***
アフタヌーンティーから数時間後、外から馬車の蹄の音が聞こえる。アンリは緊張しながらもフレッドにホールが見下ろせる階段まで案内してもらうと丁度両親がホールに入って来る所だった。両親もアンリに気がつくと笑って「アンリ、ただいま」と声を掛ける。
二人揃ってダークブラウンの髪色をした両親は誰がどこをどう見ても美男美女だ。お母様は綺麗な長髪でアンリと同じ青い瞳。化粧も濃くないのに若々しい印象だ。アンリの一歩後ろに居るフレッドにもお母様は「フレッド、ただいま」と声を掛けると、フレッドは「お帰りなさいませ」と答える。
アンリが階段を降りきると、階段のすぐ下までやって来ていたお母様がアンリを抱きしめる。その髪からはフローラルの甘い香りが漂い、アンリの鼻腔をくすぐると同時に、両親と初めて顔を合わせる事にドキドキしていたアンリの心は徐々にフワフワとして温かいモノで包まれる感覚になる。今までに経験したことの無い感覚だが、嫌なモノでは無い。むしろ心地が良い。
「会いたかったわ、アンリ」
「お帰りなさい、お母様」
「本当は貴方のことも一緒に連れて行きたかったのだけど、今日は学園の入学式だったでしょう?だからこの数日、お留守番を任せてしまったけれど問題はなかった?」
「うん、大丈夫だったよ」
「そう、なら良かったわ」
お母様とは今日初めて話したというのに、自然と会話が口から出てくる。アンリとお母様の様子を優しい眼差しで見守っていたお父様は、不意にアンリと目が合うと目尻の皺を作り笑いかけてくれる。
沢木暗璃として暮らしていた頃は家族と過ごして、こんなにも温かく満たされた気持ちになった事はあっただろうか。
「ねぇアンリ、私お腹がペコペコなのだけど、アンリはどう?」
「私もお腹空いた」
「夕食の支度は整っておりますよ。いつでもお召し上がりになっていただけます」
「あらフレッド、ありがとう。じゃあこのまま向かいましょうか」
その声に頷くとお母様とお父様、フレッドと共にアンリは食堂へ向かう。食堂には既に三人分のサラダやカトラリーが綺麗に並んでいた。
「ただいまお料理をお持ち致しますね」
厨房へと入って行ったフレッドはしばらくするとポッドやカップが三セット乗せられたワゴンを、今朝厨房で顔を見たメイド達が料理の乗った皿を運んで来るとアンリ達の前に置いた。朝と同様、皿には美味しそうな料理が並んでいて、これを見れば料理は芸術だという人の気持ちも分かる気がする。
フレッドやメイドが準備をしている間、両親が乗っていた馬車から馬を外し厩舎に連れて行ったり、両親の荷物を馬車から屋敷に運び入れていた執事長であるジーヤやメイド長のディルベーネも遅れて食堂にやって来ると、それぞれお父様とお母様の側に立ち湯気の立つ紅茶を注ぐ。
「さぁ食べましょう」
メインディッシュの皿の横に置いてあるスープをスプーンで掬って飲んでみる。温かく野菜の旨味が凝縮しているスープはアンリの頬を自然と綻ばせる。
しばらく食事をしていると、それまで黙ってフォークやナイフを動かしていたお父様がアンリに向かって口を開いた。
「そう言えばアンリ、学園はどうだった?」
「初めは戸惑うこともあったのだけど、お友達がたくさん出来たの」
「おぉそうか!それは良かった」
「最初は一人で居たんだけどミンスくんって言う子が話しかけてくれて、その後ザックくんって子をミンスくんが紹介してくれたの」
「それは良かった。お父さん達はアンリに友達が出来るか心配していたが、無駄な心配だったな」
「もし何か必要なものがあったら遠慮無く言うのよ?」
「うん、ありがとう」
アンリは両親と会話を弾ませながら、美味しく楽しく食事を平らげるのだった。その後、まるでどこか高級なホテルにありそうな大浴場でゆっくりと体を温めてから自室に戻ると、部屋ではフレッドが水を用意してアンリを待っていてくれた。
「ずいぶんと旦那様や奥様と打ち解けていらっしゃいましたね」
「うん、私もビックリしてる」
「でも楽しそうになさっていて、良かったです」
「…私ね、正直二人と会うまで両親に会うのが怖かったの」
「それはどうしてです?」
本当はこんな話、しなくて良い。これは沢木暗璃として灰色の世界で過ごしていた頃の話だ。それでもどこかで聞いて欲しいと思っていたのか、アンリの口からは自然と言葉が出ていた。
「私ね、元の世界で暮らしていた頃、今日みたいに両親と話した記憶が無いの」
「そうなんですか…?」
アンリが沢木暗璃として過ごしていた頃、暗璃には妹が居た。今思い出しても我儘で自分勝手な妹だ。
だからこそ姉である暗璃は迷惑を掛けないように、自分で出来ることは自分で済ませて、ひたすら迷惑を掛けないように過ごしていた。それでも母親にとって手の掛かる妹の方が可愛いらしく、いつからか暗璃の事は見てもらえなくなった。何を話しても返事が返ってこないのは当たり前。返事が返ってくるのは暗璃の話に反対するか、理不尽に怒りをぶつける時だけだ。
だからこそ、今まで家族という存在が好きじゃ無かった。世間は家族という枠組みを重要視し、親は子を愛するモノ、子は親に大切に育てられるモノと何かと綺麗事を言いたがる。だが血の繋がった家族だからって必ずしも愛されるわけじゃ無いし、大切にしてもらえるとは限らないと暗璃は知っていた。
今まで誰にも家族の話なんて聞かせた事なんて無かったというのに気がつくと取り留めも無くそんな事を話していた。フレッドはアンリの面白みも無い話を笑うでも無く、真剣な眼差しで時々相づちを打ちながら聞いてくれる。
「そうだったんですか…」
「でもね、だからこそ凄く嬉しかったの。お母様もお父様も私の話を嬉しそうに聞いてくれて、お母様は私を優しく抱きしめてくれた」
今まで強がっていただけで本当の事を言えば、ずっと妹が羨ましかった。ただ話を聞いてもらえる事、何をしても味方になってもらえること、抱きしめてもらえること。全部全部、羨ましかった。
そんなずっと心の奥底で諦めながらも羨んでいたものを今日、お母様やお父様からもらった。あの場では平然として見せたが、内心では泣きそうなほど嬉しかったのだ。
「それにフレッドもだよ」
「私、ですか?」
「フレッドはこの世界に来たばかりで何も知らない私に色々な事を呆れずに優しく教えてくれるでしょ?それがとっても嬉しいんだ。だからありがとう」
「そんな、お礼を言われるような事はしていませんよ。ただ私は当たり前の事をしていただけで」
「その当たり前が私にとっては特別だったんだよ」
「そんな風に言われると嬉しいものですね。良ければこれからもアンリ様のお話を聞かせてくださいね。アンリ様がこちらの世界を知らないように、私もアンリ様の世界や過去を知りません。無理にとは言いませんし、愚痴のはけ口としてでも構いませんので」
「うん、ありがとう」
そんなフレッドの申し出はポカポカとしていたアンリの心をより温かくしてくれた。
「さぁそろそろお休みになりましょう。明日も学校です、しっかりと体を休めてあげてください」
「うん、お休みなさい」
フワフワな布団に入ると、それまで眠気なんて無かったというのに一瞬にして眠りの世界に連れて行こうとする。
今日は思い返すだけで色々な事があった。目を覚ませば知らない部屋で、聞けばフェマリー国という知らない国だった。そして戸惑いながらも学園に行けば友人が出来た。屋敷に帰ってきてからはフレッドとダンスの練習をしたりアフタヌーンティーをして、お母様とお父様からは今まで羨んでいた愛情やポカポカとした温かく幸せな気持ちをもらった。
今日一日に想いを馳せていると、アンリすら気がつかない間に深い眠りに落ちるのだった。
「おやすみなさい。良い夢を見てくださいね」
アフタヌーンティーから数時間後、外から馬車の蹄の音が聞こえる。アンリは緊張しながらもフレッドにホールが見下ろせる階段まで案内してもらうと丁度両親がホールに入って来る所だった。両親もアンリに気がつくと笑って「アンリ、ただいま」と声を掛ける。
二人揃ってダークブラウンの髪色をした両親は誰がどこをどう見ても美男美女だ。お母様は綺麗な長髪でアンリと同じ青い瞳。化粧も濃くないのに若々しい印象だ。アンリの一歩後ろに居るフレッドにもお母様は「フレッド、ただいま」と声を掛けると、フレッドは「お帰りなさいませ」と答える。
アンリが階段を降りきると、階段のすぐ下までやって来ていたお母様がアンリを抱きしめる。その髪からはフローラルの甘い香りが漂い、アンリの鼻腔をくすぐると同時に、両親と初めて顔を合わせる事にドキドキしていたアンリの心は徐々にフワフワとして温かいモノで包まれる感覚になる。今までに経験したことの無い感覚だが、嫌なモノでは無い。むしろ心地が良い。
「会いたかったわ、アンリ」
「お帰りなさい、お母様」
「本当は貴方のことも一緒に連れて行きたかったのだけど、今日は学園の入学式だったでしょう?だからこの数日、お留守番を任せてしまったけれど問題はなかった?」
「うん、大丈夫だったよ」
「そう、なら良かったわ」
お母様とは今日初めて話したというのに、自然と会話が口から出てくる。アンリとお母様の様子を優しい眼差しで見守っていたお父様は、不意にアンリと目が合うと目尻の皺を作り笑いかけてくれる。
沢木暗璃として暮らしていた頃は家族と過ごして、こんなにも温かく満たされた気持ちになった事はあっただろうか。
「ねぇアンリ、私お腹がペコペコなのだけど、アンリはどう?」
「私もお腹空いた」
「夕食の支度は整っておりますよ。いつでもお召し上がりになっていただけます」
「あらフレッド、ありがとう。じゃあこのまま向かいましょうか」
その声に頷くとお母様とお父様、フレッドと共にアンリは食堂へ向かう。食堂には既に三人分のサラダやカトラリーが綺麗に並んでいた。
「ただいまお料理をお持ち致しますね」
厨房へと入って行ったフレッドはしばらくするとポッドやカップが三セット乗せられたワゴンを、今朝厨房で顔を見たメイド達が料理の乗った皿を運んで来るとアンリ達の前に置いた。朝と同様、皿には美味しそうな料理が並んでいて、これを見れば料理は芸術だという人の気持ちも分かる気がする。
フレッドやメイドが準備をしている間、両親が乗っていた馬車から馬を外し厩舎に連れて行ったり、両親の荷物を馬車から屋敷に運び入れていた執事長であるジーヤやメイド長のディルベーネも遅れて食堂にやって来ると、それぞれお父様とお母様の側に立ち湯気の立つ紅茶を注ぐ。
「さぁ食べましょう」
メインディッシュの皿の横に置いてあるスープをスプーンで掬って飲んでみる。温かく野菜の旨味が凝縮しているスープはアンリの頬を自然と綻ばせる。
しばらく食事をしていると、それまで黙ってフォークやナイフを動かしていたお父様がアンリに向かって口を開いた。
「そう言えばアンリ、学園はどうだった?」
「初めは戸惑うこともあったのだけど、お友達がたくさん出来たの」
「おぉそうか!それは良かった」
「最初は一人で居たんだけどミンスくんって言う子が話しかけてくれて、その後ザックくんって子をミンスくんが紹介してくれたの」
「それは良かった。お父さん達はアンリに友達が出来るか心配していたが、無駄な心配だったな」
「もし何か必要なものがあったら遠慮無く言うのよ?」
「うん、ありがとう」
アンリは両親と会話を弾ませながら、美味しく楽しく食事を平らげるのだった。その後、まるでどこか高級なホテルにありそうな大浴場でゆっくりと体を温めてから自室に戻ると、部屋ではフレッドが水を用意してアンリを待っていてくれた。
「ずいぶんと旦那様や奥様と打ち解けていらっしゃいましたね」
「うん、私もビックリしてる」
「でも楽しそうになさっていて、良かったです」
「…私ね、正直二人と会うまで両親に会うのが怖かったの」
「それはどうしてです?」
本当はこんな話、しなくて良い。これは沢木暗璃として灰色の世界で過ごしていた頃の話だ。それでもどこかで聞いて欲しいと思っていたのか、アンリの口からは自然と言葉が出ていた。
「私ね、元の世界で暮らしていた頃、今日みたいに両親と話した記憶が無いの」
「そうなんですか…?」
アンリが沢木暗璃として過ごしていた頃、暗璃には妹が居た。今思い出しても我儘で自分勝手な妹だ。
だからこそ姉である暗璃は迷惑を掛けないように、自分で出来ることは自分で済ませて、ひたすら迷惑を掛けないように過ごしていた。それでも母親にとって手の掛かる妹の方が可愛いらしく、いつからか暗璃の事は見てもらえなくなった。何を話しても返事が返ってこないのは当たり前。返事が返ってくるのは暗璃の話に反対するか、理不尽に怒りをぶつける時だけだ。
だからこそ、今まで家族という存在が好きじゃ無かった。世間は家族という枠組みを重要視し、親は子を愛するモノ、子は親に大切に育てられるモノと何かと綺麗事を言いたがる。だが血の繋がった家族だからって必ずしも愛されるわけじゃ無いし、大切にしてもらえるとは限らないと暗璃は知っていた。
今まで誰にも家族の話なんて聞かせた事なんて無かったというのに気がつくと取り留めも無くそんな事を話していた。フレッドはアンリの面白みも無い話を笑うでも無く、真剣な眼差しで時々相づちを打ちながら聞いてくれる。
「そうだったんですか…」
「でもね、だからこそ凄く嬉しかったの。お母様もお父様も私の話を嬉しそうに聞いてくれて、お母様は私を優しく抱きしめてくれた」
今まで強がっていただけで本当の事を言えば、ずっと妹が羨ましかった。ただ話を聞いてもらえる事、何をしても味方になってもらえること、抱きしめてもらえること。全部全部、羨ましかった。
そんなずっと心の奥底で諦めながらも羨んでいたものを今日、お母様やお父様からもらった。あの場では平然として見せたが、内心では泣きそうなほど嬉しかったのだ。
「それにフレッドもだよ」
「私、ですか?」
「フレッドはこの世界に来たばかりで何も知らない私に色々な事を呆れずに優しく教えてくれるでしょ?それがとっても嬉しいんだ。だからありがとう」
「そんな、お礼を言われるような事はしていませんよ。ただ私は当たり前の事をしていただけで」
「その当たり前が私にとっては特別だったんだよ」
「そんな風に言われると嬉しいものですね。良ければこれからもアンリ様のお話を聞かせてくださいね。アンリ様がこちらの世界を知らないように、私もアンリ様の世界や過去を知りません。無理にとは言いませんし、愚痴のはけ口としてでも構いませんので」
「うん、ありがとう」
そんなフレッドの申し出はポカポカとしていたアンリの心をより温かくしてくれた。
「さぁそろそろお休みになりましょう。明日も学校です、しっかりと体を休めてあげてください」
「うん、お休みなさい」
フワフワな布団に入ると、それまで眠気なんて無かったというのに一瞬にして眠りの世界に連れて行こうとする。
今日は思い返すだけで色々な事があった。目を覚ませば知らない部屋で、聞けばフェマリー国という知らない国だった。そして戸惑いながらも学園に行けば友人が出来た。屋敷に帰ってきてからはフレッドとダンスの練習をしたりアフタヌーンティーをして、お母様とお父様からは今まで羨んでいた愛情やポカポカとした温かく幸せな気持ちをもらった。
今日一日に想いを馳せていると、アンリすら気がつかない間に深い眠りに落ちるのだった。
「おやすみなさい。良い夢を見てくださいね」

