距離に迫られ、ドキッとする。近っ、かわっ。
 そんなこと言っている場合ではない。推しを困らせるとか、なにがあってもなってはならない! 俺としたことが。ひとりあわあわしているうちに、翠が会話を進める。
「さっきも言ったけど、俺、一人でいると、女子が集まってきてめんどくさいから。こうやって叶愛と一緒にいれば、寄ってこないかなって」
「あー……」
 なるほど。そういうことだったのか。
 俺みたいなモブが一緒にいれば、寄ってこないだろうということか? いや、逆に俺がモブすぎてみんな空気だと思い、押し退けて集まるんじゃ……?
 いいやでも。こんな瞳に見つめられたら断れるわけがない。そう。推しと一緒にいて、お似合いな攻めちゃんが見つかるかもしれない大チャンスかもしれないし。
「でも、ごめん。巻き込んじゃって」
「いや、そんな……」
 移動教室までの道を歩きながら、頭を下に落とす彼。顔は見えないけれど、とてもしょぼくれているように見える。そんなところもかわいいと思ってしまうのは、流石にきもいか?
 あ、このままじゃ翠が病んでしまう。俺が言ったところで翠の心には響かないだろうけど、なんとか言葉を見つけ出す。
「全然平気! 逆に翠く……翠と一緒にいるの、嬉しすぎて飛び跳ねちゃうよ」
「そか……ありがと」
 素直に気持ちを話して、翠を安心させたい、と思ったつかの間。翠は顔を逸らして黙ってしまった。
 俺、なにか変なこと言っちゃったのかな。安心させたいとか、推しに対して俺なんかが失礼かな。
「あ違くて、その……」
「え?」
 少し頬を染めながらもごもごと口を動かす翠。その表情がまるで、ツンデレになっている受けのように見えた。
 ということは、もしかして。
「……照れてる?」
 そうだったらいいな、とか。
「悪い?」
「か、かわっ!?」
 冗談半分だったけど、本当だったみたい。
 照れてる……。なんてかわいいんだ。受けの照れ顔よりも美しいものはない。
「はぁ……また始まった」
 心の中が興奮しすぎているのにも関わらず、俺たちは教室に入る。ますます推しになってきてしまった。

 授業中の翠も、たまらなく愛おしい。どこの角度から見ても、必ず天使のような姿。国宝級だ……。国が保護するべき。いやでも! できれば俺が保護したい……。永遠に。
「萌木くん。当てられてるで?」
「……えっ? あ、あぁうん」
 授業の初日、四限目。あと少しでお昼だということと、翠が本当にかわいいということが混ざりあって、授業の話は耳の右から左に流れていってしまっている。
 でもまぁ、ちゃんと問題解いてるし。悪いことではないだろうと勝手に思っているが。
「x=2です」
 ほらね。その度に翠がなんか微笑んでくれるから、かわいくて仕方がない。推しってなんでこんなにかわいんだろう。ずっとカップリングしか推してこなかったから、新鮮な気持ちになる。朝からずっと気持ちがふわふわしてるし。
「じゃあ今日はこれで終わり。……気をつけ、礼」
「「「ありがとうございました」」」
 なんやかんや妄想している間に、授業があっという間に終わってやっとお昼の時間。
 内心ウキウキで胸がいっぱい。お弁当を持ちながら教室を出ようとする。
 翠は一軍の男の子たちと一緒にお話しているし、今は女の子に囲まれないであろう。俺が行っても確実に邪魔だろうし。というか、行く勇気もない。一生陰なんだよ俺は。
 それに、今日は念願の約束がある。できれば翠も連れていきたかったけど、俺の私事なだけで彼の時間を無駄にしたくない。
「あれ? 萌木くんどっか行くん?」
「紫音! うん……! ちょっと碧くんのとこ!」
 紫音には申し訳ないけど、今日はオタク話で久しぶりに盛り上がりたい。
 あでも、紫音は一応碧くんの弟だし一緒に会いに行ってもいいのでは……?
「紫音も一緒に碧くんのとこ行く?」
 なぜか紫音は今一人だし。
 紫音は、翠たちと同じ系統なはずなのにあまり翠とは話さない、っていうか、敵対しているって言うの? 同じような雰囲気同士だからこその、ライバル心みたいなのがあるのかな。
 じーっと紫音の返事を待つけど、紫音の表情は見る見るうちに渋くなっていく。俺、なにか変なこと言ってしまったのだろうか。
「あーええよ。萌木くんひとりで行ってきぃ。うちあいつのこと嫌いやねん」
「えっ……あ、そうなんだ。……それはほんとごめん」
「平気やで。あ、二年の教室は三階やから。ほんなら」
「う、うん」
 不満そうなオーラをまといながら、分かりやすい歩き方で教室に入っていった。本当に、碧くんのことが嫌いなんだなぁと一目でわかる。……悪いこと、しちゃったな。
 ため息混じりに階段を上る。
 碧くん今日は生徒会の集まりないといいな。二年四組の教室を見渡し、先輩に声をかける。
「あの、結城碧先輩っていますか?」
 初日にこんな先輩に声を掛けられるなんて。クラスの一軍には声をかけられないのに、いきなり先輩ってハードル高い。それなのに俺、勇気めっちゃあるな。推し活のためだったら、私情なんてどうでもいい。流石俺だぜ。
 脚が少し震えているのは、気にしないでおく。
「結城? あぁいるよ。おーい! 結城〜ピカピカの一年が呼んでるぞー」
 ……ピカピカの一年? 歳の差一つしか変わらない気が。
 ソワソワしていると、奥の方で誰かが席を立った。遠くてもわかる、小さいのにスラッとして綺麗な立ち姿。あんな人、この世にひとりしかいない。
「ごめーん!! 叶愛〜久しぶり。元気だった?」
 教室の中は意外と広いのに、瞬足で扉の前まで飛んでくる。やはり兄弟は似るものなのか。
 頭の中で「似てへんわ!」と叫んでいる紫音が浮かび、苦笑いする。
「う、うん! 碧くんも。元気そうでよかった」  
「それは叶愛も! じゃ行こっか」
「……えっ? どこに?」
 いきなり手を引く碧くんを慌てて止める。まだ俺、校内の場所全然把握してないんですけど。
「うーんと。僕の秘密の場所!」
「えぇ……」
 本当にこの人は自由人すぎる。やはり兄弟は似るものだな。二回目だけど。
 そんな結城兄弟に呆れながらも、碧くんの元気そうな姿を見られたからもうなんでもいいやと思う自分がいた。

「……え?!! 完璧な受け!? なにそれ聞いてない」
「いやだから今言ったじゃん」
 碧くんの言う秘密の場所というのは、中庭にポツンとある外の教室だった。流石私立。こんなところにも教室があるなんて。誰も来なさそうだし、いい穴場だな。と思った瞬間だったのに、碧くんが暴走寸前で。
「なにそれなにそれ詳しく聞かせて」
「今言うんですよ」
 お弁当の蓋を開けながら、単刀直入に碧くんに翠の話をしたら、碧くんの幼体は一転。想像通り机をバンっと叩いて信じられないという顔をされた。まぁ信じてもらわないと困るけど。
 ……語彙力がなくてなんかごめん。
「ほらほら!! あるだけの情報聞かせなさい!」
「一旦落ち着いて?」
「これでも落ち着いている方だよ!」
 こうなった碧くんは誰にも止められないということは、常識である。俺は比較的心の中で暴走するけれど、碧くんはこういうとき、必ず表に出ちゃうからな。 今でもすっごい抑えてるように俺の身体掴む三秒前だし。
 碧くんをなだめるように、席に座らせる。
「あのね、まずその子、篠宮翠くんっていうんだけど」
「はいはい。入学式早々モテてたやつね」
「めっちゃ顔立ちかわいくて、動作とか反応とかもなんか全部受けっぽくて───」
 お弁当を食べることも忘れて、俺は翠のことについてたくさん情報を共有し、まるで事情聴取みたいに翠のやばいことも碧くんに根掘り葉掘り聞かれてしまった。そして俺は初日からもうヘトヘトなのである。
 五、六限目もしっかりと受けた俺を褒めてほしいくらい。そんな人はいないけど。自分で自分を褒めることでさえ、できないのに。暗い話になりそうだから一旦中断しよう。
 波乱の一日目を終えて、自室のベッドにダイブする。
「ふわぁ……」
 昨日は自分からベッドに行っていなかったから、実質初めてと一緒だ。
 ふかふかで気持ちいい……。新しい布団ってなぜか落ち着くんだよなぁ。
「あ、もう帰ってたんだ」
「……ん?」
 ゴロゴロしているうちに、部屋の扉が開く。この部屋に入るのは、俺と翠以外いない。ということは……?
「す、すす翠!?」
「? そうだけど」
 うわぁああああああああ。推しに、こんなだらしないところを……。オタクとしてなってなさすぎる! 最悪だ。
 慌ててベッドから飛び起きる。何故すました顔してるの彼は。しかもずっと突っ立てるし。
 独り絶望していることも気にせずに、制服をハンガーにかけた彼はくしゃりと笑った。
「あー言っとくけど、今日の朝も叶愛のそんな格好見てたから平気だよ」
「……そんな格好ってなに!?」
 気にするところそこじゃない気がするけど、平気なわけないじゃん! 翠は翠で「なんでそんな慌ててるの?」とでも言いたそうな顔しているし。
 ってことは、もしかしてやっぱり、もしかしなくても俺の寝顔見られてたってことだよねぇ……。終わった。そんなだらしないところを……トホホ……。
「いいじゃん。かわいかったし。……おもろかったけど」
「は、は、?」
 この方はさっきからなにを言ってらっしゃる……?
 いやいやいやそんな、すんって、当たり前ですっていう顔すんなし。まぁかわいいけど。ついでじゃないからね!? 勘違いしないでよ!?
 かといって、かわいいのは絶対翠の方だよ。面白いは別として、俺がかわいい? もしかして揶揄ってらっしゃるのでしょうか。推しに遊ばれるのは嬉しいけど。攻めにはそんなことしないように! 受けの煽りとからかいは攻めの理性と心を燃やします。絶対にやめましょう、オタクがいないところでは。これにて一件落着、叶愛の受け教室でした。……本当に一件落着なのか? 俺は馬鹿か。
「なに考えてるの? はやく夕飯行こ」
「あーあは……あははは」
「おーい? 叶愛〜?」
 目の前のかわいくて堪らない推しが目の前に来て、手を上下に揺らしている。
「最高だ……」
「ちょっと! そっち隣の部屋の人だって」
 こんな幸せなことがあっていいのだろうか。今日の疲れは一気に吹き飛んだし、毎日これでやっていけそうだ。
 攻めも、もう何人か候補は絞ってあるし。
「あぁ、! 叶愛! 正気に戻れ!」

 学校生活が始まってから、はや数週間と二日。クラスには馴染めて……ないが、翠との生活には段々と慣れてきた。寮では毎晩お話をして、どんどん翠のことを知っていく。推しの情報源というやつだ。そのおかげで、毎日死んだような目をしている碧くんの顔も、翠の情報と、BLの新刊の情報を交換して明るくなっていっている。一石二鳥すぎて感謝しかない。
「んー、これはなしだなぁ。あ、!」
 実は俺は、この数週間で、先生に媚びを売りまくり、この学校中の生徒のプロフィールを手に入れてしまったのだ。端末を入手したってとこかな。……どうやって本当に手に入れたかは秘密だ。一生教えてあげない。真相は闇の中ということで。
「ん。なにそれ」
「うわっ!?!」
 部屋の机はふたりとも真反対に向いているので、勉強しているときはあまり話しかけられないが、パソコンをいじっているのが翠にバレて後ろから覗かれる。確かに学校にパソコン持ってくるやつなんて早々いないだろうから、珍しいんだろう。
 え、距離近くないか。首ほぼ当たってるんだけど。推しが汚れる! 慌ててノートパソコンを閉じ離れる。
 危ない危ない。
「叶愛ってさ、休みの日でも部屋に引きこもってるよね」
 調べていた内容を尋問されなくて、ひとまずほっと胸をなでおろす。
「え、まぁうん」
「ふーん……あ、いやただ単に気になっただけ。そういうやつもいるよな」
 一言相槌を打ったあとに、少し焦りながら話を逸らす彼。本当に、こういうところすごく優しいよなと思う。わざわざ俺なんかのために気遣ってくれてさ。流石俺が認めた受け。もう早く攻めのところに行ってくれ!
 まだ翠との会話は続いているとも知らずに、俺はまた妄想を始める。あぁ、そういえば今日見た先輩のクラスのカプよかったな。そうそう。ときは三限目と四限目の間、移動教室のときに二年生の階を通ったんだけど、そこの男の先輩二人が尊すぎて……!
 声は聞こえなかったけど、こっそり見てたからわかる。俺は恋をしている人の口を読めるのである。
『お前って本当にかわいいよな。誰にも見せたくない』
『は、はぁ? いきなりなに言ってんだよ……かわいくなんてねぇし』
 っていうね、会話をね、イチャイチャしながらしてたんだよ。BL界王道のセリフをね……。聞こえていないから口を読んだだけだけど。あ、ちゃんと合ってると思うよ? BLで口読みを習得したんだからね!
「へへ……」
 はぁもう最高すぎて目の保養……しかもツンデレ受けで攻めが独占欲強そうだった。あのカップリング、目から鱗だ……。明日も見に行こう。翠の攻め探しのヒントになるかもだし。
「とーあーこれ何回目? 生きてる〜?」
「ふへ……っはっ!」
 目の前に推しの潤んだ瞳が……!! なんとかわいらしゅう……。って今はそれどころじゃなくて。また俺の世界に入ってしまっていた。セーフセーフ。いやセーフじゃないだろ。なにやってんだ俺は。度々迷惑かけて申し訳ありません。
 なぜか体育座りをしていた勉強椅子から降りて、深々の翠に頭を下げる。
「まぁいいけどさ。叶愛のそういうなにかに夢中になってるとこ、段々見慣れてきたし」
「そ、そう……なんだ」
 それは……推しに認知されているという捉え方で合っているのか。
 首を傾げながら考える。そういえば。
「じゃ、じゃあ……翠はなにか熱中できるものとかあるの?」
 出会ってから、趣味の話は一度もしたことがなかったし、ずっと気になっていたことだった。
 翠は真面目で、勉強以外眼中にありませんって感じの雰囲気だ。BL常識だと、そういう受けは特殊性癖だったり攻めに執着しがちだから……。
「あー……」
 彼は、自分の椅子に座りながら黙り込む。ないならないで即答してくれてもよかったのに、気まづそうに顔を逸らすから。
 慌てて自分の言ったことを否定しようと口を開く。
「ごめ……」
「それがさ、俺、昔からなんにも夢中になれなくて」
「え?」
「習い事も、勉強も好きでやっていたわけじゃないし、嫌いでもなかった。趣味って言えることがなくて」
 寂しそうに昔のことを話してくれる彼の瞳は、どこか切なそうだった。モテメンも、苦労するんだな。
「……だから、ちょっと叶愛が羨ましいよ」
「俺、が……?」
「うん。そんな風に一つのことに集中できて」
「それは……」
 今の空気はきっと慰めたり、なにかいい言葉をかけたりする雰囲気なんだろうけど、俺にはそんなことできないし、俺に言われてもきっと翠は響かない。それに、この翠の顔がとても可愛いと思ってしまう自分がいる。夢中になれるものが一つもない……ということは、攻めにだけ夢中になれる大チャンス! とんだ最低なやつだと思われても仕方がない。
 そんなことを考えているとも知らずに、翠はもう一度口を開き、言葉を紡ぐ。
「ねぇ叶愛はさ、どうしてそんなに熱くなれるの?」
「え……?」
 いきなり俺に質問が吹き飛び、ずっと見つめられる。
 ……そんなこと、初めて言われたし。なんて答えたら正解なのか。さっきの感じだと、なにか忘れられない過去があったりしたのかな。好きなことも、ずっと好きでやっていて、気づいたら好きになってた。
 思考を奥深く巡らせる。頭の中で言葉は繋がっていないが、思い切って喉から声を出す。
「えっと……あのね、好きな物に夢中になってる時間って嘘がないんだよ」
「嘘がない……?」
「好きなことに出会ったら放っておけないじゃん? ……尊いって理屈じゃないからさ」
「そ……」
「翠も、知らないだけで夢中になれるもの、探せばあると思うよ?」
「……」
 例えば攻めとか、攻めとか恋とか。
 あれ。翠が急に黙り込んでしまって、勢いで言っちゃっだから、混乱させたかなと不安になる。
 でも、それくらい俺が翠を推しているってこと、伝わっていたら嬉しい。
 そう思いながら、机の上の教科書に目を落とす。
「……じゃぁ、さ。叶愛は、普通の恋はしないの?」
 俺の隣に自分の席を持ってきて座り、追い込みの質問を投げる彼。
 ……普通か。
「推し推しとか言ってるけど、本気で好きな人は、作らないの?」
「本気……普通の、恋……」
 俺にとっては、推しが……BLが本気だと思ってるけど……。
 あーなんか。変なこと思い出しそうだな。大丈夫、大丈夫。俺にはもう最っ高な推しがいるじゃないか。
「あ、なんかごめん……」
 翠に余計な心配と迷惑をかけたくなくて、無理に笑顔を作る。
「う、ううん。俺は推しがいればそれで十分だから。ほら、翠だってそうだよ?」
「俺……?」
「うん。だから、翠にぴったり攻めを見つけて、必ず翠も夢中にさせるから!」
「え?」
 あ……。待って、え? 俺今なんて……。
「は? どういうこと?」
 ゆっくりと翠の顔を見る。彼はポカンと口を開けたまま固まっていた。
「い、いやぁこれは……そのぉな、なんでもないです!! きっと、翠も夢中になれるものがいつか見つかるよってことで……」
「そ……」
 誤魔化す様に視線を落とす。一瞬顔を逸らした翠は、ベッドに身を投げてしまったので、俺はまたパソコン操作に戻る。
 まぁ、まだバレていないからセーフだ。これでこのまま計画が進んでくれれば……! 眠ってしまった翠の寝顔を凝視する。はぁかわいすぎてしんどい。いつまでも見てられる……。
 流石にきもいと思ったので、数秒見つめたら満足して顔を逸らした。