文化祭前日となった
 授業が潰れ、クラス中が最終調整の熱気に包まれていた
 俺も、お化け屋敷のギミックの最終チェックに集中していたが、時々、視界の端で日向の姿を追ってしまう
 日向は相変わらず、入口の設計図を広げたグループの中心で、声を出して指示を出していた
 その統率力と行動力は、いつ見ても頼もしい
「あ、鈴井くーん」
 女子生徒の声に、日向が
「ん、なんだ?」
 と振り返った
 呼び出したのは、隣のクラスの女子だ
 顔立ちが整っていて、いつもクラスの男子に囲まれている人気の女子生徒だと知っている
「これ、よかったら。明日の本番、楽しみにしているね」
 彼女が日向に差し出したのは、可愛らしい封筒に入った手紙のようなものだった
 日向は特に気に留めた様子もなく
「ありがとう」
 と受け取ると、すぐに設計図のほうに戻ってしまう
 しかし、それから立て続けに、日向を呼び出す生徒が続いた
「やっぱ鈴井ってモテるよなー」
 俺の隣で暗幕の取り付けをしていた男子生徒が、ふとそう口にした
「あれだけハッキリしてる奴だから誠実そうだしな」
「確かに。浮気とかしなさそうだし」
「そういえば鈴井って今年の文化祭のミスターコン出るんだろ?もっと人気増えそうだよな」
「ああ。しかもあいつガード硬いから、女子たち余計に燃えるらしいぜ」
 近くで作業していたクラスメイトの会話が、俺の耳に届く
(ガードが硬い……)
 当たり前だ。日向が恋愛を面倒だと思っていたのは、俺が一番よく知っている
 それに、今、日向には俺がいる
 そう頭では理解しているのに、胸の痛みは収まらない
 周りの生徒たちにとって、まだ日向は手の届かない存在のまま
 日向が誰から声をかけられても、俺と目が合えば笑いかけてくれる
 その俺だけの特別な仕草が、周りの生徒に見えていないことが、なんだか腹立たしかった
 まるで、日向の存在が、周りの俺の知らない誰かによって、少しずつ切り取られていくような感覚だ
(日向の隣にいるのは俺だ。誰にも渡さないのに……)
 そんな幼稚な思考が湧き上がり、俺は思わず唇を噛み締めた
 その感情を表す言葉はまだ俺の中に見つからなかった
 ただ、日向が他の誰かに向けられる視線や、優しさが、ひどく疎ましいと感じた
 俺は手のひらに汗をかきながら、早くこのざわめきから日向を引き離して、二人きりの場所に連れ去りたいなんて考えていた
 俺は、日向の優しさや真実を独り占めしたい
 他の誰にも、日向の隣という特別な居場所を奪われたくない
 ついさっきまで、文化祭頑張ろうと楽しそうに話していたクラスメイトたちの声が、今では遠く、日向を狙うライバルたちの存在を告げているように感じられた
 俺は焦って、設置していた懐中電灯を強く握りしめた
「ちょっと休憩。外の空気吸ってくるわ」
 そう告げて教室を出ると、俺は日向が帰ってくる前に、人気のない廊下へと足早に向かった
 この嫉妬心を、日向に知られたくなかった
(俺は、日向の特別になりたい。他の誰にも負けないくらい)
 初めて湧き上がった、醜い本音だった
 夏の熱気が去った放課後の廊下は、ひんやりとして落ち着く
 しかし、俺の胸の中の熱は収まらない
 教室でのクラスメイトたちのざわめきが、遠く、まるで日向を巡るライバルの歓声のように聞こえていた
 繋いだばかりの日向との手、彼の温かい言葉
 それらは全部真実だ
 それなのに、あのクラスメイトの女子生徒が手紙を渡す姿、男子生徒が日向の誠実さを褒め称える声が、俺の心を鋭いナイフで切りつけるように痛い
 他の誰も、日向の優しさを知らないでほしい
 日向の笑顔は、俺だけのものになってほしい
 そんな、独り占めしたいというドロドロした感情が、頭の中を占拠する
 俺は今、日向が知ったらきっと引いてしまうような、汚い感情を抱えている
「俺、本当に最低だ……」
 俺は膝を抱え、顔を埋めた
 せっかく日向が可愛いと言ってくれたのに、今、自分は一番可愛くない、意地の悪いことを考えている
 日向からの愛を、疑っているわけではない
 ただ、怖かった
 せっかく手に入れた日向という存在が、周りのざわめきによって、特別な居場所から引き剥がされてしまうのではないかと
 自分を守るために嘘をついていた臆病な過去も醜かったが、この、愛する人を自分の檻に閉じ込めたいという感情は、もっと汚い
 日向は、嘘や卑怯な考えを許さない
 もしこの感情を日向に知られたら、今度こそ本当に、心底俺を嫌いになるだろう
 熱い涙が滲み、すぐに拭おうとした、その時だった
「凛!」
 突然、階段の下から、聞き慣れた日向の切迫した声が響き、俺は肩を震わせる
(まずい、見つかった)
俺は立ち上がって逃げようとしたが、日向はすでに目の前まで来ていた
 彼は俺の荒い呼吸と、赤くなった目を見て、一瞬にして事態を察したようだった
「お前、なんでこんなところにいるんだ。呼び出しから戻ったら凛がいなくなってたから、心配で」
 日向は早足で俺のそばに寄ると、俺に触れようとした
「な、なんでもないの、本当に、なんでも……」
 俺は日向の手を避けるように、顔を逸らした。この顔を見られたくなかった
「なんでもないわけないだろ、そんな……泣きそうな顔して」
 彼の優しい声が、かえって俺の胸を締め付けた
 逃げ場はもうない
 俺の必死に隠したかった感情すら、彼に見透かされているようだった
 俺の目に涙が溢れ、声が震え始める
「ごめん……っ、日向。ごめんなさい……」
「謝るな。そうじゃなくて、何があったのか言えよ。何か嫌なこと言われたのか?」
 日向は俺の前に立ったまま、俺を気にしてくれる
 その優しさが、かえって俺の罪悪感を刺激する
「違う……。違う、誰も俺に嫌なことなんか言ってない。今、俺が、すごく嫌なやつだから……」
 言葉は途切れ途切れになったが、俺の口から、隠したかった本音が堰を切ったように流れ出した
「日向が、俺を嫌いになっちゃいそうなこと、考えてるから……!」
 俺はもう、声を殺して泣くことができなかった
「他の誰かに優しくしてる日向を見て、日向の全部を独り占めしたくて。みんなから日向を隠したいなんて、最低なこと考えてた……。おれ、俺、知らなかった……。嫉妬って、こんなにも、……苦しいなんて」
 今の顔を見られたくなくて顔を覆い隠す
「俺、こんな醜い本音まで、日向に嘘つかずにいなきゃいけないの……?」
 俺の告白を聞いた日向の動きが止まった
 彼は何も言わない
 その沈黙が、俺の罪悪感をさらに深くえぐる
(やっぱり、日向は引いたんだ。こんな独占欲の塊みたいな俺を、嫌いになったんだ)
 俺が全身から力を抜き、その場に崩れ落ちそうになった瞬間
 日向の腕が俺の体を力強く引き寄せた
「凛。お前、ほんとバカだな」
 日向の声は、呆れているようにも聞こえたが、そこには怒りも落胆もなかった
 ただ、深い愛情と安堵だけがあった
 日向は俺を抱きしめたまま、その額を俺の頭に優しく押し付けた
「いいか、凛」
 日向は低い声で囁いた
「醜いなんて思うな。お前が俺を愛してるから、嫉妬するんだろ。 誰にも渡したくないと思うのは、それだけ俺がお前の特別な居場所になれたって証拠だ」
 日向は少しだけ俺を離し、涙でぐしゃぐしゃになった俺の頬に触れた
「俺は、お前が誰かに嫉妬するほど、俺の全部を求めてくれるのが嬉しい。それが、お前の嘘のない本音なら、俺は全部受け止める」
 彼は、俺の醜い本音さえも、愛の証明として肯定してくれた
「だから、もう逃げるな。俺は、お前が嫉妬するたびに、俺の全部がお前のものだって証明してやる」
 日向はそう言うと、俺の震える唇に、そっと自分の唇を重ねた
 それは、初めてのキスだった
 塩辛い涙の味がしたが、日向の温もりは全ての恐怖と醜さを、一瞬にして消し去ってくれた
「さて。そろそろ教室に戻って、ギミックを完成させるぞ。俺の大事な監督さんがいねぇと、お化け屋敷が完成しねぇだろ」
 日向は優しく微笑み、俺の手を引いた
「よし、凛。もう一度笑え。お前が笑ってないと、俺まで不安になる」
 俺は、顔の熱、そして胸に満ちた確かな安堵と愛情を感じながら、日向を見上げた
「うん。ごめん、日向。ありがとう」
「いいんだ。さあ、行くぞ」
 日向は手をしっかりと握りしめ、俺たちは教室へ戻る足を進めた


 文化祭当日、朝八時
 俺は待ち合わせのコンビニ前で、日向を待っていた
「おはよ、凛。待たせたな」
「お、おはよう、日向」
 日向はいつもの制服姿だが、今日だけはなんだか特別に格好良く見える
 彼の隣にいるだけで、心臓が大きく脈打った
 日向に近づき、手を伸ばすと、日向も迷いなくその手を取ってくれる
 俺たちの指は、自然と強く絡み合った
「今日、楽しみだな」
 と日向が言う
「うん。俺のギミック、ちゃんとみんなに驚いてもらえるかな」
「大丈夫だろ。昨日の最終確認で、わかっててもびっくりするって言われてたし」
 日向は安心させるように、俺の手を優しく握りしめた
 俺たちは学校へ続く歩道橋を登り始めた
 周囲には、いつもより少しお洒落をした生徒たちが楽しそうに連れ立っている
「なぁ、凛」
 日向が突然立ち止まり、俺のほうを向いた
 太陽の光が、彼のまっすぐな瞳の中でキラキラと反射している
「今日は、シフトが終わったら、一緒に回ろうな。お前と回りたい場所、いくつかある」
「うん!もちろん!」
「あとさ」
 日向は悪戯っぽく口角を上げた
「ミスターコン、俺、お前のために出るようなもんだから。応援するなら、しっかりしろよ」
「え……?」
 ミスターコンに出ること自体は知っていたけれど、そんなことを言われるなんて思ってなく、顔がさらに熱くなる
「もちろん、勝つけどな。だから、本番、お前は俺から絶対目を離すな。お前のために、一番かっこよくなるから」
 日向の言葉は、まるで周囲の喧騒から俺だけを引き離し、二人きりの世界に閉じ込めるようだった
 俺は、日向のその強い独占欲と、俺だけの特別であろうとしてくれる気持ちが、心底嬉しかった
 昨日、一人で抱えていた嫉妬心なんて、こんな日向の言葉一つで消し飛んでしまう
 その言葉で、昨日の嫉妬心が少しだけ蘇ったが、日向はそれを打ち消すように、俺の顔を両手で包み込んだ
「日向……」
 俺は両手を日向の手に重ねた
「もちろんだよ。日向が一番かっこいいって、知ってるから。……応援してる」
 俺の言葉に、日向は満足そうに口角を上げた
 そして、繋いだ手を絡ませ直すと、再び歩き出す
 俺たちの指先から伝わる温もりは、もう誰にも渡さない、二人だけの真実だった
 文化祭という賑やかな一日が、日向と二人で過ごす、特別な時間になるのだと確信した
「文化祭、楽しみだね、日向」
「ああ、お前と一緒ならな」
 彼の隣にいるという事実が、最高の安堵と誇りを与えてくれた


 文化祭が始まると、校舎の中は一気に熱気に包まれた
 俺たちのクラスの出し物、お化け屋敷『真夏の廃病院』は、早くも長蛇の列ができている
 俺は壁の裏側で、懐中電灯と紐を操作するギミック担当として、暗闇の中に立っていた
「わっ!」とか「きゃー!」とかいう悲鳴が起こるたび、俺の作った影がちゃんと機能していることに、少し誇らしい気持ちになる
 日向との関係がどうなるかという不安が解消された今、クラスメイトとの活動は純粋に楽しかった
 休憩時間になり、シフトを交代して教室を出た
 受付前の賑やかなスペースに出ると、日向がちょうど他のクラスメイトと話しているところだった
 日向は受付の制服を着て、相変わらず様になっている。
「日向!」
 俺が呼ぶと、日向はすぐに俺に気づき、いつものように口角を上げた。だが、その笑顔は、どこか少しだけ硬いように見えた。
「お疲れ、凛」
 日向はそう言って、近くにあったタオルを俺に手渡してくれた
 その手の温もりに安堵する
「日向こそ、受付頑張ってるね。それにしても、お客さんすごくない?」
「ああ、想定してた以上の人気ぶりだ」
 俺は日向の隣に立ち、少し様子を観察した
 日向は周囲を注意深く見渡しているような気がした
 ふと、日向の視線が、受付から少し離れた廊下の隅で立ち止まっている一人の女子生徒に向けられた
 彼女は、少し派手な格好をしていて、この学校の生徒ではなさそうだ
 手には小さな袋を持っている
 そしてその女子生徒が立ち去った後、日向は、はぁと小さく息を吐いた
 彼の表情は、一瞬だけ険しさを帯びたかと思うと、すぐに憂鬱そうな、諦めにも似た影が差した
「日向?どうしたの、何かあった?」
 俺は思わず小声で尋ねた
 日向はすぐに表情を元に戻したが、俺の手を握る力は、いつもの安心させる強さとは違い、何かを押し留めているような、強い緊張を帯びていた
「いや、なんでもねえよ。ちょっと知り合いが来ただけだ」
 日向はそう答えたが、その言葉には嘘の気配が混じっていた
 日向が嘘をつくこと
 それは、俺との関係では絶対に避けてきたことだった
 日向のように嘘をつくなと言いたいが、日向の苦い表情を見ていると、そう言う気も起きなくなってしまう
 日向は俺の目を見ようとせず、周囲の喧騒に視線を向けたまま、低い声で言った
「凛。俺ももうすぐ休憩だから、ここで待ってろ。俺から離れるなよ」
 その言葉は、まるで俺を自分だけの縄張りに閉じ込めておきたいという、強い独占欲のように聞こえた
 それは昨日、俺が抱いた嫉妬心と同じ感情のように思えた
(日向の知り合いって、まさか、浮気されて別れたって言っていた、元カノだろうか)
 俺の胸に、昨日とは比べ物にならないほどの鋭い不安が突き刺さった
 日向は俺の隣にいる、繋いだ手も熱い
 だが、日向がその過去の影を前にして、憂鬱そうな表情を浮かべたという事実が、俺の心を再びざわつかせた
 俺は日向の手を強く握り返した
「うん、わかった。日向の隣にいるよ」
 不安は消えない。だけど、日向が嘘をつきたくないと葛藤しているなら、俺は彼の隣に立って、その葛藤を一緒に乗り越えることを選ぶ
 それが、恋人になった俺の、新しい役割だ
 日向は、俺の返事にようやく安堵したように、少しだけ穏やかな表情に戻った
「サンキュ。じゃあ、ちょっと待っててくれ」
 そう言う日向の横顔には、まだ完全に晴れない雲が残っているように見えた


「よし、シフト終わり!」
 日向が受付の制服からパーカーに着替えて戻ってくると、俺は胸をなでおろした
 受付でのあの重い空気は消え去り、日向はいつものように穏やかで、しかし確かな力強さのある笑顔を浮かべていた
「待たせてごめんな、凛。さ、行こうぜ」
 日向はそう言うと、迷いなく俺の手を掴み、指を絡ませる
 その温もりと、嘘の気配がないことに、俺は心から安堵した
「うん。でも、知り合いはもう大丈夫なの?」
 俺は慎重に尋ねた
 日向の過去の傷に触れるのは怖かったが、もう嘘を積み重ねるわけにはいかない
 日向は一瞬だけ遠くを見るような目をした後、すぐに俺の目を見た
「ああ。もう大丈夫だ。あいつは、俺の隣にお前がいるのを見て、諦めたよ」
 日向の言葉は短く、その裏にはまだ片付けきれていない感情があるのだろうと感じたが、日向が俺の隣にお前がいるという事実を、過去の清算の理由として使ってくれたことが、何よりも嬉しかった
 俺たちはまず、クラスメイトの男子が勧めてきた、たこ焼きの屋台に向かった
「お化け屋敷、めっちゃ評判いいぞ!」
「途中の仕掛け、篠塚くんのアイデアなんだって?」
 たこ焼きを受け取りながら、生徒が俺に話しかけてくれる
 以前なら、こうして集団の中で褒められること自体が恐ろしかった
 でも、今は純粋に嬉しい
「へへ、ありがとう。日向が設計図をしっかり作ってくれたおかげだよ」
 日向はたこ焼きを俺の口元に差し出しながら、少し得意げに笑った
「大事な監督さんのアイデアを無駄にできねぇからな」
 一瞬、顔が熱くなったが、怖くはない
 二人でたこ焼きを分け合い、写真部の展示を見に行き、弓道部が企画した縁日コーナーで遊んだ
「え、これって三番の『佐藤』が正解じゃないの?」
「どこがどうなったら『塔』が『五個』あるイラストで『後藤』。じゃなくて佐藤になるんだよ、二番だろ」
「……確かに!」
 三年生のクラスがやっている脱出ゲームをしたり
「もうちょっと鈴井先輩、篠塚先輩に寄ってください」
「こうか?」
「ち、近くない……?」
「いい感じっす!いきまーす、はい、チーズ」
 一年生のクラスがやっているフォトスポットで写真を撮ったりもした
「ねぇ、日向」
「ん?」
「俺たち、こうして一緒にいるのが、本当に夢みたいだよ」
「夢じゃねぇよ、現実だ。一生、俺の隣にいるって約束しただろ」
 日向はそう言うと、俺の頭をポンと叩き、再び手を強く握り直した
「そろそろミスターコンの集合かかるな。俺もう行くけど、凛はどうする?」
「俺は体育館の一番前で待機してるよ。日向を応援するって言ったもんね」
「ははっ、心強い味方だな。じゃあ体育館前まで一緒に行こう」
 日向は、俺を大勢の生徒たちが行き交う賑やかな廊下に引き戻した
 繋いだ指先から伝わる温もりが、彼の隣という居場所が、誰にも奪われない俺だけの真実だと、改めて教えてくれる
(キラキラしてる日向を、一番前で見届けるんだ)
 そう強く意気込んで。きゅっと軽く手を握りしめた


 体育館へ入ると、すでに熱気に包まれていた
 ステージ前は生徒たちで溢れかえっている
 俺は日向に言われた通り、ステージがよく見える一番前の席を確保した
 ミスターコン開始まで、まだ少し時間がある
 生徒たちのざわめきをBGMに、俺は日向への想いを噛みしめていた
 日向が、俺のために一番かっこよくなる、と言ってくれた
 その言葉一つで、この空間全体が俺たちの特別な場所のように感じられる
「ねぇ、もしかして、日向のクラスの人?」
 突然、背後から声をかけられ、俺は振り返った
 そこに立っていたのは、昨日、受付で日向に声をかけていた、あの派手な格好の女子生徒だった
「えっと……」
「私、美祐(みゆう)っていうの。あなた、日向と仲良いでしょ?」
 美祐と名乗った彼女は、自信に満ちた、強い視線で俺を見つめてきた
 日向と呼ぶほど関わりが深いことからも彼女が日向の元カノなのはほぼ確定だろう
「実はさ、日向とちょっと話したいことがあるんだけど、全然会ってくれなくて。友達として、協力してくれない?」
 彼女は、俺と日向の関係を知らないまま、まるで当然のように協力を求めてきた
 胸の中に、昨日感じたあの鋭い不安が蘇る
 彼女は、日向の過去の傷の原因になった人物かもしれない
 日向がなんでもないと誤魔化してでも隠したがった相手だ
 俺は一瞬、彼女の勢いに押されそうになったが、日向のあの言葉と、憂鬱そうな表情を思い出した
 俺がここで逃げたら、また日向は一人で過去と向き合わなきゃいけない
 日向は自分を隠す必要なんてないのに
 俺は強く手を握りしめ、美祐の目をまっすぐ見つめた
「ごめんなさい、それはできません」
 俺が拒否すると、美祐は驚いたように目を丸くした
「え?なんで?ちょっと話すだけだよ?」
「日向は今、恋人がいます。そして、日向はあなたとお話したいとは思っていないようです」
 俺の言葉は、自分で驚くほど明確で、一切の迷いがないものだった
「日向は、過去のことはもう終わったことにしたいんだと思います。だから、日向に迷惑をかけないでください。あなたとは、会いません。会いたくないようなので、諦めてください」
 美祐の顔から、さっきまでの自信が消え失せる
 彼女は何か言い返そうとしたが、その瞬間、体育館の照明が落ち、ミスターコンの開会を告げる音楽が大音量で鳴り響いた
 彼女は驚いて周囲を見渡し、俺を睨みつけるように見てきたが、俺はもう彼女を見る必要はない
 日向の隣という居場所を、俺はもう誰にも渡さない
 スポットライトが一つ、ステージ中央を照らし始めた
 俺は、日向がこれからステージで見せてくれる、一番かっこいい姿を、恋人として誰よりも近くで見届けるために、席に深く腰を下ろした
 俺は、もう過去の影に日向を奪わせたりはしない


 ステージの照明は激しく点滅し、出場者たちの緊張と興奮を映し出している
 俺は最前列で、日向の出番を待っていた
 出場者は全部で九人、次々と、各々の趣味や特技を披露し、場を沸かせていく
 アピールタイムでは、派手なダンスやマジックをする生徒もいれば、熱いメッセージを語る生徒もいる
 しかし、俺の頭の中は、まだ舞台袖に控えている日向の姿を思い描くばかりだった
 アピールタイムが終わると、次は企画コーナー
 くじ引きで選ばれたシチュエーションとセリフを、会場の観客に向けて披露する胸キュン台詞のコーナーだ
 セリフを言うたびに、女子生徒たちから大きな歓声と悲鳴が上がる
(みんな、すごく盛り上がってる……)
 俺は、周りの歓声に圧倒されそうになりながらも、ステージに釘付けになっていた
 そして、ついに最後の出場者、日向の番が来た
「さあ、お待たせいたしました!トリを飾るのは、全学年から一目置かれる二年生、鈴井日向くんです!」
 スポットライトが一つ、日向の制服姿を照らす。会場を埋め尽くす生徒たちの歓声が一際大きくなる
 日向は、手を振ることなく、ただ静かにステージ中央に立った
 その姿勢だけで、周囲のざわめきを鎮めるような、圧倒的な存在感があった
 アピールタイムでは、日向はマイクを手に、冗談めいたことは一切言わず、真剣な瞳で語り始めた
「俺は、目立つためにここに立っているわけじゃない。俺が大切にしたいもの、守りたいもののために、嘘のない自分でいる。それを証明したくて、ここにいる」
 彼の言葉には、日向が乗り越えてきた嘘や葛藤、そして俺との間で築いた真実が込められているように感じられた
 周りの生徒がその真意をどこまで理解したかはわからないが、日向の嘘のない姿勢は、彼の言う通り、会場に強い誠実さとなって響き渡り、大きな拍手を生んだ
 そして、企画のクライマックス、日向の「胸キュンセリフ」の時間になった
 司会者が日向にくじを引くよう促す
 日向は迷いなく箱の中に手を入れ、一枚の紙を引き抜いた
 日向は、くじに書かれた文字に目を落とす
 日向は紙に書かれた内容を確認すると、一瞬、フッと小さく笑った
 そして、その視線は迷うことなく、客席の一番前、俺の席へと向けられた
 日向の目に、悪戯っぽい光が灯る
(まさか……)
 心臓が激しく脈打った
 日向は、会場の誰でもない、目の前にいる俺に向けて、そのセリフを言うつもりだと、直感的に悟った
 日向の視線は、周囲の歓声やざわめきをすべて無視して、ただ俺だけを射抜いていた
 そして、日向は目を合わせたまま、マイクを通し、会場全体に響き渡る声で、くじに書かれていたセリフを、しかし俺だけに届くように、低い声で告げた
「ずっと言いたかった。お前を友達として見てるなんて、嘘だ。……もう、我慢しない。お前が欲しい」
 会場は一瞬静まり返った後、すぐに割れんばかりの大歓声と悲鳴に包まれた
 日向が最後に言ったお前が欲しいというストレートで強い独占欲の言葉が、観客の心を鷲掴みにしたのだ
 俺の顔は熱と感動で紅潮して、俺は涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた
 日向は、凛に向けて、満足そうに、そしてとても優しく微笑んだ
 ミスターコンテストの結果がどうなろうと、日向の愛は、会場の誰にも、そして過去の影にも奪われない、凛だけの真実だった


 ミスターコンの結果はもちろん、日向がグランプリだった
 発表の瞬間、体育館の熱狂は最高潮に達したが、日向はただ静かに、客席の一番前、俺のほうを見て微笑んだだけだった
 その表情が、すべてを物語っていた。
「すごいね、日向。やっぱり日向が一番かっこよかったよ」
 体育館を出て、二人の顔が並んだとき、俺がそう言うと、日向は笑いながら、
「お前が一番応援してたからな」
 とだけ答えた。あのセリフの真意を知っているのは俺たち二人だけだ
 その事実が、最高の誇りだった
 そして今、俺たちは教室で、お化け屋敷の片付けに勤しんでいる
 暗幕を外し、血のりの装飾を拭き取り、懐中電灯や小道具を箱に詰めていく
 昨日まであった孤独への恐怖も、嫉妬心も、日向のあの舞台での言葉と、俺の隣にいるという確かな温もりのおかげで、跡形もなく消え去っていた
「篠塚、その脚立、こっちに立てかけてくれ」
「わかった!」
 脚立を片付けるため、日向とすれ違う瞬間、日向は自然と俺の腰に手を回し、周囲には気づかれない一瞬で、指先で背中を軽く撫でた
 その触れるか触れないかの曖昧な温もりが、俺の心を大きく脈打たせる
「お前のアイデア評判良かったぞ。裏でずっと作業してて大変だったろ」
 日向は、大勢のクラスメイトの前で、ごく自然な調子で俺を気遣ってくれた
「うん、ありがとう。でも、みんなと協力できて楽しかったよ」
 そう答えると、日向は目を細めて笑った
 俺は、日向の存在がもたらしてくれる安心感と誇らしさを噛み締めながら、繋いだ手を強く握り返した
 教室に戻ってきたクラスメイトの賑やかな声が、再び暗闇を破る
「おい、鈴井!暗幕運び手伝ってくれ!」
「おう、今行く」
 日向はすぐに返事をすると、最後に俺の額に一瞬だけ唇を触れさせた
「代休、楽しみにしてろよ。お前の恋人として、誰よりも楽しませてやる」
 そう囁き、日向は颯爽とクラスメイトの輪の中に戻っていった
 それを見ながら、俺は心の中で微笑んだ
 遊園地に行く月曜日が、今から待ち遠しい