俺の日々は充実していると思う。幸せだと思う
 家族の仲は良好。成績も中の上。クラスもこの人といった友達はいないが全体的に仲は悪くない
 高校二年生に進級し三ヶ月。中間試験はもちろん、期末試験も無事に終わり夏休みが来るのを待つのみだった
 特別何か嫌なことがあるわけじゃない。誰かに責められたり、いじめられたりすることも今はまったくない
 それは、俺が、篠塚(しのづか)(りん)が、努力して手に入れた、この平穏な日常だ
「篠塚くん、これどうする?クラスの打ち上げ、どこでやるか決まらないんだけど」
 昼休み、女子の一人が俺にスマホの画面を見せてきた。焼き肉かイタリアンか、アンケートの途中経過が映っている
「うーん、どっちもいいね。俺はみんなが楽しめるならどっちでも大丈夫だから任せるよ」
 そう答えると、画面を見せてきた女子は
「篠塚くんらしいね〜」
 と笑って、次の男子に意見を聞きに行った
 ああ、これでいい。俺の意見を言う手間が省けたし、誰も俺のせいで不満を持つことはないから俺の周りの世界はいつも穏やかだ
 みんなが円満でいること。その空気を作ること
 それが今の俺の存在意義のような気がしていた


 授業の終わった放課後の教室は開放感と夏の熱気で騒がしかった。みんなは夏休みの計画や打ち上げの話で盛り上がっている
 俺は机に突っ伏して、その賑やかな声をBGMのように聞き流していた
 この騒がしさが少し嫌になる。かと言って帰るかと言われたら、みんなが帰宅していて混み合う今の時間に帰りたくはなかった
 俺の口から出た打ち上げの「なんでもいい」は、本当は「イタリアンのパスタが食べたい」という小さな願いの裏返しだった
(それくらい言ってもいいって頭ではわかってるけど……)
 心の中でそう思った瞬間、いつも通り、自己嫌悪が襲ってきた
 それくらい言ってもいい。それなのに喉が動かない
「……ちょっと、涼しいとこ行こう」
 気がつくと、俺は席を立っていた
 この賑やかな場所にいると、自分がまるで透明人間のように感じて、息苦しくなる
 向かった先は、校舎の隅にある階段を上った、普段誰も使わない屋上だった
 屋上に出ると、熱い夏の風が顔にぶつかってきた。視界いっぱいに広がる青い空と静寂
 校庭の喧騒が遠く聞こえるだけの、この誰もいない場所だけが、俺の鎧を脱げる場所だった
 フェンスの前に座り込み、膝を抱える
(俺は、このまま、ずっとなんでもいいだけで生きていくんだろうか)
 打ち上げでみんながイタリアンじゃなくて焼き肉を選んだとしても、俺は心から笑えるだろうか
 自分で選んだ道を歩かないで、誰かの後ろをついていくだけの人生
 それは本当に「幸せ」なのだろうか
 心臓が締め付けられるみたいに痛い。言いたいことが言えない苦しさと、それを押し殺して安心している自分への嫌悪感が混ざり合って、目頭が熱くなる
 俺がこの静寂の中で、自分の本音と、過去の恐怖に苛まれていた、その時だった
 重い扉が開く音がして、声が響いた
「なんだ、こんなとこに誰かいるのか」
 振り返ると、そこに立っていたのは、俺とは対極の存在
 鈴井(すずい)日向(ひなた)だった。彼のまっすぐな目が、膝を抱えた俺の姿を、容赦なく捉えていた
 鈴井はクラスでは浮いているわけではないが、かと言って中心にいるわけでもない。ただ、間違っていると思ったことには遠慮なく口を出し、周りの空気に流されない。俺が最もなれない人間だった
 彼は特に言葉をかけることもなく、フェンスから少し離れた場所に腰を下ろし、空を見上げた。その沈黙が、今の俺にはたまらなく居心地が悪かった
「……別に、なんでもないよ」
 気づくと、口癖のお守りをまた使っていた。何でもない顔をして、立ち上がろうとする。早くここを離れたい
 だが、鈴井は立ち上がろうとする俺を見下ろし、嘲笑うような口ぶりで言った
「ふーん。なんでもない、ね」
 その声には、一切の俺しさも同情もなかった。ただの事実確認のような、あるいは馬鹿にしているような響きだった
「さっきまで膝抱えて、今だって泣き出しそうな顔してんのに?」
 顔が熱くなる。図星だった
「うるさいな。俺の勝手だろ」
 久しぶりに抵抗の言葉を口にした。嫌われるのが怖くて、鈴井のような人間を刺激したくなかったのに
 鈴井は肩をすくめ、視線を俺から逸らさずに続けた
「勝手だな。でも、お前のそのなんでもいいって顔、すげぇムカつくんだよな」
 一瞬、思考が止まった。ムカつく?俺の平和なお守りが、誰かの気に障るなんて考えたこともなかった
「……何が」
「見てて気持ち悪いんだよ。すげー楽な生き方してるよな、篠塚って」
「……楽?」
「だってそうだろ。自分で何も決めなくていい。失敗しても、誰かのせい。クラスが文句言っても、お前は『任せた』って言ったんだから関係ねぇ。自分の人生すら、他人に丸投げしてんじゃねーか」
 鈴井の言葉が、鋭利な刃物のように胸を貫いた
「そんなこと……!」
 楽じゃない。楽なんかじゃない
 常に周りの顔色を窺って、自分の本音を押し殺すのが、どれだけ苦しいかなんて、こいつには……
 思わず声を荒らげそうになったが、喉の奥でまた鉛の塊が詰まる。言い返せない
 鈴井はそんな俺の様子を見て、さらに続けた
「何だよ、言いたいことあんのにまた黙るのか?悔しいとか、悲しいとか、俺が間違ってるって言いたいなら言えよ。なんでもいいじゃなくて、これが嫌だって、自分の言葉で言ってみろよ」
 気づけば、俺は立ち上がり、鈴井に食ってかかっていた。喉の奥の鉛の塊が無理やり押し出されたように、声が出た
「……お前に、俺の何がわかるんだよ!」
 心臓の痛みに耐えきれず、涙が溢れてくる
「俺のせいで誰かが不満を持つのが怖いんだ!お前みたいになんでもかんでも正直に言って、いつか一人になったりするのが怖いんだよ!」
 鈴井は、俺が感情を剥き出しにしたことに驚いた様子もなく、一歩、また一歩と近づいてきた。そして、俺の肩を掴み、真っ直ぐに俺の目を見つめた
「ああ、お前が怖いのはわかった」
 鈴井の声は、さっきまでとは打って変わって、静かだった
「でもな、篠塚。お前がここで一人で泣きながら、本音を言えなくて悲しむことのほうが、よっぽど辛いことだろ」
 彼の言葉は、俺の過去の恐怖ではなく、今の孤独な本音に寄り添っていた
「そのなんでもいいって言葉の裏で、お前がどれだけ自分を苦しめてるか、俺にはわかんだよ。言いたいことがあるのに言えねぇってのは、生きてねぇのと同じだ。そんなんで本当にお前は幸せなのかよ」
 その問いが深く突き刺さった気がした。聞かれたくなかった、でも誰かに気づいて欲しかった
(俺は、幸せじゃない……)
 でも、打ち上げの行きたい場所、それすら言えない自分への嫌悪感。本音を言う恐怖。鈴井のまっすぐな眼差し。
 すべてが混ざり合い、俺の視界は歪んだ
 俺はもう何も言えなかった。膝を抱え込んでいた時よりも、ずっと深く、絶望と自己嫌悪の渦に落ちていくのを感じた
 鈴井は数秒間、黙って俺を見ていた。そして、大きく息を吐き、口を開く
「……まぁ、言えないよな」
 怒っているというより、何かを諦めたような、俺しくなったわけではないが、冷たくない声だった
「なら、別に無理に今すぐ言わなくてもいい。……でも、お前の気持ちは、誰かのために捨てていいもんじゃねぇよ」
 鈴井はそう呟くと、屋上のフェンスに寄りかかり、静かに俺から視線を外した
「ここ、誰も来ないから、本音を言う練習にはちょうどいいんじゃねぇの」
 鈴井の言葉に、俺は顔を上げた
 涙で滲んだ視界の中で、彼の表情を読み取ろうとする
 怒りや軽蔑の色は消えていた。かといって、同情や俺しさとも違う。ただ、淡々としている
 その意図の読めなさが、今の俺には一番恐ろしかった
 『お前の気持ちは、誰かのために捨てていいもんじゃねぇよ』
 でも、その言葉は、俺が自己嫌悪に陥る中で、誰よりも欲しかった肯定だった
「なん……で」
 俺は掠れた声で尋ねた。鈴井の意図がわからず、これ以上、何を言えば正解なのかが判断できない
「練習……って、何だよ。俺のこと、馬鹿にしてんのか?」
 言葉を選ばずにそう問いかけると、鈴井は再び俺のほうを見た
 その目はまっすぐで、先ほどの嘲笑とも同情とも違う、ただの探求心に満ちていた
「馬鹿にはしてねぇよ」
 鈴井は淡々と答えた
「でも、お前さ、自分が何に怯えて、何に怒ってるのかすら、まともに理解してねぇだろ」
 鈴井は俺から一歩離れ、両手を広げて屋上を指した
「ここなら、誰も聞いちゃいねぇよ。もし俺がムカつくなら、俺に言えよ。『お前が間違ってる』って。打ち上げで行きたい場所があったんなら今、ここで言ってみろよ」
「そんなの、今言っても意味ないだろ……」
 俺は反射的に反論した
「ああ、意味ねぇよ。でも、言えねぇから、お前は教室でまた『なんでもいい』って言うんだ。言えねぇって分かってても、言えるようにしないと、また誰かに自分の人生を丸投げするだけだろ」
 鈴井の言葉は、相変わらず鋭かったが、その奥には、俺の変わるチャンスを作ってやろうという明確な意思が感じられた
 俺は戸惑いながらも、鈴井が怒りや軽蔑ではなく、本当に俺を助けようとしているのかもしれないと感じ始めていた
しかし、なぜ、こんな厄介なことに、彼は関わろうとするのだろうか
「どうして、お前がそこまで?俺のこと、嫌いなんじゃなかったのか」
 鈴井は俺の質問に、一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの表情に戻った
「嫌いだよ。見ててムカつくって言ったろ。でもな」
 彼は俺を見据えて、低い声で続けた。
「嘘つきは、もっと嫌いなんだよ。特に、自分の気持ちに嘘ついて、苦しんでるやつはな。俺は、お前がその嘘を吐かなくなるまで、ここで見届けたい気分なんだよ」
 鈴井はフェンスから離れ、屋上の扉に向かった
「じゃあな。次来るときまでに、一つくらいなんでもいい以外の言葉、見つけとけよ」
 そう言い残し、彼は扉を開けて屋上から出て行った
 彼の背中には、一切の迷いがなかった。まるで、当然のことをやっただけ、というような態度だ
 鈴井が去った後の屋上は、静寂を取り戻した。でも、もう以前のような穏やかな静寂ではなかった
 鈴井が放った問いと、最後にくれた「居場所」のせいで、俺の心には大きな波紋が広がり、収まらない
 なんでもいい、という言葉が、もう以前のように俺を守ってくれるお守りにはならない気がした
 鈴井という存在が、俺の平穏な日常を、根本から揺るがし始めていた
 次に来るまでに、なんでもいい以外の言葉を、一つ
 それは、俺に課せられた、初めての宿題だった


 次の日の放課後、俺はまた屋上へ向かった
「一つくらいなんでもいい以外の言葉を見つけとけよ」
 という宿題が、頭から離れなかった
 昨日、あれほど感情を剥き出しにしたにも関わらず、結局俺の頭には何も浮かばなかった
 クラスの奴と行った昼休みの購買でも、焼きそばパンとたまごサンドのどっちを選ぶかという話になった時も、咄嗟にどっちでもいいよと言ってしまった。
(結局、何も変われてない。昼飯さえも選べないような俺、人生丸投げしてるって言われても、何も言い返せないよな)
 屋上の重い扉を開けると、既に鈴井がフェンスにもたれて立っていた
 彼は空を見上げていて、俺には目もくれなかった
「……来たのか」
 鈴井は俺の方を一瞥し、すぐに視線を空に戻した
「うん」
 俺は昨日座り込んだ場所に立つ
 昨日の喧嘩の熱は引いたが、静寂の中で隣に立つ鈴井の存在感は、昨日よりも遥かに大きく、俺の心を圧迫していた
「宿題は?」
 その問いかけに喉が詰まる。口を開くのに、ひどく勇気が必要だった
「まだ、見つかってない」
 正直にそう言うと、鈴井は鼻で笑った
「だろうな。まぁ、そんな簡単に治るなら苦労しねぇよ」
 彼は隣に腰を下ろすよう手で示した。俺は戸惑いながらも、その指示に従う
 フェンスにもたれかかり、初めて鈴井と同じ目線で空を見上げた
 鈴井は特に何も言わず、しばらく空を眺めていた。俺も黙って隣にいると、不思議と緊張が少しずつ溶けていくのを感じる
 彼の隣は緊張するが、一人でいる時よりは息苦しくなかった。
「なぁ、今日さ、お前がなんでもいいとか、任せるよとか、曖昧な答えをしたのはどんな時だ?」
 鈴井は空から俺に視線を移さずに、問いかけた
「昼休み、かな」
 俺は正直に答えた
「クラスの奴と購買に行った。パンを選ぶとき」
「ふーん。で、どうなった」
「たまごサンドと、焼きそばパンが、最後の一つずつ残ってた。一緒にいたやつが、どっちにするって聞いてきて、咄嗟にどっちでもいいよって答えた。」
 それが口癖になっていて、反射的に言葉が出てしまうようになっていたことをやっとちゃんと自覚した
 「そいつがたまごサンドを選んだから、俺は全然いいよって言って、残った焼きそばパンにした」
 話をしながら、喉の奥がまた詰まっていく
 自分が何も決められなかった事実を口にすることが、恥ずかしい
「あいつがたまごサンドを選んだとき、いや、それ以前に俺もたまごサンドが食べたいって、言えなかった」
 そこまで言って、俺は押し黙った
 鈴井の反応が怖い。また楽な生き方だと嘲笑われるのだろうか
 だが、鈴井は何も言わずに沈黙を続けた。その沈黙が、俺をさらに追いつめる
「……なあ、鈴井」
 震える声で、俺は彼が問いかける前に、一番言いたくなかった本音を吐き出した
「本当は、俺もたまごサンドが食べたかった」
 口に出した瞬間、心臓が大きく跳ねた
 昨日、鈴井の前で叫んだときよりも、よっぽど大きな勇気が必要だった
 これは、自分の小さな欲望を認める言葉だからだ
 鈴井は、ようやく俺の方に顔を向けた
 彼の目は、やはり静かで、微かに見開かれていた「……へえ」
 鈴井は短く呟くと、すぐにまた空に視線を戻した
「そっか。たまごサンド、食べたかったんだな」
 その声は、非難でも、同情でもなかった。ただ、俺の言ったことを事実として受け止めただけ
 その受け止め方に、俺は肩の力が抜けるのを感じた
 誰も責めていない。ただ、俺の望みを、彼が認識しただけだ
 鈴井は静かに息を吸い込んだ
「よし。宿題、達成じゃねーの」
「え……?」
「なんでもいい以外の、お前の言葉。見つけただろ?」
 俺は呆然とした。こんな、意味のない、もう終わったこと
 そして、鈴井というたった一人の前で言っただけの小さな本音が、宿題の達成になるなんて
「お前も、言おうと思ったらちゃんと言えるんじゃん。頑張ったな」
 俯いてしまった俺の頭に、手が乗っかる感覚がした。見上げると、鈴井は穏やかな顔で笑っていた
「お前自身が、自分の気持ちを見つけてやんなきゃ、誰も見つけてくれねぇんだよ」
 鈴井の言葉は、まるで熱い夏の日差しのようにまっすぐだった
「……鈴井」
 俺が掠れた声で名を呼ぶと、鈴井は手を離さずに、少し面白がるように口角を上げた
「なんだよ。顔真っ赤だぞ。まさか、褒められたのがそんなに嬉しいか?」
「ち、違う!なんで、撫でるんだよ!」
 俺は反射的にそう言い返したが、すぐに後悔した
 こんなことで怒らせて、彼がここに来るのをやめてしまったらどうするんだ
 しかし、鈴井は呆れたように息を吐きながらも、怒りの色はなかった
「なんでって、頑張ったやつを褒めて何が悪いんだよ。お前、言いたいことも言えねぇくせに、自分の気持ちを口にするって頑張ったんだろ」
 鈴井は、まるでそれが呼吸をするのと同じくらい当然の行為であるかのように言った
「俺は、自分の気持ちに正直に行動してるだけだ。お前みたいに、変な遠慮はしねぇ」
 彼の言葉は、常に自分の感情に忠実だ。そのまっすぐさが、俺にとっては何よりも新鮮で、そして、怖くない
 彼は、俺を責めもしないし、変に持ち上げもしない。ただ、事実を事実として受け止め、そして、その上で俺の頑張りを評価してくれた
「なんで、鈴井はそこまで俺に構うんだよ。俺の嘘が嫌いだからって、こんな意味のないこと」
「意味、あるよ」
 鈴井は俺の質問を遮った
「俺がムカつくんだよ、お前が自分の気持ちを見失って、いつも悲しそうな顔してるのが。俺は、自分の気持ちに嘘がつけねぇからムカつくならムカつくって言うし、お前のことがほっとけねぇなら、ほっとけねぇって言う。ただ、それだけだ」
 彼の言葉には、嘘がないという絶対的な安心感があった
「俺がここにいる間は、お前が誰かに合わせて、自分の気持ちを殺す必要はない。その代わり俺も言いたいことははっきり言う。だから、なんでもいいを、ちょっとずつやめてみろよ」
「……わかった」
 俺は小さな声で答えた
 鈴井が差し出してくれた、この一方的なルールの上でなら、もしかしたら俺は変われるのかもしれない
 鈴井は俺の頭から手を離し、立ち上がって制服の埃を払った
「まぁ、そんなわけで、今日の練習は終わりだ」
「え……あ、うん」
「明日も来いよ」
「え?」
 予想外の言葉に、俺は思わず聞き返した
「なんだよ、嫌なのか?」
「嫌じゃ、ないけど……」
 鈴井はフェンスに両手をつき、校庭を見下ろしながら言った
「明後日、終業式だろ。夏休みに入ったら、俺も暇じゃねぇし、ダラダラやるのも性に合わねぇ。だから、終業式までは毎日ここに来る。お前も来い」
 毎日、鈴井と二人で。その言葉が、俺の胸に強く響いた
 昨日の今日で、こんなにもあっさりと、俺だけの居場所が、約束されてしまった
 相変わらずの、まっすぐで遠慮のない言葉でも、その言葉に、助けてやっているという上から目線や、可哀想だという同情はなかった
「それに、お前の一歩目は上出来だった」
 鈴井は立ち上がると、昨日と同じようにフェンスから離れて屋上の扉に向かった
「じゃあな、凛」
「え……」
 突然名前を呼ばれ、目を見開く。鈴井は一度立ち止まり、少しだけこちらを振り返った
「明日も来いよ。今日より、もうちょっとマシな本音、見つけとけ」
 彼は、俺の下の名前を呼んだ
 クラスで特別仲の良い友人のいない俺を、下の名前で呼ぶ人間はほとんどいないのに、鈴井は恐らく彼の気分で、俺の下の名前を呼んでくれた
「わかった。明日も来る」
 俺がそう答えるのを確認すると、鈴井は満足そうに口角を上げ、今度こそ扉を開けて出て行った
 重い扉が閉まり、屋上は再び静寂に包まれた。熱い夏の夕方の風だけが、俺の火照った頬を撫でていく
(凛……)
 鈴井に名前を呼ばれた時の、胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚が、まだ残っていた
『自分の気持ちを殺す必要はない』
 その言葉をくれた鈴井が、俺を嫌いだと言いながらも、ほっとけないと言ってくれた
 その事実だけで、昼休みに我慢したたまごサンドの小さな後悔も、過去に周りに合わせたときの寂しさも、全てが遠のいていくような気がした
 なんでもいい、じゃない。俺には、鈴井に言いたいことが、まだたくさんある
 俺の心は、明日への宿題と、鈴井という新しい波で揺れていた


 次の日の放課後、俺は昨日よりも早く屋上へ向かった
 フェンスにもたれていた鈴井は、俺の姿を見ると、いつものように空から視線を俺へと移した
「来たか、凛。宿題は?」
「見つけてきた」
 俺は深呼吸をした。今日言うべきことは決まっている
 それは、この練習の延長ではない、俺自身の、ささやかな願いだ
 夏休みも会いたい。鈴井と二人でどこか出かけたりしたい
 頭の中で何度も練習した言葉だったが、いざ口を開こうとすると、喉がまた詰まる
 鈴井のまっすぐな視線が、俺を捉える
(言わなきゃ。今言わなきゃ、また元の自分に戻ってしまう)
 会いたいという言葉が、鈴井にとって迷惑ではないかという不安が、心に重くのしかかった
 もし、会う理由がないと断られたら?
 もし、お前の嘘が嫌いなだけで、お前に興味があるわけじゃないと言われたら?
 過去の恐怖が、嫌われることへの恐れとなって俯いてしまう
「なんだよ、言いたいことあるんだろ」
「あ……」
 俺は素直に頷いた。言いたいことはある。その事実には嘘がない
 怖くても、言えなくても、なんでもないってことだけは言っちゃダメだ
 意を決して顔を上げ、鈴井の目を見た
「今日は、言わない」
「は?」
 鈴井は少し目を見開いた
「言いたいことはある。でも、まだ伝える準備ができてない。途中で言い淀んだり、泣きそうになったりせずに、ちゃんと伝えたいから」
 そう言うと、喉の奥の鉛の塊が、少しだけ軽くなった気がした
 これは、誰かに流された言葉ではない。今日の自分ができる精一杯の自己決定だった
 鈴井はしばらく沈黙した後、フッと口角を上げた
「へぇ。そりゃ、マシになったな」
「……」
「自分の気持ちに嘘をつかないだけじゃなく、自分の意志で、伝えるタイミングを選ぶ。なかなかやるじゃん、凛」
 彼の言葉には、昨日までのような嘲笑はなく、明確な満足の色が滲んでいた
「わかった。じゃあ、今日は練習はなし。帰るぞ」
 鈴井はそう言い、屋上の扉へ向かった
(今、言わなきゃ。伝える準備をするって言ったんだ。練習しなきゃ)
 俺は勇気を振り絞り、彼の背中に向かって、昨日からずっと、練習していた彼の名前を、少し震える声で呼んだ
「ひ、日向!」
 鈴井は扉の前でぴたりと立ち止まり、ゆっくりと振り返った。彼の目が驚きに見開かれているのがわかる。
「なんだよ」
「今日から、日向って呼ばせてほしい。鈴井じゃなくて……」
 俺は、初めて下の名前で呼んだという事実に顔を赤くしながらも、言い切った
 鈴井は数秒、俺をじっと見つめた後、フッと笑った
「わかったよ、凛。明日、待ってるからな」
 そう言い残し、今度こそ扉を開けて出て行った
 重い扉が閉まり、静寂が戻る。俺は顔を両手で覆った
(日向、って言えた……!)
 恥ずかしさで体が熱かった。でも、同時に、明日こそは自分の本当の願いを伝えることができると確信していた


 終業式が終わると、開放感から教室の空気は一気に沸騰した
 担任の淡白な話なんて誰も聞いていなかったかのように、夏休みの計画や打ち上げの話題でざわめいている
「篠塚、この後みんなでカラオケ行かない?」
 数人のクラスメイトが、明るく俺を誘ってくれた。でも、俺は……
「ごめん、今日は用事があるんだ」
 そう断った瞬間、心臓が大きく跳ねた
 これで付き合い悪いとか後で陰口とか言われたらどうしよう。なんて不安が高まる
 しかし、誘ってくれたクラスメイトは、あっけらかんと笑った
「そっか、残念!用事なら仕方ないな。また今度誘うわ」
 彼らの態度は、俺の心配とは裏腹に、驚くほど明るく受け流してくれた
 誰も顔を曇らせなかった。俺の心配は、今のところ杞憂に終わった
(よかった。誰も俺を責めたりしないんだ)
 少し拍子抜けしたが、それが今の俺にとっては、大きな収穫だった
 俺はロッカーからバッグを取り出し、誰もいない校舎の隅の階段を目指した
 屋上の重い扉を開けると、夏の熱い風が吹き付けてきた。フェンスにもたれ、空を見上げる
 まだ日向の姿はなかったが、俺は知っていた。彼は必ず来ると
 俺はフェンスにもたれて座り込み、リュックを足元に置いた
 昨日、自分の意志で決めた願い。あれから一晩中、頭の中で何度も言葉を組み立てた
(なんでもいい、じゃない。俺は、日向と夏休みも一緒にいたい)
 この願いを口にすることが、どんな意味を持つのか、俺はもうわかっている
 日向は、俺の本音をただの練習として受け入れるかもしれない。あるいは、日向の都合によって無理なのかもしれないしただ単に拒否される可能性もある
 だが、昨日彼の名前を呼んだとき、そして、彼に凛と名前を呼ばれたときの、あの胸の奥が締め付けられるような感覚、それは、俺の今までの押し殺してきた世界には存在しなかった、特別な感情だ
 心臓が大きく鼓動する。
 もしこの願いを拒否されて、この屋上がただの寂しい場所に戻ったとしても、俺は今のこの願いを言わなければいけない
 重い扉が開く音がした
 振り返ると、そこにいたのは、俺の待っていた日向
「悪い、担任に呼び止められてた」
 日向はいつものようにフェンスにもたれかかり、俺の目を見た
「それで、言う覚悟は決まったのか?」
「うん」
 俺は立ち上がり、昨日よりも、ずっとしっかりした声で言った
「ちゃんと伝えるって決めた、日向」
 一歩踏み出し、逃げないように彼のまっすぐな目を見つめる
「夏休み、俺と二人で、どこかに出かけたり、会ったりしてほしい。……日向に会いたい」
 日向は、俺の願いを聞くと、静かに笑った
「会いたい、か。お前、ほんと変わったな」
 日向の声には、からかうような響きはなく、ただ温かい。俺は胸の鼓動がうるさくて、息を継ぐのも忘れていた
「……無理、だよな」
 不安に負けて、俯きそうになった瞬間、日向の指が俺の顎に触れ、上を向かせられた
「なんでだよ。無理なわけねーだろ」
 日向は一歩踏み出し、俺との距離を詰めた。熱い夏の風が、二人の間を通り抜けていく
「俺だって、お前夏休み中にまた戻らないか、ちょっと気になってたんだよ」
 日向はそう言って、俺の頭をポンポンと軽く叩いた
「お前が言いたいこと、ちゃんと言えたじゃん。偉いよ、凛」
 その優しい肯定に、俺は安堵と喜びで、目頭が熱くなるのを感じた
「で。どこに行きたいんだよ、凛」
 その問いかけに、俺はまた反射的に口を開きかけた
「ど、どこでもいい……、じゃなくて」
 言いかけて、慌てて撤回した。長年の癖は簡単に消えない
 俺はぐっと唇を噛み締め、頭の中を全力で回転させる
 自分の行きたい場所なんて真剣に考えたことがなかった
「お、お祭りとか、水族館とか、行ってみたい。あとは、日向の行きたいところにも、行ってみたい」
 俺がどもりながらも具体的な場所を口にすると、日向は満足そうに頷いた
「はい、よくできました。お祭りとか水族館な。じゃあ、それは俺に任せとけ。いい場所、探しておくから」
 彼は自分のスマホを取り出すと、俺の目の前に突き出した
「じゃあ、連絡先。夏休み中、具体的な場所決めるのに必要だろ」
 屋上から教室棟へと続く階段を下りながら、二人は連絡先を交換した
 俺は早速、日向のプロフィール画面を開いた
 日向と書かれた名前と、並んだアイコンに、俺は思わず小さく声に出してしまった
「……っ、可愛い」
 そこに映っていたのは、もふもふとした毛並みの、小さなポメラニアンの写真だった
「なんだよ」
 日向は呆れたように笑う
「これ、日向の?犬飼ってるのか?」
「ああ。家で飼ってる犬だ。ぽんすけって名前」
「ぽんすけ……」
「俺の年の離れた妹が、ポメラニアンの男の子だからぽんすけがいいって。センスねぇだろ」
 そんな話をする日向の声は、普段の鋭い調子より少し穏やかで、優しかった
 俺は、日向の家庭の側面を垣間見たことに、どきりとする
「俺、犬好きなんだ。ぽんすけ、可愛い」
 ぽんすけという響きと、犬の可愛らしさが合わさって、俺は自然と笑顔になっていた
「気になるか?」
 日向が、少し意地の悪い顔で尋ねてきた。俺は素直に自分の気持ちを口にした
「うん。会ってみたい」
「……へぇ」
 日向はニヤリと口角を上げた
「じゃあ、今から俺ん家いくか」
 その言葉は、あまりにも唐突で、俺は一瞬で思考が停止した
「え、今からって……」
 頭の中でいきなり行くのも申し訳ないから断れと理性的な声が響く一方で、行きたいという衝動が理性を圧倒していた
 日向のプライベートな場所に踏み込むこと。彼が飼っているという犬に会うこと
 それは、昨日までなんでもいいで済ませていた俺には、想像もできなかった、特別な時間だ
「なんだよ、嫌なのか?」
「嫌じゃ、ない。行く」
 俺は少しどもりながらも、まっすぐに日向の目を見て答えた
「よし。じゃあ、行くぞ」
 日向は満足そうに笑い、昇降口へ向かった
「親は共働きだから、まだ帰ってこねぇよ。妹がもうすぐ帰ってくる時間だけど」
 日向は特に説明を求めることもなく、状況を教えてくれた。その情報に、俺は少し安堵する
「妹さん……」
「ああ。まだ小学生だけど、うるせーぞ。特にぽんすけのことで」
 日向はそう言いながら、少しだけ楽しそうだった。日向から、家族の話を聞くのは初めてだ
 学校を出て、住宅街の細い道を歩く
 日向は、昨日までは対極の存在でしかなかったが、今は隣を歩く、俺の願いを聞き入れてくれた特別な人だ
「家、近いんだな」
 歩き始めて10分も経たないうちに、日向は大きな一軒家の前で立ち止まった
「ああ、俺、遠いとこまで歩くの嫌いなんだよ」
 玄関の鍵を開け、日向は俺に「入って」と促す
 初めて足を踏み入れた日向の家。そこは、日向の鋭い印象とは裏腹に、きれいに片付いていて、どこか落ち着く香りがした
「お邪魔します……」
 小さな声でそう言うと、奥からトコトコと、軽快な足音が聞こえてきた
「わん!わん!」
 可愛らしくも元気な鳴き声と共に、小さな毛玉が勢いよく飛び出してきた
 プロフィール画面で見た通りの、ぽんすけだ
「ぽんすけ。うるせぇぞ」
 日向はそう言いながらも、足元にすり寄ってきたぽんすけの頭を優しく撫でた
 俺は感動で声が出なかった。画面越しで見たよりもずっと可愛い
 そして、その人懐っこさに、長年の犬好きの血が騒いだ
「あの、触ったりしても、いいか?」
「ああ、噛みついたりしねぇよ。人懐っこいから、好きにしろ」
 俺はかがみこみ、そっとぽんすけのふわふわな背中を撫でた
 ぽんすけは尻尾をさらに激しく振り、俺の手に顔を擦り付けてくる
 その温かい感触に、俺は自然と笑みがこぼれた
「かわいい……!」
 俺が手を差し出すと、ぽんすけは警戒心ゼロで俺の指をペロペロと舐めてきた
 俺は思わず笑い、その柔らかい体を抱き上げた。抱き上げると、ぽんすけは俺の胸に顔を押し付けてくる
「なんだよ、随分懐かれてんじゃん」
 日向が面白くなさそうな顔で言ったが、その声はどこか嬉しそうだった
「ぽんすけ、お前、甘えん坊なんだな」
 俺がぽんすけの頭を撫でると、日向はキッチンに向かいながら言った
「人が好きすぎんだよ。てか、お前もそんな顔すんだな」
「え?」
「いい笑顔してるよ、今」
日向の言葉に、俺は思わず頬に触れた。確かに、初対面でここまで懐かれて嬉しい気持ちはあったけど、いざ指摘されると少し恥ずかしい
「適当に座ってて、麦茶か水くらいしかないけど、どっちがいい」
「あ、えっと、麦茶で」
「おっけー」
 俺はホッと息をつき、リビングのソファに腰掛けた
 腕の中のぽんすけは、俺の顔を舐めようと奮闘している
 こんな穏やかで、満たされた時間は、いつぶりだろう
 ぽんすけと戯れながら、俺は夏休みへの期待で胸がいっぱいになった
 日向と二人で、水族館やお祭りに行く。考えるだけで顔が熱くなる
「はいよ、麦茶」
 日向は冷たい麦茶のグラスを俺の前のローテーブルに置いた
「ありがとう、日向」
 名前で呼ぶことにも、少しずつ慣れてきた
 日向は何も言わずに隣に座り、ぽんすけは俺の腕から日向の膝の上に移動した
 二人で静かに麦茶を飲んでいると、玄関のドアがガチャリと開く音がした
「ただいまー!ぽんすけー!おにいー!」
 元気いっぱいの声と共に、ランドセルを背負った小さな女の子がリビングへ飛び込んできた
 日向の妹さんだ。小学生くらいだろうか、長い髪をポニーテールにして、愛嬌のある顔をしている
「あれ?おにい、このお兄さんは?」
「こいつは凛。俺の友達」
「あ、篠塚凛、です」
 友達。言葉にしてそう言ってもらうと、心が温かくなってくる。本当に俺は日向の友達になれたんだ
「えっ、おにいに友達いたの⁉︎」
 妹さんのストレートな言葉に、日向は眉をひそめ、俺は思わず吹き出してしまった
 日向は少し不機嫌そうに妹さんの頭を小突いた
「俺にだって友達くらいできるわ。てか、ひまも自己紹介しろ」
「はーい。凛お兄ちゃんだね?陽葵(ひまり)です!今ね、二年生だよ!」
「よろしくね」
 俺は抱き上げていたぽんすけをそっと床に下ろした
 ぽんすけはすぐに陽葵の足元へ駆け寄り、尻尾を激しく振っている
「凛お兄ちゃん、ぽんすけのこと好きなの?」
 陽葵は目をキラキラさせて尋ねてきた
「うん、すごく可愛いね」
「でしょ!ぽんすけ、世界一可愛いの!」
 陽葵はぽんすけを抱き上げ、俺に得意げな顔を向ける
 日向はそんな妹に苦笑いしながらローテーブルに山積みになった教科書とノートを片付け始めた
「ほら、陽葵、俺らは今から話すことあるから邪魔だ。宿題やれ。凛がいるからってサボんな」
「えー!もうちょっと遊んでから!」
「ダメだ。早くやらないと明日の午前中が潰れるぞ。夏休み初日から、母さんに説教されたいのか?さっさと終わらせとけ」
 日向の口調は厳しかったが、陽葵は特に嫌がる様子もなく、大人しくはーいと返事をして一度降ろしたランドセルを持った
(日向って、妹に結構世話焼くんだな)
 陽葵が階段を上がっていったのを見届け、日向は冷蔵庫の扉に貼られたカレンダーを見た
「さて、夏休みの予定だが」
 日向はリビングのローテーブルに座り直し、スマホで何かの情報を検索し始めた
「祭りは、この辺だとお盆明けだな。少し遠い場所だと来週にあるけど、どうする?」
「来週家族と予定があって……お盆明けでもあい?」
「ああ、もちろん」
 俺は胸が高鳴るのを感じた
「水族館は、ここから電車で一時間くらいかかるところがある。評判もいいし、一日潰せるな」
 日向はそう言いながら、俺のスマホにも水族館のホームページのリンクを送信してきた
「日程は俺は基本今月はいつでも空いてるけど凛は?」
「来週の土日以外なら空いてる」
「じゃあ早いうちに行くか。今週の土曜はどうだ?」
「いける!」
「よし、じゃあその日で。ホームページ見て、見たいところとか食べたいもんとか、考えとけ、俺も考えとく」
 日向の口調はいつも通りだが、その内容は、二人の未来の予定で溢れていた
 気が付けば、もう夕方五時を過ぎていた
「そろそろ、俺、帰るよ」
「ああ、わかった」
 日向は立ち上がった
「今日は、ありがとう。ぽんすけにも会えたし、その、友達って言ってくれて、嬉しかった」
 俺は正直な気持ちを伝えた
 日向は、一瞬何か言いたげな顔をした後、小さく笑った
「当たり前だろ。もう練習は終わりだ。夏休みは、友達として遊んでやるよ」
 日向は玄関まで見送ってくれた
「明日、連絡するからな、凛。ご苦労さん」
「うん、日向も」
 扉が閉まる直前、俺は最後に日向の顔を見て、別れの挨拶をした
 重い扉が閉まると、俺は自分の胸に手を当てた
 そこには、緊張ではなく、夏休みへの期待と、特別な友達を得た喜びが、満ちていた
 明日からの夏休みが、今までとは違う色に染まることを確信しながら、俺は家路についた