あなたを笑顔にするために4

 勤務上がりの公園。


 ベンチに座ってスマホを眺めていると、SNSには心ない言葉が流れている。


 【(障害者)手帳持ちは子どもを産むな】


 次に目に入ってきたのは、若い保育士の投稿だろうか…。


 【働いてないなら保育園に子どもをあずけるなよ】


 【迷惑で手のかかる子どもは親が自分でみてほしい】


 これらの言葉は。


 表面からは、鋭利に人を傷つけてしまう強い攻撃性。


 裏側からは、書いた本人が抱えているつらさもじわじわと滲み出ている。


 現実世界で、こんなふうに誰かに当たり散らしたのなら。


 変な人と思われ、自分が周りから追い詰められてしまうことになる。


 弱音を吐いたとしても、神様も誰も助けてはくれない。


 みんなそんなこと最初からわかってる。


 だから今日も、SNSは負の感情の掃き溜め。


 『困ってる!』『もう限界!』『誰か助けて!』


 本当はみんなが、そう思っているのに。


 まるでなにもなかったかのように、次の日学校や会社に行く。


 そして限界を迎えてしまった人から、ひっそりと倒れる。


 そんな世の中になってしまっている気がしてならない。


 SNSを見ながら、そう不安を感じていたとき。


 自転車に乗ったふたりの女子高生がやってきて、わたしの座っているベンチのとなりのブランコに乗った。


 ふたりは流行りの曲を歌ったり、恋バナに花を咲かせて笑っている。


 なんの変哲もない普通の彼女たちを見てほっと心が落ち着く。


 誰だって生きてれば嫌なことだってある。


 でも。


 こうやって、みんなが大切な人と普通に笑っていられる。


 そんな世の中であってほしいと願う。


 そのために。


 ちょっとでも自分ができることなんて、きっと毎日保育現場に立つことくらい。


 明日も、そのちょっとを積み上げる。


 自分には、それしかできない。


 そう思いながら、スマホを閉じた。






 どうにもならないつらい状況を変えれるのは。


 いつだって人の想いや、たしかな技術だと教えられ。


 それを保育士としての経験から肌に感じている。


 今日も人知れず。


 目の前で困っている人たちに手を貸す保育士たちがいる。


 わたしたちは綺麗事のスペシャリスト。


 綺麗事にたしかな理論を結びつけ。


 子育てという領域で、確実に人を助けるための、本物のスキルを持ち合わせる。


 あなたを笑顔にするために。


 今日も現場に立つ。


 そんな保育士たちが、世の中にはたくさんいる。






 わたしの名前は椿朝陽。年齢は二十代半ば。


 こでまり保育園で一時保育の担当をしている保育士。


 一時保育とは、保護者が就労、病気、冠婚葬祭、育児疲れなどの理由で一時的に子どもの面倒を見られない場合に、保育園や施設などで子どもをあずかる社会福祉事業のこと。


 地域によって多少ちがうとは思うが主に非定型、緊急、リフレッシュと区分があって、一時保育の需要は近年増える一方。


 だいたい乳児期から幼児期前期までの、子どもの利用が多く。


 幼児期後期になってしまえば、どこかの保育園か幼稚園に通っているので一時保育を利用することは稀なのだ。


 一時保育というものは、子育て支援の要素が強く、来る子どもは年齢別だし、一時的な保育なので子どもとの関係も作りづらい。


 なので在園児保育とはちがった、臨機応変や総合的な保育スキルが保育士に求められる。


 今日来る子どもは一歳児が二人、二歳児が三人。


 保育士はわたしを入れて二人でみることになっている。


 子どもたちは、それぞれ保育時間も来る日数もバラバラ。


 中には親御さんに重大な疾患があって、手術のため緊急であずかることになった子もいる。


 さっそく子どもたちを散歩車に乗せて、いちばん近くの金白公園に向かった。


 砂場であそんでいるとひとりの男の子が、「焼き鳥たべたい」と唐突に呟いたので。


 わたしは木の枝に落ち葉を三枚刺して、「はい。焼き鳥いっちょあがり」と、砂場セットの皿に乗せてその子に渡した。


 すると、その子は慣れたふうに「じゃあ、次はねぎまちょーだい」と言ったので。


 茶色い落ち葉と緑の葉を交互に枝に刺したものを皿の上に乗せて、「はい。ねぎまいっちょあがり」と渡した。


 その子は食べる真似っこをしながら、「美味しい〜」と微笑む。


 どうやら親御さんと焼き鳥屋に行った記憶が、見たてつもりあそびに繋がったようだ。


 その子もわたしと一緒に焼き鳥を作り始めて、ふたりで「いらっしゃいいらっしゃい!焼き鳥うまいよー!」と、焼き鳥屋さんごっこが砂場で始まる。


 すると他の子どもたちも枝や落ち葉をたくさん拾ってきてくれて、いつの間にか気づくとみんなのあそびになっていた。


 「なんかクラウドファンディングみたいですね!」


 急に保育園とは縁のなさそうな言葉が飛んできて振り返ると、よちよち歩きの子どもを連れたお母さんがくすくすと笑っていた。


 「すみません。保育士なのであんまりそういうの詳しくなくって。名前は聞いたことあるんですけど」


 わたしは苦笑いをする。


 「インターネットでみんなから支援してもらって、事業を大きくすることですよ」


 「あー、なんとなくわかりました!そういう会社で働かれてるんですか?」


 「まさにクラウドファンディングでできた飲食店で働いてたんですけど、合わなくって半年前にやめちゃいました」


 そのお母さんも苦笑いをした。


 「申し遅れました。わたしは佐伯真帆といいます。この子は娘の華凛。もうすぐ一歳です。近所に半年前に引っ越して来ました。こでまり保育園ってすぐそこですよね。また会うと思うのでよろしくお願いしますね!」


 「あ、こでまり保育園を知ってくれてるんですね。わたしはそこの保育士、椿朝陽です。よくあそびに来る公園なので、これから何回もお会いしそうですね。こちらこそ、よろしくお願いします」


 わたしたちは微笑みあった。


 すると、そのとき。


 同じく公園にあそびに来ていた五歳児クラスの男の子たちが声をかけてきた。


 「朝陽先生ー!これなんの幼虫ー?」


 見るとけっこう大きくて白い幼虫が一匹、男の子の手のひらでうごめいている。


 わたしは保育士だけど、虫がものすごく苦手。


 「カブトムシかなぁ〜。可哀想だから、おうちに帰してあげたらどうかなぁ〜」


 なるべく見ないようにそう答えていたら、頭の上から声が降ってきた。


 「カブトムシなわけなでしょうが!これはハサミムシの幼虫だね〜!」


 先輩保育士の悠さんがにゅっと顔を出してそう答えた。


 「うおー!これハサミムシなんだ!」


 「すげー!悠先生なんでそんなことわかるの?」


 男の子たちの目がきらきらと輝く。


 悠さんはにやりと笑ってつづける。


 「ふふふ。そりゃ、何匹も捕まえたことあるからさ!成虫はおしりにハサミがあってめちゃくちゃかっこいいよ!一緒に捕まえに行く?」


 「いくいくー!」


 「じゃあ、あっちの林を探索だ!ハサミムシって湿った土や落ち葉が大好きだからね!」


 悠さんと男の子たちは走って林のほうに行ってしまった。


 まったく…。嵐のようだ…。


 声を大にしては言えないけど、わたしに虫を頼むから近づけないで!


 そう心の中で呟くと、「保育園ってにぎやかなんですね。なんか久しぶりに笑った気がします」


 真帆さんが微笑んで呟いた。


 それから子どもたちを金白公園に連れて行くたびに、真帆さんと華凜ちゃんがいて、わたしは真帆さんとよく会話をするようになった。


 華凛ちゃんも、わたしの顔を覚えて懐いてくれた。






 休憩中の職員室。


 「実は編み物始めたんだ〜!SNSでちょっと前に流行ってて、猫帽子とかポーチも作っちゃった!」


 自作の縫い物の写真をスマホで見せながらわたしがそう言うと、「実はわたしも最近ちょっとやってます」と後輩保育士の桜井小町ちゃんが話に乗ってきた。


 「縫い物いいよね〜。無心になれて心が落ち着くし」


 「わかります。わたし次はサコッシュ作ってみようかなって思ってます」


 「いいね〜、サコッシュ!保育中ぱっとティッシュ取れると便利だもんね!」


 「でも編み物ってさ。誰かのために愛情込めて作るのもいいよねぇ〜」と、次に同期の保育士の稲見亜美ちゃんも話に入ってきた。


 「いいなぁ〜!亜美先輩はプレゼントする人がいて!わたしなんてもう何年彼氏がいないことか…。朝陽先輩も誰かにプレゼントとかするんですか?」


 「えー。いないいない」と、わたしは思わず苦笑いをした。


 一瞬、元彼が脳裏に浮かんだが急いでかき消す。


 「わたしは娘が小学生のとき、手さげをはりきって作ったものだわぁ〜」


 園長先生が、子育てを懐かしむようにそう言った。


 「俺は絶対編み物なんてできないから、次男の入学準備のときはショッピングモールで市販のやつ買いましたよ」


 そう言ってカップ麺をすする悠さん。


 「あ、そうだ!今度真帆さんにも縫い物勧めてみよっと」


 すると、わたしの言葉に悠さんが少し真剣な表情になって反応をする。


 「真帆さんってさ。最近公園に一歳くらいの子ども連れてきてるママさんだよね」


 「はい。わたし仲良くなって、よくお話しをするようになったんです」


 「あのママさんさ。ちょっと変じゃない?」


 「変!?」


 わけがわからなくて、わたしは眉間に皺を寄せる。


 「あ、失礼な意味じゃないよ。ちょっと気にならないってこと?」


 悠さんは慌てて言い直し、次にこうつづけた。


 「なんで毎回保育士に話しかけてくるんだろう。こっちは勤務中なわけじゃん。普通ちょっとは悪いかもって思うよね。なにか話したいことでもあるんじゃない?」


 首を傾げるわたしをよそに、悠さんの目はすでに分析モード。


 「公園に行けばいつもいる。そのことから推測されるのは…。保育園には子どもをあずけていない。自分がいつも子どもをひとりでみている」


 「あ、そういえば。旦那がいるけど、単身赴任中でずっとワンオペしてるって前に言ってました。でも真帆さんは、どこにでもいる普通のママさんでしたよ」


 「俺の考えすぎならいいんだけど…。でも、ちょっと今度から気にしてあげてみて。普通っていいと思ってても、けっこう油断ならないものだからさ」


 「わかりました」


 悠さんは普段天然で鈍感だけど、保育士としての直感がものすごく鋭い。


 こういうとき、彼の勘はけっこう当たるのだ。