伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く1

 楽しいひとときを過ごした後、校舎を出ると外ではクラブの勧誘や体験が行なわれていた。アンリ達はそんな光景を横目に校門を出ると、迎えに来た馬車に乗ってそれぞれの屋敷へと帰って行くのだった。

 馬車が屋敷に到着してすぐ、フレッドにエスコートされて馬車を降りる。

「あの、一つお願いがあって…」
「お願いですか?何でしょう」
「この世界のこと、色々と教えて欲しくて」
「えぇ構いませんよ。では馬を厩舎に連れていくので少々お待ちください」

 フレッドは嫌な顔一つせずに了承すると馬車に繋がれていた馬を二頭、厩舎に連れて行く。その手つきは、やり慣れているようで手際が良い。
 本当は手伝いたいが無知のまま出ていっても邪魔になってしまう。アンリはこの場は大人しく待つことにする。

「お待たせ致しました。アンリ様、お荷物お持ちします」

 アンリの持つサッチェルバッグには学園で配布された書類が追加で入れられただけで、重たくはない。

「重たくも無いですし、大丈夫ですよ」
「いえいえ、私がお荷物お持ちします」

 フレッドは再び笑顔で同じセリフを繰り返す。だがその笑顔の瞳の中には一切譲らないという強い意思が宿っている。アンリは大人しく鞄を手渡す。

「ではそうですね、書庫でお話しましょうか」

 屋敷に入ると大理石調のホールに足を踏み入れ、正面にある豪華な階段を登って二階に上がる。書庫は二階に上がってすぐにある二枚扉の先だ。フレッドの開けた扉の先には背の高い本棚がたくさん並んでいて、一人用から数人で利用出来るものまで、いくつかテーブルが並んでいる。書庫といえば暗いイメージを想像するが、ここは太陽の光を纏った暖かい空間だ。

 アンリは言われるままに椅子に座るとフレッドは正面の椅子に腰掛けた。

「それで、アンリ様はこの世界のことを聞きたいと仰りましたが、特にどのような事を聞きたいですか?」
「えっと、どうしてこの世界では身分…、と言うか爵位なんてものが重要視されるんですか?」
「そうですね…、まずアンリ様は具体的にいつ、そのような事を疑問に思いましたか?」
「実は今日友達が出来たんです」
「そうですか、それは良かったです」

 そう言ってくれるフレッドは、まるで自分の身に起こった事を喜ぶかのように頬を緩め微笑む。

「クイニーは労働者階級を馬鹿にしている素振りがあって…、彼にはそれが当たり前だと言われました。他の友達は私は伯爵のご令嬢だからと、何かと気にしていたり…」
「なるほど…。まず始めに申しますと、フェマリー国ではソアラ様の仰ったとおり、それが普通という考えなんです。労働者階級にとって貴族階級は絶対に越えられない壁であり、そして逆らえない存在です。貴族階級だったとしても、今朝申した通りランクが存在します。ですから貴族様の間でも上下の差が生じます」
「つまり私は子爵や男爵よりは上、侯爵や公爵よりは下って事ですよね」
「そうです。ちなみに新しく出来たというお友達のお名前をお伺いしても良いですか?」
「ミンスくんとザックくんです。たしかミンス・シェパードとザック・レジスだったと思います」
「私の記憶が正しければ、シェパード家とレジス家は共に子爵家です。ですから伯爵家であるアンリ様のことを敬っての言動だと思いますよ。特にレジス家はそういった規律を重んじる一族ですから」

 そんな風に淡々と分かりやすく説明してくれるが、まさかフレッドはそれぞれの家の爵位を全部覚えているのだろうか。アンリは感心する一方、やはり胸の中の違和感が拭えない。

「でも、なんか変ですね。同じ人間なのに、生まれた家で上下関係が決まってしまうなんて…」
「そうでしょうか、私は生まれた時からこういった環境でしたので…。ですが、そんな風に思うという事はアンリ様のいらっしゃった世界ではそういったものが無かったんですね」
「はい。確かに年上の人に敬語は使いますけど、生まれた家で何かが決まる訳ではありませんでした」
「やはりそうなんですね」

 昨日までアンリが暮らしていた世界では、初対面の人や年上の人に敬語を使うのは礼儀として当たり前の事だった。だが、ここまで分かりやすく生まれた家柄で上下関係が決まることは無かったし、自分より立場が弱い人を忌み嫌う事も公に許される行為では無かった。

 この世界で目覚めてから数時間が経ってアンリも既に想像はしていたが、やはり暗璃として暮らしてきた日々と世界線が違うこの国では根本的な考え方が違う。いや、考え方だけじゃない。おそらく文化やマナー、それ以外にも色々な事が違ってくるのだろう。

「やっぱりこの世界のこと、少しずつでも知っていかないとですよね」
「えぇそうですね。これからの事を考えると、こちらの事をある程度知っていた方が良いでしょう」
「お願いしても良いですか?」
「えぇ、もちろんです。ですが私からも一つ、交換条件と言うことでどうでしょうか?」
「交換条件?」
「難しい事は言いません。ただアンリ様が私に対して敬語を使わずに話してくだされば構いません」
「それならフレッドさんだって私に敬語を使わずに…」
「いいえ、そういうわけにはいきません。私はあくまでオーリン家に仕えている身です。この世界では先程も言ったとおり身分が全てです」
「でも…」

 身分がどうであれ、アンリはただフレッドと仲良くしたいだけだ。それすらも身分の違いで叶わないのかと思うと胸が苦しくなる。

「本来であればアンリ様が私に敬語を使うなんてあり得ない事なんです。もしも私と話している場面を目撃され、その際にアンリ様が敬語を使っていればオーリン家が馬鹿にされる、なんて事が起きてしまうかもしれません。ですからご自分を守る為だと思って、これだけは分かってください」
「…うん、わかった」
「では私の事は呼び捨てで構いませんので」

 理解しようと思っても、簡単に異文化に慣れることは出来ない。でもどれだけ対等の立場で居たいと願っても今は困らせてしまうだけだ。それにフレッドがそう言うのは何よりもアンリを思ってのことだ。

 そう納得しつつも遠くないいつか、そんな事も何も気にせずに話せる日が来れば良いのにと思う。

「ではこの世界についてお話しますね。まずはどこからお話したら良いのでしょうか。そうですね…、せっかくですしフェマリー国の階級制度の起源をお話しましょうか。少々お待ちください」

 椅子から立ち上がったフレッドは一直線に目的の本棚に近づくと、迷う素振りも見せずに一段と分厚い本を手に取る。見るからに重たそうな本だが、フレッドは軽々と持つとアンリの座るテーブルに戻ってくる。
 フレッドが本の表紙を数ページほどパラパラと捲ると、一枚の絵が露わになる。その絵はとてもじゃないが見ていて気持ちが良いものではなく、泣いている人、叫んでいる人、血を流し倒れている人が描かれ、彼らを襲うように描かれたのは鎧を着た兵士達だった。

「この国は昔、今のような身分制度は無く、誰もが自由に暮らしていたそうです。ですがある日、今は無き隣国からフェマリー国を手中に入れようと兵士達が押し寄せました」
「じゃあこの絵はその時の…」
「えぇ。国民達は無惨にも殺されていき、無抵抗の赤ん坊でさえ殺されました」
「戦わなかったの…?」
「もちろん我が国にも兵士はいました。ですがその年は天災に見舞われ、ほとんどの兵士が各地に分散していました。そのため少数の兵士ではとても戦うことが出来ず、一時は国が滅びる寸前にもなりました。ですがそんな中、恐怖にも負けず立ち上がった方が居たそうです。その方々は力で対抗するのでは無く、あくまでこれ以上誰も傷つかない方法で兵士を帰したそうです」
「傷つかない方法?でも武器を持った相手にどうやって…?」
「それは今でも分かっていないんです。一説では、この時代には魔法が存在したのかもしれない、もしくは裏取引が行なわれていたのではと、囁かれたこともあります。何せこの時代の文書はほとんど残されていないんです」
「だからって魔法…?」
「それをアンリ様が仰いますか?一応アンリ様も異世界から来たんですよね?それはもう魔法と同じか、それ以上の領域では?」
「…確かに」

 異世界から来た、そんな事実がある以上は魔法が存在したといわれても変じゃない。

「話を戻しますが、その方々は負傷者の看病や街への支援も合わせて行なったそうです。そのおかげもあり、国の難を乗り越えたんです」
「じゃあもしかして、その人達の子孫が今の貴族って事?」
「そういう事です。その当時は助けられたお礼にと爵位制度を作ったそうですが、今の貴族の方でこの歴史を知っている方は少ないですね」
「なんか嫌な話だね。昔の人は見返りなんて求めず、ただ人助けをしただけなのに…」
「歴史とは忘れられていくものです。それは仕方の無いことなんですよ」

 一瞬の沈黙が漂う。今の階級制度、身分制度についてフレッドがどう思っているのかは分からない。アンリ自身、まだ一面でしか見ていない。だから仕方ないと言われれば、それ以上アンリが何かを言うことは出来ない。

「そう言えば…、アンリ様は踊ったことはありますか?」

 それまでシンミリしていたのに、いきなり踊ったことがあるのか、なんて。唐突な質問にアンリは驚いてしまう。

「ううん、無いよ。急にどうしたの?」
「実は一週間後、当家主催の舞踏会が開催されるんです」
「え?それって私も出席するの?」
「はい、そのように伺っています」
「え、なんで?私って今まで、社交界に出なかったって聞いたんだけど…」
「えぇ、そうです。しかし学園入学と共に社交界デビューと言うことで、今まで社交界から遠ざけていた分、その解禁という意味も含め今回の舞踏会が開かれるそうです」

 なにそれ、そんなタイミングの悪い事があるだろうか。今まで公の場に出されなかったのに、急に一週間後の舞踏会に出るだなんて。

「そもそも私、舞踏会って何をするのか、いまいち分からないんだけど…」
「軽く説明しますと…、舞踏会というのは男女がダンスをして、時にはお見合いという意味も込められる事もございます」

 舞踏会なんて、現実の世界を生きていれば経験することはまず無いだろう。アンリの持つ舞踏会のイメージと言えば、有名な童謡のプリンセス達が短いひとときを王子と共に過ごし、踊っている姿だ。

「一曲目がスタートすると招待客の中で最も地位の高い男性と女主人が踊り始めます。その後、他の招待客の方も踊り、一晩中男女が語り合うんです」
「じゃあもしかしたら私は一曲も踊らずに済むかもしれない?」
「いいえ、残念ながら。実は今回の一曲目は女主人である奥様ではなく、アンリ様が踊ることになっているんです」
「え?!どうして私?」
「今回の舞踏会はアンリ様の社交界デビューですから」
「なにそれ…。どうしよう、私運動とか苦手だよ?」

 いきなり大勢の前で踊れ、なんてとてもじゃないが無理に決まってる。それこそ幼稚園生のお遊戯会のようになってしまうのが、目に見えてる。

「大丈夫ですよ、あと一週間もあります。それに踊りは基本的に同じ動作の繰り返しです。ですからきっと大丈夫です」

 落ち込むアンリを励ます様にフレッドはそう声掛けをするが、フレッドはアンリのあまりの運動の出来なさを知らないから、そんな事を言えるんだ。自分で言うのは嫌だが、アンリほどの運動音痴をこれまでの人生で見たことがない。

「本日はまだ時間がありますし、これから少し練習してみますか?」
「うん…」

 ひとまず、ここで駄々を捏ねても何も変わらない。とりあえず練習してアンリのあまりの不器用さが分かれば、舞踏会の参加自体を考え直してくれるかもしれない。そんな薄らとした希望を抱えながら書庫を出て向かった部屋は本格的なスタジオのような練習部屋だ。壁一面は鏡張りで、部屋の端にはグランドピアノやバイオリンなどの楽器や蓄音機が置かれている。

「今回は音楽を流さずに、ステップだけ練習してみましょうか」
「ステップ…?」
「とりあえずアンリ様が絶対に踊らなければならないのはワルツです。ですからその練習をメインに考えていきましょう」
「フレッドが教えてくれるの?」
「えぇ私が教えます。まずはイメージを掴めるように私が踊って見せますね」

 フレッドは蓄音機をセットし部屋の中央に移動すると、右腕を上げ、左腕はまるで一緒に踊るであろう人物の腰を支える様に姿勢を整えると、蓄音機から流れ出す音楽と共に踊り出す。腕は動かさず固定されたままだが、足は右に出したり前に出したり初めて目にするアンリからしてみれば、かなり複雑だ。

 フレッドは一人で踊っているというのに、まるで誰かと息を合わせ踊っているみたいだ。一週間後に自らも踊るという事を途中からはすっかり忘れ、ただただフレッドのダンスに見蕩れていたアンリは音楽の終了と共に静止するフレッドに思わず小さな拍手をしていた。

「ありがとうございます」
「でもこれを私がやるんだよね…。本当に出来るかな…」
「そんなに心配されなくても、きっと大丈夫ですよ」
「うん…。でもダンスってどう練習するの?」
「練習の仕方は色々とありますが、動きを覚えられても、それで体を動かせるかは別問題です。ですから、とりあえず動いてみましょうか。私がアンリ様の横で足を動かすので、同じように動かしてください」
「わかった」

 二人で並ぶ姿を改めて鏡で見てみると、違和感が拭えない。これまでと容姿の違う自分、そして隣には端整な顔立ちのフレッド。本当に人生、何が起こるか分からない。

「ワルツは基本的に三カウントです。ですから私はワン、ツー、スリーとカウントをしながら足を動かしていきます」
「とりあえず私は真似をすれば良いんだよね」
「えぇ。まずは説明よりも、やってみましょうか」

 フレッドは「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー」と声に出しながら、さっき踊って見せたよりもスローペースで足を動かしていく。アンリもワンテンポほど遅れて見様見真似に動かしていく。だが見ているのと、実際に体を動かすのでは上手くいかない部分ばかりで途中からはカウントに追いつくだけで必死だ。優雅さの欠片も無い。
 
 ようやく最後まで終えた時には不安だけが残っていた。こんな初心者が本当に一週間で動きを一通り覚え、人前で見せても恥ずかしくないレベルにまで仕上げられるのだろうか。

「大丈夫ですよ、アンリ様。そうですね…、ではまずはカウントを体に染み込ませていきましょうか。それから、あまり正しいステップを踏もうと意気込まなくてよろしいですよ」
「でも…」
「まず形さえ覚えてしまえば自ずと正しいステップへ繋がります。ですから大丈夫です」
「…ありがとう」

 そんな風に微笑みかけるフレッドは、想像以上に上手く出来ずに落ち込んでいるアンリが気を落とし、やる気を失わないように励ましてくれているんだろうとアンリにも伝わってくる。何にしても一つ一つ失敗を注意され怒られるより断然良い。

「ではあまり気を張らずに、もう一度ゆっくりやってみましょうか」

 すぐに始まった二度目は完成度で言ったら一度目と大して変わらないだろう。でも元々、運動音痴でダンス初心者が諦めずに最後まで粘り着いただけで十分だろうとアンリは言い聞かせる。

「先程よりも肩の力が少し抜けたようですね。この調子で頑張っていきましょう」
 
 そしてその後も同じように練習を繰り返した。初めは自信もなく、出来る事なら舞踏会への参加を回避したいと思っていたが、フレッドは些細な事でも褒めてくれる。おかげで思うように踊れなくても嫌な気持ちになることは無いし、いつの間にか舞踏会当日までに出来るだけ頑張ってみたいと思うまでになっていた。

「よく頑張りましたね。ダンスの練習も大切ですが他にも確認しておくべき事もあるでしょうし、今日の練習はここまでにしましょうか」
「え、でも…」
「短時間に何度も同じ事を繰り返していると脳が逆に混乱してしまいますから。休んで頭を整理させてあげる時間も大切ですよ」
「…そうだね、わかった」
「では時間も時間ですから、アフタヌーンティにしましょうか」

 練習部屋を出て自室に入る。フレッドは屋敷に帰って来た時にアンリから受け取っていたサッチェルバッグを棚に置く。そしてラックに掛けてあった丈が膝下程までの白いワンピースを取るとアンリに手渡し、制服から着替えているように言うと、給湯室に紅茶を取りに行くと言って出ていった。
 
 ジャケットを脱ぎラックに掛けた後、ネクタイを緩め引っ張ると首元が幾分か楽になる。左腰のダブル前カンを外しスカートを下ろすと、スカートもラックに掛ける。ワイシャツの第一ボタンから順に外し、シャツはベッド脇に畳んで置く。フレッドに渡された長袖の白いワンピースに腕を通すが、このワンピースはさっきまで着ていた制服と違って締め付けが無く、レース生地で着心地がとても良い。

 一人掛けのソファーが二つローテーブルを挟むように置かれている窓際に向かい、ソファーに腰掛ける。ベッドといい、このソファーといい本当に体へのフィット感が丁度良い。しばらくはここから動きたくないと思わせるほど。

 しばらくして戻ってきたフレッドはワゴンを押している。ワゴンには今朝使っていたモノとは柄の違うポットやティーカップが置かれ、皿にはスコーンも乗せられている。フレッドはローテーブルにジャムやクロテッドクリームの入った小皿と共にスコーンの皿を置くと、ポッドに入れられた紅茶を慣れた手つきでカップに注ぐと湯気の上るティーカップを差し出してくれる。だが並んだカップは一つ。

「フレッドは一緒にしないの?」
「えぇ。あ、邪魔でしたら出ていきましょうか?」
「ううん、邪魔じゃないよ。そうじゃなくて一人で食べたり飲んでも、楽しくないかなって」
「つまり私も一緒に、と言うことですか?」
「うん。…ダメかな?」
「それはとても嬉しいお誘いなのですが…、万が一他の者に見られても困りますし…」

 フレッドはやはり立場を気にしているのか、モゴモゴと独り言を呟いている。ただアンリからすれば、お友達として一緒にお茶を飲みながらゆっくりしたいだけだ。

「ではこういうのはどうでしょう。私がアンリ様に様々なマナーや紅茶の頂き方をお話しながらご一緒するんです。そうすれば、かなり不思議な光景ではありますが説明は付きます」
「確かに私ってマナーとか、詳しく分からないかも」
「それならこれからの社交の場を考えても、練習しておいた方が良いでしょうね」
「社交の場…」
「社交の場と言わず、この後のご夕食は旦那様や奥様とご一緒になるので、その際から役立つと思いますよ」
「旦那様と奥様って私の両親のこと?」
「はい、そうですよ。そうですね、お二人についてもお話しておきましょうか」

 フレッドは自分の分も紅茶を注ぐと、向かい側のソファーに姿勢良く座る。

「本日の紅茶はアッサムです。アッサムはまろやかで、しっかりとコクもあるためスコーンの邪魔をせずに、口をリセットすることも出来ますよ」
「やっぱり同じ紅茶でも茶葉によって味も変わるの?」
「えぇ、香りやコク、苦みもかなり変わってきます。ではそうですね、まず紅茶の頂き方からお話しましょうか。まず利き手の親指と人差し指で持ち手を挟むようにして中指を添えます」

 言われたようにサイドテーブルからカップを持ってみる。普段カップを持つ時のように持ち手に指を入れて持っているわけじゃないから、気を抜いたら手を滑らしてカップをすぐに落としてしまいそうだ。

「これであってるかな?」
「えぇ、あっていますよ。そして食堂のようなダイニングテーブルの際はその状態で完璧です。ですが今回のようにローテーブルの際はソーサーごと持ち上げます」
「ソーサー?」
「カップの下に置かれているお皿のことです」
「なるほど」

 ローテーブルの上に置かれたままのソーサーに一度持っていたカップを戻すと、今度はソーサーごと持ち上げてカップを教えてもらった通りに持ってみる。向かい側のフレッドを見ると、彼も同じように持ち直している。

「おぉ、確かにこっちの方が良いかも」

 こう持つと上品な感じがして、向かい側のフレッドは様になって見える。アンリが感動したように声を出すと、フレッドは優しく微笑む。それと同時に今日からアンリもお嬢様なんだと、不思議と実感が湧いてくるのだった。

「それが出来れば完璧ですよ」
「教えてくれてありがとう」
「えぇ。では次に今回はスコーンが用意されているので、スコーンの召し上がり方についてお話しますね。と言っても、スコーンは手で一口サイズに割って食べてもらえれば大丈夫です。ただしジャムやクリームはナイフを使って塗るようにしてくださいね」
「うん、わかった」
「とりあえず説明は以上ですかね」
「ほんと色々と優しく教えてくれてありがとう」
「いえいえ、さぁ紅茶が冷めてしまいますよ。お召し上がりになってください」
「…ん!この紅茶も美味しい」
「ぜひスコーンも食べてみてください。ルエさんの自信作だそうですよ」

 朝食でルエが作ってくれたというパンも美味しかったし、プレーン味のスコーンも絶品でアンリの心を掴んだ。そしてその後は二人で紅茶を飲んだり、スコーンを食べながらオーリン家についても詳しく教えてもらうのだった。

 フレッドの話では両親はとても心優しい人だそうだ。そして出掛ける時は必ず二人一緒に出掛けるほど両親の仲は良いらしい。そして優しさという過保護のあまり、アンリをこれまで綺麗なだけじゃ無い社交界に出すことを拒み続けていたらしく、自分の好きなことを出来るように伸び伸びと育ててくれていた。

 オーリン家が何かと有名なのは両親の功績や地位もあるが、それよりも他の貴族と変わっている事が多くあるからだと言う。本来、五歳ほどで社交界デビューするのが一般的な中でアンリをこの歳まで社交界に出さなかったのもその一つ。

 そしてもう一つは、使用人への扱いが他の屋敷に比べてずいぶん違うらしい。
 オーリン家では他の屋敷の主従関係とは違って、一人一人を家族同然のように受け入れて、何をするにも無理強いはしない。貴族や使用人という立場関係なく、自分で出来ることは自分で片付けるようにして、なるべく雑用が少なくなるようにしているらしい。そして本来なら使用人には二、三人で一つの部屋を与えられるのがほとんどだが、オーリン家では三階に一人一部屋、個室が用意されているらしい。
 他の家に比べ従者が少ないのは、一人一人との縁を大切にしたいと言う気持ちがあるからと言うことだった。

 両親は数日前から別邸に執事長であるジーヤとお母様に長年付き添っているメイド長のディルベーネの二人を連れて出掛けているらしく今夜帰ってくる予定らしい。